お母さん業を営むむつ子さんはこう語る。
――人生というものは、辛く険しく厳しいものです。特に混迷なる今の時代、このような職種も必要なのではないでしょうか。
ではお母さん業は時代が求めたものだと?
――ええ。生や死の問題が拡大解釈されるに従って、その神聖性は皮肉なことに失われてしまったのです。そのことに一番敏感な弱い人たちが気付き、自分を守るために牙を剥きました。その次に弱い人たちは仮想世界へと逃げ込み、殻を堅く閉ざしてしまいました。今、彼らに必要なものは包容力なのでしょう。
弱い人たちが牙を剥いたとは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?
――窮鼠が猫を咬むという喩えの通りですよ。神聖性を失った生や死に代わって彼らを襲うのは現実なのです。それも普通の人が感じるよりもリアルで生々しい現実感です。生臭い息を吹きかける魔獣の爪よりも鋭く、深く人の心を抉り取り、突き刺さります。どんな暴力よりも、見せかけの優しさの方が強く精神を揺さぶり傷付けるのです。その反発は殺人といった重大な犯罪から、登校拒否という自らを傷付ける行為、そして小さな嘘などと多岐に渡る反社会行動のすべてなのですよ。
小さな嘘ですか。そんな所にまで影響が出るのですか?
――出ますよ。それは確信的な嘘ではなく、保身的な怯えという感情から出る切羽詰った嘘として現れるものなのです。
保身的な嘘ですか。感覚的には理解できるのですが、その構造はちょっと理解しかねます。それはやはり、心理学の専門家であったむつ子さんならではの考えなのでしょうか。
――それは古い話です。けれども、そうですね。心理学的な見地も大きいですよ。母親が子供を心を真っ先に見通さずして、優しく包むことは無理なことですからね。
なるほど、やはりそうした下地があってこそのお母さん業であり、従業員の育成プログラムとして役に立っているのですね。
――そんな大それたことではないのですけれど(苦笑)
お母さん業を依頼しに来る人たちが、ある定型に分けられるとのことですが、どういった所で見分けられるのでしょうか。
――それは企業秘密に関わることですので多くは語ることができないのですが、一つ、大きな点を上げるとすれば洗濯物でしょうかね。
洗濯物ですか。これは意外なお言葉ですね。
――そうかもしれませんね。しかしこれは重要な点なのですよ。洗濯をする物の種類や状態で、大まかなことは分かります。例えばタオル地の多い場合はマザーコンプレックスの片鱗が窺えますし、脱ぎ散らかしたままの状態であれば、男性らしさを重視する人物というように捕らえることができるのです。
なるほど。そしてそのタイプに合わせて理想のお母さんを演じるというわけですか。
――演じると言うには語弊がありますけどね。
失礼しました。
――いいえ。まあ、世間の方から見ればそうなのかもしれませんね。
ところで、お母さん業を開設するにあたってのエピソードがあるそうですけれど、そのお話を聞かせて頂けませんでしょうか。
――そうですね。これは多くのお母様方に聞いて頂きたいと思ってもいる話なので、お話しましょう。それは心理学を教えていた大学時代にまでさかのぼる話なのですが、大学生のサークル勧誘の裏に、多くの宗教団体が関わっていることはよく聞かれる話です。大学生という、思春期を脱し切れていない精神状態の中で、母親の不在がいかに大きな問題となっているのかを理解していない方々のお子様ほど、その宗教の毒牙にかかってしまうという現実を見てきたからなのです。もちろんこの場合で言う母親の不在とは、実際に母親がいる、いないということではなくて、精神的な存在としてのことなのですけれどもね。
では、そういった学生を見るに見かねてといった所が出発点だったのですね?
――そうです。私はまず宗教とはどんなものなのかを基本的なことから学び、理解しようとしました。その中から得られた結論の一つに、どんな宗教の神でも人を愛すると同時に憎んでいるという二律背反に気が付いたのです。それはまさに父であり母であるのですが、それは誰もが持つ理想的な両親であり、実際の両親には投影できない種類のものなのです。そして今の時代は荘厳なる父性よりも慈愛たる母性が求められていると考えました。
神は憎しみを持っていますか。
――ええ。持っています。それは実際に神様がいたとしたならば、きっと噛み締めた歯がヒビ割れ歯茎から血を流すほどに人間というものを呪い、痛めつけようとしているのではないかと思えるくらいにです。
それはまた壮絶ですね。
――神がその対称となっている悪魔や悪鬼への情け容赦のない姿勢を見れば一目瞭然でしょう。人は心の内に悪を抱えていますからね、当然その資性は受け継がれてしかるべきと考える方が自然でしょう。
では悪に対する厳しさこそが父性であり、善に対するありったけの愛情が母性にあたると?
――その通りです。もちろんそれは簡単にした図式であって実際にはそう単純なことでもないのですけどね。
分かります。深いお考えがあってのことなのですね。
――そこまで言われると、ちょっとくすぐったい気持ちがしてしまいますが、その通りですね。
むつ子さんのおっしゃることこそがお母さん業の本質であり、バッシングに対するお答えでもあるのですね。
――そうです。男性による女装趣味の正当化などという言いがかりは単なる誹謗中傷であって、私が女装しお母さん業を営むことにはそれなりの覚悟と考えがあってのことなのです。
本日はご多忙の中、貴重なお時間を割いて下さってありがとうございました。
――いいえ、こちらこそ。
それでは最後に一言、お願いできますでしょうか。
――そうですね。では一つだけ。我が社はもちろん男性のお母さんだけではなく、女性のお母さんを募集しております。ですので女性の方も遠慮なさらずご連絡頂ければ幸いかと……。
――人生というものは、辛く険しく厳しいものです。特に混迷なる今の時代、このような職種も必要なのではないでしょうか。
ではお母さん業は時代が求めたものだと?
