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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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青年がランプをこするとジニー、つまりランプの精が現れた。
「願い事を三つ、叶えてやろう」お決まりの文句を言う。「ただし無限の可能性があるものはだめだ」
「無限?たとえばどんなのだい?」
「まあ、簡単に言うと不老不死とか願いの数を増やせといったものだな」
「なるほどね。ちょっと考えてみるよ」青年は数分考え、言う。「ダイヤの取れる山が欲しいな。どんなに採っても百年は掘り続けられるダイヤの山」
「どんなに採っても、か。その願いは叶えられないな」
「ああそうか。じゃあ量を決めれば大丈夫なのかな。えーと、年間百トン採っても百年は彫り続けられる、ピンクダイヤの山が欲しい」
「考えたな」ランプの精は苦笑する。「量を決めたことでダイヤがピンクダイヤに格上げされたのは人間らしい欲の深さだ。しかし、何もそう願わんでも、何億円欲しいとか願えば済むことなのに、お前は変わった人間だな」
「苦労しないで手に入れた金は身の破滅だってジイちゃんが言ってた。このランプはジイちゃんの形見だし、ジイちゃんが波瀾万丈の人生送ったのはお前のせいなんだろ。だから、ちょっと考えてみたんだよ」
「なるほどな」ランプの精は納得する。「年間百トンで百年――とんでもない量だが、まあいいだろう。その願い、叶えてやる」
 数日後、青年の祖父の持っていた不動産として、田舎のある山についての所有権利書が見つかった。
 しかし山はハゲ山であり、敷地も大きく、税金だけが高い山だった。
 親族は権利書の相続を放棄した。
 しかし青年はもしやと思い、親の反対を押し切って相続する。そして現地に赴き、試しに掘ってみる。
 この国で採れるはずのない、ピンクダイヤの塊が出土した。質の良い、とても大きな原石が。
「ランプの精のおかげだな」青年はつぶやいた。
 彼は友人たちと起業すると、人を雇うため、工場を作るため、流通路を確保するためにと忙しく働いた。
 そして数年後には世界にその名を知らしめるほどのダイヤ王として有名になっていた。
 そんなある日、忙しいスケジュールの合間を縫って、ランプを取りに実家へ寄った。その夜、自宅マンションでひっそりとランプの精を招き寄せる。
「次の願いか」ランプの精は言う。「金目の物の次は女だろう」
「いいや、違うよ」青年は首を振る。「金さえあれば女なんて抱ける。ブランドキャンペーンのアイドルを何人か愛人にしたしね」
「では名声かな」
「いや、それもいらないよ。身に過ぎたるは及ばざるが如しってね」
「ふーん。相変わらず変わった奴だな。ならどんな願いだ」
「いや、願いじゃなくて報告しようと思ってさ。おかげさまで成功しているよ。ありがとう」礼をする。
「そんなことをしたって何にもならんぞ。ははーん、そうか、分かった。お前の祖父のように落ちぶれたくないから、こんなことをしているのだな。しかしあれはお前の祖父が悪かっただけだ。礼など言っても、俺は何もせんぞ」
「そんなこと分かってるさ。ただ、寂しかったのかもしれないな。昔のように友人とバカ騒ぎができなくなった。まあお気楽な悩みだってことは自分でも分かってる」
「では何でも言い合えるような友人を作り出してやろう」
「待て待て」青年は慌てて止める。「願いごとはなしだって言ったろう」
「しかし、だな」
「いや、いいんだって。いや――でも、これも願いになるのかな」
「何だ、言ってみろ」
 恥ずかしそうにする青年を、ランプの精が促す。
「これからも時々さ、こうして呼んで、友達みたいに話してもいいかな」
「なんだ、そんなことか。それはランプの所有者の権利だ。願いごとにはならない。好きにするがいい」
「そうか、良かった、ありがとう」
 嬉しそうに笑う青年を見て、ランプの精は言う。
「つくづく、不思議な奴だ」
 その後も青年は、ランプの精を良き相談相手として難局を乗り切った。
 何しろ人生経験の量が違う。何気ないランプの精の言葉にも含蓄があり、思わぬところで解決法を見出したりすることが多々あった。
