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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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<続き>
 実際に鳥の襲撃を察知したのはかげの方だったけれど、ひかりにも言い分はあると思う。
 前の通り、体を動かしているのはひかりの方だからね。餌を探し、口にするのもひかり。だから一時の雨に打たれて癒されていたっていう、一種の気の緩みっていうか、リラックスしすぎちゃったっていうことが上げられると思う。
 体の神経はかげにも伝わっていて、体の疲れ具合だとか、そういったことも感じ取れているんだけれど、ひかりが獲物を探している間、かげはそういった緊張状態にはいなかったからね。でも、ただボーっとしていたわけじゃあないよ。かげはいつでも自分の心と闘っている。きっと、その内面世界へ向けられた意識が外に向けられると、深い洞察力が得られるのかもしれない。
 けれど実際には内へばかり向かっているために、その力は得られていない。
 そうでしょう?
 だって、本当の洞察力って物が備わっていたのなら、自分たちの体の色が雨滴によって光を乱反射することに気がつき、鳥に見つかるよりも先に、ひかりへ忠告することができたはずなんだ。このままじゃ天敵に見つかりやすいから、どこかに隠れながら喉を潤そうよってね。
 とりあえず一命を――二命?――取り留めたんだから、それで良しとしなくっちゃね。
 良かった良かった。
 尻尾も再生して姿形も元に戻ったことも、前に言ったと思うけど、ひかりはそのために頑張ったんだよ。
 いつもより多く餌を食べ、休みを取る。
 なにげないことにようにも思えるけどさ、休みと捕食のバランスっていうのが結構大変。
 人間だって骨折とか、大きな怪我をしたら休むでしょう? トカゲが自由に尻尾を切り離せるっていっても、命を守るためだからね。ナイフを持った相手から顔や心臓を守るために、腕にガード傷ができるみたいなものだよ。
 ジッと我慢しなくちゃならない。それがどんなに退屈で憂鬱かは、一度病院に入院したことのある人なら共感できるんじゃないかな。
 プラス毒のある植物には注意しなくちゃならない。いくら細胞生成のためにエネルギーが必要だって言っても、そんな物を食べたら本末転倒だからね。
 あ、あと動きの速い虫とかは厄介だよ。
 追っている内に、こちらの体力が減ってしまう、なんてことも有り得るからね。
 色々と神経を使ってひかりは日々の生活を送り元に戻ったってわけ。きっと、かげの性格だったら、こんな毎日に耐え切れなかったかもしれないな。
 ヤケを起こして、ギャンブルめいた破滅への道を選んでしまいそう。
 ボクには、そんな気がするんだ。
 だけど、幸か不幸か、かげは体を動かせることはできない。だから体を動かさない分、彼は自分の内面へ向かって、時には引き合い時には反発する磁石みたいに、めくらめっぽう進んで行った。
 だから、ひかりがかげの異常に気付かなかったことは、残念だけれど仕方のないことだって思う。当然のような必然のような、これはきっと誰にも止められない種類の事故みたいな物だったんだ。突然起こった山火事が、気づいた時には消火不能な状態にまで拡大されてしまった、と言ったような種類の出来事。そんな事故。
 かげはね、いつの間にか外からの刺激に反応しなくなってしまっていたんだよ。まったく、全然。それはそれは石のように。
 兆候というものがあったとしたらね、それはひかりの言葉に反応する速度が遅くなったことだっただろう。でもひかりは必死だったし、体も疲れていたから、かげも疲労を感じて苦しんでいるのだろうってひかりは思っていたんだ。
 でも、その見方は間違っていた。
 複雑な心という物に肉薄しすぎたかげの意識は、心に飲み込まれつつあったんだよ。
 そのために心は意識に作用し、意識は心に作用したんだ。まるで別々の機械の歯車を無理矢理はめこんだみたいにね。この相互作用は当然のようにマイナスに働いたんだ。結果、かげは生ける屍のような状態に陥ってしまった。
 これはヒカリトカゲという双頭のトカゲにとって、致命的な事態を引き起こす可能性を秘めている。かげは体を動かすことはできなくても、今まで自分の領分、つまり首から上だけは自由に動かせたんだ。ひかりが体を動かす邪魔にならないよう、トゲや枝なんかを避けたりしていたってことなんだけれど、かげはそれすらできなくなってしまったんだよ。
 心と意識の器が割れてしまったかげにとって、トゲに目を刺されようが首に枝が絡まろうが何も感じはしないと思う。
 でもね、二匹の神経は共有されているから、例えトゲに刺されてかげが痛みを感じなくても、ひかりは痛みを感じ取ってしまう。かげの頭が枝に絡まってしまったら、ひかりも身動きができなくなってしまうんだ。
 つまり、ちょっとしたアクシデントで二匹の命が落ちかねない危険極まりない状況になっているってことなんだよ。
 ひかりはかげのことがとっても心配になっていたんだ。
 自分もかげのせいで死んでしまうかもしれないって以上に、唯一の肉親であり友達でもあるかげのことがね。
 だからひかりは、かげを正常に戻したいって考えた。なんとしても今の状況から、かげを救いたいってね。
 ひかりはそうして、かげの好物である果実を食べてあげようって思ったんだよ。
 二匹の神経は脳以外、ほとんど全部つながっているからね。ひかりが食べたものにかげがうまいとかまずいとか感じ取れるんだ。このせいで喧嘩をしたこともあったっけ。ひかりが好きな味とかげの好む味とは、ちょっとした違いがあったのさ。
 かげの好物とする果実は、ちょっと時期はずれでなかなか見つからなかった。
 けれどひかりは懸命に探したんだ。 
 かげのために、熱帯雨林の地面を這いまわった。
 もちろんかげがトゲや枝なんかに絡まれないよう、細心の注意を払ってね。
 これは神経を消耗させる、ひどく疲れる行為だったんだけれど、ひかりはそんなこと意にも介さなかった。
 そしてひかりは、ようやくその果実を見つけ出したんだ。
 けれどそれは半分、腐りかけてた。爛熟っていうのかな。強烈な匂いを放って、地面に落ち、黒ずんで潰れたようになっていた。
 ひかりは食べられそうな部分を選んで、果実を口にしたんだ。
 途端にひかりの口中に甘い匂いと味が広がった。甘いっていう形容詞の範囲内に納まらないほどに、それはそれは甘かったんだ。
 まさに脳天を直撃するほどの甘さ。
 今まで食べた、どんな物よりも甘くって、攻撃的な甘さだったんだ。どんな苦味もしょっぱさも辛さをも凌駕するほどに脳天を直撃し、ひかりは呻いて失神しそうになるくらい衝撃的な非常識な甘さだったんだよ。
 ひかりは不安と期待と胸焼けを感じながらかげに話しかけた。
「かげよ」けれど返事はない。「かげよ」一縷の望みをかけて呼びかけても同じだった。「かげよ――」失望に心を苛められながらも彼は声をかけつづけた。
 そしたらね、ひかりの思いが天に通じたのか、それとも必然的な運命によるものかは分からないけれども、かげが反応する気配をね、ひかりは感じ取ったんだ。