――ええ。生や死の問題が拡大解釈されるに従って、その神聖性は皮肉なことに失われてしまったのです。そのことに一番敏感な弱い人たちが気付き、自分を守るために牙を剥きました。その次に弱い人たちは仮想世界へと逃げ込み、殻を堅く閉ざしてしまいました。今、彼らに必要なものは包容力なのでしょう。
弱い人たちが牙を剥いたとは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?
――窮鼠が猫を咬むという喩えの通りですよ。神聖性を失った生や死に代わって彼らを襲うのは現実なのです。それも普通の人が感じるよりもリアルで生々しい現実感です。生臭い息を吹きかける魔獣の爪よりも鋭く、深く人の心を抉り取り、突き刺さります。どんな暴力よりも、見せかけの優しさの方が強く精神を揺さぶり傷付けるのです。その反発は殺人といった重大な犯罪から、登校拒否という自らを傷付ける行為、そして小さな嘘などと多岐に渡る反社会行動のすべてなのですよ。
小さな嘘ですか。そんな所にまで影響が出るのですか?
――出ますよ。それは確信的な嘘ではなく、保身的な怯えという感情から出る切羽詰った嘘として現れるものなのです。
保身的な嘘ですか。感覚的には理解できるのですが、その構造はちょっと理解しかねます。それはやはり、心理学の専門家であったむつ子さんならではの考えなのでしょうか。
――それは古い話です。けれども、そうですね。心理学的な見地も大きいですよ。母親が子供を心を真っ先に見通さずして、優しく包むことは無理なことですからね。
なるほど、やはりそうした下地があってこそのお母さん業であり、従業員の育成プログラムとして役に立っているのですね。
――そんな大それたことではないのですけれど(苦笑)
お母さん業を依頼しに来る人たちが、ある定型に分けられるとのことですが、どういった所で見分けられるのでしょうか。
――それは企業秘密に関わることですので多くは語ることができないのですが、一つ、大きな点を上げるとすれば洗濯物でしょうかね。
洗濯物ですか。これは意外なお言葉ですね。
――そうかもしれませんね。しかしこれは重要な点なのですよ。洗濯をする物の種類や状態で、大まかなことは分かります。例えばタオル地の多い場合はマザーコンプレックスの片鱗が窺えますし、脱ぎ散らかしたままの状態であれば、男性らしさを重視する人物というように捕らえることができるのです。
なるほど。そしてそのタイプに合わせて理想のお母さんを演じるというわけですか。
――演じると言うには語弊がありますけどね。
失礼しました。
――いいえ。まあ、世間の方から見ればそうなのかもしれませんね。
ところで、お母さん業を開設するにあたってのエピソードがあるそうですけれど、そのお話を聞かせて頂けませんでしょうか。
――そうですね。これは多くのお母様方に聞いて頂きたいと思ってもいる話なので、お話しましょう。それは心理学を教えていた大学時代にまでさかのぼる話なのですが、大学生のサークル勧誘の裏に、多くの宗教団体が関わっていることはよく聞かれる話です。大学生という、思春期を脱し切れていない精神状態の中で、母親の不在がいかに大きな問題となっているのかを理解していない方々のお子様ほど、その宗教の毒牙にかかってしまうという現実を見てきたからなのです。もちろんこの場合で言う母親の不在とは、実際に母親がいる、いないということではなくて、精神的な存在としてのことなのですけれどもね。
では、そういった学生を見るに見かねてといった所が出発点だったのですね?
――そうです。私はまず宗教とはどんなものなのかを基本的なことから学び、理解しようとしました。その中から得られた結論の一つに、どんな宗教の神でも人を愛すると同時に憎んでいるという二律背反に気が付いたのです。それはまさに父であり母であるのですが、それは誰もが持つ理想的な両親であり、実際の両親には投影できない種類のものなのです。そして今の時代は荘厳なる父性よりも慈愛たる母性が求められていると考えました。
神は憎しみを持っていますか。
――ええ。持っています。それは実際に神様がいたとしたならば、きっと噛み締めた歯がヒビ割れ歯茎から血を流すほどに人間というものを呪い、痛めつけようとしているのではないかと思えるくらいにです。
それはまた壮絶ですね。
――神がその対称となっている悪魔や悪鬼への情け容赦のない姿勢を見れば一目瞭然でしょう。人は心の内に悪を抱えていますからね、当然その資性は受け継がれてしかるべきと考える方が自然でしょう。
では悪に対する厳しさこそが父性であり、善に対するありったけの愛情が母性にあたると?
――その通りです。もちろんそれは簡単にした図式であって実際にはそう単純なことでもないのですけどね。
分かります。深いお考えがあってのことなのですね。
――そこまで言われると、ちょっとくすぐったい気持ちがしてしまいますが、その通りですね。
むつ子さんのおっしゃることこそがお母さん業の本質であり、バッシングに対するお答えでもあるのですね。
――そうです。男性による女装趣味の正当化などという言いがかりは単なる誹謗中傷であって、私が女装しお母さん業を営むことにはそれなりの覚悟と考えがあってのことなのです。
本日はご多忙の中、貴重なお時間を割いて下さってありがとうございました。
――いいえ、こちらこそ。
それでは最後に一言、お願いできますでしょうか。
――そうですね。では一つだけ。我が社はもちろん男性のお母さんだけではなく、女性のお母さんを募集しております。ですので女性の方も遠慮なさらずご連絡頂ければ幸いかと……。
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