太陽は、すでに西へ傾いている。
小学校近くにある古い建物のベンチには、一人の老婆が座っていた。
その木造の建物の板壁は、長い年月のために黒く変色していた。ガラス戸は開かれており、中には駄菓子や文房具の類が見える。中には人影がない。どうやらこの老婆こそが、この店の店主らしい。
彼女はぼんやりと見慣れた風景を見つめている。
ここ数年の間に辺りの雰囲気は、すっかり変わってしまっているが、この店だけが時代から取り残されたように昔の空気を漂わせている。
テコテコと、ゆっくりした足取りで、一匹の三毛猫がベンチへ近付いてくる。この猫も充分に年を経ているようだ。
ゆっくりとベンチへ昇り、それから老婆の膝の上に乗って丸くなる。
深い皺の刻まれた指先で喉元を撫でられ、猫はのんびりとゴロゴロ喉を鳴らした。
老婆は猫に視線を落とし、柔らかな表情を見せる。それからまた路上に目を戻し、悠然と猫を撫で続けている。
その光景は、まるで一枚の写真のように見える。題名は『過ぎ去りし日々の思い出に浸る老女』とでも名付けられるかもしれない。
しかし彼女は過去のことなど考えてもいなかったし、ただぼんやりとその場に座り続けているだけでもなかったのだ。
「では彼女は何をしているのか」と読者の方方は思うだろう。
彼女は『幸せの青い鳥』について考えていたのだ。
チルチルとミチルの訪れたお菓子の家、それはもしかしたら、自分の営むような店のメタファー(暗喩)ではないのかと。だとすればお菓子の家の魔女とは自分と置換可能な存在だと思われる。
ならばもし、見知らぬ二人の子供が、自分の留守中、勝手に店の商品であるお菓子を食べられるとしたら、自分はどんな態度を執るだろう?
おとぎ話の中では、二人は魔女に囚われて、こき使われたはず。それは彼女の若い頃のことを鑑みるに、皿を洗うから食事を只で食べさせてくれと言ったものに近いのではないかと思われる。
しかし相手は子供であり、長い年月を小間使いするのは理不尽な話だ。
尤も、おとぎ話は昔話であり、現代と比較するのも野暮なことかもしれないけれど、こうした知的遊びは楽しいものだ。
自分だったら――彼女は再び自らを魔女の立ち場と重ねてみる――子供は現代の法律で守られているため、魔女と同じ真似はしないだろう。両親から訴えられてしまう。しかし彼らはその法律のうちの刑法を違反したのだ。万引き犯、或いは無銭飲食として警察に通報することができる。
けれども相手は幼い兄妹。自分は通報などしないだろう。両親に連絡し、しかるべき料金を受け取ると共に、きつく叱るように言い渡すだけだ。
一つの結論を見出した後に、老婆は猫の背中をひと撫でする。
猫は甘えるように鳴くと目を閉じた。
おとぎ話と言えば――彼女はすぐに別の題材を思い浮かべたようだ――白雪姫が食べたのは毒リンゴ。アダムとイヴが食べた知恵の実もリンゴのことだ。しかも食べさせたのは魔女と蛇。蛇は悪魔サタンと同一視される向きもあるようだが、魔女は悪魔に仕える存在。そして七人の小人に七つの大罪。
この関連性はなんだろう?