「かげよ」
 ひかりの呼びかけに、かげは鼻先をヒクヒク動かし、ちょっとしてからひどく寝起きの悪い子供みたいにゆっくりと目を開いた。それから瞳を動かし、事態を把握しようと辺りを観察して、一口齧られた果実を見つけたんだ。
「ひかりよ」しばらくしてかげは言った。「お前がこれを食べたのだな」
「ああ。そうさ」ひかりは嬉しくてたまらなかったのだけれども、かげに合わせてゆっくりとした口調で答えたんだ。「こいつを食べたのさ」
「ひかりよ。なぜこのような時期はずれて腐りかけたこの果実を食ったのだ。もし腹を下したらどうする。お前はそんな迂闊な者ではあるまいに」
 ひかりは不躾そうに聞こえる、かげの言葉に怒ったりはしなかった。
 むしろひかりは、いつも通りのかげの様子に喜んだくらいだったんだ。
「かげよ、お前のために食ったのさ」
 かげはひかりの答えに驚いた。
「俺のために? それはどんな意味なのか俺には分からない。説明をしてくれぬか、ひかりよ」
 ひかりは少し戸惑った。そこには家族に対する照れ臭さもあったかもしれないけれど、何よりもかげの状態が見極められないからっていう理由の方が大部分を占めていたからなんだ。
「かげよ、お前は俺たちが鳥に襲われたときのことを覚えているか」
「ああ」
「ではその時、尻尾を切り離したことも覚えているだろうか」
「ああ。覚えているよ」
「では、あれから数ヶ月が経ち、尻尾が元に戻っていることには気付いているだろうか」
 かげはぴくりと反応し、何かを確かめるように目を閉じた。
 きっと、尻尾との神経のつながりを感じ取っていたんだと思う。
 かげは目を開くと答えたんだ。
「おお、本当だ。確かに尻尾は元通り再生できているようだな」かげは喜んだけれど、その喜びは長く続かなかった。「ひかりよ、お前は頑張って体をすっかり以前のように戻すことができたのだな。しかし俺はそのことに気がつかなかった。それは俺の罪業のせいかもしれぬ。俺はなんの手助けをすることもできずに、お前一匹に全てを任せてしまった。ひかりよ、すまなかったな」
「かげよ、そのようなことは言ってくれるな。むしろお前の異変に気付かなかった俺こそが悪いのだ。俺は今、お前が回復してくれて嬉しいのだよ。今はこの喜びを、尻尾の再生とお前の回復という二重の喜びを、共に楽しもうではないか」
 ひかりの優しい言葉はありがたかったけれどもね、やっぱりかげの心には暗い疚しさみたいな物が残っていたんだ。
 けれども自分の回復のために欣喜雀躍しているひかりを見ているとね、その心の芯を打ち明けることはできなかった。
 一方のひかりは心の底から喜び、かげの記憶の空白時にどんなことがあったかを話したりしていた。
 有頂天のひかりにかげの心の闇を見つけることはできなかったし、かげはそれを隠すように努めていた。だから、ひかりがそのことに気付けなかったのも仕方のないことだって、ボクは思う。
 でも、なんでかな。どうしてだろう? 相手を思ってしたことが裏目に出る。そんな悲劇っていっぱいある。本当にこの世の中には、いっぱいいっぱい、そういう擦れ違った悲しみが溢れかえっている。
 ひかりとかげはね、そうして暫しの時を過してた。
 表面上はうまくやっていたよ。
 二匹は仲良く暮らしていたんだ。
 その暮らしの中から、ひかりはある違和感を感じていたんだけれど、その正体が分からなかった。
 以前の毎日と同じようでいて、決定的な何かが違っているって感じたんだ。
 よくよく注意して、ひかりはその原因を突き止めた。
 かげの心が閉じているっていうことに。
 かげは巧妙にそのことを隠していたけれど、毎日一緒に一つの体で過しているひかりには分かった。ひかりにしか分からなかった。
 ヒカリトカゲははぐれ者だからね。
 だからってひかりには、どうしたらいいのか分からなかった。
 そのことが、さらに擦れ違いを生んでしまったんだよ。
 そうこうしているうちに、ひかりとかげの間には深い溝ができてしまっていた。
 けれどある日、ひかりはこのままではいけないと考えて、溝を埋めるためにかげと話す決意をしたんだ。
「かげよ」ひかりは話しかける。「お前は深い悩みを抱えているのだろう。それを話してはくれまいか」
「ひかりよ」かげは答える。「やはりお前は気付いていたのだな。しかしこればかりは打ち明けるわけにはいかぬ」
「なぜだ」ひかりは少し語気を荒げた。
「それも言えぬのだ」
「それではなにも解決できぬではないか! 俺はお前のために悩み、考え、そうして互いに心の内を明らかにすべく決断したのだ。引くわけにはいかぬ。俺はお前が打ち明けてくれるまで水も飲まず餌も食べず、ずっとこうして動かない覚悟で居るつもりだ」
「俺はともかく、それではひかり、お前まで死んでしまうではないか」かげは嘆くように叫んだんだ。
「このままの状態が続くのならば、俺はそれでも良いと思っているよ」
 一転して平静に言うひかりに対して、かげは呻いたよ。
「ううむ。それでは話さぬ理由がなくなってしまうではないか。仕方がない。心の内を話すことにしよう」
「それはどういうことなのだ」
「ひかりよ、少し時間をくれぬか。話すためには頭の中を整理することが必要なのだよ」
「うむ。分かった」ひかりは言った。「ならば待つことにしよう」
 そして四つの目蓋は閉じられたんだ。
 一対の目蓋はひかりのもので、ただひたすらに言葉を待ち、相手の心を乱さぬように閉じられていた。もう一対のかげの目蓋は沈思黙考するために外からの刺激を寄せ付けないために閉じられていたんだ。
 やげて、二つの目蓋が開かれると左目で相手の顔を見、話しかけた。
「ひかりよ」
 残った二つの目がその声に応じて開かれ、話しかけられたひかりが返事をする。
「かげよ、考えがまとまったのか」
「ああ」かげは頷き、遠く前の方に視線を向ける。「俺はどうやらあの後から変わってしまったみたいなのだよ」
「あの後とは、俺たちが鳥に襲われ尻尾を切り離した後と言うことか」
「ああ。俺は変わってしまった。――いや。変わったと言うより――」
「どうした、かげよ」
 かげはひかりに促されても、ちょっとまだいいにくそうだった。
 まるで痛みに我慢しているような表情で、やっと搾り出した感じの声で続けたんだ。
「俺は変わってしまったと言うよりもむしろ――狂ってしまったようなのだよ。およそ、この世の全てが色褪せてしまったように見えるのだよ。考えることすらがもどかしく、どうしようもない灰色の世界に見えてならないのだ。つまり、生きるという意味が見えなくなってしまったということなのだ」
「生きることには」少し考えてからひかりは言った。「生きていること自体が大きな意味を持っているんではないかと俺は思うよ。少し考え方や世界の見方を戻せばよいだけなのではないだろうかな」
「ああ」かげは嘆息した。「俺はそのように誤解されるのを怖れていたのだ。それこそが問題なのだよ」
 ひかりは黙って、かげの言葉の真意を捜したのだけれどね、ひかりには分からなかったんだ。
「俺には分からないよ」ひかりは言った。「お前の言う意味が良く理解できないのかもしれないな」
