引っ越してきたばかりの部屋は、段ボール箱でいっぱいだ。
ある程度の荷物は配置したものの、男は疲れてベッドに倒れた。
いつしかうつらうつらする。
と、何かの音が、まばらに聞こえ出す。
浅く目を開けてみると、小さいものが動いていた。
「なんだ、おもちゃか」
男はそう口にし、次いで慌てたように跳ね起きる。
彼には民芸品の人形を集める趣味はあっても、おもちゃを集める趣味はない。
まじまじと見てみると、手の平サイズの小人達が五体、床の上を歩きながら、それぞれの楽器を鳴らしている。
男は驚きのあまり声も出ない。
小人達は窓の隙間から次々に入ってきているようだ。
シンバルを持った小人、縦笛を吹きながら落ちてくる小人、小太鼓を肩からぶら下げバチを手に落ちてくる小人。 あっという間に数が増え、何体の小人がいるのか数えるのも難しい。
うじゃうじゃと床を歩き回りながら、みな勝手に音を鳴らして遊んでいる。
「うわっ」男は思わず叫ぶ。
その声を聞いて驚いたのか、小人たちは一斉に窓から飛び出していった。
男は目をこすり、静まった部屋を見回す。
何だったのだろうかと思いながら、あれは夢の一種だったのだろうと自分に言い聞かせる。
再びベッドに横になるが、神経が昂ぶっているのか眠れない。
彼は冷蔵庫からビールを取り出し、アルコールの力で、やっと眠れることが出来た。
翌日、深夜。
段ボールの数は減っているが、部屋の中はまだ散らかっている。
昨夜のことを覚えているため、男は窓を閉め鍵を掛けている。
そしてベッドでうつらうつらしていると――
テンツクトンテテ ピーヒョロロン ジャーンジャーン テントテテン
また音が聞こえてきた。
「くそぅ」男は眠気を引きずった頭を上げる。
「やけに安い物件だと思ったら、妙なことがおきやがる」
昨夜のように叫んで追い返してやろうとするが、部屋の中に小人の姿はない。
窓を閉め切ってあるせいでこの部屋には入ってこられないのだろう。
けれど、それならば小人たちはどこから入ってどこで楽器を鳴らしているのだろう。
男は音のする方へ向かっていく。
するとそこは浴室だった。
小人たちは排水口から登り、侵入してきたようだ。
「こんなとこから――」男は眩暈を感じ、たたらを踏む。
呼吸を整えると、男は息を吸い込み、「わーっ」と大声をあげる。
声は浴室のタイルに反響し、驚いた小人は散り散りに逃げる。
「なんなんだ、こいつら」頭を抱えてうずくまる。
そんな彼の視界に、小太鼓が見えた。
逃げ遅れたのか、怯えた様に立ちすくんでいる小人が数体、集まって震えている。
虫を払うような動作で追い払おうとするが、小人たちは動かない。
じっとこちらの様子を窺っている。
男は仕方なしに立ち上がった。
つかんで排水口に捨てようと思ったのだ。
しかし、触れない。
目に見えているのに、捕まえることができないのだ。
実体というものがないのかもしれなかった。
「ああ、なんなんだよお前ら。どうしたら帰ってくれるんだよ」
嘆く男を見て、小人たちは蚊の羽音の様な声で囁きあう。その言葉はどの外国の言葉でもなく、もちろんこの国の言葉でもない。
小人たちはちらちらと男を見ながら排水口へ向かっていくと、浴室から姿を消した。
「――助かった」男はヘナヘナと腰を下ろす。
しかし翌日の深夜になると、浴室からまたもや楽器の音が聞こえてくるのだった。
しかもタチの悪いことに、今回は男が怒鳴り込んでも、小人たちは一体も逃げないのだ。
ピーとかプエーとかラッパを鳴らし続けている。
どうやら昨夜話し合っていたのは、男が小人たちに触れない、つまり自分達にとって無害な存在であると確信していたみたいだった。
「くそぅ」男は睡眠不足と怒鳴り散らしたせいで疲れきっていた。
けれど侵入してきたのが浴室だったので助かったとも言える。
