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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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 医者から禁煙を指示された男は、仕方なしにタバコをやめることにした。
 日頃から「タバコなんて、いつでもやめられるよ」と口にしていた彼は、禁煙グッズに頼ることもなく、自分の意思の力のみで禁煙に挑むことにした。
 元から、あまり吸う方ではなかったのだ。
 三日に一箱くらいのペース。二日続けて吸わなくても全然平気だったこともある。
 しかし体質なのか先天的なものなのか、男は呼吸器系統の病にかかった。
 ぜんそくである。
 始めはむせただけだと思って放っておいたせいか、かなり厄介な状態になっていたらしい。
 大人でもぜんそくになるなんてと半信半疑ではあったが、医者によると、最近は大人になってから患う人も珍しくないと言う。
 そんなものなのかなと思いながらも、男はタバコをやめることにしたのだった。
 禁煙は順調に進み、問題なく一週間が過ぎた。
「禁煙なんて簡単なものだよ」男は笑いながら、妻にそう豪語していた。
 だが、それから程なくして、男は自分がタバコを吸っている人に目が行くことに気付いた。
 ちょっと前ならば「禁煙できない奴だな」などと見下した考え方をしていたかもしれない。が、今は違う。彼は自らの意識の変化に気付いていた。
「吸いたい……」男は半ば羨望の目付きで喫煙者を見つめている。
 タバコを扱っているコンビニのレジでも、自然と手が伸びそうになり、ハッとする。それから店員の後ろに並んでいるパッケージを恨めしそうに眺めるのだ。
 そして二週間が過ぎようとしたその日に、彼はタバコの誘惑に負けてしまった。
 包装を破り、取り出した一本のタバコ。
 思わずコンビニで買ってしまった物だ。
 しばらく吸っていなかったので、百円ライターもついでに購入した。
 口にくわえ、火を点ける。
 深く吸い込み、肺を煙で満たし、満足そうに吐き出した。
 途端、彼はぜんそくに襲われ、苦しんだ。
 目に涙が浮かぶ。
 男は灰皿にタバコを投げ捨てると、まだ十九本残っているタバコの箱をゴミ箱に捨てる。
「二度と吸うもんか」ぜんそくが治まると、男はそう吐き捨てた。
 けれども。
 また一週間が過ぎようとしている頃には、タバコが吸いたくなってくる。
 己の意思はここまで弱かったのかと凹んだが、そのうちに「そうではない、ニコチンこそが悪なのだ」と考えるようになり、次第にイライラしてきはじめた。
 仕事の能率も下がり、家では怒りやすくなる。
 子供がいたら、もっと面倒になっていただろう。だが彼ら夫婦は結婚して三年目。まだ子供はいないし、新婚と言える範囲にもあるので、妻は夫に逆らうよりも不憫に思う方が強かった。
「ねえ、あなた」妻は言う。「気分転換にでも、二人で旅行に行きましょうか」
 男は少し考え、その提案に賛同することにした。
 突然なことなので旅費も安い所にしようと話し合い、カタログを二人で見る。
 そんな時は男もリラックスでき、次の休日を楽しみに選びながら、日々を過すことができた。
 二人で話し合った結果、旅先は栃木県の日光に行こうということになった。都内から近い世界遺産でもあるし、鬼怒川や川治温泉などで一泊して帰ることに決めたのだ。
 当日、二人は電車で日光に入り、車をレンタルする。
 まずは東照宮へ行き、三猿を見付けようとしたり、眠り猫の小ささに少しがっかりしたり、鳴竜の間で音の響き具合を楽しんだりする。次に竜頭の滝を見て、どこが竜頭なのか分からなかったりもしたが、中禅寺湖を一周して、お土産売り場に立ち寄り、ショッピングを楽しんだ。
 そして名所中の名所、華厳の滝に辿り着く。
 一番勢いの激しく見える場所を案内係に教えてもらい、入場料を払って施設に入る。
 建物の中を歩いていると、次第にドドドドドと音が聞こえ出す。
 見学所は高みになっていて、病院か何かの屋上の様な雰囲気だ。
 一本の筋となって流れ落ちる莫大な水の質量。
