夏休みが始まって少し経った頃だった。
男女十人の大学生が集まり、河原で花火を楽しんでいた。
夜にも関わらず、ロケット花火を打ち上げ、誰かに火花を向けるという危険行為までしている。どうやら、アルコールが作用しているらしい。
歓声を上げ、近所迷惑もお構いなしといった感じ。
ひと騒ぎが収まると、一群は花火を片付けもせずに輪になって座り込んだ。
何々教授の悪口、誰々講師の気弱さについてなど、内輪だけに通じる話をしては声を張り上げ笑っている。
男性の数は六人。女性は四人。
男は自分に興味を持たせようとして、様々な話題を振り撒ける。
そんな中、一人の女性が思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、この中でお化け屋敷に行ったことある人っている?」
突然の話題転換に戸惑いはしたが、男達はすぐに考えを巡らし、いかに自分が男らしいかをアピールするチャンスだと次々に言い合う。
「お化け屋敷なんて子供だましだろ。人を驚かす装置でしかないじゃないか」
「そうだよな。お化け役なんてやってる奴も、中身はバイトの連中だろ」
「まあね、本当に幽霊なんているわけないし」
「そうそう。結局は人間が一番怖いってことだよ」
「違うのよ」初めにこの話を持ち出した女が言う。「遊園地とかのお化け屋敷じゃなくて、本物よ。この近くに幽霊の出るって噂の学校があるらしいわ。今はもう廃校になっててボロボロらしいけど、本物の心霊スポットに行ったことはあるかって意味で聞いたのよ」
「俺は、無いけどな」
「ぼくも無いね。でも幽霊なんて居ないだろ」
「俺はお化けトンネルに入ったことあるよ」
「あの時はオレと一緒だったな。でも結局は何も起きなかった」
男達はハハハと笑い合った。
「じゃあ、恐くないの?」女は続けて問う。
「当たり前だろ」男たちは強がって見せた。
「――なら、みんなで肝試しする?」髪の短い女が悪ノリして言った。
「あたし怖いわ」一番年下の女が拒否をする。
「あたしも嫌よ、幽霊とか関係無く、夜の学校って雰囲気だけでダメ」眼鏡を掛けた女もそう言った。
「じゃあさ」髪の短い女が手を上げた。「これで調度四対四になるわけだし、ペア組んで入らない?順番ずつに入って出てきて、それから次のペアが入ってくの。そしたらあなたたち二人も他のペアと外で待ってられるから怖くないでしょ」
「待ってるだけなら」年下の女は弱い口調で答える。
「みんなと一緒なら、まあいいかな」眼鏡の女も答えた。
ノリや場の空気のせいとはいえ、不法侵入という言葉は彼らの頭に思い浮かばなかったようだった。
十人は移動しながら適当にペアと順番を決める。
廃校の校門は風化したのか崩れており、既に門の役割を果たしてはいない。
校庭も寒々しく、先には校舎と樹木の影が見えるのみ。雑草が生い茂り、空気の抜けたバレーボールが一つ、闇の隙間に見えているだけだ。
明かりは月光のみ。
突然のことなので、懐中電灯の類は持っていない。
建物の手前、数メートルの場所に立って、やっと校舎の外観が分かる。
ガラスは破れ、窓枠は外れ、一階建ての屋根は不自然に傾斜している。おそらくは重要な柱のうちのどこかが折れて潰れてしまったのだろう。木造の校舎の板と板の間から、何かの植物が生え出している。
「本当に入るの?」眼鏡をかけた女が言う。
「こんな所、昼間入ったって危険だよ。いつ崩れてもおかしくないんじゃない」
「何言ってるの」初めにこの話を持ち出した女が言った。「スリルがあって面白そうじゃない。さあ、入りましょう」
自分が言い出しただけあって、彼女の組が初めに入ることになっていたのだ。ペアになった男は、俺と言う一人称を使い、心霊スポットに行ったことのない男だった。
二人は、ひしゃげた扉の隙間をくぐって中へ入る。
天井に開いた穴からは月の光が射し込み、腐って見る影も無いゲタ箱を照らし出していた。
慎重に間を抜け、二人は敗れた廊下を前にして、まずどこから見ようかと思案していた。
「右の方が潰れてるみたいだけど、ちょっと興味があるわね」女が言った。
「でもライトが無いからね。あっちは光が射さないから何も見えないと思うぜ」男は言う。
「ライターとか持ってないの?」
「タバコ吸わないからね」男は肩をすくめる。
話しているうちに夜目に少し慣れてきた。
二人は入って左側の方へ足を向ける。
「ん?」男は立ち止まる。「何か言った?」
「何も」女は首を振る。「外の人たちの声でも聞こえたのかしら? あたしは気付かなかったけど」
「ああ、そうかもしれないな」
二人は歩みを進める。