 それは青年の意図していたものではなかったし、ランプの精も彼の心中は見切っている。さらに言うなら、ランプの精の何気のない言葉に気付き、それを事業に生かすということは青年の才によるものであり、他のものであったなら同じ事を聞いても何もできなかったろう。
 さらに年は経ち、青年は三十代半ばの男となっていた。
 ピンクダイヤの採取量をコントロールし、男は国の経済への影響を見せ、経団連の中でも異例のスピードで重要なポストを歴任していた。
 事業も拡大し、会社はグループ企業となり、今なお成長を続けている。
 そして、ある国の王女と出合った。
 愛人たちとは違う、生まれながらの気品に目を奪われた。彼女の聡明さにくらべれば、愛人など小賢しく感じてしまう。
 男はたちまち恋に落ちた。
 だが、王女は振り向かない。
「どうすればいいのだろうか」男はランプの精を相手にウィスキーを飲んでいる。
「願えばすぐに叶えてあげるが?」
 ランプの精の言葉に、男の心は思わず揺らぐ。
「そうか、その手があったな」
「ああ、どうする? 第二の願いとするか?」
 男は頷く。
「ならば願いを口にすることだな。言葉こそが契約となる」
「俺に……王女を――」
「やはり」ランプの精はニヤリと笑う。「第二の願いは女についてだったな」
「――王女を……俺に」男は言い淀んだ。
「どうした?」
「願いが叶ったとして、彼女はどうなる?」
「どうなるとは?」
「何か変化が起きたりするのだろうか」男は危惧を口にする。「例えば俺の言葉を聞くだけの人形になってしまうとか――」
「それはないだろうな。しかしあれほど王女がお前を嫌っている以上、どこかに歪みは起こるだろう」
「歪み?どんな?」
「本心と行動とのずれに悩まされ、十年後には鬱ぎこむことになるかもしれない」
「そんなの意味ないじゃないか!」男はテーブルを叩いた。「俺が求めているのは聡明な、あの彼女なんだ。彼女が変わってしまっては意味がない」
「では、お前が変わるしかないんじゃないか」
 男はハッとさせられる。
 自分は増長していなかったか? 権力を振りかざし、鼻持ちならならない人間になっていなかったか? 彼は反省し、女性関係を整理する。そして王女一人に持ちうる限りの誠意を注ぎ込んだ。
 三年後、二人は結婚することになる。
 充実した新婚生活。妻は妊娠し、臨月を迎える。しかしこれが難産であった。
 二人の命が危機に曝されている。男は躊躇なくランプの精を呼び出し、無事な出産を願った。いや、祈ったと言った方が、より正確な言葉かもしれない。
 後に男はランプの精からこう言われる。
「あの時二人の命を願えば、願いを二つ使うことになった。無事な出産を願うことで願いは一つに纏められた。得をしたな」
 男は決まって睨み返す。
「あの時にはそんなことを考える余裕なんてなかったよ」
「分かっている。幸運だったな」
 ランプの精は言い、この話題はそこで終わるのだ。
 子供は全部で四人生産まれたが、難産は初めの一度きりだった。
 一家の幸せは続き、子供たちもすくすく育っていく。
 二十年経つと息子の一人がグループ企業に入社し、順調に昇進。時代を継ぐ者としての存在感を現している。
 さらに月日は流れ、男は老人となり、病床に伏している。
 公の仕事はほとんど息子に託してある。そんな中、老人はランプの精を呼ぶ。
「どうした、命が惜しいか」煙の中から現出したランプの精は言った。「不死は無理でも数年くらいなら延命できるぞ」
「いよいよ俺も終わりってことか」老人は笑う。「延命なんぞいらんよ。俺の最後の願いは笑顔で死にたい。それだけさ」
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「ノド、カラカラだよ」
「ああ、そうだな」
「もう歩けないよ」
「ああ、そうだな」
「ここまで、なのかな」
「ああ、そうだな」
「水―、水が欲しいー!」
「ああ、そうだな」
「もうおれ、死ぬのかな」
「ああ、そうだな」
「死ぬんだろうな」
「ああ、そうだな」
「騒せえ!」男は壊れたCDプレイヤーを砂に叩き付けた。
「ああ、そうだな」砂の入ったプレイヤーは、同じフレーズをリピートし続けている。
「何でおれ、こんな物持ってきたんだろ。馬鹿みたいだな」
「ああ、そうだ――」
 最後まで言わせるものかと、男はプレイヤーを踏み壊した。
  