 晴れているせいか虹が架かり、見ている方を呑み尽くさん勢いで迸る。
 飛沫がこちらまで飛んできているように湿度が高い。実際、辺りには靄がかかり、服が水分を含んでいくのが分かる。
 二人はしばらく見入った後、車に戻って予約していたホテルに着いた。
 川魚や山菜をメインにした料理を食べた後、温泉に浸かる。
 風呂を出た二人は、部屋でくつろぎつつ、デジカメで撮影した画像を見る。互いに印象や感想を口にし、酒を飲んでいるうちに夜となる。
 男は妻に感謝した。こんな気分になれたのは久々のことだったと。
 妻は喜んだ。そして余計な一言「禁煙がんばってね」などという言葉は口にしなかった。彼女は夫の久し振りの笑顔が見られただけで嬉しかったのだ。彼の気持ちを台無しにしたくはない。
 酒のせいか、二人はいつしかまどろみ始める。
 まどろみとは言え、この場合は少しウトウトしてきて、本格的に眠るために布団へ横になろうかな。くらいの程度のものであった。
 しかし、ふと気付くと辺りは明るい。
 電気の明るさではない。これは太陽の光だ。
 男は布団の上に立っていた。浴衣姿で。
 隣を見る。
 妻も浴衣を着たまま、眠そうな目をし、不思議そうに口を歪めて布団の上に立っている。
「お前、なんでぼんやり立ってんだ?」男は聞いた。
「あなたこそ」間伸びした声で妻が言う。
「分からない」男はぼんやりとした頭を働かせるべく努力する。「ちゃんと眠れたのか?」
 妻は無言で首を振る。
「と、言うことはつまり、お前は俺と同じ状況にいるわけだな?」
「どんな状況よ」妻は返す。「わけが分からないわ」
「まず整理するとだな、二人でデジカメの画像を見ながら酒を飲んでたわけだ」
「ええ。覚えてるわ」
「うん。そこまでは良い。そして、俺は眠くなって、そろそろ布団に入るかと言おうと思ってたんだよ」
「あたしもそんな感じだったわ」
「そうか。まあいろいろ回って疲れてたしな」
「そうね、それもあったでしょうね」
「ああ。で、寝るかと言おうとした所で、気付いたら、ここに立ってる」
「あたしも大体そんな感じね」
「で、朝になってるってわけだ」男は窓を指差す。
「朝になってるわね」妻は窓外を見てから夫に視線を戻す。「まさしく同じ状況だわ」
「やはり同じ状況なわけだな」男は考えようとするが眠気が邪魔をする。
「そう言うことになるわけよね」
「ああ」
「でも、どうして――」
「おっと、もうこんな時間なのか」妻への言葉を制して夫が言う。「チェックアウトしなきゃ」
 二人はホテルを出、慎重に車を運転する。
 帰りの電車の中で、二人はやっと眠ることができた。
 家に着いてからも、不思議な思いは消えるわけもない。
 男はあくびを噛み締めながら、デジカメの画像を見続けている。そこに、時間断絶のヒントがあるような気がしてならなかったからだ。
 注意深く観察しながら、ボタンを操作しデータを送っていく。
 すると、妙な画像が最後に現れた。
 夜中の華厳の滝。そこに浴衣姿の二人が写っている。
 しかも夫婦の間には半透明な人影の輪郭。
「おい!おいおい!」男は眠っている妻を起こした。「何だこれは!何だこの写真は!?」
 夫に起こされ、不機嫌そうにしていた妻も、その画像を見て凍り付いた。
「何……これ……」彼女は口に手を当てる。
「なんで夜中に滝の前で。俺たちは眠りながら写真を撮ったって言うのか?」夫は取り乱している。「いや、正確には眠ってもいないわけだが――じゃあ、どう言ったらいいんだろう、ますます頭が混乱する」
「でも、私たち二人とも写ってるわよね」
「他になんだか分からないものもな」
「ちょっと落ち着いて。私たち二人が写ってるなら、この写真、誰が撮ったの?」
 夫は恐怖の叫びを上げた。何かに取り憑かれたのかもしれない。
 以来、彼はタバコを吸うどころではなく、怯えに怯えながら毎日を暮らしている。

 華厳の滝は名所中の名所。
 自然美あふれる名所であり、自殺の名所でもある。心癒される名所であり、心霊写真の名所でもある。皆さん、是非来て下さい。
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「夏祭りといったら、やっぱり粉物だろう」
