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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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「副機長のササキです」飛行機内に緊迫したアナウンスが流れる。「お客様の中で、猫を――」叱責と、それに謝る副機長の声。副機長は言い直す。「お客様の中で、にゃんこをお連れの方は居らっしゃいませんか。居らっしゃいましたなら、至急、パイロット室まで、にゃんこを連れて、お越し下さい」
 ファーストクラスからエコノミークラスまで、機内は騒然とする。
「今の放送は、なんだったのだろう」
「タチの悪い冗談ではないのか。もうすぐ着陸だ、猫の手も借りたいとかいった意味だろう」
「飛行機に猫なんて連れてこられるのか? 常識的に考えて、それは無理だろう」
「平日のこんな時間に乗ってる客なんて、みんな仕事絡みのビジネスマンだ。猫なんて連れてる奴なんか居ないよ」
 客は口々に言い、副機長のアナウンスを受け流す。
「副機長のササキです」二回目のアナウンス。「お客様の中に、にゃんこをお連れの方が居らっしゃいましたら、大至急、パイロット室までお連れ下さい」
 切迫した声。
 客たちは、ただならぬ状況を感じ取り、次々と客室乗務員に説明を求めた。
「あの、少々お待ち下さい」客室乗務員は慌てる。「その、私たちにも、えと、どのような状況なのか分かりませんので、問い合わせてみませんことには」
「なら早く問い合わせろ」
「はい。はい、ただ今。すぐに、はい」
 客室乗務員は、ただちに問い合わせる。
「機長、このままでは、お客様たちがパニックに陥ってしまいます。詳しい説明をして下さい」
「機長のスズキです」少しの間があって、機長の声が機内の全スピーカーから流れ出す。その声は、おろおろとした様子で、今にも泣き出しそうな感じだった。「これから向かう空港から、現地が濃霧であり、視界がまったくと言っていいほど効かないと言うことであります。ですから、ですからどうぞ、にゃんこをモフモフさせて下さい! お願いします!私はいつもにゃんこのぬいぐるみ、シーちゃんを連れて緊張をほぐしているのですが、今回の着陸は非常に困難でありまして、シーちゃんのぬいぐるみもぼろぼろになっておりまして、ああ――にゃんこちゃん。このことで、私は今後、解雇されることでしょう。しかし皆様の命を預かっている今、どうしてもにゃんこちゃんが必要なのです! 副機長のササキは新人でありまして、交替もできません。もう一人の副機長は、パニックを起こした私が殴り、気を失っております。ですから、どうかにゃんこちゃんをお連れの方は、どうか、どうにか、にゃんこちゃんを連れて来て下さい! お願いします! にゃんこちゃんを!」
 最後は泣き声になっていた。
 客たちは怒り、嘆き、あるいは諦めた。
「なんて機長だ!」
「死にたくない!」
「こんな飛行機に乗り合わせたのも運命なのだろう……」
 遺書を書き始める者、客室乗務員に怒鳴り散らす者も居たが、客室乗務員だって、ベテランであるはずの機長がこんな性質の持ち主だなんて知らなかったのだ。客室乗務員の何名かは泣き出す。さらにはどこかでケンカが始まり、止めようとして殴られ失神する者、心臓発作を起こす者、それを見てAEDを取りに走ろうとしたが、どうせ皆死ぬのだからなと思いどうしようかと考えこむ者も現れた。
 そんな中、一人の老婆がおもむろに立ち上がった。
 彼女は泣いている客室乗務員に話しかけた。
「私を、パイロット室まで連れて行ってくれませんかねぇ」