 パパとママにしかられて、ぼくはとってもかなしくなったから、なきました。
 それでもパパとママはゆるしてくれなくって、だからぼくは、もっとなきました。
 つりあがっためをして、パパはげんこつをしてきました。
 ママはなんにもいわなくて、はたきもしなかったけれど、かおがまっかっかになっていて、いつものやさしいママじゃなくって、だから、ママのほうがパパよりこわかったかもしれません。
 それで、ふたりともこわくって、ないてもゆるしてくれないので、ぼくはおもったんです。
 もしかしたら、このパパとママはほんとうのパパとママではなくって、ほんとうのパパとママは、このにせもののパパとママにつかまっているかもしれないな。
 きっと、このパパとママは、パパとママのふりをしている、だれかなんだろう。そうしてぼくをこわがらせて、たべてしまうつもりなんだろう。
 ぼくはますますこわくなって、おしいれのなかにかくれました。
 おしいれのなかはくらくて、なにもみえません。
 でも、にせもののパパとママのすがたがみえなくてすむので、すこし、あんしんです。
 でてきなさいという、こえがします。
 でも、ぼくはでません。
 にせもののパパとママがこわいからです。
 きっと、ねているうちにつかまって、りょうりして、たべてしまうつもりなのでしょう。
 だからぼくは、おしいれをしめて、そとからあけられないようにします。
 どうしてもおしいれがあかないので、あきらめたのでしょう。
 にせもののパパとママは、そんなにおしいれがすきなら、そこではんせいしていなさい。とか、おしいれにすんでしまいなさい。みたいなことをいいました。
 そして、どこかいってしまったみたいでした。
 でも、そんなふりをして、ちかくにいるのかもしれません。
 ぼくはなきながら、ずっとおしいれのなかに、かくれていようとおもいました。
 でも、おしいれは、やっぱりくらくて、こわくて、さみしいので、ぼくはなきやむことができません。
 つかれて、こえがでなくなったけど、メソメソ、メソメソとなみだがでてきます。
 そのうちに、ごはんをつくるおとがして、にせもののママが、ごはんをたべなさいっていってきたけれど、きっとごはんには、どくがはいっているんだろうとおもって、おしいれからでませんでした。
 そしたら、にせもののママは、かってにしなさいといって、それからごはんをたべるおとがきこえてきた。
 おなかはすいていたけれど、どくをたべるのは、いやです。
 ぼくはがまんして、もっとさみしくなってしまいました。
 にせもののパパとママは、やっぱりにせもので、にせものらしく、ぼくのことなんてかんがえていないみたいでした。ごはんをたべてから、さっさとおふろにはいって、それからねむってしまったからです。
 いえのなかがシーンとなって、ぼくはこわくてしかたなくなってしまいました。
 でも、おしいれをでたすぐそこに、にせもののパパとママがいるようなきがして、ぼくはおしいれからでることができません。
 どうしましょう。
 ぼくはかんがえたけれど、わかりません。
 ぽろぽろとなきつづけることしかできませんでした。
 こまっているうちに、ねむくなって、けれども、ねむってしまったら、にせもののパパとママにひきずりだされて、たべられてしまいます。
 ぼくは、おなかがへったのと、ねむたいのをがまんしてないていました。
 そのうちに、にせもののパパのいびきがきこえてきましたので、ぼくはそっとおしいれをあけ、へやのなかをみました。
 だれもいないようなので、ろうかへでてみます。
 ろうかにも、だれもいませんでした。
 ぼくはげんかんのカギをあけました。
 カギのあくおとが、とってもおおきくきこえてきえて、ぼくはびっくりしてしまいました。
 でも、だいじょうぶだったようです。
 にせもののパパとママにはきづかれていません。
 ぼくは、はだしのままでそとにでました。
 ペタペタと、あしおとがします。
 ほんとうのパパとママはいったいどこにいってしまったのでしょう。
 ぼくは、おおきなこえをあげて、なきました。
 パパー、ママーどこにいったのー。
 パパー、ママー。
 ぼくはないていました。
 どうろをあるって、きんじょのこうえんにきました。
 こうえんは、じめんがつちなので、あしおとはしません。