「粉物?」少年に手を引かれた少女は問う。
「たこ焼きとかお好み焼きとかだよ」露店の明かりに照らされた中で、少年は笑顔を作った。
 少年少女といえども今の中学生は大人びている。二人の顔には幼さが残っているが、Tシャツ姿の少年と浴衣姿の少女の体格は、ほとんど大人と変わらない。
「ああ、そういうことね」髪をアップにした少女はいつもと雰囲気が違って見える。
 履き慣れていない草履に足元の覚束ない彼女の手を握りながら、少年はその温度を感じ取っている。
 薄暮の人の群れ。その中で離れ離れにならないように。
「どっちが好き? たこ焼きとお好み焼き」
「どっちも」少女は答える。
 二人は安くて大きそうな店を選んで、それぞれを一つずつ買った。
 ついでに少女は綿あめを買う。
 少年は空いていた手に二つのビニール袋を提げ、少女は綿あめを手にしている。時々二人で、白い産毛のようなあめを口にしながら。
 どこか落ち着ける場所を探しているうちに、綿あめは食べ終えてしまった。
 人ゴミを離れた公園にベンチを見つけ、二人は座り、たこ焼きとお好み焼きを半分ずつ食べた。
 たこ焼きは大きいけれど、中まで火は通っておらずにベシャベシャしていた。たこは、はみ出すくらいにあったのだけれど、まともなのは見た目だけで店選びは失敗だった。
 対して、お好み焼きの方は広島風でボリュームがあり、潰した卵の黄身と麺、キャベツに生地の味がソースと良く合い、こちらは店選びに成功したようだ。
 二人はお好み焼きに満足した一方で、たこ焼きのまずさについて語り合う。
 しかし周囲は祭り特有の覇気を放っており、自然と彼らの心も高揚している。その空気こそが楽しいのであり、たこ焼きのまずさに対しても本気で怒っているわけではないのだ。
 生焼けの球体すら祭りの一部であり、彼女たちは充分にその気分を味わっていた。
 少し離れた場所からの人声。 
 露天の明り。
 薄暗い景色。
 やがて会話は途切れ、二人は語り合う話題を探そうと頭を働かせる。
 本当は黙って見つめ合うだけでも良いのに。幼さゆえか、囃子太鼓のせいだろうか、思いついた話もすぐに終わり、次の話題も短く終わる。
 互いに戸惑い、しかし膨らむ期待感。
 気もそぞろになる。
 彼は思う。彼女はどう思っているのだろう?
 彼女は思う。彼は何を考えているのだろう?
 彼と彼女の想いは行動に移されるのだろうか?
 二人は目を合わせ、逸らせる。
 何かを言おうとして、口を閉ざす。
 ゴミもないのに膝の上を払い、髪に手を当てる。
 気まずいような、幸せなような。
 少年と少女は手をつないでいても、まだキスをする仲になってはいない。
 キス、口付け、接吻。
 二人の頭によぎっているのはそのことだけれど、相手がどう思っているかは分からない不透明な不安感。
 タイミング、それとも勇気?
 少女と少年の間に必要なのは何だろう?
 何かのきっかけ、二人はそれを欲している。
 夏の夕べ。
 狂おしいほどに鳴く、セミの羽音。
 二人は付かず離れず……いや。少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど近付いているようだ。
 乾いたベンチ。
 風に揺れるブランコ。
 山や穴の影のできた砂場。
 カラフルなすべり台。
 把手とバネの付いた、動物型のバランス椅子。
 優しい色をした街灯の明り。
 水飲み場から伸びる、細長い影。
 溶け合うかのような瞬間。
 やがて少女は目を瞑る。
 顔を少年に向けたまま。
 彼のバイタルは急激に跳ね上がり、手に汗をかいて生唾を呑みこむ。
 少年は首をわずかに傾げ、視線は彼女のピンク色をした唇に固定されたまま――
 近付く轟音。
 強風に煽られた幟旗がはためくような音。
「うわあ!」少年は悲鳴を上げた。
 セミが彼の頬に突進してきたのだった。
「虫! 虫だ! 虫!」少年は取り乱す。「虫嫌い! あっち行け! ヒィッ!」
 セミは少年に二、三度ぶつかってから、どこかへ飛び去った。
「ああ嫌だ、顔洗わなきゃ」
 少年は水道の水を流して必死に洗顔する。
 必要以上に、潔癖に。
 少女の想いは、水に溶ける石鹸の泡のように弾けて流れた。
 少年が我に帰って振り向いた時、彼女の姿はすでに消えていた。