「え!」客室乗務員は希望に目を輝かせる。
「猫をお連れなんですか!?」
 その発言に、客たちは反応し、静まりかえる。
 本来なら禁止されているその行為。しかし今は別だ。
 衆人環視の中、老婆は首を振った。
「いいえ。猫は連れておりません。私自身が化け猫なのですよ」彼女は言った。「今は人に化けていますが、猫に戻ってさしあげましょう」
 老婆を見る人々の目は、期待から悲哀へと変じた。
「可哀想に」誰かがつぶやく。「恐怖で気が触れてしまったんだな」
 落胆し、崩れ落ちそうになる客室乗務員の前で、老婆は「にゃん」と鳴き、くるりと宙回転をする。
 そこには一匹の三毛猫が居た。
 皆は目を疑う。
「早く私を連れて行きなさい」
 我に返った客室乗務員は、化け猫を抱えてパイロット室へと走った。
 パイロット室のドアを開け、叫ぶ。
「機長! 猫が居ました! 化け猫です!」
 ササキは変な顔をしたが、とにかく腕に抱かれている猫を見て、ほっとした。
 スズキは振り向き、猫を見ると、動きが止まった。
「どうしたんです、機長! 猫ですよ!」ササキが声をかける。
「化け猫――尾が二つに分かれている。確かにこれは猫又――」スズキは戸惑っているようだった。「しかし、この顔は――いやいや、そんなわけもあるまい。でも……」
「久し振りじゃな、えっちゃんや。」猫又は言った。「私は帰ろうと思うて、この飛行機に乗り込んだんだが、こんな形で再開するなんて思いもよらんかった。化け猫もびっくりじゃて」
「やっぱりシーちゃん!」機長は猫をひったくるように抱き寄せた。「本物のシーちゃんだ!二十年以上も前に居なくなって心配してたんだよ!」
「すまんかったのう」シーちゃんは言う。
「ううん」スズキは子供のように顔を振った。「いいんだ、戻ってくれようと思ったんだろう? シーちゃんは、父さんが子供の頃から家に居たんだったよね――そうか、猫又になるための修行をしに出て行ったんだね?」
「そうじゃよ」
「ならひとこと言ってくれればよかったのに」
「あの頃は、まだ人の言葉は分かっても話せんかったもんだでな。しかし、えっちゃんも偉くなったもんじゃて」
「そんなことないよ」スズキは鼻の下を指先でこすった。「これがラストフライトになるだろうしね」
「まあいいわい。とりあえず今は着陸のことを考えんと。思う存分モフモフして心を落ち着かせることじゃ」
「うん」
 スズキは猫又のシーちゃんをモフモフし、手の肉球をふにふにした。
 久々の再開を喜ぶようにシーちゃんは喉を鳴らし、満足そうに目をつむる。
 ――数分後。
 飛行機は濃霧の中、滑走路を走っていた。機長は乗客を無事に、空港へ届けることができた。
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「ほー。これが伝説の剣か」
 壇上に据え付けられた岩からは、一本の剣が伸びている。
 ぼくはそれを見上げ、思わず先ほどのセリフを口にしたのだ。
 そこはコーンウォールの田舎町で、今夜は見世物の催しが行われるということだった。
 ぼくは昨日、小さなレストランの店主からこの話を聞き、好奇心を抱いて、この会場へとやってきた。
 入口で入場料を払い、つたない英語で係員に今回の目玉は何かと尋ねたところ、伝説の剣がおもしろいようだという答えを得た。
 伝説の剣とは、アーサー王の物語の導入部である。「この剣を抜いた者こそこの国の王とならん」との宣託とともに遣わされた、岩に刺された剣。どんな力自慢でも、それを引き抜くことは出来ず、後に王となるアーサーによって、その白刃は太陽の下に曝されることになるのだ。その剣こそエクスカリバー。この呪術性と独特のアイデアは衝撃的であり、今でもファンタジックな物語の中で使用されている。