左側には職員室があった。
「あんまり面白そうじゃないわね」
そう言いつつも女は戸を開き、覗き込む。
机は乱雑に放置されており、床には何かの用紙が散らばっている。椅子は倒れ、或いはなぜか逆さまになっているものもあった。
反対の部屋には五年一組の表示が、かろうじて読み取れた。
戸は開いており、二人は中に入る。
部屋の荒れ具合は職員室と同様。黒板が傾いており、暴走族の落書きがある点くらいの違いしかない。
女は不満そうに溜息を吐いた。
男はというと、顔に脂汗が浮かんでおり、表情も強張っている。
「どこか面白そうなところはないかしら」女は男の変化に気付かず、好奇心を露にしている。
「理科室のガイコツとかが見たいわ」
二人は廊下へ出る。
「ソクラテスという人はさ」男は不意に言った。「アポロンの託宣によって、最も知恵のある人物とされていたんだ」
「何よ急に」男を見るが暗さのためか、彼の変化は分からない。
「知ってるだろう、ソクラテス。古代ギリシアの哲学者だよ」
「知ってるわよそんなの」女は構わず先に進む。
「ソクラテスは」彼女を追いながらも男は話し続けている。「智を装う他の学者たちに対して、他の人は知っているというが私は何も知らないという有名な言葉を残したよね」
「そうね」女は腐った廊下に気を付けつつ、気の無い返事をする。
「自分は何も知らないということを自覚していて、そのために無自覚な人々と比べて優れているってことだけどさ。確かにその通りだよね。だってその頃の学者たちは現代の学問、たとえば量子力学とか相対性理論なんて知らなかったわけなんだから」
女はもはや男を相手にせず、トイレを見付けてドアを叩き、片っ端から花子さんを呼び続けている。
「今の我々にしてもそうだ」男は懸命に話し続ける。「未来にはどんな発見があるのかなんて知らない。今知っていることなんて、ほんのちっぽけなものかもしれないんだからね。しかし俺は別の見方もあると気付いたんだ。ソクラテスは問答によって他人を真理へと近づけようとした。それはつまり、彼は宗教的な悟りの境地へ辿り着こうとして、できなかった。そのことをして私は何も知らないと言ったのかもしれないってね」
「何それ。次の論文のテーマにでもしようって言うの?」女はすっかり興を削がれた。「もういいわ。出ましょう」
校舎から出てきた二人を、残りのメンバーは質問責めにした。
「何も無かったわ」出てきた女は言う。「ただ荒れているだけ。しかもつまんない話を聞かされて興ざめよ」
「じゃあ、次は俺たちの番だな」お化けトンネルに入ったことのあるといった男が言った。
「いや――」ソクラテスの話をした男がそれを止める。「もうやめようぜ」
「どうしたんだよ急に。怖くなったのか?」止められた男は当てこするように言う。
「実は俺、さ。こいつを襲おうという感情を止めるために必死で理性を保とうと話していたんだよ」
「何それ、最低」ペアを組んでいた女が批難した。
「本当、何考えてんの」「お前、自分の言ってることわかってんのか」「そんな人だと思わなかった」
「違う!そういう意味じゃないんだ」男は必死に説明する。「校舎に入ってから声が聞こえたんだよ。初めは外の声だと思ってたけど、耳元でずっと囁き続けるんだ。校舎を出てからは聞こえなくなったけど、ずっと『殺せ殺せ女を殺せ。柔らかな脳を食らい、骨をしゃぶらせろ。一番うまい心臓を傷付けないよう、首を絞めて殺すんだ。殺せ殺せ殺せ、女を殺せ。肝臓を味わい軟骨のコリコリした感触を楽しみたい。殺せ殺せ殺せ』ってな。頭が変になりそうだったよ!」
話を聞くと、皆は慌てて駆け出し、その場を離れた。
男女十人の大学生が集まり、河原で花火を楽しんでいた。
夜にも関わらず、ロケット花火を打ち上げ、誰かに火花を向けるという危険行為までしている。どうやら、アルコールが作用しているらしい。
歓声を上げ、近所迷惑もお構いなしといった感じ。
ひと騒ぎが収まると、一群は花火を片付けもせずに輪になって座り込んだ。
何々教授の悪口、誰々講師の気弱さについてなど、内輪だけに通じる話をしては声を張り上げ笑っている。
男性の数は六人。女性は四人。
男は自分に興味を持たせようとして、様々な話題を振り撒ける。
そんな中、一人の女性が思い出したように口を開いた。
「そういえばさ、この中でお化け屋敷に行ったことある人っている?」
突然の話題転換に戸惑いはしたが、男達はすぐに考えを巡らし、いかに自分が男らしいかをアピールするチャンスだと次々に言い合う。
「お化け屋敷なんて子供だましだろ。人を驚かす装置でしかないじゃないか」
