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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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 アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群という病気が見つかって、四半世紀が過ぎた。
 この病はアンドロメダ星雲にある植民星、ナラウムが発症の地とされているからこの名前が付いた。
 ナラウムの原生虫、ティファイトが人間に寄生して起こる症候群である。
 原因がはっきりしているので、感染経路も分かりやすく、予防もしやすい。だが、この奇病には二つの厄介な問題点があった。
 一つは患部。
 ティファイトは目蓋の裏に棲むので、割りと判明しやすい病気である。まばたきに遅れてティファイトが姿を現すことがあるからだ。そしてその触手は視神経に沿って脳細胞へ届き、脳下垂体や視床下部、大脳辺縁系と複雑に絡み合っているため、手術によって取り除くことが難しい。
 その困難さたるや、例えてみれば大地を傷つけずに木の根を掘り出すのと同じくらいの難易度なのだ。
 手術が成功しても後遺症が残ることは必定であり、この問題点が第二の問題と深く関わっている。

「簡単に言ってしまえば、アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群はホルモンのバランスを調整し、脳内麻薬であるエンドルフィンやドーパミン等を糧としているのです」
 一人の男性と二人の女性を前にして、医師はそう説明した。
 男の目はどんよりと濁っていて無表情だ。時折まばたきをする目蓋に遅れて緑がかった透明な膜が窺える。
 この男性が寄生されているのは明らかだ。
 付き添いの女性は一人が若く、もう一人は年老いている。
 母親と、男性の妻。
「その」母親が口を開いた。「ホルモンバランスのせいで、寄生された人は同じような容姿になってしまうのですか」
「その通りです」医師は頷く。「皆一様にして、目を瞠るべき美男美女と言われる姿へ変わるのです」
「取り除くと、どうなるのですか」
 続く母親の質問に、医師は表情を曇らせる。
「上手く取り除けても、ダメージを負った脳細胞の回復とは別の話ですので……バランスを崩したホルモンのせいで、容姿に変化が現れるのは確実です。しかし脳内物質を搾取されることはなくなり、感情が甦るのですよ」
「しかしその感情も、普通とは違うと聞きましたけれど――」母親は浮かない顔をしている。
「感情の暴走、混乱といったものは一時的なものです。精神医療の分野は、この一世紀で飛躍的な進化を遂げました。この点は大丈夫です」
「ね、お母さん。ですから昔と違って、今ではなんの問題点はないんですよ」
 嫁が姑を説得する。
「でもねぇ」
 母親は二の足を踏んでいるようだ。
「このままでは虫が成長して、脳を押し潰してしまうかもしれないんですよ」妻は切迫感溢れる口調で言った。
「先生、半分だけ残して容姿はこのまま、なんていうことはできないんでしょうか」
「まだそんなことをおっしゃって」恨みがましい目をして義母を見る。
「今までにも、そのようなイイトコ取りを試した例はあるようですが」医師はあくまで落ち着いて言う。「その結果はいずれも惨憺たるものに終わっています。ティファイトは生命力が弱く、少しの傷でも死んでしまうのです。ですからデリケートな眼球付近に寄生するのでしょうけれども。死ぬとティファイトは壊死し、毒素を撒き散らします。そしていずれの患者さんも帰らぬ人に――おすすめはできません」
 自分の病気のことを言われているのに、男性は無反応だ。恒常的に脳内物質を吸い取られ、思考すらできない状態なのかもしれなかった。
「お義母様、何もそこまで外見を気にしなくてもいいんじゃないですか」
「あなたは他人だから分からないんです」
 若い女性はその言葉に熱くなった。
「私は他人じゃありません! この人の妻です!」
 憎しみすら宿らせるような目で、義母を見る。
 対して年老いた女性は冷静、というよりも冷淡な目をして見返している。
「本当に、そう思っているのかしらね」
「本気です!」
「そうですか」患者の母やため息を吐いた。
「分かりました。それならいいんです」
 こうしたいさかいに慣れているのか、耳を閉ざしていた医師は、事態の収拾する気配を感じて、カルテから目を離した。