白雪姫とキリスト教とは他にも相似性がある。
リンゴを食べたアダムとイヴはエデンの楽園を追われたのに対し、毒リンゴを食べさせられた姫君は永く深い眠りに堕ちた。姫を眠りから覚醒させた王子と、人類を救済するために産声を上げたキリスト。
不思議な符合に気付いた老婆は驚いた。
白雪姫の話は、もしかしたら聖書を意識して作られたのかもしれない。見目麗しい白雪姫が眠る前、その国は栄えていた。そして王子が姫の存在を知る頃には国は無いも同然で、城も荒れ果てた状態だった。これこそ先程思い浮かべた旧約聖書にあるエデンからの追放とそっくりそのままではないだろうか。豊かな地から荒れ果てた地へ。
なかなか面白い視点かもしれないなと彼女が微笑んだ時、膝の上で寝ていたらしい猫が立ち上がり、伸びをした。 猫は膝から飛び降りると、ベンチの足で爪を磨ぐ。
老婆と猫の約束事なのか、猫の頭を優しくポンポンと叩くと、猫は別れの挨拶をするかのように一言鳴いて、ゆっくりと遠ざかって行く。
彼女は三毛猫の後姿を見送る。
猫は夕焼けの中で赤味を帯び、尻尾をピンと立てて機嫌良さそうに歩いている。やがて角を曲がり、見えなくなってしまった。
もうこんな時間かと老婆は思い、夕日を見つめる。
考え事に没頭していたためか、いつの間にやら太陽は沈みかけている。
確か――彼女は思い出す――太陽の光が地球に届く時間は八分半弱。ということは、本当はもう太陽は沈んでいるはず。今見えているあの太陽は光の残滓。
沈んでいるはずのものが見えているなんて、まるで幻か蜃気楼のよう。なのに誰も不思議とは思わず、普通のこととして捕らえている。そんな事実もまた不思議。
太陽と地球の距離は約一億五千万キロメートル。その間を八分半くらいで進む光のスピードもまた神秘的。
八分半。では一光年とはどのくらいの長さなのだろう?
正確な数字を出すためには『約』一億五千万キロとか、八分半『弱』といった計算をしたところで分かるわけがない。しかし彼女は光が一秒間に地球を七週半することは知っていたし、地球の直径が四万キロだということも知っていた。とすると、四万×七・五=三十万キロということになる。さらに一分間では×六十で千八百万キロということになり、再び×六十で光の時速が分かることになる。×二十四で一日分、×三百六十五で『約』一光年。
一日は正確には二十四時間ではない。そのために四年に一度、四十年に十度、四百年に九十七度の三百六十六日で一年となる、閏年が設けられているのだ。
とりあえず彼女の計算した結果は九兆四千六百八億キロであり、大体の修正を加えると九兆五千億から十兆キロの間だろう。まさに天文学的な数字。それ以上の計算は面倒だ。
日も暮れてきたことだし、店を閉めようと立ち上がり、彼女は店内へ入る。
けれどすぐに鍵を掛けはしない。
電気を点け、ガラス戸を閉めて、半分だけカーテンを開けておく。
奥の座敷に上がり、茶を飲みながらテレビを見る。
落ち着いた気分になってきたせいか、トイレに行って用を済ます。
するとガラス戸を開く音が聞こえてきた。
「よう、婆さん」三十代半ばの男が声をかける。「今日も客は俺、一人だけかい?」
「そうだったかもしれないねぇ」のんびりした口調で彼女は答える。
「そうだったかもって、今日のことすら覚えてないのかよ」男は苦笑する。
「そういや、十五くらいの女の子がさっきまで居たねぇ」
「へえ」男は意外そうな顔をする。「中学か高校か……消しゴムくらいは買ってってくれたのかい?」
「いんや」彼女は首を振った。「膝に乗ってきたから撫でてやったら、ゴロゴロと喉を鳴らしていたよ」
「なんだよ」男は駄菓子をいくつか手にして苦笑する。「いつもの三毛猫のことか。まったく、のんきな婆さんだよ。結局、人間の客は俺だけなんだろう?たまには感謝してもらいたいね」
「鼻ったれた小僧が、良く言うよ。昔はズルしてクジ引きしていた癖に」
「おいおい、二十年以上前の話を持ち出されても困るよ」男は手にした商品を老婆に渡す。
「それにしてもあの猫、まだ元気だったんだな。しばらく残業続きで会えなかったからさ、元気そうな様子聞いて安心したよ」