「そうだよな。お化け役なんてやってる奴も、中身はバイトの連中だろ」
「まあね、本当に幽霊なんているわけないし」
「そうそう。結局は人間が一番怖いってことだよ」
「違うのよ」初めにこの話を持ち出した女が言う。「遊園地とかのお化け屋敷じゃなくて、本物よ。この近くに幽霊の出るって噂の学校があるらしいわ。今はもう廃校になっててボロボロらしいけど、本物の心霊スポットに行ったことはあるかって意味で聞いたのよ」
「俺は、無いけどな」
「ぼくも無いね。でも幽霊なんて居ないだろ」
「俺はお化けトンネルに入ったことあるよ」
「あの時はオレと一緒だったな。でも結局は何も起きなかった」
男達はハハハと笑い合った。
「じゃあ、恐くないの?」女は続けて問う。
「当たり前だろ」男たちは強がって見せた。
「――なら、みんなで肝試しする?」髪の短い女が悪ノリして言った。
「あたし怖いわ」一番年下の女が拒否をする。
「あたしも嫌よ、幽霊とか関係無く、夜の学校って雰囲気だけでダメ」眼鏡を掛けた女もそう言った。
「じゃあさ」髪の短い女が手を上げた。「これで調度四対四になるわけだし、ペア組んで入らない?順番ずつに入って出てきて、それから次のペアが入ってくの。そしたらあなたたち二人も他のペアと外で待ってられるから怖くないでしょ」
「待ってるだけなら」年下の女は弱い口調で答える。
「みんなと一緒なら、まあいいかな」眼鏡の女も答えた。
ノリや場の空気のせいとはいえ、不法侵入という言葉は彼らの頭に思い浮かばなかったようだった。
十人は移動しながら適当にペアと順番を決める。
廃校の校門は風化したのか崩れており、既に門の役割を果たしてはいない。
校庭も寒々しく、先には校舎と樹木の影が見えるのみ。雑草が生い茂り、空気の抜けたバレーボールが一つ、闇の隙間に見えているだけだ。
明かりは月光のみ。
突然のことなので、懐中電灯の類は持っていない。
建物の手前、数メートルの場所に立って、やっと校舎の外観が分かる。
ガラスは破れ、窓枠は外れ、一階建ての屋根は不自然に傾斜している。おそらくは重要な柱のうちのどこかが折れて潰れてしまったのだろう。木造の校舎の板と板の間から、何かの植物が生え出している。
「本当に入るの?」眼鏡をかけた女が言う。
「こんな所、昼間入ったって危険だよ。いつ崩れてもおかしくないんじゃない」
「何言ってるの」初めにこの話を持ち出した女が言った。「スリルがあって面白そうじゃない。さあ、入りましょう」
自分が言い出しただけあって、彼女の組が初めに入ることになっていたのだ。ペアになった男は、俺と言う一人称を使い、心霊スポットに行ったことのない男だった。
二人は、ひしゃげた扉の隙間をくぐって中へ入る。
天井に開いた穴からは月の光が射し込み、腐って見る影も無いゲタ箱を照らし出していた。
慎重に間を抜け、二人は敗れた廊下を前にして、まずどこから見ようかと思案していた。
「右の方が潰れてるみたいだけど、ちょっと興味があるわね」女が言った。
「でもライトが無いからね。あっちは光が射さないから何も見えないと思うぜ」男は言う。
「ライターとか持ってないの?」
「タバコ吸わないからね」男は肩をすくめる。
話しているうちに夜目に少し慣れてきた。
二人は入って左側の方へ足を向ける。
「ん?」男は立ち止まる。「何か言った?」
「何も」女は首を振る。「外の人たちの声でも聞こえたのかしら? あたしは気付かなかったけど」
「ああ、そうかもしれないな」
二人は歩みを進める。
左側には職員室があった。
「あんまり面白そうじゃないわね」
そう言いつつも女は戸を開き、覗き込む。
机は乱雑に放置されており、床には何かの用紙が散らばっている。椅子は倒れ、或いはなぜか逆さまになっているものもあった。
反対の部屋には五年一組の表示が、かろうじて読み取れた。
戸は開いており、二人は中に入る。
部屋の荒れ具合は職員室と同様。黒板が傾いており、暴走族の落書きがある点くらいの違いしかない。
女は不満そうに溜息を吐いた。
男はというと、顔に脂汗が浮かんでおり、表情も強張っている。
「どこか面白そうなところはないかしら」女は男の変化に気付かず、好奇心を露にしている。
「理科室のガイコツとかが見たいわ」
二人は廊下へ出る。
「ソクラテスという人はさ」男は不意に言った。「アポロンの託宣によって、最も知恵のある人物とされていたんだ」
「何よ急に」男を見るが暗さのためか、彼の変化は分からない。
「知ってるだろう、ソクラテス。古代ギリシアの哲学者だよ」
「知ってるわよそんなの」女は構わず先に進む。