 彼の想いは、南極に浮かび、なかなか溶けることもない氷山のように深く沈んでいった。そのわだかまりが溶けるまで、少年はどれくらいの苦労を味わうのだろう。
  

 登場人物は西洋風の王冠と服を纏った王、そして滑稽な程きらびやかに装った道化のみ。

 王、羽根ペンを放り投げて。
「ああ、なんという仕事の煩わしさよ」
 道化、羽根ペンを拾い、懐にしまいながら。
「おお、それが数多くの民草を総べる者の口にすべき言葉ですかい?次のあなたの地位を巡って、すでに数々の有象無象が跋扈しているというのに」
 王、鼻息を荒くして。
「ふん。この泥棒めが。ペン一本をそれほどまでに恭しそうにしまいこみながら、宰相のような口振りで、よう言うわい。お前はあの芝居を知らんのか。ほら、一人の市民が王と身分を一日だけ取り替えてみたならば、天井から己目掛けて一本の剣が垂れ下がっていたという話を」
「ええ、ええ。そのお話は存じてございますとも」
「毎日をその責務の下に行っているのだ。何者かが朕の命を狙っていようが同じことよ。朕は今、失望の中に居るのだからな」
「失望ですと?絶望の間違いではないのですかい?」
「ふん。朕の揚げ足を取ったようにニヤつきおって。失望と絶望との違いすらお前には分からんと見えるな」
道化、あたふたと周りを見て何かを探しながら。
「ちょいと待ってくださいよ旦那様。私めには学が無いものでございまして――ええと……あったあった。この辞書にて調べさせて頂きますよ」道化、辞書を捲りながら。「学は無くとも字は読める。これも旦那様のおかげというものでございまして――」
「おべっかは、もう良い」
「そうですか? 私なんぞは一日中おべっかを言われて暮らしてみたい質なんだが、どうしてかおべっかを一日中使う身の上におりまして――こんなお話なぞ退屈でしょうな。さっさと調べてみましょうか――おっと、これだぁ『失望 一、望みを失うこと。二、あてが外れてガッカリすること』『絶望 望みがまったく絶えること』」道化、顔を上げて。「何ですかい、こりゃあ。私には違いがまったく分かりませんがね」
 王、馬鹿にしたような笑みを浮かべつつ。
「ふん。辞書なんかですべてが分かってたまるものか」
 道化、まさしくお道化て。
「旦那様もお人が悪い。それならそうと初めっから教えてくれりゃあ、こんな手間なぞ必要なかったでしょうに」
 王、道化を無視して一転、暗い表情。
「朕の言う失望とは諦めのことよ。もはやすべてがどうでも良い。絶望というものは一種の自己憐憫でな、自らを憐れと思い、おお可哀想にと甘えの殻に閉じ籠もっているにすぎんのだ。失望となれば、そのような甘えなどで自己を包むことなど、どうでも良いのさ。否、むしろすべてがどうでも良い。もうどうにでもなれという心境なのだ」
 道化、狐につままれたような顔で。
「はてさて、違いが一行に分かりませんが」
「そうでもあろうさ。これは実際に味わった者でしか分からぬ種類のものであるからな。あえて分かりやすく説明するならば、もう駄目だと思っているのが絶望さ。どうにもできない、どうにかしたい、その狭間で苦しんでいる哀れさ、物悲しさを思い嘆いているということだ。対して失望とはそれを越え、どうにもならずにすべてを受け入れるしかない状態。己の身の破滅も抵抗なく受け入れよう」
「つまり絶望には希望もあるわけで、失望にはそれがないと?」
 王、意外そうに。
「その通りだ」
 道化、辞書を捲り。
「『希望 一、願い望むこと。二、よい見通し、期待』とありますな」
 王、手を振り払い。
「辞書の言葉などどうでも良い」
「どうでも良くはありますまい」道化、辞書をしまう。「学者のお歴歴が編まれたものですからね。しかし希望という奴は不思議でなりませんな。希望とは良き物でございましょう? それなのにパンドラの箱に様様な厄災と共に入っていた。その理由がまるきり分かりません」
「それは朕が昔、お前に聞かせた話であったな。だが箱というのはどうやら間違い、すなわち誤訳であった可能性もあるとのこと。正しくは箱ではなく坩堝であったらしい」
「してみると希望というのも誤訳なわけで?」
「いやいや、それはさすがになかろうよ。希望には災厄と共にあるべき理由があるのだ」