「だからそれが違うのだ」かげは諦めたような、それはそれは寂しい目をして言ったんだ。「もっと大元。それよりもずっと根本的な所から俺は狂うてしまったのだよ。俺はお前が生きている意味を識る。知っているのではなく識っている。本当の意味で解っているのだ。しかし、俺の生きている意味が分かることすらできないでいるのだ」
「かげよ。確かにお前の言うとおり、どうやら俺とお前とでは考えている根元からして違うようだ。ならば教えて欲しい。俺の生きている意味とはどんなことなのだ」
「お前は生きるために生きているということよ」
 ひかりは意味が分からなくなって、かげの方を見ていたんだけれど、かげは相変わらず遠くを見たまま話していたんだ。だから、ひかりはかげの表情から何かを読み取ることもできず、すっかり困ってしまったんだ。
「俺を困らせないでくれよ」ひかりは音を上げた。「かげよ、もっと分かりやすく言ってはくれまいか」
「ああ、分かった」かげはようやくひかりを見たんだ。そこには厳しい覚悟めいた何かが宿っているみたいだったよ。「お前は生きるために体を動かし、餌を喰らい、水を飲むことができる。しかし俺にはそのようなことはできない。つまり、俺はお前にとって荷物以外の何者でもないと思っているのだよ。俺は必要のない存在なのだ」
「かげよ、それは間違っているぞ」ひかりはそう言ってかげを睨んだんだ。「お前の忠告のおかげで俺は尻尾を切り、生きている」
「ひかりよ、それこそ間違いの元というものさ。お前は俺のために、他のトカゲよりも多くのエネルギーを摂らなければならない。そのためにお前は体力を消費してしまうのだ。あの時のお前の疲れは俺のせいでもあるということさ」
「だが、しかし、俺はお前を肉親として、また友人として必要としているのだ」
「ひかりよ、それは俺も同じだ」
「ならば――」
「だからこそ、なのだよ」かげはひかりの言葉を遮って続ける。「俺はあの時まで、お前と同等であると思っていた。しかし実際はお前にぶら下がっているだけなのだ。俺がいなければ、お前は他のトカゲと色が違うだけの存在となろう。もしくは新たなる俺が、尻尾のように再生するやもしれぬ。ひかりよ、俺を切り離せ」
「いや、今でも同等だ。お前を切り離したりなぞするものか。お前は俺から離れれば死ぬのだぞ。もしくは俺も一緒に死ぬかも知れぬ」
「それは無い。安心しろ。お前は死なぬ」
「どのような根拠の元にお前は言う――」ひかりの息が、一瞬詰まったんだ。
 かげは自分の動かせられる首を、自分で切り離してしまったんだ。実力行使。
「ひかりよ」地面に落ちたかげが言う。「根拠も何も無い。お前は生き続けるのだよ。言葉では伝わらぬものもあるのだ」
「分かるものかよ」ひかりは苦痛に顔を歪ませていた。
 やっぱり、首を切り離すのは尻尾の時と同じようにはいかなかったみたいだ。
 かげの居た部分からは大量に血が流れている。
「この傷では次のお前など再生できるものかよ」
「すまぬ」かげの意識はぼんやりとし始めていた。「許せ、ひかりよ」
「まぁ次のお前ができなくとも、このくらいの傷口なら塞ぐこともできようよ」ひかりは優しい嘘をついた。
「そうか。ありがとう」
 あふれ出る血がひかりに飛んで、まるでひかりは血の涙を流しているみたいだった。けれど彼は構わずにかげの死をじっと見守っていたんだ。
 そして、かげは死んだ。
 死んでしまったんだ。
「――許すものかよ」
 ふらついた足を、しっかりと大地に爪を食い込ませてひかりはつぶやくと、かげの死体を食べ始めた。
「俺たちはこれで本当のひとつとなるのだ」ひかりはかげに話しかけるようにしながら食べ続けた。「俺の命も長くはあるまい。この傷口は塞がらぬ。それ以前に塞いではならぬのだよ。これから俺とお前は共に死という暗黒の中を進んでいくのだ。お前と一緒でなければ寂しいではないか」
 そうして、ひかりとかげは、生とコインの裏側である死へと旅立って行った。
 ボクはね、このお話をしている間に、あることに気付いてしまったんだ。
 ボクたち地球に生きている者には、光と影はコインの表と裏。でも天体レベルで見れば、光と闇が一対になる。だって光が無ければ闇も闇として認識されないだろうからね。この意味で言うと、コインは存在っていう表現で現わせられる。
 存在の反対は、多分、虚無。
 神様の言った「光あれ!」の光とは、実在として形を現せっていう意味だったのかもしれないね。
 ヒカリトカゲの肉体は完全にひとつの死体となってしまった。これから誰かに食べられるか腐るかして、ヒカリトカゲの姿は形を変えていくのだろう。
 ひかりとかげの魂は、きっと仲良く死後の世界の中で戯れているはずさ。
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 光と影っていうのは、真逆のようでいて、表裏一体なものなんじゃないかなってボクは思う。
 ほら、愛の反対は憎しみとか、そういった関係。
 光のある所には、必ず影があって、どこまでも付きまとう所とかが似ているじゃない?
 愛も反転してしまえば憎しみっていう感情に切り替えられてしまうものだからね。
 だから、この二つの対比は似ていると思うのです。
 似ている所は他にもあって、それは何かって言うと、ちょっと説明が難しいんだけれど、がんばってみようと思う。
 まずは、分かりやすいように愛と憎悪の関係から話を進めてみようかな。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」っていうことを、明石家さんまさんが言っているのを聞いたことがあるのだけれど、ボクはその見方に反対の気持ちを抱いているの。それはどうしてかって言うとね、愛と憎しみっていうのは、その相手の誰かに対する「関心」を持っているってことでしょう?
 だから、愛と憎しみとは同じレベルで論じることができるけど、この二つと「無関心」とのレベルって違うと思うの。
「無関心」の反対は、やっぱり「関心」なんじゃないかな。この二つは同じレベルとして成り立つと思うから。
 だってそうでしょう?
 愛と憎しみは「関心」の中にあるものだから。
 相手に対する「関心」のプラスの面とマイナスの面。つまりは「関心」「無関心」のレベルから見たら、下ってことになる。
 愛の反対が「無関心」なら、憎しみの反対だって「無関心」だものね。
 つまり相反する者っていう奴は、まさしくコインの裏と表のように、同じ枠内でしか対比できないってことだと思うの。
 で、これが光と影の間にどんな共通点があるのかって、みんな不思議に思うかもしれないよね。
 いい? 説明するよ。
 あくまで、愛と憎しみと「関心」と「無関心」の話を理解しているって前提で話すから、ちょっと分からない人が居るかもしれないけれど、それはボクの力不足のせいかな。
 謝ります。
 ごめんなさい。
 じゃあ、説明するね、光と影の関係って奴を。
 皆はこう思うかもしれない。
「光の反対って、影じゃなくて闇なのではないのか」って。
 でもボクはさっき光のある所には必ず影があるって言ったよね。
 覚えてるかな?
 影は闇の一部に思えるかもしれないけれど、ボクはそれって違うと思うんだ。
 だってさ、影と闇って、根本的に大きさが違うでしょ?
 影には薄い影もあれば、濃い影もあるでしょう? 特に夜の街灯の下に立ってみれば分かると思うんだけれど、薄い影の上に濃い影が重なるってことない?