「ソクラテスは」彼女を追いながらも男は話し続けている。「智を装う他の学者たちに対して、他の人は知っているというが私は何も知らないという有名な言葉を残したよね」
「そうね」女は腐った廊下に気を付けつつ、気の無い返事をする。
「自分は何も知らないということを自覚していて、そのために無自覚な人々と比べて優れているってことだけどさ。確かにその通りだよね。だってその頃の学者たちは現代の学問、たとえば量子力学とか相対性理論なんて知らなかったわけなんだから」
女はもはや男を相手にせず、トイレを見付けてドアを叩き、片っ端から花子さんを呼び続けている。
「今の我々にしてもそうだ」男は懸命に話し続ける。「未来にはどんな発見があるのかなんて知らない。今知っていることなんて、ほんのちっぽけなものかもしれないんだからね。しかし俺は別の見方もあると気付いたんだ。ソクラテスは問答によって他人を真理へと近づけようとした。それはつまり、彼は宗教的な悟りの境地へ辿り着こうとして、できなかった。そのことをして私は何も知らないと言ったのかもしれないってね」
「何それ。次の論文のテーマにでもしようって言うの?」女はすっかり興を削がれた。「もういいわ。出ましょう」
校舎から出てきた二人を、残りのメンバーは質問責めにした。
「何も無かったわ」出てきた女は言う。「ただ荒れているだけ。しかもつまんない話を聞かされて興ざめよ」
「じゃあ、次は俺たちの番だな」お化けトンネルに入ったことのあるといった男が言った。
「いや――」ソクラテスの話をした男がそれを止める。「もうやめようぜ」
「どうしたんだよ急に。怖くなったのか?」止められた男は当てこするように言う。
「実は俺、さ。こいつを襲おうという感情を止めるために必死で理性を保とうと話していたんだよ」
「何それ、最低」ペアを組んでいた女が批難した。
「本当、何考えてんの」「お前、自分の言ってることわかってんのか」「そんな人だと思わなかった」
「違う!そういう意味じゃないんだ」男は必死に説明する。「校舎に入ってから声が聞こえたんだよ。初めは外の声だと思ってたけど、耳元でずっと囁き続けるんだ。校舎を出てからは聞こえなくなったけど、ずっと『殺せ殺せ女を殺せ。柔らかな脳を食らい、骨をしゃぶらせろ。一番うまい心臓を傷付けないよう、首を絞めて殺すんだ。殺せ殺せ殺せ、女を殺せ。肝臓を味わい軟骨のコリコリした感触を楽しみたい。殺せ殺せ殺せ』ってな。頭が変になりそうだったよ!」
話を聞くと、皆は慌てて駆け出し、その場を離れた。
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あー。あるある。(棒読みw)
っつか、見えない世界は、見えないだけで、見えないからこその恐怖があって、見たくないわけで。
実は、『悪霊』と言われるほど手に負えないモノって少ないらしいね。
浮遊してるモノ達のほとんどが、本当に道を見失って、さまよっているだけらしい。
あとはいたずら好きなモノ。
で、何が言いたいのか忘れてしまったことは内緒の方向で。
(^-^;
実は、『悪霊』と言われるほど手に負えないモノって少ないらしいね。
浮遊してるモノ達のほとんどが、本当に道を見失って、さまよっているだけらしい。
あとはいたずら好きなモノ。
で、何が言いたいのか忘れてしまったことは内緒の方向で。
(^-^;
Re:あー。あるある。(棒読みw)
ありますかΣ(^_^;)
あんまり心霊スポットには行かないので、幸いながら私は未経験です。
あんまり心霊スポットには行かないので、幸いながら私は未経験です。
近い体験
こんばんは。
まだ私が青年だった頃、お墓参りに行った時、
耳元でずっと母方先祖の生い立ちを聞かされた事があります。
後で母に聞いてみたところ、ほぼ間違いが無かったのです。
声というのは、いろんな想像をさせてくれるありがたいものですね。
今回のお話しはありがたくないようですが。
最近は…。
こっちの出来事は自分のブログに書く事にします。
まだ私が青年だった頃、お墓参りに行った時、
耳元でずっと母方先祖の生い立ちを聞かされた事があります。
後で母に聞いてみたところ、ほぼ間違いが無かったのです。
声というのは、いろんな想像をさせてくれるありがたいものですね。
今回のお話しはありがたくないようですが。
最近は…。
こっちの出来事は自分のブログに書く事にします。
Re:近い体験
なかなか稀有な体験ですね、不思議なお話しです。
近々そちらにお邪魔させて頂きますね。
近々そちらにお邪魔させて頂きますね。