 道化、興味深そうに。
「ご存知なんですね? 一体、それはなんですか? もったいぶらないで教えて下さいまし、旦那様」
 王、冷たい目をして頷く。
「うむ。希望とはな、甘い誘惑、惑乱するもの、淡い期待、夢。つまりは目くらましということよ。甘言に乗りて人は大地から離れ、己の身の丈に合った所から出ようとする。中には新しき居場所を見つける者もいるだろう。しかしその足下には夢破れ、悲嘆に呻き、今日のパンを買う金も無く路上に死を曝す者。成功者への呪詛を吐き、言葉を弄して奪う者。天に唾して自らの顔にその唾が降りかかる。そんな者のどれほど居ることか。人は大地に足を付けねばならん。それができぬ者のみが駆けるべき茨の道を、さも金のなる木に見立てるのが希望という奴の正体なのだ」
 道化、笑いつつ。
「なるほど、なるほど」
 王、奇妙なものを見る目つきで。
「その納得は、何か別のものを得心したようであるな」
「ひっひっひ。さすがは旦那様。誰よりも私めのことをご存知で」
「世辞は良い。何を考えておるのだ」
「いえね、今の旦那様のお言葉ですと、どうやら私も旦那様も地に足の付かない人間。つまりは同じ側に立つ者同士なのではないかなどと思いまして」
 王、苦笑して。
「知れたことよ。だから王は例外なく道化を傍らへ置き、己の陰を見失うまいとするのさ」
「私めが陰ですかい、こんなに陽気なのに?失礼ながら旦那様の方がお暗いご様子にお見えなさるが?」
 王、独白。
「ふん。所詮道化は道化か。同じ地に足が付かぬ同士でも、別の場所を走っていることに気付かず思い上がっている。そろそろこいつにも飽きてきた。首を刎ね、次の道化を雇うとするか。王も道化も取り替えがきく。なんとも不様で愚かなことよ」

参考・角川国語辞典
  

 飢えた一族の数は三十。
 ネズミたちの瞳は黒く、爛爛と光っている。
 血にしたたる生肉を目にした猛獣、湯気を上げて食べ残された臓物を見る猛禽、大金に目がくらんだ人間のように、たぎる情熱を抑えきれず、今にも飛びかからんばかりの勢いで、カゴの中のチーズを見つめている。
 だが、一匹も動かない。
 熱を帯びた異様な静謐の中には張りつめた空気独特の緊張感が溢れている。
 彼らは知っているのだ。それが罠であることに。
 格別に大きなチーズはカゴの中に、針金によってぶら下がっている。チーズに喰らい付いたが最後、その者は仕掛けられたバネによって扉が閉められ、外に出ることは叶わない。
 そうして人間の手によって、どこかへと運ばれていくのだ。
 彼らは、幾匹もの同胞の、罠にかかった姿を見てきている。
 捕らえられた者がどんな末路にあうかは分からない。しかし、彼らは一匹たりとも戻ってはこないのだ。
 いくら愚鈍な者でも長い経験から、それがネズミ駆除の罠であることに気付いている。
 昔は、もっとシンプルな罠だった。
 バネ仕掛けなのは同じだが、コの字型の鉄の棒が、チーズを口にした者を挟み、死の苦痛を味わわせていたのだ。 彼らネズミは板と鉄のついたチーズを警戒し、どうにか逃れる術を身につける者もいた。が、大抵の者は寄りつかず、罠としての機能性は格段に劣化した。
 罠を仕掛ける側、つまり人間もネズミの学習能力に感心しつつ、以前の欠点を埋める罠を次々と開発しているのだ。
 餌に似せた毒薬、簡単な仕組みから複雑なものへ。
 巧妙な仕掛けは罠から逃れ、チーズだけを取る方法を難しくし、今では確実に捕らえられてしまうまでに進歩している。
 仕掛けが複雑化したおかげで、チーズを取っても罠が作動しない時もあったが、今ではこのタイプも精度が上がり、数々の仲間が連れ去られている。
 そして今、彼らの目の前にあるのはカゴ型の罠。
 さらには厳寒の冬。
 口にできるものの極端に少ない季節な上に、今年の冬は異常な寒さであった。
 体を押し付け、群れて夜を過していても、凍死する者が出る始末。
 これには体力の低下が伴っていることは確実だろう。
 そこで、このネズミグループの長は禁じ手ともいえる、最後の手段に打って出た。
 これから、その作業が始まる。
 周囲に漂う異様な雰囲気は、この作戦による期待と猟奇性による高揚性も手伝っていたといえるだろう。