 特に街灯と街灯の間で、そのうちのどっちかに近付いているときなんか。
 それは光の加減や角度なんかも作用していると思うんだけれど、影の濃度が均一でない場合があるってことだよね。
 でもさ、それに比べてみると、闇っていうのは本当に真っ暗で何も見えないイメージがするでしょ? そこには一点の光もなくって、混じりっ気なしの暗黒の世界。
 これで影と闇の違いは分かってもらえたかもしれないけれど、皆にはこんな思いが浮かぶんじゃないかな。
「闇は真っ黒なのは分かった。影と違うことも認めよう。だが、光は闇を照らす存在。闇と対等に闘い得る唯一の存在なのではないのか」って。
 ボクも最近まではそう思ってたんだ。
 でもさ、ミルトンの失楽園を呼んで思ったんだけど、キリスト教の神様って、混沌の支配する場所に空間を造り、次に初めて、あの有名な「光あれ!」って言葉を発したらしいのね。そこで初めて光がこの世に現れたってわけ。
 ボクはキリスト教の信者じゃないし、聖書の言葉通りに世界が作られたかどうかなんて知らない。
 でもね、そのときに思ったことがあったの。
 宇宙ってとんでもなく広くて、星もいっぱいあるじゃない? でもさ、星の見える数って限られてるよね。五等星とか六等星なんて肉眼では見られないんでしょ? 詳しくはしらないけれど。
 でさ、光と闇が対等なら、見えない星なんてないんじゃないかなって、そう思った。
 だって、ブラックホールなんか光粒子まで重力で捕まえちゃうんだよ。
 これはもしかして、光よりも闇のほうが高いレベルに居るのかなって考えちゃってさ、それからボクは色々想像して、こういう結論に達したわけ。たとえば光粒子は発見されてるけど、ダークマターはまだ正体が掴めないみたいだしさ。天文学のことはあまり分からないから、とんでもない間違いなのかもしれないんだけどね。
 光と影はワンセット。直感的にそう思ったんだ。
「ならば闇に対抗し得る存在は如何なる者であるのか」
 皆はそう思うだろうね。「無関心」に対して「関心」があったように。
 でも、ボクには答えられないんだ。ごめんね。正直に言って、分からない。もしかしたら闇に対抗できるレベルの者なんてないかもしれないよ。だって、この世界の全部が全部、対になっているとは限らないんだからね。
 こんな説明じゃ納得できないよね。そこで、ボクは闇が一番レベルが高くて、次に光、その下に影があるんじゃないかって思ってもみたの。だってさ、影は光がなきゃできないものね。
 あれ? そしたら愛とか憎しみとかの関係を話したのって意味なかったのかな?
 なんかごめんね。
 本当に長々と関係ない話ばかりして。
 だってこれまでの話、題名と関係ない感じになっちゃったからね。
 じゃあ、気持ちを切り替えて、あるトカゲの話をしようと思うんだ。
 そのトカゲの種類の名前は分からないんだけれど、体長は三十センチくらい。
 まだまだ小型の部類だね。
 赤道近くの熱帯雨林に住んでいて、雑食性。虫も食べれば花も食べるんだ。
 食料は豊富で、冬眠することもなく、トカゲは悠々自適に暮らしている。
 けれど、このトカゲにはいくつかの問題があったの。
 まず、第一に染色体の異常があって、このトカゲには生殖能力がないんだよね。雄でも雌でもないんだ。これは動物にとって致命的な問題でもあるわけ。そのせいかどうか分からないけれど、トカゲの色は金色っぽくて、一種のアルビノになっているんだ。これが第二の問題。
 でも、熱帯雨林には色々と色彩豊かな生物が跋扈しているから、天敵である鳥類に見つかる危険性は、他の地域に比べたら少ないみたい。実際、このトカゲは数年生きながらえているからね。
 この金色の体を持っているから、ボクはこのトカゲを「ヒカリトカゲ」って呼んでいるんだ。実際、太陽の光をその鱗で反射しているんだよ。
 で、もう一つ、最後に控えている特徴なんだけれど、これが一番厄介で、とても大変な現象なんだ。
 それはね、一つの体に二つの頭があるってこと。双頭のトカゲってわけ。これはもう、遺伝子レベルの問題になってしまうよね。
 地球環境のせいでこんなにいくつもの問題を抱えて生れ落ちたのか、それとも天然自然による運命のいたずらなのかは分からないけれど、ヒカリトカゲは特異な体質をこんなに抱えているんだ。
 でも、彼ら(性別のないのにこんな言い方をして良いのか分からないけれど、とりあえず彼という呼び方で呼ばせてもらうよ)は小さい頃から双頭だったから、もうとっくに慣れている。だから全然平気みたいなんだ。
 他のトカゲから避けられているけれど、彼らは一人じゃない。
 一つの体だけれど、二匹なんだから。
 時々はケンカするけれど、二匹はうまくやっている。
 ボクはこの二匹を区別するために、左の頭を「ひかり」右の頭を「かげ」って呼んでいる。
「ヒカリトカゲ」の「ひかりとかげ」なんてちょっと駄洒落も入っているんだけどね。
 二匹の体は、勿論共有されているから、体の感覚も一緒なんだ。
 尻尾が草に触れると、同時に二匹はそのことを感じる。それどころか、かげの頭に水滴が落ちた事だって、ひかりは感じて水滴がおちてきたなとか、かげの頬を伝うその水の生暖かさまで感じることが出来るんだ。
 でも、二匹は違う脳を持っているからね、もちろん違う意識を持っている。
 だから、お互いに何をどう感じ、考えているのかは分からない。
 たとえば、お腹が減ったとひかりが感じていても、かげはまだ大丈夫なんて思ったりしている。
 二匹の喧嘩の理由は、大抵がこんな小さな理由がきっかけなんだ。
 考えてみれば、人間だって同じようなことが原因で喧嘩することってあるよね。たとえばさ、結婚当初は仲の良かった夫婦でも、長い結婚生活を送っているうちに、相手の些細な行動が気にならなくって喧嘩するっていうようなこと。
 ましてひかりとかげは卵の中に居る時から一緒だったんだから、それはしょうがないことかもしれないってボクは思う。
 双子くらいだったなら、時には一人になって、冷却期間もできるだろうけれど、ひかりとかげは体がくっついているためにそんなこともできないんだ。
 いつも一緒に居るってことは孤独を感じることはないけれど、こういう場合なんかは可哀想だよね。
 でもヒカリトカゲは爬虫類だから、人間みたいに長い間喧嘩をすることってあまりない。すぐに忘れて、いつの間にか仲直りしているんだ。
 だから、ひかりとかげは仲良しのときの方が多い。
 基本的に、ひかりの性格が明るいことも原因なのかもしれないな。だからひかりからかげに話しかけ、それがきっかけで二匹の仲が戻るんだ。
 今の話で分かった人もいるかもしれないけれどね、二匹の性格は大分違う。
 また人間の話にたとえるけどさ、双子って二種類に分けられるらしいんだよね。
 あ、もちろん一卵性とか二卵性とか、そういう意味じゃないよ。性格の話。
 双子って、極端に仲がよいか、極端に仲が悪くなるものなんだって。
 双子女優のマナカナちゃんは仲がよい方に入るよね。彼女達は微妙に性格が違うらしいよ。本人達がそういっているのを、テレビで見たことがあるんだ。
 それに対して仲の悪い双子っていうのは、同族嫌悪ってヤツが理由らしいよ。似すぎているってことも、案外難しいものなんだよね。
 で、ひかりとかげの性格は違うって前に言ったとおりだから、だからうまくいっているのかもしれないね。
 ひかりの性格は、これもさっき言ったけど、詳しく説明すると明るくてアクティブでポジティブながら現実派って感じなんだ。
 かげは対照的な性格の持ち主で、おとなしくパッシブでネガティブで考え込んでしまう性格なんだよね。
 ボクが「ひかり」と「かげ」って呼んだ理由は、この性格に起因するんだ。二匹の能動性っていうのを考えてね。
 初めのほうに話したことって、皆覚えてる?