 しかし、それはそれ。
 壇上には説明文があり、そこにはこう書かれていた。
「この剣は一定の確率で持ち上げることが出来ます。持ち上げることの出来た幸運な方には素敵なプレゼントを差し上げます」と。
 どのくらいの確率なのだろうかと思っていると、レストランの店主に「よお」と背後から肩を叩かれた。
「こんにちは」ぼくは下手な英語で返事をする。「お店の方はどうしたんですか」
「今日は見世物のせいで客が来ねぇ」店主は肩をすくめてみせる。「だから、今日はさっさと店じまいさ。まぁ、毎年、同じようなものだからな。良い休暇さ」
「そうなのですか」ぼくは言った。
「ところでお前さん、アーサー王の剣を試してみるつもりなのかい?」
「はい」ぼくは係員の言ったことを店主に伝えた。
「リチャードの奴」くっくっくっと店主は笑った。「あいつもなかなかひどい奴だよ」
「どうしてでしょうか?」とぼくは訊いた。
「あの剣はな」この地方独特のイントネーションで店主は話す。「俺も小さい頃から何度も見てきたし、挑戦してもみた。でも、一回も引き抜いた奴なんていないのさ」
「それはもしかして――」
「インチキなんて言うつもりはないけどな」店主はぼくの機先を制した。「子供の遊びとしては充分に良心的な値段だし、残念賞のアメ玉やらガムやらくれる。剣の両脇に立ってる爺さんを見てみろよ。何十年もイギリス中を、これでドサ回りしてるんだ。結構、しんどいと思うぜ。ああいう生き方もな」
 ぼくは言われて、二人の老人を観察した。
 一人は一本も髪の毛がなく、柔和な表情で伝説の剣に挑戦しているブロンドの女の子を見ている。
 女の子の背丈は、剣の柄と同じくらい。引き抜くというより、持ち上げるようにして、柄と刃の間にある――左右の出っ張りを手にして、顔が赤くなるくらいに力を入れていた。
 彼女が諦めると、もう一人の老人が残念賞としてアメ玉を手渡していた。彼の髪の毛は赤く、赤毛連盟が本当にあったら、その会員としてこれ以上、相応しい人はいないのではないかと思うくらいだった。
 彼は女の子の頭をポンポンと優しくなでると、エスコートをする紳士の身振りで送り出し、次の客を迎え入れる。
 その仕草と彼らの雰囲気は、確かに店主の言う通り、人生の大半をこの仕事に費やした者としてのプライドが見て取れた。
「お前さんも、記念に試してみるといい」店主はそう言うと、ポップコーンを売っている店に行って、なにやら話をし始めた。
 実はあのポップコーンのオーナーは、あの店主なのではないかな等と思いながらも、ぼくはひとつ、伝説の剣とやらに挑戦してみようという気持ちになっていた。
 ぼくは階段を上がり、茶色い髪をした男の子の後ろに並んだ。ぼくの順番は三番目だ。
 財布からコインを一枚取り出す。
 回転率が早いのか、すぐに茶色い髪の男の子の番になる。
 男の子はコインを赤毛の老人に渡し、髪のない老人から説明を受ける。
「両足でペダルを踏んで。そうそう。そして引っ張るんだよ」
 男の子はその通りにしたが、剣は引き抜けず、アメ玉をもらって向こうの階段から降りていく。
 ぼくも、さっきの男の子にならって、赤毛の老人にコインを渡し、髪のない老人の説明を受け、ペダルを踏んで剣を引き抜いた。
 そう。引き抜いたのだ。
「あれ?」ぼくは気まずい気分になった。
 思わず剣を岩に刺し戻し、もう一度引っ張ると、剣は抵抗なく引き抜けた。
 恐る恐る二人の老人を見る。
 彼らの顔は真っ赤になっていた。
 相当怒っているのだろう。ぼくは何度もスポスポと刺しては引き抜き、刺しては引き抜いた。