 リーダーの鼻がヒクヒクと動き、同時にヒゲが上下すると、年老いた一匹のメスネズミが隣に立った。
「本当に良いんだな」リーダーが尋ねる。
「ええ、ええ。構いはしないんですよ」老ネズミは言う。「私はちょっと生き過ぎたくらいなんですからね。こんな私でも皆の役に立てるなら、それで本望なんですよ」
「分かった」リーダーは言い放つと、そっぽを向いた。
「ただ、残念なのはね」老ネズミが再び口を開く。「私は痩せすぎているということ。もっと太っていたら――」
「やめろ」リーダーが口を挟む。「それは他の皆も同じことだ。今は食い物が無い。ここに居る全員、お前と同じくガリガリに痩せているんだ。それを言い訳に辞退することはできん」
「分かっていますよ。もう覚悟はできているんです。ただ、それだけが残念でねぇ」
「気持ちは分かった」リーダーは冷たく言った。「他に言うことはないか」
「ただ、痩せていることが残念でねぇ。それだけが残念なだけですよ」
 リーダーは頷く。そして言った。
「始めよう」
 号令には一切の感情も無かった。
 熱気に包まれ浮き足立ったグループ全員にその声は届き、場は一瞬にして厳粛なものへと変わった。
 のろのろと、重たい足取りで老ネズミはカゴの中へ入って行く。
 全員が、彼女の一挙手一投足に注視している。
 しかし老ネズミの速度は変わらない。あくまで落ち着き、その丸い背中には悲壮感もない。
「ちょっとお隣の老ネズミとお話しでもしようかしら」そんな具合に自然で、あまりにも平凡にすぎた。
 けれど、それこそがグループ内の数匹に感動の涙を齎した。
 老ネズミはすすり泣く声など聞こえないように振り返らず、のそのそとマイペースでチーズに近付いていった。
 そしてチーズに手を掛け、針金から外す。
 その瞬間、轟音と同時に扉が閉まり、老ネズミはカゴに囚われた。
 しかし彼女は平然としてチーズを手にカゴの中を歩く。
 チーズをカゴの側面の網目に力一杯押しつけた。
 だが、夏場ならいざ知らず、この寒さではチーズは凍り、裂けて外へ出すのは難しい。
 リーダーの支持の下、グループは一斉に動き、老ネズミを手伝って、細かく千切りながらあるいは食べ、あるいは他の者へと手渡した。
 チーズはあっという間に平らげられ、ネズミのグループは久々の満腹感を味わった。
 もちろん老ネズミは一片のチーズも口にはしていない。
 優しそうな目をして、消えて行くチーズを見ていただけだ。
 そして責任あるリーダーは、全員に満遍なくチーズが渡ったか、不正はなかったかと監視していたために、最小限の食事しかしなかった。
 グループが引き上げる中、リーダーはカゴの中の老ネズミに声を掛けた。
「できるだけ、網目の近くで死んでくれよ」
 この寒さだ、飢えたネズミが一匹だけで夜を過せば確実に死ぬ。ましてやこのグループの一番の年寄り。
 今は満腹でも、明日にはまた腹が減る。
 そう。この計画は二重作戦だったのだ。
 老ネズミがチーズを仲間に配り、そして凍死する。凍死した老ネズミの体を今度は食べる。そのような手筈になっていたのだ。
「ええ、ええ。分かっていますよ」老ネズミは優しく言う。「全てはお前のため、仲間のため、なんですからね」
「すまない」リーダーは涙を零した。「すみません、お母様」
「良いんだよ。さあ涙を拭いて。あらまあ、これじゃ子供みたいじゃないか。ほらほら、泣き止んだら仲間のところへ戻って命令しなくちゃいけないんだよ。そうそう。ちゃんとして。ほら、向こうで皆が待ってるよ」
 リーダーは威厳を取り戻して、グループの待つ巣へと帰っていった。
 息子の後姿を網目越しに見て、老ネズミは満足そうに鼻をヒクヒクさせる。同時にヒゲが上下する。
 そして老ネズミは、夜になるのを待った。金網に細い腕とピンク色の尻尾を絡ませて。
 徐々に日は沈み、青白い冷気が強さを増す。
 老ネズミは小刻みに体を震わせていたが、次第に眠気に包まれ始める。
 彼女は夢を見た。
 幼い子ネズミたちが目を輝かせて彼女の肉を喰らう様を。しかしその幼子は息子であるあのリーダーの顔。