 光のほうが影よりもランクが上なんじゃないかって言う話。
 二匹の関係もその通りなんだ。
 でもひかりのほうがえらそうにしているとか、かげの方がへりくだっているとか、そういうことじゃあないんだよね。
「では、お前の言う真意はどこにある」って質問が聞こえそうだから説明するね。
 それは体に対する支配力ってことなんだ。
 自由に体を動かせられるひかりと、それのままならないかげ。
 体の主導権をひかりに握られたかげには、自分の内面へ内面へと心が向かったのかもしれない。
 これが二匹の根本的性格の違いなんだろうね。ボクは、そう確信しているよ。
 この図式ってさ、一見かげの悲哀を表しているように見えるけれど、逆に考えてみるとひかりのほうが大変なんだよね。
 だってかげが体を動かせない分、ひかりが食料の調達や喉の渇きを潤わさなくちゃいけないんだから。ひかりにしてみれば、かげは邪魔者なんだろうと思うよ。少なくとも、ボクがひかりだったら、そう思う。
 でもね、ひかりはかげを邪魔者扱いなんて一度もしたことはないんだ。
 そりゃ、何度も喧嘩をしたけれど、唯一の肉親だからなのかもしれない。
 体はひとつだけれども、二匹の差っていうのは確かにあって、それが個性なんだってことも、これで分かってもらえたかなって思う。
 ひかりは毎日の生活に必要な行動のために動き、這い、自分たちの生きるための努力をしている。
 かげは自分の思考に埋没し、心の底に溜まり続ける澱のようなものと、見えない格闘の中で葛藤している。
 二匹の考え方は違っているかもしれないけれど、共通しているのはひとつだけ。
 自分達が生き続けるために、自分なりの戦い方で生き残ろうとしているってこと。
 ひかりとかげを紹介する時にさ、ボクは彼らが悠々自適に暮らしているって言ったけど、自然っていうヤツは、やっぱりそれなりに厳しいものだからね。
 時には自分の身を守らなくちゃいけない時だってあるんだから。
 熱帯雨林は食料が豊富って言ったけれどもさ、それって言い換えると、自分も食料の一種ってことになるからね。
 この地域でも、食物連鎖のピラミッドは他の地域と一緒でさ。
 捕食するものの数の方が、上位に行くほど少なくなっているんだ。だから虫や草花の数が一番多くて、次に草を食べる虫や虫を食べる虫、それから虫を食べる花って具合に数が減っていく。
 中でもトカゲみたいな爬虫類は中くらいの位置でさ、数多くの食物がある変わりに、栄養の豊富な餌として恰好な標的にもなるんだよ。
 実際に、一度か二度、ひかりとかげは天敵の鳥に狙われたことがあるんだ。
 いくら器用に隠れようとしていても、鳥の視界っていうのは特殊だからね。望遠レンズのように、中心が特化して見えるんだ。
 だから、少しの油断も彼らは見逃さない。
 時には旋回しながら、時には滑空しながら、虎視眈々と地表を見つめている。
 鳥なのに、虎視眈々なんて言い方、なんだかちょっと変な感じがするね。鳥視眈々って言い方をすればよかったのかな? でもそんな言葉ないもんね。
 別な言い方、なにかないかなぁ。「イージス艦のレーダーのように」とか、「ハッブル宇宙望遠鏡のように」って言ったほうが良かったのかなぁ。
 あ、こんなことどうでもいい話だったね。
 それよりもひかりとかげが鳥に襲われたときの話をしなくっちゃ。
 一番最近の話っていうと、数ヶ月前のことだったかな。
 二匹はいつものように、昆虫とか蜘蛛とか、あざやかな花とかを食べていたんだ。
 二匹の体は一つだから、胃の大きさは普通のトカゲと同じくらい。でも双頭だからね、エネルギーの消費カロリーは他のトカゲよりも多いんだよ。さすがに倍とはいかないけれど、それでも1.5倍くらいはかかるかな。
 だからお腹がすぐに空く。
 ひかりはそのたびに巣から出ようとするんだけれど、かげは出不精だから文句を言う。ひかりはかげを宥めながら毎日外へ出る。これはいつものこと。日課みたいなものなんだ。
 ひとしきり食べてお腹がいっぱいになった時、雨が降ってきたんだ。
 二匹とも、調度喉が渇いていたから、少し雨に打たれて雨水を飲んでいたんだ。
 金色のヒカリトカゲは雨水に濡れて、とても綺麗に光っていたよ。
 それはそれは綺麗だったんだ。池に浮かぶように見える金閣寺みたいにね。
 人間が居たら、きっと見とれてカメラに写すのも忘れてしまうくらい。
 でも、鳥は違った。
 金色に輝くヒカリトカゲを見つけて、急降下してきたんだ。
 もちろん食べるためにね。
 初めに鳥が向かってくることに気付いたのは、かげだった。
「ひかりよ。鳥がこちらへ向かって来ているようだ。あの穴へ隠れよう」
「おおう。確かにあの鳥は俺たちを狙っているようだ」
 ひかりはかげが顎で指した穴に隠れようとしたんだけれど、その穴は、二匹にはちょっと狭すぎたようだったんだ。どうやっても尻尾が穴から出てしまってね。
 そして、鳥はそれを見逃すはずもなく、食いついてきたんだ。
 ひかりは地面に爪を立てて引きずられまいとしているんだけれど、鳥の力に適うわけもない。
 じりじりって感じに引き出されていく。
「ひかりよ。俺たちの尻尾は切り離せ、再生することができる。ここは尻尾を切り離すべきではないのか」
 けれどひかりはこう言ったんだ。
「確かにそうすることは出来る。しかし尻尾の再生には相当の時間とエネルギーが必要になることも、また事実なのだ」
「ふん」かげは鼻で笑った。「尻尾に執着し、生を拒むと言うのか。ならばそれでも良し。俺は、すでに生きることに飽いているのだからな」
「かげよ。お前は尻尾の確保を執着と言うのか」ひかりは少し考えてから続けたんだ。「確かに、それはそうなのかもしれぬな。俺は目の前の事物に捕らわれすぎるきらいがある。俺は、尻尾よりも生きることに執着したいとおもっているよ。ここはお前の言葉に従ってみたいと思う」
 そうしてひかりは尻尾を切り、難を逃れたわけなんだ。今ではもう金色の尻尾は再生されて、元に戻っているけどね。

<続く>
  

<続き>
 ぼくたちは命令に従って、一定の時間引き金を引き、一定の時間銃身を冷やす行為を行っていた。
 数を少なく見せ、こちらにおびき寄せるために。
 ぼくは兵士としては新米の部類に入る。さらには一斉射撃であるために、誰の弾が誰に当たったなんてことは、まだ分からない。もちろん、ぼく自身の発射した弾丸の運命も。
 でも、少しだけ手応えというものが分かりかけてきた気がする。
 壁や練習用の的とは違う、明らかな感覚。
 初めて手応えらしきものを感じた時、ぼくはそれを好む人たちと嫌う人たちの二種類の人たちを生み出すものだと、本能的に思った。ぼくは、多分、後者の方だろう。
 指先から腕を伝って背筋を震わすその反応は、無意識の深い部分を刺激する。
 けれどもぼくは、ライフルを射ち続ける。今のぼくは一人の人間ではなく、軍という組織の一部だからだ。でも、敵が逃げてくる頃には、ぼくはぼくのために射つだろう。殺されないために殺す。数千万年前の人類。いや、数億年前の恐竜時代、もしかすると、そのずっと前から続いてきた、戦場ではありふれた出来事だ。