「お……おお」赤毛の老人がぼくに言う。「異国人のあんたが――しかし本物の勇者様とは」
「もしや」髪のない老人が言った。「もしや英国人の血が混じっているのでは?」
「あ、あの」ぼくは言い訳する子供の心境になっていた。「ひいじーちゃんがこの地方の出身らしくてですね、それでこちらを訪れてみようと――」
「なんと」赤毛の老人の目が輝く。「それは本当ですな!?」
「本当です。ごめんなさい」ぼくは謝った。「大切な商売道具を壊してしまって――」
「滅相もない」髪のない老人は平身低頭して言う。「これはまことの伝説の剣なのです。私達はドルイドの末裔。プロテスタントどもに迫害を受け、弾圧されてきたのです。そこで伝説の勇者を再び見出すために、この様な偽装をし、勇者様を探していたのです」
「あの、その、えーと、でも、ぼくが勇者なんて信じられないわけで。確率なんでしょ?ああ、それで、このドッキリが景品の代わりなんですか?驚いたなぁ」
「いえ」ぼくの意見は髪のない老人にキッパリと否定された。「ずっと引き抜かれなかった剣が、確率で、そう何度もスポスポと引き抜けるものでしょうか」
「じゃあ、ペダルの意味は――」
「ですから偽装です」赤毛の老人の目は血走っていた。「処刑されぬよう、中世の先祖達が作った物。案外と、こんな子供だましの方が、凝った偽装よりも見抜かれにくい物のようでして。試しにペダルを踏まずに引き抜いてくださいませ」
 ぼくはペダルから足を離し、柄を指で軽くつまみ、極力持ち上がらないよう注意したが、剣はあっさりと引き抜けた。
「やはり!」「あなたこそ!」
 二人の老人は同時に叫んだ。
 そして何がなんだか分からぬままに壇上から下ろされ、強引に車へ乗せられた。
「あのー、どこへ行くんですか」弱気で尋ねる。
「戦いに」髪のない老人は運転しながら言う。
「誰と戦うんでしょうか」
「もちろん、我々を迫害した者どもへです」赤毛の老人は、老人と思えぬ力でぼくを抑え込んでいる。
「迫害って」ぼくは思い出す。「プロテスタントって言ったら英国正教じゃないですか!」
「そうです」赤毛の老人は言う。「我々は英国軍と戦うのです」
「こんな剣一本で!?」
「勇者の証です」「恐れることはありません」
 理屈は通用しないみたいだった。
 ああ――まったく。この二人は、本気で軍の施設に殴り込むつもりらしい。何てことだ。その時には、首謀者としてではなく、人質として見てくれれば助かるのだけれど。でも、この二人はきっと主張し続けるのだ。「あの方こそが我々を導いて下さる方なのだ」とか。まったく。これから一体どうなってしまうんだろう。
  

「何だよテメェ」
 金髪の男、ケンジが短髪で筋肉質な男、タカにそう言うと、上目で睨んだ。
「お前こそ何者だ」タカは動じない。「俺はユミと三年以上付き合ってる。浮気なんだろ、ユミ。魔が刺すってこともあるんだろう。今回だけは許してやってもいい」
 彼の悠然とした態度に、ケンジがキレた。
「こっちはユミと五年以上も付き合ってんだ! 三年だと!? ユミ、どういうことだ」
 ユミは長い髪をくしゃくしゃにしながら、自室のソファで言い訳を考えている。
 まさかケンジがこんな時間にくるなんて、ユミは思ってもいなかった。
 タカは文武両道の理想的な男で、とある大企業で働いている。一方、ケンジは昔から不良の仲間とツルでおり、夜は歓楽街で飲み歩いているはずなのだ。
 昼間はケンジと会い、夜は真面目なタカと会う。これがパターンになっていたのだ。さらに悪いことには、タカは空手の有段者であり、ケンジも不良仲間の間では、腕っぷしが強いと評判なのだ。
 油断大敵とはまさにこのこと。ケンジに今夜は用事があるとメールをしておけばよかった。