 でもすなが、くつしたにはいってきます。
 ときどき、いしをふんでしまって、あしのひらがいたいなとおもいました。
 ぼくは、せまいトンネルにはいりました。
 なんだか、すこし、あんしんするようなきがして、でも、ほんとのパパとママがどこにいるのか、わからなくって、やっぱりないてしまいました。
 ないて、ないて、きがつくと、ちょっとだけ、ねむってしまっていたみたいです。
 とおくから、ひとのこえがしました。
 こえは、ちかづいてきます。
 どうやら、ぼくのなまえをよんでいるみたいでした。
 ほんもののパパとママかな。
 ぼくはそうおもって、トンネルをでようとしたのですが、やっぱり、にせもののパパとママだったらどうしようとおもい、そうおもったら、どうしてだか、からだがうごかなくなってしまったのでした。
 とても、とっても、こわかったです。
 そして、とうとう、ぼくはこえにみつかってしまったのです。
 かいちゅうでんとうをもったパパとママは、とても、しんぱいそうなかおをしています。
 あ、ほんもののパパとママだな。
 ぼくはそうおもうと、あんしんしました。
 あんしんしたのに、なみだがでてくるのは、ふしぎでした。
 ぼくはなきながら、ぜんぶをはなしました。
 いつのまにか、にせもののパパとママにかわっていて、とってもこわかったこと。にげだして、ほんもののパパとママをさがしていたことを、です。
 ないていたせいで、うまくしゃべれませんでしたけれど、パパとママはわかってくれたようです。
 ウンウンと、うなずいて、やさしくあたまをなでてくれました。
 だっこをされると、ママからは、おひさまのにおいがしました。
 やっぱりほんもののままです。
 おんぶをされると、とってもひろいせなかでした。
 やっぱりほんもののパパです。
 ぼくは、あんしんして、パパのせなかでねむりました。
  

 アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群という病気が見つかって、四半世紀が過ぎた。
 この病はアンドロメダ星雲にある植民星、ナラウムが発症の地とされているからこの名前が付いた。
 ナラウムの原生虫、ティファイトが人間に寄生して起こる症候群である。
 原因がはっきりしているので、感染経路も分かりやすく、予防もしやすい。だが、この奇病には二つの厄介な問題点があった。
 一つは患部。
 ティファイトは目蓋の裏に棲むので、割りと判明しやすい病気である。まばたきに遅れてティファイトが姿を現すことがあるからだ。そしてその触手は視神経に沿って脳細胞へ届き、脳下垂体や視床下部、大脳辺縁系と複雑に絡み合っているため、手術によって取り除くことが難しい。
 その困難さたるや、例えてみれば大地を傷つけずに木の根を掘り出すのと同じくらいの難易度なのだ。
 手術が成功しても後遺症が残ることは必定であり、この問題点が第二の問題と深く関わっている。

「簡単に言ってしまえば、アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群はホルモンのバランスを調整し、脳内麻薬であるエンドルフィンやドーパミン等を糧としているのです」
 一人の男性と二人の女性を前にして、医師はそう説明した。
 男の目はどんよりと濁っていて無表情だ。時折まばたきをする目蓋に遅れて緑がかった透明な膜が窺える。
 この男性が寄生されているのは明らかだ。
 付き添いの女性は一人が若く、もう一人は年老いている。
 母親と、男性の妻。
「その」母親が口を開いた。「ホルモンバランスのせいで、寄生された人は同じような容姿になってしまうのですか」
「その通りです」医師は頷く。「皆一様にして、目を瞠るべき美男美女と言われる姿へ変わるのです」
「取り除くと、どうなるのですか」
 続く母親の質問に、医師は表情を曇らせる。
「上手く取り除けても、ダメージを負った脳細胞の回復とは別の話ですので……バランスを崩したホルモンのせいで、容姿に変化が現れるのは確実です。しかし脳内物質を搾取されることはなくなり、感情が甦るのですよ」
「しかしその感情も、普通とは違うと聞きましたけれど――」母親は浮かない顔をしている。
「感情の暴走、混乱といったものは一時的なものです。精神医療の分野は、この一世紀で飛躍的な進化を遂げました。この点は大丈夫です」