 作戦通り、武装勢力は追い詰められ、拠点から逃げ出し始めた。その人数は増えていく。
 ぼくたちの本格的な出番。
 バックパックからサブマシンガンを手にして装備を変える。
 逃げてくる敵に、銃弾を浴びせた。
 彼らは倒れ傷付き死に、時に迷って後退するも本隊から攻められこちらへ逃げる。
 背丈ほどの草葉が舞い、飛び散り、炎に燻り焦げていく。
 緑の匂いが一層濃くなり、そこへ硝煙と、迫り来る血の匂いが混じる。高揚と恐怖とのバランスが入り乱れ、草地だった空間が瞬く間に戦場へと化す。
 小道を逸れ、草葉の中に逃げ込む敵も現れた。
 しかしそう簡単には逃げられない。葉先の揺れは人の位置を知らせてくれるし、ぼくたちは小道と垂直に隊列を展開しているのだから。
 道の反対に逃げても同じこと。
 反対で待ち伏せているぼくたちの仲間が、順調に敵を要撃しているようだった。
 それでもやはり、射ち漏らしは出てくる。
 ぼくたちの分隊は、射ち漏らした敵を追撃する指令を受けた。
 ぼくたちの分隊は、分隊長を始めとして、ぼく、それから相部屋の彼、日に焼けて浅黒い肌をした男の四人のメンバーだ。
 慎重に慎重を重ね、ぼくたちは戦線から別れて草地を歩く。
 スコールのせいか、元から湿地帯だったのか分からないけれど、とにかく歩きにくい土の上を、大きな葉を掻き分けながら進んで行く。
 草葉が不自然に倒れ、細々と続く逃走者の跡を見つける。ぼくたちは腰だめに構えたサブマシンガンを掃射した。
 注意深く進むと、全身から血を流した男の死体を見つけた。
「なんだ、同じじゃないか」ぼくは相部屋の彼に囁いた。「結局敵の死体を見ることになる」
「当たり前だろ、戦争なんだ」彼は言った。「奇襲した部隊なんて、それこそ昔よりも悲惨な光景を見たかもしれないぜ」
 ぼくは振り返り、拠点のあった方角を見た。
 確かにそうかもしれない。
 槍や刀で斬られるよりも、火力の強い銃で手足を千切られミンチになる、そんな敵を何人も踏みつけ押し進まなければ殺されるのはこっちなんだ。
「おい」分隊長の声が聞こえた。「何をぼんやり突っ立ってんだ。危ないぜ」
 慌てて体制を低くしようとしたぼくの頭に、強く大きな衝撃が走った。思わず死んでしまったのではないかと感じるくらいに。
 分隊のメンバーが駆け寄ってくるのが分かった。
 見えたのではない。でも、ぼくには分かったのだ。
「畜生! あの野郎!」誰かが叫び、銃を射つ。
「大丈夫か」分隊長の声が聞こえる。
 ええ。大丈夫ですよ。そう答えたはずなのに、分隊長は何度も問いかけてくる。
 起き上がろうとして、体が動かないことに気が付いた。
「ヘルメットに穴が」「外せ外せ」「これは――」「貫通してない、盲管銃創だ」「おい、衛生兵を呼べ! 衛生兵だ!」「大丈夫か、返事をしろ」「喋れないなら合図をしてくれ!」「心臓は動いてるんだ」「おい――おい――」「脳の傷は厄介だぞ、回復しても障害が残るかもしれない」「開頭手術をしなくては――」「なら、してくれよ」「こんな場所で、できるわけがないでしょうが!」「どれくらいの後遺症が残るかも分かりません」「だったら早く病院へ」「意識はあるのか」「脳波チェックをしてみなければ――」

 すべての会話が、ぼくには聞こえている。単語も分かる。でも文章として何を言っているのかは分からなかった。まるで森で射たれた少年兵の異言語のように。
 ぼくは十字架に手を伸ばそうとしていたけれど、とうとう諦めた。

「おい、死ぬな!」「生きてメダルをもらうんだ、名誉の負傷だぞ」「そうだ、勲章がもらえるぞ」「生きて、また俺たちに見せてくれ」

 夢も見ずに眠っていたようだ。
 いつの間にか、銃声のしない、静かな場所に移されている。
 それにしても、ぼくに声をかけるのは誰なのだろう。何を言っているのだろう?
 聞き覚えのある声がするけれど、単語の意味も、もう少しゆっくり話してくれれば分かるような気がするけれど。
 それにしても、ぼくは思った。なんて真っ白い場所なんだろう。
 いや、違う。
 真っ白いのはダンスなんだ。彼女は美しく真っ白なダンスを踊りながら、氷った運河を渡って行く。彼女の足元からは長いコンパスのような影が伸びている。
「ここは誰?」ぼくは訊いた。「君は誰?」「ここも私もあなたなのよ」彼女は笑って答えてくれた。「あなたは行かなくちゃならないわ。太陽の沈む、その前に」
「どこに行くって?」ぼくは思い出した。「大学を辞める前に、日本へ留学しに行ったことがあったな」
 留学先の東京で知り合った日本人の友達は、ぼくにいろんな日本のことわざを教えてくれた。
 ぼくは今、その時のお寺の前に居る。
 思い出? いや。これは現実だろう。
「日本のことわざの一つに『仏の顔も三度まで』っていうのがあるんだよ」彼はそう言って笑った。「同じ間違いを二回までは許してくれるけど、三回間違えると、お釈迦様でも怒っちゃうって意味だったかな? ま、何にせよお釈迦様も悟りを開いた割には短気だよね。二回までしか許してくれないんだからさ」
「二回も許してくれるんですか」ぼくは驚いた。
「二回“も”ってのはどういうことだい?キリスト教の神様はなんでも許してくれるんだろう?」
「キリスト教の神様は一度の間違いすら許してくれないこともあります。間違い――いいえ、罪深いことを思っただけでも懺悔しなくてはなりません。実行していなくてもです。代わりにすべてを告白し、赦しを求めると、神様は赦して下さいます」
「神様も仏様も懐が深いんだか浅いんだか分かりゃしないね」
 友達がそう言った時、一人の僧侶が声を掛けてきた。
「失礼ですが、その解釈は間違っていると言わせて頂きたい所ですね」
「どう違うのですか」ぼくは尋ねた。
「私的な意見なのですが」僧侶はそう断わってから話を始めた。「人は間違いを犯す生き物です。だから仏様も二度までの間違いは許す。しかし三度目となれば、それは心の弛みが原因です。人が悟りに至るためには、心が弛んでいたりしてはいけません。そこで仏様もお叱りになる。ということだと思いますよ」

「おお、我が息子よ。突然に大学を辞め、どうしているのかと思っていたら、軍に入隊などして、こんな目に」「脳波のチェックによりますと、わずかながらに意識のようなものがあるようでして」「隊長、十字架を知りませんか。私は相部屋だったので、彼が毎晩十字架を握り締め、祈りを続けていたことを知っているのです。せめて本国に帰る前に、その十字架を探し出して頂けませんか」「早く衛生兵を呼ぶんだ!」「この角度ですと、右脳と左脳とを結ぶ脳梁を中心にして、ダメージを受けていると思われます」「そんなはずはない! どこかに十字架が置いてあるはずだ!」「えー、このような形での叙勲式は、ご両親のみならず我々にとっても大変に心苦しいものなのですが」「どうしてこんなことになってしまったの――ああ!」「生きて帰れただけでも良かったと考えるしかなさそうだな」

「外がうるさいよ。なんだか懐かしい気もするけど、同時にめちゃくちゃな感じがするんだ」
 透明な部屋で、ぼくは言った。
 中も外も透明。
 すべてが透明。
 もちろん、僕自身も透明だ。
 相手も透明だから、本当に、そこへ誰かが居るかも分からない。