 何事もなかったかのように医師は言う。
「ティファイトの性質上、数度に渡っての手術はできません。さきほども言った通り、ティファイトは死ぬと毒素を分泌しますからね。一度の手術で摘出しなければならないのです。ですから二、三人の交替制で一日から二日、集中的に手術を行います。後は患者さんの体力次第なのですが、幸いにして年齢もお若いので大丈夫でしょう」
「そうですか」もの憂げに母親が尋ねる。「手術の日程は、いつ頃になるのでしょうか」
「ん、そうですね」医師はペン先でコメカミをいじった。「他の先生方のスケジュールもありますので、早くて一週間後になるでしょうか。でもご安心ください。皆ベテランの先生ばかりですよ」
「よろしくお願いいたします」
 二人の女性は頭を下げた。
 実際、手術は一週間後に行われることになり、二人の医師が交替で休憩に入りながらも、丸二日ぶっ通しでの摘出手術が施された。
 そして無事にティファイトは取り除かれ、患者は無菌室で数日間の投薬を受ける。
 技術が発達しているため、仰仰しい包帯を巻く必要もなく、額と側頭部に穴を開けただけであり、包帯もその部分だけだ。
 点滴からは抗生物質、ビタミンK、生理食塩水、各種ホルモン、抗うつ剤に精神安定剤が投与されている。それから、まだ自力での食事ができないので高カロリーの栄養剤も。
 日に日に患者の意識もはっきりしてくる。
 白衣を着ての面会も可能になるが、鏡の持込みは厳禁とされている。顔面の歪みが大きくなり、本人の精神的外傷を鑑みてのことである。
 事実、端正だった顔立ちは顎の歪みから始まって目蓋の引き攣り、肌ツヤは失われ筋肉の弛みといった相互作用によって崩されている。
 それは病にかかる前の彼を知る者にとっては破滅的とも言える変わり様であり、親しければ親しい存在であるほど、我慢ができなくなってしまう種類の変貌であった。
 しかし肉親であれば、愛ゆえにこそ乗り越えられる障害でもあるのだろう。
 彼の母親は毎日、見舞いに訪れる。
 対して妻は、次第に足が遠のいてしまう。
 そしてある日、嫁は義母に涙ながらに離婚を申し出る。
 義母は承諾し、嫁であった女性との関係は消失する。
 病院を出て行く一人の女性の背中を見ながら、患者の母親は思うのだ。
 だから私は外見を気にしていたのだと。きれいな顔のまま死なせた方が良かったのではないかと。
 しかし見捨てる罪悪感は残っただろう。
 対して、容貌の変化により見捨てるという罪悪感が、今のあの女性にはある。
 どちらの方が良い結果を生んだのだろう?
 それは息子――元彼女の夫である、あの子の生き方いかんに関わっているのだろう。
 ため息を吐き、病室へと戻って行く母親。
 さらにその母親を見て、医師は病に悩む人の姿を嘆くのだ。
「いつの世でも、病に関わる人は不幸だ」と。
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クルルッタクリリッタ
母親の心境が痛いほどわかる…
『容姿は関係ない』って言って付き合ってる人は、最初からそういう人だから付き合ってられるけど、いきなり見るに耐えない姿に変貌してしまったら、気持ちが冷めてしまう妻に、怒りすら覚えてもいいはずなのに、
『罪悪感は自分より妻の方が感じる羽目になった事を冷静に判断できる母親』
が、ステキにしか見えない。

(~_~ )
774っていう。 2008 / 05 / 29 ( Thu ) 06 : 32 : 52 編集
Re:クルルッタクリリッタ
>『罪悪感は自分より妻の方が感じる羽目になった事を冷静に判断できる母親』>が、ステキにしか見えない

人生経験による、ある種の悟りかもしれませんね。
あるいは諦めとか(^_^;)
でも母親の残りの人生よりも、妻の残りの人生の方が長いでしょう。それを哀れむことができるのは、確かに強い人間ですよね。
【 2008 / 06 / 08 19 : 35 】
無題
いろいろ考えさせられて面白かったです。
自分は中身か、外見かどちらか一方でも残っていれば愛せるのかもしれません。
NONAME 2008 / 05 / 29 ( Thu ) 10 : 24 : 02 編集
Re:無題
これは難しい問題です。
しかし芯のしっかりとした方ですね。強い心と偏見のない視点を持っているように、お見受け致します。
ちなみに私には、愛せる自信がありません(^_^;)
【 2008 / 06 / 08 19 : 35 】
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