「ね、お母さん。ですから昔と違って、今ではなんの問題点はないんですよ」
 嫁が姑を説得する。
「でもねぇ」
 母親は二の足を踏んでいるようだ。
「このままでは虫が成長して、脳を押し潰してしまうかもしれないんですよ」妻は切迫感溢れる口調で言った。
「先生、半分だけ残して容姿はこのまま、なんていうことはできないんでしょうか」
「まだそんなことをおっしゃって」恨みがましい目をして義母を見る。
「今までにも、そのようなイイトコ取りを試した例はあるようですが」医師はあくまで落ち着いて言う。「その結果はいずれも惨憺たるものに終わっています。ティファイトは生命力が弱く、少しの傷でも死んでしまうのです。ですからデリケートな眼球付近に寄生するのでしょうけれども。死ぬとティファイトは壊死し、毒素を撒き散らします。そしていずれの患者さんも帰らぬ人に――おすすめはできません」
 自分の病気のことを言われているのに、男性は無反応だ。恒常的に脳内物質を吸い取られ、思考すらできない状態なのかもしれなかった。
「お義母様、何もそこまで外見を気にしなくてもいいんじゃないですか」
「あなたは他人だから分からないんです」
 若い女性はその言葉に熱くなった。
「私は他人じゃありません! この人の妻です!」
 憎しみすら宿らせるような目で、義母を見る。
 対して年老いた女性は冷静、というよりも冷淡な目をして見返している。
「本当に、そう思っているのかしらね」
「本気です!」
「そうですか」患者の母やため息を吐いた。
「分かりました。それならいいんです」
 こうしたいさかいに慣れているのか、耳を閉ざしていた医師は、事態の収拾する気配を感じて、カルテから目を離した。
 何事もなかったかのように医師は言う。
「ティファイトの性質上、数度に渡っての手術はできません。さきほども言った通り、ティファイトは死ぬと毒素を分泌しますからね。一度の手術で摘出しなければならないのです。ですから二、三人の交替制で一日から二日、集中的に手術を行います。後は患者さんの体力次第なのですが、幸いにして年齢もお若いので大丈夫でしょう」
「そうですか」もの憂げに母親が尋ねる。「手術の日程は、いつ頃になるのでしょうか」
「ん、そうですね」医師はペン先でコメカミをいじった。「他の先生方のスケジュールもありますので、早くて一週間後になるでしょうか。でもご安心ください。皆ベテランの先生ばかりですよ」
「よろしくお願いいたします」
 二人の女性は頭を下げた。
 実際、手術は一週間後に行われることになり、二人の医師が交替で休憩に入りながらも、丸二日ぶっ通しでの摘出手術が施された。
 そして無事にティファイトは取り除かれ、患者は無菌室で数日間の投薬を受ける。
 技術が発達しているため、仰仰しい包帯を巻く必要もなく、額と側頭部に穴を開けただけであり、包帯もその部分だけだ。
 点滴からは抗生物質、ビタミンK、生理食塩水、各種ホルモン、抗うつ剤に精神安定剤が投与されている。それから、まだ自力での食事ができないので高カロリーの栄養剤も。
 日に日に患者の意識もはっきりしてくる。
 白衣を着ての面会も可能になるが、鏡の持込みは厳禁とされている。顔面の歪みが大きくなり、本人の精神的外傷を鑑みてのことである。
 事実、端正だった顔立ちは顎の歪みから始まって目蓋の引き攣り、肌ツヤは失われ筋肉の弛みといった相互作用によって崩されている。
 それは病にかかる前の彼を知る者にとっては破滅的とも言える変わり様であり、親しければ親しい存在であるほど、我慢ができなくなってしまう種類の変貌であった。
 しかし肉親であれば、愛ゆえにこそ乗り越えられる障害でもあるのだろう。
 彼の母親は毎日、見舞いに訪れる。
 対して妻は、次第に足が遠のいてしまう。
 そしてある日、嫁は義母に涙ながらに離婚を申し出る。
 義母は承諾し、嫁であった女性との関係は消失する。
 病院を出て行く一人の女性の背中を見ながら、患者の母親は思うのだ。
 だから私は外見を気にしていたのだと。きれいな顔のまま死なせた方が良かったのではないかと。
 しかし見捨てる罪悪感は残っただろう。
 対して、容貌の変化により見捨てるという罪悪感が、今のあの女性にはある。
 どちらの方が良い結果を生んだのだろう?