「あの子は良い子だよ。いつも同じ時間に散歩に来て、同じ時間に帰って行く。本当に頭の良い子」彼女は眼鏡を掛けてソロバンを弾く。「はい、九兆四千五百億円ね」
「今日はやけにケタが高いじゃないか」男は千円札を出し、お釣りを受け取った。「毎日退屈だから、たまには変化でもってわけかい?」
「そんなんじゃないけどね。まあ退屈は退屈だけれども、それなりに楽しいもんなんだよ」
「そんなもんかねぇ。俺も年を取ってくりゃ、分かるようになるのかな」
「さぁねぇ。あんたの性分じゃどうなるか分からないよ」
「人それぞれってわけか。俺もなるべくなら婆さんみたいにイキな老人になりたいよ」
「何だい急に、気持ちの悪い」
「まあそう言うなって。じゃ、また明日な」
男は笑いながら店を出る。
老女は彼の子供だった頃から大人になるまでの姿を思い出し、しばらくその余韻に浸る。
それからガラス戸の鍵を掛けてカーテンを閉めると、店内の電気を消す。
彼女は座敷に戻ると一息つき、茶を啜った。
小学校近くにある古い建物のベンチには、一人の老婆が座っていた。
その木造の建物の板壁は、長い年月のために黒く変色していた。ガラス戸は開かれており、中には駄菓子や文房具の類が見える。中には人影がない。どうやらこの老婆こそが、この店の店主らしい。
彼女はぼんやりと見慣れた風景を見つめている。
ここ数年の間に辺りの雰囲気は、すっかり変わってしまっているが、この店だけが時代から取り残されたように昔の空気を漂わせている。
テコテコと、ゆっくりした足取りで、一匹の三毛猫がベンチへ近付いてくる。この猫も充分に年を経ているようだ。
ゆっくりとベンチへ昇り、それから老婆の膝の上に乗って丸くなる。
深い皺の刻まれた指先で喉元を撫でられ、猫はのんびりとゴロゴロ喉を鳴らした。
老婆は猫に視線を落とし、柔らかな表情を見せる。それからまた路上に目を戻し、悠然と猫を撫で続けている。
その光景は、まるで一枚の写真のように見える。題名は『過ぎ去りし日々の思い出に浸る老女』とでも名付けられるかもしれない。
しかし彼女は過去のことなど考えてもいなかったし、ただぼんやりとその場に座り続けているだけでもなかったのだ。
「では彼女は何をしているのか」と読者の方方は思うだろう。
彼女は『幸せの青い鳥』について考えていたのだ。
チルチルとミチルの訪れたお菓子の家、それはもしかしたら、自分の営むような店のメタファー(暗喩)ではないのかと。だとすればお菓子の家の魔女とは自分と置換可能な存在だと思われる。
ならばもし、見知らぬ二人の子供が、自分の留守中、勝手に店の商品であるお菓子を食べられるとしたら、自分はどんな態度を執るだろう?
おとぎ話の中では、二人は魔女に囚われて、こき使われたはず。それは彼女の若い頃のことを鑑みるに、皿を洗うから食事を只で食べさせてくれと言ったものに近いのではないかと思われる。
しかし相手は子供であり、長い年月を小間使いするのは理不尽な話だ。
尤も、おとぎ話は昔話であり、現代と比較するのも野暮なことかもしれないけれど、こうした知的遊びは楽しいものだ。
自分だったら――彼女は再び自らを魔女の立ち場と重ねてみる――子供は現代の法律で守られているため、魔女と同じ真似はしないだろう。両親から訴えられてしまう。しかし彼らはその法律のうちの刑法を違反したのだ。万引き犯、或いは無銭飲食として警察に通報することができる。
けれども相手は幼い兄妹。自分は通報などしないだろう。両親に連絡し、しかるべき料金を受け取ると共に、きつく叱るように言い渡すだけだ。
一つの結論を見出した後に、老婆は猫の背中をひと撫でする。
猫は甘えるように鳴くと目を閉じた。
おとぎ話と言えば――彼女はすぐに別の題材を思い浮かべたようだ――白雪姫が食べたのは毒リンゴ。アダムとイヴが食べた知恵の実もリンゴのことだ。しかも食べさせたのは魔女と蛇。蛇は悪魔サタンと同一視される向きもあるようだが、魔女は悪魔に仕える存在。そして七人の小人に七つの大罪。
この関連性はなんだろう?