扉を閉めれば、寝室まで漏れてくる音は小さくなるからだ。
それでもやはり、音は気になる。
酒を飲まなければ、今夜も眠れそうにない。だが酒を飲めば飲むほど、精神が過敏になって、音が気になってしまうのだった。
大体、演奏がでたらめすぎて、幼稚園児の遊びそのものだ。演奏などといえるものではない。一瞬リズムが出来たようでも、すぐにばらばらになる。どこか、まだるっこしい。
いや、問題はそんなところではない。酔った頭で彼は考える。
最大の理由、根本的な問題は小人の出現なのだ。
小人が部屋に入れなくすれば良い。
隙間という隙間を徹底的に目張りするのだ。
そう。徹底的に。
気がつくと、朝になっていた。
男は浴室へ様子を見に行く。
昨夜のことが夢であったかのように何の問題もない。
でも夜になれば、今夜もきっとあいつらはやってくるはずだ。
男は外出し、ガムテープを大量に購入してきた。
排水口をテープで塞ぐ。
これでシャワーは使えなくなったが仕方ない。
次にキッチンの排水口。水の中から出てくるかもしれないからトイレは蓋ごと封印する。外付けのファンから排気ダクトを伝ってくるかもしれないので、エアコンの送風口を隙間なくガムテープで目張りする。換気扇の通風孔はもちろん、部屋中のありとあらゆる隙間にガムテープを張っていく。コンセントの穴までも。
一日をかけて、徹底的に目張りをしたため、気が付いたら夜になっていた。
部屋の空気は淀み、あらゆるところがガムテープまみれになっているため、通常の生活を送れる空間ではなくなっていた。
それでも男は満足げにベッドに座り、ビールを飲む。
これで今夜はゆっくり眠れるはずだと。
しかし、どこからともなく楽器の音が聞こえてくる。どこかに隙間があったのだ。
聞こえてくるのはどこからだろう? 耳を澄ます。
聞こえてくるのはキッチンから。
どうしたことだと男は思う。
蛇口にだってテープは張ってある。それどころか念には念を入れてシャワーやトイレの栓まで封印してあるはずだ。
そこでふと気付く。
浴室からは聞こえてこない。
小人たちは水周りから侵入したわけでもなさそうだ。
「なら、どこから」男は虚ろな目をしてキッチンへ向かう。
小人たちは、ガス栓から現れていた。
体を細かくし、コンロの穴からワラワラ出てきていたのだ。
彼は笑った。
笑うしかなかった。
「分かった分かった」酔っていたせいか衝撃が大きすぎたのか他の理由でかは分からないが、彼は全てを諦めた。「分かったよ。でもな、お前らのは全然演奏になっていないんだ。何故だと思う? それは指揮者がいないからさ」彼はどこからか待ち針を持って来た。
「オレがこのマーチングバンドの指揮者になってやるよ」
男が待ち針をタクト代わりに持つと、小人たちは彼の前に並んだ。
「じゃあ、演奏するぞ」
「またこの部屋か」と、検分に来た刑事は行った。
「ええ。そしてまた、ガス自殺です」パートナーの刑事が応じる。「それにしても不思議ですよね。この部屋でガス自殺をするのは、皆、音大生ばっかりですし」
「不思議なことはないだろう。音大のすぐ近くにこんな安い物件があるんだ」初めの刑事が言う。「家賃よりも楽器や楽譜に金をかけようと思うだろう」
「まだ若いのに。指揮者志望の優秀な生徒だったらしいですよ」
「優秀なら、なおさらだろ」
検分を終わった二人の刑事は、楽譜一杯の部屋を出た。
日が沈み、夜になると、剥がされたガムテープの隙間から、小人たちが現れた。
いつもより、音が揃っている。
優秀な指揮者が、この小さなマーチングバンドに加わったせいだろうか。
ある程度の荷物は配置したものの、男は疲れてベッドに倒れた。
いつしかうつらうつらする。
と、何かの音が、まばらに聞こえ出す。
浅く目を開けてみると、小さいものが動いていた。