 それは息子――元彼女の夫である、あの子の生き方いかんに関わっているのだろう。
 ため息を吐き、病室へと戻って行く母親。
 さらにその母親を見て、医師は病に悩む人の姿を嘆くのだ。
「いつの世でも、病に関わる人は不幸だ」と。
  

 もう十二時か。
 ユウヤは少し困っている。
 友人のナガトミが、なかなか帰ってくれないのだ。買ってきたばかりのゲームを始めてから三時間。
 ユウヤは退屈し、ちょっと眠くなっている。いや、かなりの眠気を感じている。
 目をこすり、ぼんやりとゲーム画面を見つめる。
 平面なモニターは、懸命に三次元に似せようとしてポリゴンを複雑化させている。車は破壊的スピードで走り、背景は時のように流れて消える。
 変化する画像速度は、睡魔に襲われたユウヤの脳の限界を越えている。そのせいか、彼はますます眠くなる。
 手を伸ばし、背筋を反らせると、ユウヤは大きく口を開いた。
「ふあ~ぁ」
 あくび。
 閉じた目から涙が流れる。
 大きく息を吸い、そして吐く。
 一回では頭がクリアにならず、二回目のあくびをする。
 その時だった。
 彼の口の中に、何かが入ってきた。
 舌に張り付いたそれはどこか甘く、驚いたユウヤは口を閉じ、思わず飲み込んだ。
 あくびを止められた不快感よりもまず、彼は戸惑った。
 この味は何だ、何を飲みこんだ? 口の中に溜まった唾液は飲むべきか吐き出すべきか?
 不確定な想いの中で分かっていることは、ただひとつ。
「飲んじゃった」
 反射的に、思わず、何も考えず。
「え?」モニターに目を向けたまま、ナガトミは尋ねる。
「飲んじゃった」
「だから何をだよ」
「分かんない」
「はあ?」ナガトミは失笑し、ポーズボタンを押す。「何言ってんだよ」
 そこで初めて彼はユウヤの顔を見た。
「飲んじゃったんだよ」
 表情の欠落したユウヤを視て、ナガトミはやっと、何らかの異常が起きたことを知る。
「どうした」
 ナガトミの言葉に、ユウヤはたどたどしく答える。
「あくびしたらさ、何か良く分かんないけど、口に入ってきたんだ。それ、飲んじゃったんだよ。ヤバイかな」
「何を飲んだんだよ」
「だから分かんないって。目、閉じてたし。虫だったらどうしよう……あ、でも、なんか甘かった気もする」
「甘い? じゃあ虫じゃないんじゃね?」
「虫じゃないなら何を飲んだのかな――」
「つーか、なんで飲んだんだよ」
「分かんないって。あ、あれ?」
 ユウヤはげほごほと咳をする。
 喉が熱い。舌の根にある感覚は辛味のようだった。
「辛っ! かっれーっ!」ペットボトルを掴み、蓋を開ける。
 紅茶を飲むユウヤを、ナガトミは心配そうに見ている。
「ゲホッゲホゲホ。うわっまだ辛いよ。なんだこれ、さっきの飲んだせいかな」
「どうしたんだよ」
「なんか喉が熱くってさ、なんか口の奥が辛いんだよ、どうすりゃいいんかな」
「とりあえずあれだ、うがいでもしてきたら?」
「ああ、うん。そうだな、うがいしてくる」
 ユウヤはキッチンへ駆けると水をコップへ汲み、うがいを始める。
 ナガトミはゲーム機本体のボタンを押してディスクを取り出すと、パッケージへしまう。
 隣のキッチンから、ユウヤのうがいをする音が聞こえてきた。
 五分も経たずに、ユウヤはコップを手にして部屋へ戻ってきた。
「辛いのは消えたか」ナガトミはユウヤの顔を見てぎょっとする。
「消えたけど喉が渇――」友人の異変に気付く。「どうした?」
「赤くなってないか、首の辺り」
 言われてユウヤは姿見を覗く。