白雪姫とキリスト教とは他にも相似性がある。
リンゴを食べたアダムとイヴはエデンの楽園を追われたのに対し、毒リンゴを食べさせられた姫君は永く深い眠りに堕ちた。姫を眠りから覚醒させた王子と、人類を救済するために産声を上げたキリスト。
不思議な符合に気付いた老婆は驚いた。
白雪姫の話は、もしかしたら聖書を意識して作られたのかもしれない。見目麗しい白雪姫が眠る前、その国は栄えていた。そして王子が姫の存在を知る頃には国は無いも同然で、城も荒れ果てた状態だった。これこそ先程思い浮かべた旧約聖書にあるエデンからの追放とそっくりそのままではないだろうか。豊かな地から荒れ果てた地へ。
なかなか面白い視点かもしれないなと彼女が微笑んだ時、膝の上で寝ていたらしい猫が立ち上がり、伸びをした。 猫は膝から飛び降りると、ベンチの足で爪を磨ぐ。
老婆と猫の約束事なのか、猫の頭を優しくポンポンと叩くと、猫は別れの挨拶をするかのように一言鳴いて、ゆっくりと遠ざかって行く。
彼女は三毛猫の後姿を見送る。
猫は夕焼けの中で赤味を帯び、尻尾をピンと立てて機嫌良さそうに歩いている。やがて角を曲がり、見えなくなってしまった。
もうこんな時間かと老婆は思い、夕日を見つめる。
考え事に没頭していたためか、いつの間にやら太陽は沈みかけている。
確か――彼女は思い出す――太陽の光が地球に届く時間は八分半弱。ということは、本当はもう太陽は沈んでいるはず。今見えているあの太陽は光の残滓。
沈んでいるはずのものが見えているなんて、まるで幻か蜃気楼のよう。なのに誰も不思議とは思わず、普通のこととして捕らえている。そんな事実もまた不思議。
太陽と地球の距離は約一億五千万キロメートル。その間を八分半くらいで進む光のスピードもまた神秘的。
八分半。では一光年とはどのくらいの長さなのだろう?
正確な数字を出すためには『約』一億五千万キロとか、八分半『弱』といった計算をしたところで分かるわけがない。しかし彼女は光が一秒間に地球を七週半することは知っていたし、地球の直径が四万キロだということも知っていた。とすると、四万×七・五=三十万キロということになる。さらに一分間では×六十で千八百万キロということになり、再び×六十で光の時速が分かることになる。×二十四で一日分、×三百六十五で『約』一光年。
一日は正確には二十四時間ではない。そのために四年に一度、四十年に十度、四百年に九十七度の三百六十六日で一年となる、閏年が設けられているのだ。
とりあえず彼女の計算した結果は九兆四千六百八億キロであり、大体の修正を加えると九兆五千億から十兆キロの間だろう。まさに天文学的な数字。それ以上の計算は面倒だ。
日も暮れてきたことだし、店を閉めようと立ち上がり、彼女は店内へ入る。
けれどすぐに鍵を掛けはしない。
電気を点け、ガラス戸を閉めて、半分だけカーテンを開けておく。
奥の座敷に上がり、茶を飲みながらテレビを見る。
落ち着いた気分になってきたせいか、トイレに行って用を済ます。
するとガラス戸を開く音が聞こえてきた。
「よう、婆さん」三十代半ばの男が声をかける。「今日も客は俺、一人だけかい?」
「そうだったかもしれないねぇ」のんびりした口調で彼女は答える。
「そうだったかもって、今日のことすら覚えてないのかよ」男は苦笑する。
「そういや、十五くらいの女の子がさっきまで居たねぇ」