「なんだ、おもちゃか」
男はそう口にし、次いで慌てたように跳ね起きる。
彼には民芸品の人形を集める趣味はあっても、おもちゃを集める趣味はない。
まじまじと見てみると、手の平サイズの小人達が五体、床の上を歩きながら、それぞれの楽器を鳴らしている。
男は驚きのあまり声も出ない。
小人達は窓の隙間から次々に入ってきているようだ。
シンバルを持った小人、縦笛を吹きながら落ちてくる小人、小太鼓を肩からぶら下げバチを手に落ちてくる小人。 あっという間に数が増え、何体の小人がいるのか数えるのも難しい。
うじゃうじゃと床を歩き回りながら、みな勝手に音を鳴らして遊んでいる。
「うわっ」男は思わず叫ぶ。
その声を聞いて驚いたのか、小人たちは一斉に窓から飛び出していった。
男は目をこすり、静まった部屋を見回す。
何だったのだろうかと思いながら、あれは夢の一種だったのだろうと自分に言い聞かせる。
再びベッドに横になるが、神経が昂ぶっているのか眠れない。
彼は冷蔵庫からビールを取り出し、アルコールの力で、やっと眠れることが出来た。
翌日、深夜。
段ボールの数は減っているが、部屋の中はまだ散らかっている。
昨夜のことを覚えているため、男は窓を閉め鍵を掛けている。
そしてベッドでうつらうつらしていると――
テンツクトンテテ ピーヒョロロン ジャーンジャーン テントテテン
また音が聞こえてきた。
「くそぅ」男は眠気を引きずった頭を上げる。
「やけに安い物件だと思ったら、妙なことがおきやがる」
昨夜のように叫んで追い返してやろうとするが、部屋の中に小人の姿はない。
窓を閉め切ってあるせいでこの部屋には入ってこられないのだろう。
けれど、それならば小人たちはどこから入ってどこで楽器を鳴らしているのだろう。
男は音のする方へ向かっていく。
するとそこは浴室だった。
小人たちは排水口から登り、侵入してきたようだ。
「こんなとこから――」男は眩暈を感じ、たたらを踏む。
呼吸を整えると、男は息を吸い込み、「わーっ」と大声をあげる。
声は浴室のタイルに反響し、驚いた小人は散り散りに逃げる。
「なんなんだ、こいつら」頭を抱えてうずくまる。
そんな彼の視界に、小太鼓が見えた。
逃げ遅れたのか、怯えた様に立ちすくんでいる小人が数体、集まって震えている。
虫を払うような動作で追い払おうとするが、小人たちは動かない。
じっとこちらの様子を窺っている。
男は仕方なしに立ち上がった。
つかんで排水口に捨てようと思ったのだ。
しかし、触れない。
目に見えているのに、捕まえることができないのだ。
実体というものがないのかもしれなかった。
「ああ、なんなんだよお前ら。どうしたら帰ってくれるんだよ」
嘆く男を見て、小人たちは蚊の羽音の様な声で囁きあう。その言葉はどの外国の言葉でもなく、もちろんこの国の言葉でもない。
小人たちはちらちらと男を見ながら排水口へ向かっていくと、浴室から姿を消した。
「――助かった」男はヘナヘナと腰を下ろす。
しかし翌日の深夜になると、浴室からまたもや楽器の音が聞こえてくるのだった。
しかもタチの悪いことに、今回は男が怒鳴り込んでも、小人たちは一体も逃げないのだ。
ピーとかプエーとかラッパを鳴らし続けている。
どうやら昨夜話し合っていたのは、男が小人たちに触れない、つまり自分達にとって無害な存在であると確信していたみたいだった。
「くそぅ」男は睡眠不足と怒鳴り散らしたせいで疲れきっていた。
けれど侵入してきたのが浴室だったので助かったとも言える。
扉を閉めれば、寝室まで漏れてくる音は小さくなるからだ。
それでもやはり、音は気になる。
酒を飲まなければ、今夜も眠れそうにない。だが酒を飲めば飲むほど、精神が過敏になって、音が気になってしまうのだった。
