男と再会し、久し振りに抱かれた女は不思議な気分だった。
前に一度きり抱かれた時の関係は、有名バンドのボーカリストとファン。今回のきっかけは、女の働く地方へ男がライブに来た事だった。
店の女と客。
立ち位置が逆転している。
さらに言うなら、女は今、男のファンではない。
男のバンドは解散しており、ソロ活動を行っている。昔ほどの勢いはなくなっているものの、一部固定のファンや曲調を変えたおかげで、一定の人気を保っている。
昼時近い午前中、女は男の寝顔を見つめている。
一度抱かれた男に、初見のように口説かれ、抱かれた。
それはどこまでも不快であり、忌まわしい気分であった。
今ではテレビで男の顔を見るのも嫌だし、歌声が聞こえるたびに吐き気を覚えるほど強い嫌悪感を持っている。
女は汚れを落とすようにシャワーを浴びに行った。
服を着ようと寝室に戻る。
「やあ」男は裸のままベッドから上体を起こした。「食べる物はないかい」
二人は簡単な会話をし、女の作ったベーコンエッグとトースト二人分を平らげた。
ブランチが終わると、気まずい雰囲気になっていた。
男はトーストをかじりつつも女の態度に気づいていたのだ。
「やけに不機嫌だね」男は沈黙を打ち破る。
「あなたがバンドを解散した理由って、何?」
「朝から重い話をするね」男は頭を掻きながら言った。
「今聞かなくちゃ、二度と尋ねる機会はないでしょ」
「オレがライブに来た時に、また会えばいいさ」
「もう二度と」女は唇を噛んだ「あなたに抱かれるのは嫌」
「なに、その言い方」男は怪訝な顔をしながら、断りもなくタバコに火を点ける。「前にも寝たことがあるような言い方じゃない」どこかに薄笑いを漂わせながら。「そんな話はやめようぜ」
女は答えず、窓を開けタバコの煙を外に流す。それから灰皿替わりの空き缶を男を投げつけた。
「なんだよその態度」男が怒鳴る。
「いいから答えて!」ピシリと言う。
女に気圧されたのか、男は低い声で答える。
「あの噂なら本当だよ」表情が強張る。「若かったんだ。若者たちの代弁者みたいに、世を儚むような厭世的な歌を作ってた。それがコアな客層に当たってさ、信者みたいな奴も出てきて、歌詞もどんどん過激になった。オレ達のバンドも注目を浴び始めた時、一人のファンが自殺した。遺書のほとんどがオレの歌詞からの引用だったよ」
「━━それで?」
「厳しいね」男はタバコの灰を空き缶の飲み口に落とす。「それで怖くなった。世間の目以上にファンの目が。『大人になるのは腐ること』そんな歌詞を本気にして死んでしまう人間が居るってことにね。それから、事務所もコトを大きくしたくなかった」
「だから活動を中止して、期間を空けてからソロ活動を始めたの」
「そんな感じかな。でも詳しいね。昨日の感じじゃ、オレのことなんて全然知らない様子だったけど」
「それは詳しいわよ。昨日は仕事。あたしはあなたのバンドのファンだったんだから」
「なんだ、じゃサインでも」緩みかけた男の表情が、一瞬で険しくなる「バンド?」
「そう。今はあなたを好きじゃない」
「その言い方」男はタバコを吸い、苛立たしげに吐き出した。「何様のつもりだよ、お前」
「自殺したファンの友人よ」
男は混乱した。
その間にも女は自殺したファンのごく身近な者だけの知る事実を話す。
「信用した?」
「それは」男は言う。「すまなかった」
「バンドの解散に、やっぱり信念とかっていうモノはなかったんだ」女は言った。「歌詞がウケれば過激にして、活動再開してからは愛だの恋だの歌って結婚して、今では甘い歌、歌って一児のパパ。だけどすぐに上手く行かなくなって離婚して、そしたらバラードにしがみつく」
「世の中、綺麗事じゃないんだよ」男は荒々しくタバコを消し、空き缶に捨てる。「事務所の方針もあればタイアップしているスポンサーの意向もあるんだ」
「どこが! 全部自分の都合じゃないの! 解散したのは怖いから、結婚したのはイメージアップ、人気が落ちて離婚して」