「五年だって、それがどうした」タカが言う。「愛の深さは付き合った年月とは関係ないだろう。本当にお前を愛しているなら、俺と付き合うことはなかっただろうよ」
「ふざけるな」ケンジが怒鳴る。「ユミは俺を愛してるんだ。そこにテメェが割って入ってきただけだろうが!今までユミとの間で、別れ話なんて一回も出たこともない」
「お前がキレるのが恐かっただけだろうよ」それからタカはユミに優しい笑顔を見せた。「さあ、今なら俺がいる。恐がらなくていい。こいつと別れるって言ってくれ」
「んだとコラッ」憤りも隠さずにケンジが反発する。「調子に乗ってんじゃねーぞ」
 ケンジはタカの襟元を掴んだ。
 反射的にタカはケンジの腕を捕まえる。
「やめて!」ユミは叫ぶ。少しの恍惚とともに。男二人が自分のために争っているのだ。この私を求めて。「私のためにケンかはしないで」
 静電気が帯電しているような沈黙。
 掴み合う二人の影が、カーテンに映っている。
 一触即発な雰囲気。
「――ユミ」タカが静かに言った。ケンジの腕を離す。「どっちをお前が愛しているのか、それが一番大切なんだ。正直に言ってくれ」
 ケンジもタカから手を離し、真剣な目をしてユミを見つめる。
「正直に……」そんなこと、言えるはずがない。ユミはそう思い、悩んだ。
 タカは質実剛健、会社でもエリートコースを進んでいる。客観的に見て、こちらに付く方が将来性もある。しかし二股がバレてしまった後、今まではわがままを聞いてくれていたが、その態度は変わるだろう。立場が逆転し、束縛されるかもしれない。エリートにありがちなプライドを彼も持っているため、しこりを残してしまうのは確実だ。
 対してケンジの方はというと、こちらには長年付き合ってきた愛着がある。見ていてハラハラする行動も起こすが、そこが逆に魅力的でもあるのだ。彼自身がそもそも何度も浮気をしており、今回の事だって大目に見てくれるかもしれない。さらにいえば、エリートより自分を選んでくれたという事実が、彼の屈折したコンプレックスを満たし、女遊びも少なくなるかもしれないと思える。
「選べないわ」絶叫するようにユミは言った。「どっちも同じくらい愛してるんだもの」
「何言ってんだ!決めろ!」タカの激昂。初めてみる彼の威圧にユミは戸惑うが、彼は気にせず感情に任せた。「諸悪の根源はユミ、お前なんだよ!」
「諸悪の根源……」ケンジがつぶやく。「そうだな、全部ユミのせいだ。こんな女、ボロボロになるまでヤッちまって、捨てればいーんじゃねーの?」
 タカはその言葉にビクリと反応する。が、少し冷静になり、考える。
「え、ちょっと待って、どういうことよ」ユミは時間を稼ぐのに必死だ。「だってケンジにも不満があって、安定性のあるタカと付き合いだしたんだし――」
 ユミが口を滑らせたと気づいた時には遅かった。
「じゃあ、俺は安全牌の代用品ってわけか」タカが言う。
「俺に対して不満があるんだな」ケンジも言った。
「この際だ」タカがケンジに言う。「その話、乗った。未練が残らないよう、二人で思い切りヤろうぜ」
「ああ」
 タカがユミを押し倒し、ケンジがそこに躍り掛かった。

 ――数時間後。
「――失神するなんて初めて」ユミは言う。「凄く、凄く良かったわ」
「うむ」タカは頷く。「こんなに興奮したのは初めてだ」
「俺も俺も」ケンジが同意する。「この際さぁ、三人で付き合うって、どうよ。なんかそれでもいいような気がしてきた」
 タカは一瞬驚くが、少し考えて言う。
「いいかもしれない」
「私も」
 三人は合意し、三人で付き合うようになった。

 ※ これは犯罪です。真似しないで下さい。
   同様に不倫や浮気、二股も人を傷付けます。くれぐれも自制してくださりますように。
  