「ぼくには目的があったような気がするんだ」もしかしたら誰も居ないのかもしれないけれど、ぼくは語り続ける。「そう。目的。目的なんだよ。それが思い出せればな。そしたらどんなに幸せな気分になるだろう」ぼくは不意に、目的とは関係のない想い出を思い出した。透明な顔だけど、透明な笑顔を作ることはできる。「幼稚園の時にさ、教室の中に大きな蟻が飛んできたんだ。ひらひらと舞って、皆大騒ぎさ。先生の話もおもちゃも放っておいて、皆で蝶を掴まえようとしたんだ。だけど誰も捕まえることができなかったんだよ。ほら、蝶の動きっていうのは不規則だからね。皆一生懸命だった。でも掴まえられなかったのさ。誰にも捕まえることはできなかったんだ。こんな話は退屈かい? でもね、ぼくにとっては大切な想い出の一つなんだ。他愛のない話だけれどね。本当に、大切な想い出の一つなんだよ」
 透明な涙が、透明な瞳から溢れ、透明な頬を伝って、透明な空間を流れ、透明な床に落ちる。
 まぶしすぎて、すべてが透明に見えているのかもしれないな。
 そんなふうに思い、ぼくは目的のことを思い出した。
「そうだ。ぼくは行かなくっちゃならなかったんだよ。そうだ。うん。そうなんだ」どこへ行くべきなのかは分からなかったが、その衝動は、ぼくの中で大きく膨らみ続けた。「行かなくちゃ。太陽が雲に隠れる、その前に」
 ぼくは立ち上がり、透明な壁をすり抜け歩き出した。
 いや。本当は歩いているのか走っているのか分からない。
 それどころか本当に立ち上がったのか、本当に移動しているのかすらも分からない。
 すべてが透明すぎて、何も分からない世界だから。
 けれども行かなくちゃ。
 その先に、きっとぼくの求める透明な何かがあるはずなのだから。
 どこまでも、この世界の。
 いつまでも、この世界と。
 果てしない、この世界で。
 求め続ける、この世界へ。
 なにもない、この世界を。
 滅びるまで、この世界に。


  

 戦闘前夜。
 与えられた兵舎の一室で、ぼくは一人、考えていた。
 不意に室内の明かりが瞬き、黒々とした闇を追い出していく。しかし重たい空気は変わらない。
「どうした、こんな暗いところで考え込んでちゃ、体にも心にも良くないぜ」
 電気を点けた、相部屋の兵士が言う。
「それは分かってるつもりなんだけれどもね」ぼくは十字架を握り締めていた手を開き、手汗にまみれたそれを首にかけた。胸元で、銀色の十字架が鈍く光る。「どうしても考えずにはいられないんだ」
「何を考えてる」彼は自分のベッドに腰掛けた。「話して楽になるようなものだったら聞いてやるぜ」
「うん」ぼくは躊躇いながらも話せずにはいられない気持ちだった。そういう気分だったのだ。「帰還兵が、ある種のPTSDになるっていわれだしたのは、湾岸戦争の辺りだったよな」
「ああ」彼はちょっと嫌そうな顔をした。当然だ。これは不吉な話なのだから。「だけどさ、ベトナム戦争の帰還兵だって、色々問題あったじゃないか。あれだって同じようなもんだぜ」
「うん」不吉な話にもかかわらず、相手をしてくれる彼の優しさが、心に染みた。「でも、そのずっと昔はどうだったんだろうって思ってたんだ。古代ギリシャローマから中世までの戦士たちってのは、ほとんどが農民や一般市民だったわけだろ。彼らも同じように心に傷を受けたのか、それとも戦争は生活の一部みたいに平気で受け止められたのかなってね」
「中世には傭兵がいたから事情は違うかもしれない。彼らは金のために働いてたんだからな。ある戦いでは傭兵が皆手抜きして、両方の死者が合わせて一人しか出なかったって話もあるくらいさ」彼は肩をすくめて見せる。しかしぼくの表情が変わらないことに気付くと、咳払いをして付け加えた。「ま、命を張ってるっていうプライドもあっただろうしな。それで騎士道精神なんてのも生まれたわけだ。でも、古代になると話は別かな。皆の生活がかかってる。守る方も必死だし、攻める方も必要に責められてのことだろう。外交の最後の手段。今も昔も同じことさ。だが今との違いは、生活が貧しくて、そんなことに悩む暇もなかったってことじゃないかな」
「だけど、昔は槍で刺し、刀で叩き殺していたんだぜ。目の前の敵の顔を見ながら血を流し合って、殺して殺されて傷を受ける。目の前でだ。今ではそんな生々しい戦いなんてない。相手の顔も見えず、仲間の血や負傷や――」ぼくは口を噤んだ。
 これ以上言うべきではない。
 胸元の十字架を握り締める。
「あ、それが答えなんじゃないのかな」彼は気にせず話し続ける。
「え」ぼくは思わず問い返す。
「だからさ、戦争の仕方が変わったことも、PTSDの引き金になってるんじゃないのかってことさ。それは戦略や戦術の違いもあるだろうけど、一番大きいのは仲間の惨劇だけを見つづけさせられてしまうってことだ。近接戦闘なら敵の血や死も見られる。そこで精神のバランスが取れてたのかもしれないな」
「なるほど」意外な言葉に、ぼくは納得させられた。
「ま、一概には言えんがな」彼はベッドに横たわった。「ナーバスになりすぎるなよ」
「ああ」
 強風が窓ガラスに吹き付ける。
 アルミのサッシは振動して音をたてる。
 外を見ようとするが、そこにはぼくの顔が映っていた。厳しい表情。
 ぼくは自分の影を追いやるように目を凝らす。
 月も、星も出ていない。
「ナーバスになりすぎるなよ」もう一度、彼は言った。
 ぼくは振り向く。
 彼は背中をこちらに向けていたため、その表情を見ることは出来なかった。
 けれど。
「大切なことなんだよ」背中越しの声。
 けれどぼくには、彼の真剣さを感じ取ることが出来た。
「ありがとう」
 礼を言うと、ぼくは再び外を見る。
 黒い砂丘は黒い雲と同化してしまっているのか、空と地平の区別が出来ない。
「明日は雨かな」ぼくはつぶやく。
 答えの代わりに、寝息が聞こえてきた。
 今、この地域は雨季に入っている。天候を気にしても仕方がない。一日に最低一回はスコールが降るのだ。
 彼と話して、少しはリラックスできたようだ。掌に痛みを感じ、握っていた十字架を離す。指先に、角張った十字架の跡がついていた。
 ゆっくりと消えていく、その跡を見ながら、彼の忠告を心にしまう。
 ぼくは彼を起こさぬように注意してカーテンを閉め、彼の点けた電気を消した。
 そして静かにベッドへ戻って潜りこみ、深い眠りの中へと落ちていった。

 翌日早朝。
 ぼくたちの分隊は、一個大隊の中に混じり、岩盤の多い地方へ向かって進軍していた。
 今回の作戦は武装勢力の拠点を三方から攻め込むために、一個連隊を三つの大隊に分け、制圧することになっている。
 四十キロのバックパックを背負い、肩からライフルを下げ、ベルトにも拳銃や水筒を吊り下げている。若い女性を背負っているようなものだ。
 ぼくたちは指揮官の下、黙々と指示された地点へと歩いていく。正面から攻める大隊を斜め後方から援護攻撃をすると共に、退路を断つ役割も担っている。残りの一個大隊は、途中まで一緒だったが、Bポイントで別れた。彼らも斜め後ろから攻撃するが、その隊こそが本隊の精鋭たちだ。
 正面から攻める大隊は陽動。その隙に本隊が奇襲をかけ、ぼくたちの隊が止めを刺すということになる。