「それがミュージシャンってモノだ! アーティストってモノなんだよ!」男は空き缶を壁に投げつけた。壁紙には傷が付き、空き缶は虚しい音を立てて床を転がった。「素人のクセになんなんだ、あれか、自殺した友達へでも謝れってか? 大体な、自殺したコの両親とも話がついてんだ、いくらそのコの友達だったとしても」
「お金で解決しただけでしょ。知ってるの、あたし。あなたはお葬式に顔を出しただけで、後のことは事務所の人が動いただけ。知ってるの。その後、あのコのお母さんは心を病んで、今でも入院しているし、お父さんは心労で亡くなった。全部━━あなたの知らない全部を知ってるの」
「なんだよ気持ち悪い、昨夜オレの誘いに乗ったのは、この嫌がらせをするためだったのか」
「……多分、違う。確認したかっただけ。あなたがどんな人間か。あなたは歌や言葉の影響力を知らない男。そんな人がミュージシャンであるハズがない。アーティストだなんて、おこがましい。あたしの中にある嫌悪感は友達に対する後ろめたさじゃなかった。前に一度、あなたなんて男に抱かれたことへのもの。人生の汚点。あたしも自分勝手な女ね」
「前━━に……?」
「バンドを追っ掛けてた頃の話よ。あのコに内緒で、抱かれに行ったの。あのコが自殺する前にね。きっと知らないまま死んだのだろうけど━━ああ、あたしのことを忘れてるのは仕方ないと思ってるから、気にしないで。女なんて星の数ほど抱いてるんでしょ。そんなこと承知の上で寝たんだもの。歌を歌って交尾して、あなたは、ただのカナリアよ」
数ヵ月後、男は「哀れなカナリア」という曲を発表した。
前に一度きり抱かれた時の関係は、有名バンドのボーカリストとファン。今回のきっかけは、女の働く地方へ男がライブに来た事だった。
店の女と客。
立ち位置が逆転している。
さらに言うなら、女は今、男のファンではない。
男のバンドは解散しており、ソロ活動を行っている。昔ほどの勢いはなくなっているものの、一部固定のファンや曲調を変えたおかげで、一定の人気を保っている。
昼時近い午前中、女は男の寝顔を見つめている。
一度抱かれた男に、初見のように口説かれ、抱かれた。
それはどこまでも不快であり、忌まわしい気分であった。
今ではテレビで男の顔を見るのも嫌だし、歌声が聞こえるたびに吐き気を覚えるほど強い嫌悪感を持っている。
女は汚れを落とすようにシャワーを浴びに行った。
服を着ようと寝室に戻る。
「やあ」男は裸のままベッドから上体を起こした。「食べる物はないかい」
二人は簡単な会話をし、女の作ったベーコンエッグとトースト二人分を平らげた。
ブランチが終わると、気まずい雰囲気になっていた。
男はトーストをかじりつつも女の態度に気づいていたのだ。
「やけに不機嫌だね」男は沈黙を打ち破る。
「あなたがバンドを解散した理由って、何?」
「朝から重い話をするね」男は頭を掻きながら言った。
「今聞かなくちゃ、二度と尋ねる機会はないでしょ」
「オレがライブに来た時に、また会えばいいさ」
「もう二度と」女は唇を噛んだ「あなたに抱かれるのは嫌」
「なに、その言い方」男は怪訝な顔をしながら、断りもなくタバコに火を点ける。「前にも寝たことがあるような言い方じゃない」どこかに薄笑いを漂わせながら。「そんな話はやめようぜ」
女は答えず、窓を開けタバコの煙を外に流す。それから灰皿替わりの空き缶を男を投げつけた。
「なんだよその態度」男が怒鳴る。
「いいから答えて!」ピシリと言う。
女に気圧されたのか、男は低い声で答える。
「あの噂なら本当だよ」表情が強張る。「若かったんだ。若者たちの代弁者みたいに、世を儚むような厭世的な歌を作ってた。それがコアな客層に当たってさ、信者みたいな奴も出てきて、歌詞もどんどん過激になった。オレ達のバンドも注目を浴び始めた時、一人のファンが自殺した。遺書のほとんどがオレの歌詞からの引用だったよ」
「━━それで?」