 青年はふと、人間が何日も寝ないと幻覚を見たり死んだりするとかいう話を思い出した。
 けれどもそれは本当だろうか。詳しくは知らないけれど、ギネスの記録もあったはず。
 長い大学の夏休み。バイトをするわけでもなく、郷里へ帰る金もなく、青年はぼんやりとした毎日をアパートの一室で過していた。
 ギネスに挑戦するつもりはないが、眠らないと、どんな幻覚が見えるのだろうかと青年は好奇心を抱いた。
「ひとつ試してみるか」
 青年はつぶやき、時計を見る。
 時間は午後の四時。
 今日は十二時くらいに目が覚めたから、まだ四時間しか経っていないことになる。
 丸々五日間も起きていられたら、幻覚も見られるんじゃないだろうか。
 青年は勝手にそう思い、少しわくわくしてきた。
 しかし睡魔と戦うのは困難だ。何か方策を考えなければならないだろう。
 しかし考えすぎて、脳を疲労させては眠気に負ける。
 青年は一夜漬けに失敗して、第一志望の大学を落ちたことを思い出す。
 今から思えば、あの時から青年の目標というか、やる気を失ってしまったように感じられる。夏休みをダラダラと過しているのはそのせいだろう。
 いやいや、そんなことを考えていたって、どうしようもない。過去は取り戻すことなんて出来ないのだ。
 青年は、頭の中から嫌な問題を追い払うように頭を振る。
「幻覚って、どんなものなのだろう」青年は後悔を期待へ変えようとして、そう言った。
「寝ている間に見る夢のようなものだろうか。でも、それだけじゃあ、ちょっとつまらないかな。何か意外性が欲しいところだ」
 とりあえず、青年はテレビを点けることにした。
 笑い声の騒がしいバラエティ番組を選んで、時間を潰す。
 テレビ局も、いろいろな仕掛けを作るものだな、などと感心しているうちに腹が減り、ピザのデリバリーを注文する。
 ピザが届き、青年はその中の一切れを手にして、ハタと気付く。
 満腹してはいけない。眠気を引き起こしてしまう。
 このピザ一枚で二日保たせよう。
 青年は決断した。
 夕は夜となり深夜となる。
 深夜番組でも、芸人たちは元気に笑いをとっている。収録番組だから当たり前だが、青年にはとてもありがたかった。もっとも、最近の生活は夜型になっていたので、眠気はまだ少ないのだが。
 そして夜は明ける。
 睡魔は五時に牙を剥いた。
 青年は側頭部を叩いたり、冷たいシャワーを浴びて凌ぐ。腹が減ったので、ピザを少し食べた。
 まだ二十四時間経っていないのに、この眠気。テレビはニュースの時間に入り、睡魔を誘発する敵へと変貌している。
 このままでは駄目だ。
 青年はテレビを消し、何か睡魔を追い払う道具はないかと部屋中を探す。そして、安全ピンを見つけた。
 眠りそうになるたびに、これでチクリとすれば良いだろう。
 そう考えたのだ。
 午前の間をそれで乗り切り、やっと二十四時間が経過する。
 ピザを食べ、昼食を済ます。
 時間は緩慢に流れ、あくびが増え、ピンを刺す回数も増える。
 午後となり、夕方、夜、深夜、早朝、午前、昼。
 とうとう三日目に突入し、ピザもなくなるが、幻の見える気配は一つもない。
 青年は、自分の行為を馬鹿らしく思いつつも、意固地になっていた。
 ズボンの太股やシャツの肩が、安全ピンで刺した傷からの出血で、まだらに赤黒くなっている。
 まるで農耕機のようにプスプスと腕を刺すが、痛みに慣れてきたのか、感覚が麻痺している。鈍った頭は、それでも起き続ける対策を練り始める。
「そういや何かで見たな」濁った目をして青年はつぶやく。「爪と指の間に針を刺す拷問。――試してみるかな」
 青年は、それを実行した。