 首から顎にかけて赤くなり、ぽつぽつと湿疹のような膨らみができている。
 嫌な予感とともに服を捲り上げてみると、予感は的中。胸、腹部両方が首と同じような状態になっていた。
「俺、何を飲んだんだろう」ユウヤはつぶやく。
「うわっ、お前どうしたんだよ」ナガトミが声を上げる。「背中まで真っ赤だぞ」
「――湿疹みたいの、できてるか」
「できてる。大丈夫か?痒くはないのか」
 言われた途端、ユウヤはムズ痒さを感じ始めた。
 室内のわずかな空気の流れすらが刺激して痛痒感を増幅しているようにも感じる。
 しかし掻いたら虫さされのように痒みが広がりそうな気がして、ユウヤは我慢する。
 服を下ろしてコップの水を飲む。
 心を落ち着かせようとするが、湿疹を見たせいで動揺は大きくなるばかり。
「俺、何を飲んじゃったのかな。この湿疹も飲んじゃった奴のせいなのかな」
 救いを求めるような目で見られ、ナガトミは考える。
 しかし簡単に答えの出るわけもない。
「とりあえず明日――あ、もう今日か。今日さ、早めに病院行けよ。朝になったら消えてるかもしれないしさ、気にしない方が良いと思う」
 気安めの言葉であるのは分かっていたが、ユウヤは頷いた。
「病院、行ってみるわ」背中をくねらせ、彼は言った。
 その様子を見て、ナガトミは痒そうだなと思い、次に感染性について考えた。さらには何を飲んだのか分からないが、その何かがまだ室内にある可能性もある。
「今日は風呂に入んない方が良いぞ」ナガトミは荷物を手に取り、立ち上がる。「湿疹は血行が良くなると広がるらしいからな」
「帰るのか?」シャツが擦れるだけで全身が痒い。
「うん。お前もその方が良いだろう。今夜は早く寝とけ」
「ああ、分かった」痒みに意識を支配され、友人の薄情さに気付かない。
 ユウヤはナガトミを見送ると、玄関のドアにかぎとチェーンを掛けた。
 部屋の中を片付けていると、知らずうちに体を掻いている自分に気付かされる。
 痒い、痒い。
 どうしようもなく痒い。
 なんでこんなに痒く――ユウヤは考える――痒いってのはアレルギーからだろ。ってことは飲んだ奴が飲んだヤツがアレルギーの元なのか?アレルギーって、ひどいヤツになると死ぬ場合もあるんだろ。俺、大丈夫かな。なんなんだよ、あれ。
 うがいをした時に、実は一度、胃の中の物を吐いてみたのだが、それらしい物は見当たらなかった。
 なんだろう。
 なんなんだろう。
 布団に入っても、ユウヤは不安と恐怖と痒さのせいで眠れない。
 全身を掻く。
 腕や足まで痒くなってきた。
 掻く、叩く、撫でる、つねる、爪で十字に跡をつける。
 いろいろ試しても効果は刹那的なものだ。
 濁点を付けた『あ』とか『い』とかの語尾を伸ばして、ユウヤは呻いている。時々「痒い痒い痒い」と連呼し、ばりばりと皮膚を掻く。
 布団は乱れ、着ているスウェットも乱れている。
 とても他人に見せられたものではない。
 布団の上で転がり、跳ね、体を捻り、背を反らせ、丸くなる。
 しかし意識の底には、氷でできた針を背筋に刺されたような恐怖感が張り付いている。
 半端な痛みより辛い拷問。
 正体不明の恐怖感。
 実は何かを飲んだというのは気のせいだったりするのだ。本当はナガトミに早く帰って欲しいために起きた心理的なもの。病院に行って医者から問題無しと言われるまでユウヤの苦しみは続いたのであった。
  

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