大体、演奏がでたらめすぎて、幼稚園児の遊びそのものだ。演奏などといえるものではない。一瞬リズムが出来たようでも、すぐにばらばらになる。どこか、まだるっこしい。
いや、問題はそんなところではない。酔った頭で彼は考える。
最大の理由、根本的な問題は小人の出現なのだ。
小人が部屋に入れなくすれば良い。
隙間という隙間を徹底的に目張りするのだ。
そう。徹底的に。
気がつくと、朝になっていた。
男は浴室へ様子を見に行く。
昨夜のことが夢であったかのように何の問題もない。
でも夜になれば、今夜もきっとあいつらはやってくるはずだ。
男は外出し、ガムテープを大量に購入してきた。
排水口をテープで塞ぐ。
これでシャワーは使えなくなったが仕方ない。
次にキッチンの排水口。水の中から出てくるかもしれないからトイレは蓋ごと封印する。外付けのファンから排気ダクトを伝ってくるかもしれないので、エアコンの送風口を隙間なくガムテープで目張りする。換気扇の通風孔はもちろん、部屋中のありとあらゆる隙間にガムテープを張っていく。コンセントの穴までも。
一日をかけて、徹底的に目張りをしたため、気が付いたら夜になっていた。
部屋の空気は淀み、あらゆるところがガムテープまみれになっているため、通常の生活を送れる空間ではなくなっていた。
それでも男は満足げにベッドに座り、ビールを飲む。
これで今夜はゆっくり眠れるはずだと。
しかし、どこからともなく楽器の音が聞こえてくる。どこかに隙間があったのだ。
聞こえてくるのはどこからだろう? 耳を澄ます。
聞こえてくるのはキッチンから。
どうしたことだと男は思う。
蛇口にだってテープは張ってある。それどころか念には念を入れてシャワーやトイレの栓まで封印してあるはずだ。
そこでふと気付く。
浴室からは聞こえてこない。
小人たちは水周りから侵入したわけでもなさそうだ。
「なら、どこから」男は虚ろな目をしてキッチンへ向かう。
小人たちは、ガス栓から現れていた。
体を細かくし、コンロの穴からワラワラ出てきていたのだ。
彼は笑った。
笑うしかなかった。
「分かった分かった」酔っていたせいか衝撃が大きすぎたのか他の理由でかは分からないが、彼は全てを諦めた。「分かったよ。でもな、お前らのは全然演奏になっていないんだ。何故だと思う? それは指揮者がいないからさ」彼はどこからか待ち針を持って来た。
「オレがこのマーチングバンドの指揮者になってやるよ」
男が待ち針をタクト代わりに持つと、小人たちは彼の前に並んだ。
「じゃあ、演奏するぞ」
「またこの部屋か」と、検分に来た刑事は行った。
「ええ。そしてまた、ガス自殺です」パートナーの刑事が応じる。「それにしても不思議ですよね。この部屋でガス自殺をするのは、皆、音大生ばっかりですし」
「不思議なことはないだろう。音大のすぐ近くにこんな安い物件があるんだ」初めの刑事が言う。「家賃よりも楽器や楽譜に金をかけようと思うだろう」
「まだ若いのに。指揮者志望の優秀な生徒だったらしいですよ」
「優秀なら、なおさらだろ」
検分を終わった二人の刑事は、楽譜一杯の部屋を出た。
日が沈み、夜になると、剥がされたガムテープの隙間から、小人たちが現れた。
いつもより、音が揃っている。
優秀な指揮者が、この小さなマーチングバンドに加わったせいだろうか。
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Re:なかなか
なるほどです、死んでからも夢を叶えることができたのは、彼にとって一種の救いだったのかもしれませんね。
その視点は、書いていた自分では気付けなかったものです。参考になりました。
その視点は、書いていた自分では気付けなかったものです。参考になりました。
Re:無題
害がなければ有りなんでしょうかねぇ。