 眠気のため、力の加減が分からない。
 いきなり人差し指と爪の間に、ピンの根元まで差し込んだ。
 爪を通り抜けて、指の肉から顔を出すピンの針。
 青年は悲鳴を上げた。
 痛みというより、炎に炙られたような熱さ。
 汗腺が開き、全身をべっとりとした汗が包む。
 けれど睡魔は一気に吹き飛んだ。
 これはいけると青年は思い、睡魔に襲われるたびに、指の肉から見えるピン先を支点にして、左右に安全なはずのピンを動かす。
 痛みと眠気に耐えながら動かしている間に、人差し指の爪が剥がれた。
 青年はためらいなく中指にピンを突き刺し、眠気を遠ざけるために左右に動かし、爪と指の隙間を広げる。
 安全ピンは、滴る血液でぬらぬらと滑り、必要以上に傷を広げた。
 やがて中指の爪もポトリと落ち、次に薬指の爪が餌食とされた。
 時間は六時を指しているが、朝方なのか夕方なのか青年には区別ができない。今日で何日目なのかすら分からなくなっている。
 薬指と小指の爪が取れ、親指の爪も七分ほど取れかけた時、青年はやっと、念願の幻覚を見ることができた。爪を失った指先から、小さな花が咲いている。
 でも――青年は思う――今見ている幻覚は寝ていないせいなのか、それとも痛みのせいなのだろうか? もしかしたら、その両方かもしれない――いや、違う。
「なんてことだ」青年は笑顔で、落ちている爪を拾いながら落涙する。「俺は気が狂っちまったらしいや」
  

 新聞記者という仕事の激務に耐え切れず、あたしは辞表を提出した。
 五年間の記者生活は、とても不規則な毎日だった。
 スクープがあれば深夜にも駆り出されるし、大事件となれば徹夜が続く。
 スポーツ新聞の記者であったため、記事の内容は真実性よりも娯楽性が重視されていた。
 大事件の容疑者の経歴を洗い、アラを探し、タレント事務所からのクレームや差し止め工作はパワーハラスメントそのもの。
 人気イケメン俳優の担当にされた時、初めは嬉しかったが、セクシャルハラスメントを受け、印象がガラリと変わってしまった。表に出される外見や内面は作られたもの。本性はロクでもない女たらしだった。しかしそんな暴露は許されない。
 親会社がスポンサーに名を連ねている映画に出演しているため、提灯記事を書くことしかできなかった。
 ストレスが溜まり続け、とうとう爆発して辞表を出したのが二ヶ月前のこと。
 これでたっぷり睡眠時間がとれる。
 そう思っていたあたしが甘かった。
 崩れていた生活感覚を取り戻すのに時間がかかり、今でも不眠と戦っている。
 それはある意味でPTSDと同じかもしれない。ごく一部の社会ではあるけれど、その裏側を覗いてしまったせいだろう。
 布団に入り、眠ろうと思っても、その途端つまらないことが気になって眠れなくなってしまう。
 それまでの眠気が吹き飛んじゃうのよね。
 昼間に見たワイドショーのコメンテーターの放った、薄っぺらい発言を思い出す。それはエコロジーに対してのものだったけれど、要約すると「植物は太陽の光と水と空気だけで生きている。人間もそんなシンプルな生き方が良い」とか何とか。
 でも、そんなの嘘だ。
 確かに植物は光合成をして生きているが、微生物や昆虫や動物の死骸、それにフンの混じった堆肥から、根によって養分を吸収していることを忘れている。
 それに、そのコメンテーターは弁護士だ。畑違いというものだろう。なのにぬけぬけと適当なことを発言して顔を売り、ギャランティーと顧客確保のために良識ぶっているだけなんじゃないのかな。
 そこでハッと考えることをやめる。
 いけない、いけない。眠らなきゃ。
 眠ろう眠ろう、寝よう寝よう。
 姿勢がいけないのかしら。
 あれ? あたしって、いつもどんな姿勢で寝てたんだろう。
