見えない敵っていう奴は、とどのつまり自分自身なのだろう。
自己を超え、その超えた自己をも超え続ける。
きっと、そんなことを続けているうちに、ぼくは疲れてしまったんだと思う。
常に成長を求め、自らを克服する必要なんて本当はなかったんだ。
時には休んだって良いし、サポタージュしたって構わなかった。
それに気付かなかったのは、きっと必死へ追い込まれていたからだろう。
ぼくは小さな頃から親に期待されていた。
両親と同じ弁護士への道を嘱望され、確定的事実として、暗黙のうちに了解されていたのだった。
でも、どこかでバランスが崩れた。
理由はぼくにも分からない。
もしかしたら、いろんな要素が数限りなく縺れ合っていたせいかもしれなかった。要素要素は単純な物だったとしても、単純が絡み合うと複雑になる。
落ち着いて一つ一つ、要素を解いていけば良いのだろうけれども、何処から始めていくべきかすら見い出せずに混沌としていて、結果、袋小路の中に陥っている自分に気付く。
中学校から引き籠りを始めて数年。
高校にも進学せず、いつの間にやらハタチを越えていた。
全部を忘れて前向きに生きてみよう。
ぼくは何度もそう思った。
だけど、
そんな簡単に前向きになれるワケなんて無い。
自省反省後悔内罰内省の波。
前向きに物事を考えようとしたって、人間は過去の記憶、経験と蓄積によって生きている。いくらぼくの人生が二十数年にすぎなくても、ぼくにはこの生き方しか知らない。
「将来を悲観するな」
「前向きに生きろ」
「お前はまだ若い」
「いくらでもやり直しはきく」
そんな言葉を聞くたびに、薄っぺらく思えてならない。
ぼくの生き方を拒否することが、ぼくを直接否定しているということに気付かない。
ぼくのアイデンティティ。
新しく別の生き方を見つけるってことが、どんなに難しいのか判りもしない。
生き方を変えるっていうのは、今までの自分を倒すことなんだ。
相当な覚悟が必要だし、多大な努力を要する。そうなればかなりの労力も必定だし、一切の甘えも許されない。
「考え方の問題」
皆、簡単にそう言う。
ならば、と、ぼくは問いたい。皆は本当に過去の己と対峙したことがあるのか? それなりの苦労もあっただろう、けれどその戦いはどれ程のモノだったのか? と。自分の尺度で他人に口を出してもらっては困るんだ。
それも上から目線で、諭すように。
彼等への反抗心から、ぼくは意固地に殻を被る。
けれどそれこそが甘えなのだと見下すように言ったのは誰だっけ。
あの一言で、ぼくの中のあまのじゃくが暴れ出した。
今までの人生と格闘し、前向きに考えようと思っていたのに。
甘えの中に居続ける状態は、他人が思っている程、楽じゃない。そこはぼくが踏み留まるギリギリの場所だったんだ。
人生を無理矢理に矯正するなんて、しちゃいけないことなんだ。
一線を越えたぼくは、過去の自分に呑み込まれた。
━━もうこれ以上、生きることは止めよう。
後ろを向いた、前向きの答え。
分かってる。
間違えた考え方だなんて、ぼくにも分かってるよ。
でもね、ぼくにはもう、そうするしかない。そうすること以外に、ぼくには出来ることが無いんだ。
もう、気付いてしまった。
だから、ぼくは死ぬよ。
精一杯の、呪いと共に。
皆、さようなら。
自己を超え、その超えた自己をも超え続ける。
きっと、そんなことを続けているうちに、ぼくは疲れてしまったんだと思う。
常に成長を求め、自らを克服する必要なんて本当はなかったんだ。
時には休んだって良いし、サポタージュしたって構わなかった。
それに気付かなかったのは、きっと必死へ追い込まれていたからだろう。
ぼくは小さな頃から親に期待されていた。
両親と同じ弁護士への道を嘱望され、確定的事実として、暗黙のうちに了解されていたのだった。
でも、どこかでバランスが崩れた。
理由はぼくにも分からない。
もしかしたら、いろんな要素が数限りなく縺れ合っていたせいかもしれなかった。要素要素は単純な物だったとしても、単純が絡み合うと複雑になる。
落ち着いて一つ一つ、要素を解いていけば良いのだろうけれども、何処から始めていくべきかすら見い出せずに混沌としていて、結果、袋小路の中に陥っている自分に気付く。
中学校から引き籠りを始めて数年。
高校にも進学せず、いつの間にやらハタチを越えていた。
全部を忘れて前向きに生きてみよう。
ぼくは何度もそう思った。
だけど、
そんな簡単に前向きになれるワケなんて無い。
自省反省後悔内罰内省の波。
前向きに物事を考えようとしたって、人間は過去の記憶、経験と蓄積によって生きている。いくらぼくの人生が二十数年にすぎなくても、ぼくにはこの生き方しか知らない。
「将来を悲観するな」
「前向きに生きろ」
「お前はまだ若い」
「いくらでもやり直しはきく」
そんな言葉を聞くたびに、薄っぺらく思えてならない。
ぼくの生き方を拒否することが、ぼくを直接否定しているということに気付かない。
ぼくのアイデンティティ。
新しく別の生き方を見つけるってことが、どんなに難しいのか判りもしない。
生き方を変えるっていうのは、今までの自分を倒すことなんだ。
相当な覚悟が必要だし、多大な努力を要する。そうなればかなりの労力も必定だし、一切の甘えも許されない。
「考え方の問題」
皆、簡単にそう言う。
ならば、と、ぼくは問いたい。皆は本当に過去の己と対峙したことがあるのか? それなりの苦労もあっただろう、けれどその戦いはどれ程のモノだったのか? と。自分の尺度で他人に口を出してもらっては困るんだ。
それも上から目線で、諭すように。
彼等への反抗心から、ぼくは意固地に殻を被る。
けれどそれこそが甘えなのだと見下すように言ったのは誰だっけ。
あの一言で、ぼくの中のあまのじゃくが暴れ出した。
今までの人生と格闘し、前向きに考えようと思っていたのに。
甘えの中に居続ける状態は、他人が思っている程、楽じゃない。そこはぼくが踏み留まるギリギリの場所だったんだ。
人生を無理矢理に矯正するなんて、しちゃいけないことなんだ。
一線を越えたぼくは、過去の自分に呑み込まれた。
━━もうこれ以上、生きることは止めよう。
後ろを向いた、前向きの答え。
分かってる。
間違えた考え方だなんて、ぼくにも分かってるよ。
でもね、ぼくにはもう、そうするしかない。そうすること以外に、ぼくには出来ることが無いんだ。
もう、気付いてしまった。
だから、ぼくは死ぬよ。
精一杯の、呪いと共に。
皆、さようなら。
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