 ぼくたちの隊は、武装勢力の拠点を中心にして、反時計回りに移動している。正面から攻める隊を十二時の方向にしたとすると、本隊は八時の方向、ぼくたちは四時の方向ということになる。ぼくたちの基地から最も遠いポイントだ。
 ポツリポツリと降り始めた雨は、時間を早送りしたみたいに、いきなりの豪雨となる。
 雨はヘルメットから滴り視界を狭め、軍服を濡らして襟元から体を這い伝い体温を急速に奪っていく。
 さらに厄介なことには、雨のせいで砂は泥濘化して足に絡みつき、岩石の表面はつるつるとして滑りやすくなってしまう。
 予想されていたこととはいえ、これだから嫌になってしまう。
 まったく、何度経験してもスコールに慣れる気なんて、少しも起きない。
 それでもぼくたちは岩陰を歩き、どろどろした土を踏む。
 陽動も奇襲も危険で大事な仕事だが、退路を断つことほど危険で重要な任務はない。
 相手は、それこそ死に物狂いに必死で逃げてくるのだ。
 生き残るために。
 生き延びて家族と手を取り、再びぼくたちを殺そうとするために。
 ぼくたちは敵の逃走をなんとしてでも阻止しなければならない。そのためにはタイミングも大切だ。遅れるのはもちろんのことだが早すぎてもいけない。奇襲の妨げになってしまうからだ。
 陽動→奇襲→止め。
 この順番が肝要なのだ。
 ちょうどベースボールで、二→四→六とゲッツーを取るみたいに。
 不意に、そして必然的に、スコールはピタリと止んだ。あまりにも突然すぎて、ぼくに子供の頃の記憶を想起させた。
 デパートで、迷子になったと知った瞬間の、置いてきぼりにされたような初めての孤独。
 だから、ぼくはスコールが嫌いなんだ。
 とても車では進めないような岩場と砂の混じった道なき道を抜けると、二百メートルほど先に森が見えた。
 森と、ぼくたちの大隊の間には障害物など一切ない。
 こういう場所が、一番危険なのだ。
 敵からはこちらが丸見えで、こちらからは森に隠れた敵が見えない。それは皆が心得ている。指揮官は、どこかの一小隊を斥候に行かせることにした。
 彼ら八人の小隊は、ゆっくりと慎重にマシンガンを構えて進む。
 二十メートルほど進むと、タタタタタと旧式型のライフル銃の音が響いた。
 八人は一斉に、パッと倒れる。
 いや、違う。
 弾丸は地面に、まだらな穴を開けただけだ。
 彼らは反射的に身を伏せ、銃声のした方へバララララッとマシンガンを射ち放った。
 悲鳴が聞こえ、森は沈黙したように静かになった。
 小隊はもう一度掃射すると、注意深く森へ近付き、入って行く。
 大事の前の小事も疎かにはできない。敵がこちらの動きを探し、拠点へ情報を流してしまっては制圧が難しくなってしまう。
 森の中の草葉が揺れている。
 無線から小隊長の声が聞こえてくる。
「大丈夫です。歩哨ではないようです。敵は子供一人。この辺をうろついていただけのようです。問題はありません」
 武装勢力の少年兵たちは、功を焦り通信機器を持たずに徘徊しているのだ。
 射たれたのが子供だと聞き、ホッとした自分に、ぼくは吐き気を催した。胃からせり上げてくる胃液を、ぼくは強引に押しとどめる。食道まで上がってきた胃酸が、胸焼けとなって体に広がる。
 けれど、これは仕方の無いことなのだ。ぼくは自分に言い聞かせる。この相手が大人で、遊撃隊だった場合にはさらに酷い状況に陥ることになってしまうのだ。彼らは仲間を呼び寄せ、木立に隠れ、ゲリラ戦を仕掛けてくることになっただろう。そうなっていたら、物量でこちらが勝ってるとはいえ、時間をロスし、情報が流され作戦にも影響が出てくるのだから。そして、
 そしてゲリラ戦自体が恐ろしいのだ。ぼくたちの精神を消耗させ、疲弊されてしまう。一番怖いのはこの部分。ゲリラ戦での精神的疲労は並大抵のものではない。先行する隊列をやりすごし、挟撃を仕掛ける。そうして部隊は分断され、散り散りになってしまう。もちろん対応するべき訓練は受けているけれど、実践と訓練とでは恐怖感も孤独感も虚無感も段違いのレベルなのだから。
「了解。では本隊も進行を再開する」大隊長の声が無線を通して全員に伝えられた。
「しかし大尉殿」斥候した小隊長の声だ。「この子供は息があります。いかが致しましょうか」
「傷の具合はどうだ」大隊長は冷静に尋ねる。
「はい。命に別状はない様子ですが腹部からの出血が治まりません」
「分かった。衛生兵を一人送ろう。君たち小隊は分隊に別け、一チームを衛生兵の護衛として基地まで帰還しろ。残りは衛生兵が到着次第、本隊に合流するように」
「了解しました」
 そうしてぼくたちは、森へ向けての進軍を開始した。
 スコールの残した水たまりを踏みにじり、ぼくたちは樹々の中へと入って行く。
 少年兵が死んでいなかったことは、ぼくにとって一種の救いであったような気がしていた。隊は少年兵の脇を通っていく。少年兵は衛生兵の処置を受けまいと、この地方独特の異言語で語気を荒げている。罵声だか怒号だか意味は分からなかったけれど、それは異教徒の呪いの文句のように聞こえた。
 ぼくはネックレスを、そっと触った。そこにちゃんと十字架があるかどうか確かめるみたいに。
 銀の十字架は硬質で、存在感を主張するように、しっかりと胸元にあった。
 森の奥の小道が見えてくる。
 ぼくは時計を見た。
 Cポイント。予定より早く、ぼくたちは待機地点に辿り着いた。
 大隊長は中隊長や小隊長を集め、細々とした打ち合わせをした。
 大隊は二つに別けられ、小道を挟んで森のこちら側とあちら側に配置されるみたいだった。
 その間、ぼくたち兵卒は、しばしの休憩を味わっていた。
「よ、疲れたか」相部屋の男はぼくの顔を見つけて声をかけてきた。
「ああ。疲れたよ。だけどそんなの、いつものことじゃないか」
「確かにな」彼は苦笑した。「俺たちの分隊は、森の向こう側になるらしい」
「了解」ぼくは言って、水を飲んだ。
 休憩が終わり、ぼくたちは小道を横切り、そこからさらに移動した。これは道を挟んで攻撃するため、見方同士、相打ちにならないよう角度を付けるための移動。ぼくたちの方が武装勢力の拠点に近く、ぼくたちの射ち逃した敵を後方の部分がカバーするという役割としても機能する。
 ぼくたちは背丈より高い草に紛れ込んでいる。敵の拠点が、その隙間から下方向に朧に見えた。
 スコールの影響が残っているせいか、匂いたつ草いきれは、まるでぶ厚いベールのようで息苦しい。
 亜熱帯の森林特有の息苦しさの中で待機をし続けていると、ロケット砲の炸裂する音が聞こえてきた。
 よく見ると、戦闘はすでに始まり、陽動部隊の姿が見える。
 音速の限界。
 準備のために目を閉じる。
 続いて銃声が激しく轟く。
 それからしばらくして、ぼくには分からない例の異言語の叫び声が聞こえてきた。
 きっと、奇襲作戦が成功したのだろう。
 次は、ぼくたちの番だ。
 攻撃の指令。
 ぼくは目を開いてライフルを構えると、窓ガラスやカーテンの隙間から見える敵に向けて狙撃した。

<続く>
  

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