「寒いよ、寒い。でも泣いちゃだめだよ。あんたは立派な大人になるんだから」老ネズミはつぶやく。「それにしても残念だねぇ。本当に残念だよ。私がもっと太っていたら、お前のお腹も膨れるだろうに」彼女はあまりの寒さで幻を見、息子に食われ、痛み無く彼の一部になれるという幸せな幻覚の中に居た。「しかしこの寒さは、いつまで続くんだろう。おう、よしよし。寒いねぇ。本当に寒い――」

  

 トミーとリーとジョーンズの三人は、孤児院の中でも指折りの暴れん坊三人組だ。
 彼らの行く先では常にトラブルが巻き起こる。
 三人のリーダーは、リー。状況判断に優れ、持ち前のすばやさと機転は残りの二人を牽引する。
 ジョーンズは一見すると優等生のようで、悪さなどとは無関係に見えるが、それこそが彼のカムフラージュなのだ。彼の頭脳はイタズラを考えるために神様が与えたとしか思えないほど刺激的で、型破りだ。
 そしてトミー。彼は食いしん坊の太っちょで、いつもお菓子を手にしている。チョコレートバーが大好きで、お尻のポケットには、いつでも溶けかけたチョコバーが入っていると噂されている。他の二人の足を引っぱるのが彼の役目といえるかもしれない。ジョーンズの言った手順を間違え、リーの判断と別な行動をし、あげくに大人に捕まると二人の名を白状してしまう。
 三人が並んで怒られるのも、一種、見慣れた光景だ。
 だからといって、二人がトミーを避けることも無い。
 少年時代の友情とは利害関係を無視して形造られることがある。意外と複雑な関係性といえるかもしれない。
 所で、三人が名前を呼ばれるのは冒頭の順番。つまりはトミー、リー、ジョーンズの順に呼ばれることがほとんどだ。
 リーダーであるリーが最初に呼ばれないのは、いつも決まってトミーの後ろ姿が見つかる率が高いせい。捕まるのはいつもトミーが一番初めだから――というのは表向きで、本当はハリウッドスターにちなんだものと言った方が正確だろう。
 もちろん、彼らもその呼ばれ方を気に入っているし、三人の好きな映画はメン・イン・ブラックだ。
 そんな三人が秘密基地で会議をしていると、黒いスーツを着た一人の紳士が現れた。
「M・I・Bだ!」三人は一斉に声をあげた。
「HAHAHA」紳士は白い歯を見せて笑った。「おじさんはそんなに格好いい者じゃないよ」
「どこから入ってきたの」リーが尋ねる。
「そんなことはどうでもいいじゃないか」まるでワイリーコヨーテのように日焼けをした褐色の肌。「君たちをパーティーに招待しようと思ってね」
「パーティーってなんの?」食いついたのはトミーだ。「食べ物は出るの?」
「ちょっと変わったパーティーでね。ハンバーガーの試食会も兼ねてるんだ」
「なんでぼくたちに――」
「ハンバーガー!」ジョーンズの疑問の言葉を、トミーの絶叫がかき消した。「ぼくハンバーガー大好きだよ!チョコレートバーの次くらいに」
「それは良かった!」紳士は両腕を広げる。
「ハンバーガーを大好きな少年たちに会えて、私はとても幸運だよ。いろんな意見が聞きたいな」
「行こう!リー」トミーが呼び掛ける。
「オレはピクルスが苦手なもんでね」リーは紳士を胡散臭そうな目で見ている。
「オールオーケーさ」紳士は親指を立て、キラリと白い歯を見せた。「もちろんピクルス抜きだってあるからね」
「リー」ジョーンズはリーの服を引っぱる。「どう考えてもおかしいよ」
「分かってる。だけどアイツを見ろよ」リーはトミーを指差した。「完全に舞上がっちまってる。トミーは肉汁溢れるパテを想像しただけであの始末だ。どうにか止めないと」
「そうだね」
ジョーンズが頷くと紳士は言った。
「少年達、相談はまとまったかい?こっちの君は行く気満々だね!君たちはどうだい?」
「基地の場所までバレちまってる。話を合わせて、後で逃げるぞ」リーはジョーンズに囁き、次に男に向かって返事をする。「オーケー、分かったよ。とりあえずどこへ行けばいいんだ?」
「そうかい!良かったよ! ベリーラッキーハッピーデイだね! すぐそこに車を待たせてあるんだ、さあ行こう、すぐ行こう。レッツゴーだよ、ゴーゴーゴー」
 用意の周到さに緊張する二人を知ってか知らずか、トミーは「ヒァウィゴー」などと叫んで外へ出た。
 車には運転手がエンジンを吹かして待っていた。
 紳士は三人の少年を後部座席へ座らせると、自らは助手席に座る。