「へえ」男は意外そうな顔をする。「中学か高校か……消しゴムくらいは買ってってくれたのかい?」
「いんや」彼女は首を振った。「膝に乗ってきたから撫でてやったら、ゴロゴロと喉を鳴らしていたよ」
「なんだよ」男は駄菓子をいくつか手にして苦笑する。「いつもの三毛猫のことか。まったく、のんきな婆さんだよ。結局、人間の客は俺だけなんだろう?たまには感謝してもらいたいね」
「鼻ったれた小僧が、良く言うよ。昔はズルしてクジ引きしていた癖に」
「おいおい、二十年以上前の話を持ち出されても困るよ」男は手にした商品を老婆に渡す。
「それにしてもあの猫、まだ元気だったんだな。しばらく残業続きで会えなかったからさ、元気そうな様子聞いて安心したよ」
「あの子は良い子だよ。いつも同じ時間に散歩に来て、同じ時間に帰って行く。本当に頭の良い子」彼女は眼鏡を掛けてソロバンを弾く。「はい、九兆四千五百億円ね」
「今日はやけにケタが高いじゃないか」男は千円札を出し、お釣りを受け取った。「毎日退屈だから、たまには変化でもってわけかい?」
「そんなんじゃないけどね。まあ退屈は退屈だけれども、それなりに楽しいもんなんだよ」
「そんなもんかねぇ。俺も年を取ってくりゃ、分かるようになるのかな」
「さぁねぇ。あんたの性分じゃどうなるか分からないよ」
「人それぞれってわけか。俺もなるべくなら婆さんみたいにイキな老人になりたいよ」
「何だい急に、気持ちの悪い」
「まあそう言うなって。じゃ、また明日な」
男は笑いながら店を出る。
老女は彼の子供だった頃から大人になるまでの姿を思い出し、しばらくその余韻に浸る。
それからガラス戸の鍵を掛けてカーテンを閉めると、店内の電気を消す。
彼女は座敷に戻ると一息つき、茶を啜った。
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Re:なかなか
>金額通りに払ったら腰を抜かすだろうなぁwww
腰どころか国が傾きますw
腰どころか国が傾きますw
駄菓子屋
最近、駄菓子屋が減って子供達はスーパーや
コンビニなどでお菓子を買っているんでしょうね。
お婆さんの知識が豊富すぎて、思わずニヤリと笑ってしまいました。
楽しい時間をありがとうございました。
そういえば、
私も30年近く毎日通っていた駄菓子屋がありました。
そのお店は数年前に廃業しましたけど、
今でもたばこはそこで注文してカートン買いしています。
あぁ、昭和は遠くなりにけり…寂しい限りです。
コンビニなどでお菓子を買っているんでしょうね。
お婆さんの知識が豊富すぎて、思わずニヤリと笑ってしまいました。
楽しい時間をありがとうございました。
そういえば、
私も30年近く毎日通っていた駄菓子屋がありました。
そのお店は数年前に廃業しましたけど、
今でもたばこはそこで注文してカートン買いしています。
あぁ、昭和は遠くなりにけり…寂しい限りです。
Re:駄菓子屋
>最近、駄菓子屋が減って子供達はスーパーや
>コンビニなどでお菓子を買っているんでしょうね。
最近は、大人の方が懐かしさで通ってるみたいですねぇ。
ベロの青くなる飴とか、懐かしいです(^_^)
>コンビニなどでお菓子を買っているんでしょうね。
最近は、大人の方が懐かしさで通ってるみたいですねぇ。
ベロの青くなる飴とか、懐かしいです(^_^)