「厳しいね」男はタバコの灰を空き缶の飲み口に落とす。「それで怖くなった。世間の目以上にファンの目が。『大人になるのは腐ること』そんな歌詞を本気にして死んでしまう人間が居るってことにね。それから、事務所もコトを大きくしたくなかった」
「だから活動を中止して、期間を空けてからソロ活動を始めたの」
「そんな感じかな。でも詳しいね。昨日の感じじゃ、オレのことなんて全然知らない様子だったけど」
「それは詳しいわよ。昨日は仕事。あたしはあなたのバンドのファンだったんだから」
「なんだ、じゃサインでも」緩みかけた男の表情が、一瞬で険しくなる「バンド?」
「そう。今はあなたを好きじゃない」
「その言い方」男はタバコを吸い、苛立たしげに吐き出した。「何様のつもりだよ、お前」
「自殺したファンの友人よ」
男は混乱した。
その間にも女は自殺したファンのごく身近な者だけの知る事実を話す。
「信用した?」
「それは」男は言う。「すまなかった」
「バンドの解散に、やっぱり信念とかっていうモノはなかったんだ」女は言った。「歌詞がウケれば過激にして、活動再開してからは愛だの恋だの歌って結婚して、今では甘い歌、歌って一児のパパ。だけどすぐに上手く行かなくなって離婚して、そしたらバラードにしがみつく」
「世の中、綺麗事じゃないんだよ」男は荒々しくタバコを消し、空き缶に捨てる。「事務所の方針もあればタイアップしているスポンサーの意向もあるんだ」
「どこが! 全部自分の都合じゃないの! 解散したのは怖いから、結婚したのはイメージアップ、人気が落ちて離婚して」
「それがミュージシャンってモノだ! アーティストってモノなんだよ!」男は空き缶を壁に投げつけた。壁紙には傷が付き、空き缶は虚しい音を立てて床を転がった。「素人のクセになんなんだ、あれか、自殺した友達へでも謝れってか? 大体な、自殺したコの両親とも話がついてんだ、いくらそのコの友達だったとしても」
「お金で解決しただけでしょ。知ってるの、あたし。あなたはお葬式に顔を出しただけで、後のことは事務所の人が動いただけ。知ってるの。その後、あのコのお母さんは心を病んで、今でも入院しているし、お父さんは心労で亡くなった。全部━━あなたの知らない全部を知ってるの」
「なんだよ気持ち悪い、昨夜オレの誘いに乗ったのは、この嫌がらせをするためだったのか」
「……多分、違う。確認したかっただけ。あなたがどんな人間か。あなたは歌や言葉の影響力を知らない男。そんな人がミュージシャンであるハズがない。アーティストだなんて、おこがましい。あたしの中にある嫌悪感は友達に対する後ろめたさじゃなかった。前に一度、あなたなんて男に抱かれたことへのもの。人生の汚点。あたしも自分勝手な女ね」
「前━━に……?」
「バンドを追っ掛けてた頃の話よ。あのコに内緒で、抱かれに行ったの。あのコが自殺する前にね。きっと知らないまま死んだのだろうけど━━ああ、あたしのことを忘れてるのは仕方ないと思ってるから、気にしないで。女なんて星の数ほど抱いてるんでしょ。そんなこと承知の上で寝たんだもの。歌を歌って交尾して、あなたは、ただのカナリアよ」
数ヵ月後、男は「哀れなカナリア」という曲を発表した。
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Re:面白い!
なるほど、ディテールの重要性を改めて確認できました。
Re:無題
怖いというのは意外に思えましたが、なるほど、アーティストの執念、しつこさを考えると薄ら寒いものがあったかも知れません。
計算外の作用が、良い方向に働いたという所でしょうか。
なお、管理人がしばらくネットが使えなくなるため「2月の頭までコメントへの返信が出来なくなりそう」との事です。
ご了承下さいませ。
計算外の作用が、良い方向に働いたという所でしょうか。
なお、管理人がしばらくネットが使えなくなるため「2月の頭までコメントへの返信が出来なくなりそう」との事です。
ご了承下さいませ。