 運転手がなにやら操作をすると、前席と後部席の間にガラスの仕切りが現れた。
 リーは即座にドアを開けようとするが、ドアはロックされている。
 続いてガスの噴出音がしたのと同時に、三人は気を失った。

 気が付くと、トミーはベルトで椅子に固定されていた。
 リーとジョーンズの姿は見えない。
 両手は自由なのだが、ベルトの継ぎ目が見当たらない。どんな構造をしているのだろう。
 手の届く範囲にはハンバーガーが山盛りになっていて、正面にはテレビモニターが一台あった。画面は四分割されていて、そのうちの三つにトミーとリーとジョーンズの当惑した顔が映されている。
 残りの一つには、あの紳士。
「何だこれは!」
 リーの怒鳴り声が聞こえてきた。
 どうやら音声はつながっているようだ。
「リー、ジョーンズ」トミーは泣いた。「ごめんよう、ぼくのせいでこんなになって」
「トミーのせいじゃないよ」冷静さを失うまいとしながらも、ジョーンズの顔は引きつっている。「初めから勝負は着いていたんだ。多分、アイツが基地に来るずっと前からね」
「クールだねえ、ジョーンズ君。その通りさ」紳士は変わらぬ笑顔を顔に張り付かせている。
「君達が孤児院に来たときから運命は決まってたのさ」
「どういうことだ!」リーが喚く。
「いいだろう。答えてあげるよ。君達の居た孤児院は、我々組織の出先機関でね。君たちの様などうしようもない子供をモルモットに、優秀な子供を組織の一員にしているのさ。もちろん私もあの孤児院の出身者だ」
「モルモット……」ジョーンズが蒼褪める。
「それで、何が起きるの?」トミーが言った。「ぼくたちをどうするつもり?」
「知ってるかい?」紳士はもったいぶる。「毒性の弱い細菌でも、宇宙、つまり無重力下によって毒性が強まるという事実がNASAによって公表されている。我々組織はそこに注目した。地上では無害な細菌を食べさせ、宇宙に上げることによって凶暴化した細菌による宇宙テロが実行できるのではないか、とね。君たちには、その被験体になってもらう」
「い、嫌だよ!」トミーは涙ながらに訴えた。
「もう遅いんだよ」紳士がなにやら操作をすると、トミーの足にちくりと刺激が走った。「空腹感をもたらす薬品を注射した。トミー君はどこまで耐えられるかな?」
 薬が回ってきたのか、紳士の言った通り、トミーは腹ペコになる。そして目の前にはハンバーガー。しかしこれには細菌が混じっているはずなのだ。
「フフ、ハハハハハ」ジョーンズの笑いが響いた。「そんな実験、できるわけがない。どうやって無重力の影響を確かめるのさ」
「君たちの部屋には特殊な仕掛けが施されていてね。こちら側からの操作で簡単に無重力になるんだよ」
 ジョーンズの余裕は一蹴された。
「食べるなトミー」リーの声だ。「食べなければ良いだけの話なんだ」
「しかし何日保つかな」紳士は冷笑する。「私たちにはたっぷり時間がある。何日でも待つつもりだよ。君達がハンバーガーを食べるまでね。いくらなんでも飢え死にしたくはないだろう」
「あああああ」トミーは恐怖に絶叫した。
 その時だった。
 銃声が轟き、紳士の姿がモニターから消えた。
 変わりに映ったのは、車を運転していた男。彼の手には発砲したばかりの拳銃。
「いつまでも、お前の言いなりになって堪るかよ」運転手は言った。「この計画だって、元々は俺の発案したものなんだ。いつまでも手柄を横取りされ続けてられるか」
 もう一度、銃を撃ち、紳士の断末魔が聞こえた。
「やった!これでぼくたち助かったんだね!」安心したトミーは空腹に耐え切れずハンバーガーをほおばる。
 無重力でないなら無害のはずだ。
 トミーは油断しきっていた。
「いいや、助からないね」運転手がなにやら操作をする。「この世界は下克上。手柄は全部、俺のものだ」
 トミーの部屋のハンバーガーがフワリと動き、無重力になる。
 数分後、リーとジョーンズは体中の穴から血を流して絶命しているトミーの姿を、モニター越しに見つめていた。
 恐怖に怯え、空腹感に耐えながら。
「さて、君たちはいつまで我慢できるかな」
 運転手はそう言うと、ニヤリと笑った。

  

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