 心臓を下にして横を向く。
 どっくん、どっくん。
 心臓の鼓動が心地よい。
 でも、それは始めだけ。だんだん煩わしくなってくる。うるさくって眠れやしない。
 今度は逆を向いて横になる。
 うん。ちょっと、いい感じ。
 でも、一人はちょっと寂しいな。ペットでも飼おうかしら。なんて思って体を丸める。
 だけどペットは高いからな。
 二十万とか三十万とかして――だけれどそれも仕方がないか。一つの命を買い取るわけなんだから。
 あ、でも、何年か前に五万円で殺人を請け負って実行した犯人が捕まってたな。被害者はナイフで刺されて死んじゃって――
 人の命が五万円。
 ペットの値段が数十万円。
 少子化の影響か、ペットのお墓に金をかけ、ペット事業は今が盛りとか。
 子供の育て方が分からないで、ペットみたいに接する親が多いとか。
 その一方で、保健所に預けられるペットたち――
 ああ、また変なこと考えてる。
 保健所からペットを譲ってもらえばタダみたいなもの。ワクチン代とかかかるのかしら。ま、それも安くて済むでしょ。
 ペット飼うならペットショップより保健所にしよう。一つの命を助けることにもなるのだし。
 それ以上は考えない。
 もう寝るんだから。
 もう寝るんだからね!
 ――って、気合を入れて眠れなくなるあたし。
 はあ―。ちょっと水でも飲んで落ち着こう。
 喉を潤すついでに時計を見たら、午前一時半になっている。
 布団に仰向けて、溜息を吐く。
 今夜も、また眠れそうにない。
 ちょっとは落ち着いたような、でも時計を見たせいで焦ってもきたような気もする。
 余計なことしちゃったな。馬鹿みたいだ、あたしって。
 ああもう。忘れよう忘れよう。
 時間なんてどうでもいいの。要は睡眠の質の問題。
 今は仕事をしているわけじゃないし、少しくらい遅く起きたって大丈夫なんだから。
 少しずつでいいの。
 少しずつ、早く寝て、早く起きる。
 そして規則正しい生活に戻す。
 簡単よ、カンタン。
 何も考えないこと。
 呼吸に意識を集中して――吸って、吐く。吸って、吐く。吸って吐いて……そう。そんな感じ。おっと、また余計なこと考えちゃったかしら? ま、少しくらい良いでしょう。気にしない気にしない。吸って、吐く。吸って――
 あ。
 また妙なことを思い出しちゃった。
 昔なにかで見たけれど、遺灰をフリカケにしてご飯にかけて食べてたって人がいたわね。
 確か夫が妻の遺灰を……性欲と食欲に関連があるらしいけれど、この場合もそうなのかしら?
 愛し忘れられなくて自分の一部にしようとして食べた、とか? カニバリズムと関係はあるのかしら。それとも――
 いやいや、考えるのはやめましょう。
 気になるけれど。
 今は忘れて、後で考える。
 そう、それがいいわ。
 ま、後になれば忘れてしまうでしょうけど。 
 ――忘れないうちに考えた方が……
 いいえ。どうせ考えた結論も忘れちゃうに決まってるんだから、このこと全体を忘れましょ。
 えーと、なんだったかな。
 何か気を落ち着けさせるためにしていたような。
 ああ、頭を空っぽにしなくっちゃ。
 初めは呼吸に集中して、吸って、吐く。
 ゆっくりと。
 吸って――吐いて――吸って――吐いて――
 ふう。ちょっとウトウトしてきたみた――外が明るくなってる!
 えっ!もう五時!?
 寝てたのかしら。
 眠った気がしないけど。
 ああ……寝たい。でも眠気は驚きで飛んでっちゃった。
 なんだか疲れるな。 
 ホント、不眠症って厄介よね。
  

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