子供の頃から、なんの夢も持っていなかった。将来のことなんて考えず、ただぼんやりと毎日を送っていただけ。
だから卒業文集に書く、将来の夢の欄には苦労した。
どんなに考えても、頭にらなにも浮かばず、どんな仕事があるのかさえも知らないでいる自分が情けなくもあった。
結果、デパートの店長とか、思い付いたテキトーなことを書いた。そんなだからか、高校の進路もテキトーに決めた。
なんとなく、デスクワークが体力を使わずに済みそうなイメージだからと商業系の学部を選んだ。
けれどある日から、体が突然動かなくなった。
朝になると、どんなに頑張っても起きることすらできない毎日。
午後になるといくらか活発さは増して動けるようになる。
おかしいなとは思っていたけれど、これがうつ病の始まりだなんて気付かなかった。
午後になっても学校に行く気は起きず、世間体やら気分が落ち込んでいるせいで、家の外へ出ることすらできなかった。
でも、それを変える一つのきっかけが起きた。
小学校の国語教科書に載っていた、ある物語を思い出したのだ。星新一という人の小さなお話し「繁栄の花」がそれだ。
教科書にありながらも独特のユーモアがあり、好きな話だったなと、記憶の底から突然思い出したのだ。
そしてある日、意を決して近くの本屋へ行き、星さんの本を五冊ほど買ってきた。
一気に読み、星さんの虜となる。すぐに次の本が欲しくなり、本屋へ頻繁に通うようになった。
星さんの文章には、簡潔ながら品の良い魅力があり、エッセイにも面白い話が沢山あった。その中から太宰治を知り、好奇心から太宰を読むと、たちまちこれにもハマった。
そして太宰からドストエフスキーにもハマり、星さんの流れを受けてエンターテインメントな作家への関心も広がった。
そして乱読の結果、いつしか物語を書く人になりたいと思うようになった。
やっと「夢」ができたのだ。
けれど、どうしたらなれるのか分からず、ただただ、本を読み続けていた。
思い付いたアイディアや詞、散文の類いはノートに書いていたけれど、どうしても物語の形にはならない。
いくつか書いてみたけど、途中で挫折する。
夢は、そんなに甘い物ではなかった。
せっかく夢ができたのに。
そんな状況に少しの変化が起きたのは、使い古しのワープロが来たことだった。文章の添削が簡単にでき、それはまるでドラえもんの出す秘密道具のような物だった。
話を造り、友達に読んでもらう。
面白いと言われる物もあれば、意味が分からないと言われる話もあった。
その日々は、うつの発作によって、自ら壊すことになってしまったのだけれども。
ある日、自殺をしたくなったのだ。朝から気分が沈んでいて、悩み続けるのが辛くなり、家族が寝静まったら死のうと思った。痛みや恐怖心を和らげようとして、深夜に大量の酒を飲み、台所から包丁を持って来て首に当てた。
でも、皮肉なことにお酒は逆に作用した。恐怖心を限界まで煽り、頭を混乱させ、絶望的な気分を心に深く刻み付けた。
死ねなかった腹いせに、ワープロの画面やキーボードをめちゃくちゃに刺し、壊してしまったのだ。
ワープロを壊したせいでその頃のデータは見られなくなり、一連の騒動で精神科に通うようになった(補足させて頂けると、物には当たったことがあっても人にには当たったことは無いので心配しないで下さい。他人に怒ることも当たることもできない資質の小心者ですので)。
そのせいで今は手書きだけれども、ワープロを使ったおかげで少し、物語の造り方、書き方が分かったきたような気がする。このブログにも、ワープロの経験が、どこかに反映されているのだろう。
精神的に落ち着いてきたとはいえ、一人暮らしを始めた今、夢を見失いかけている。
一人暮らしが煩雑すぎるからかもしれない。まだ慣れていないからかもしれない。
せっかく見つけた夢が生活に壊されようとしている用な危機感。
これは甘えだろうか。
今、また夢を見失いかけている。
「夢なんてみないで、きちんとした生活を送れ」と囁く自分はこう続ける。「どうせ、プロの作家になんてなれやしない」
けれど、このエッセイを書いていて気付いたことがある。
文章を書くのは、やっぱり楽しい。
妥協して趣味のまま続けていけば良いのだろうか。しかしそこには限界がある。
悩みジレンマ葛藤。
夢、追うべきか追わざるべきか。
たとえプロになったとしても、この種の悩みは付き物なのでしょう。いつ干されるか分からない不安。
しかし、これが今のリアル。愚痴っぽくなってしまいました。申し訳ありません。けれど心情さらけ出す覚悟もないでは、何もできないのではないかとも思うのです。
だから卒業文集に書く、将来の夢の欄には苦労した。
どんなに考えても、頭にらなにも浮かばず、どんな仕事があるのかさえも知らないでいる自分が情けなくもあった。
結果、デパートの店長とか、思い付いたテキトーなことを書いた。そんなだからか、高校の進路もテキトーに決めた。
なんとなく、デスクワークが体力を使わずに済みそうなイメージだからと商業系の学部を選んだ。
けれどある日から、体が突然動かなくなった。
朝になると、どんなに頑張っても起きることすらできない毎日。
午後になるといくらか活発さは増して動けるようになる。
おかしいなとは思っていたけれど、これがうつ病の始まりだなんて気付かなかった。
午後になっても学校に行く気は起きず、世間体やら気分が落ち込んでいるせいで、家の外へ出ることすらできなかった。
でも、それを変える一つのきっかけが起きた。
小学校の国語教科書に載っていた、ある物語を思い出したのだ。星新一という人の小さなお話し「繁栄の花」がそれだ。
教科書にありながらも独特のユーモアがあり、好きな話だったなと、記憶の底から突然思い出したのだ。
そしてある日、意を決して近くの本屋へ行き、星さんの本を五冊ほど買ってきた。
一気に読み、星さんの虜となる。すぐに次の本が欲しくなり、本屋へ頻繁に通うようになった。
星さんの文章には、簡潔ながら品の良い魅力があり、エッセイにも面白い話が沢山あった。その中から太宰治を知り、好奇心から太宰を読むと、たちまちこれにもハマった。
そして太宰からドストエフスキーにもハマり、星さんの流れを受けてエンターテインメントな作家への関心も広がった。
そして乱読の結果、いつしか物語を書く人になりたいと思うようになった。
やっと「夢」ができたのだ。
けれど、どうしたらなれるのか分からず、ただただ、本を読み続けていた。
思い付いたアイディアや詞、散文の類いはノートに書いていたけれど、どうしても物語の形にはならない。
いくつか書いてみたけど、途中で挫折する。
夢は、そんなに甘い物ではなかった。
せっかく夢ができたのに。
そんな状況に少しの変化が起きたのは、使い古しのワープロが来たことだった。文章の添削が簡単にでき、それはまるでドラえもんの出す秘密道具のような物だった。
話を造り、友達に読んでもらう。
面白いと言われる物もあれば、意味が分からないと言われる話もあった。
その日々は、うつの発作によって、自ら壊すことになってしまったのだけれども。
ある日、自殺をしたくなったのだ。朝から気分が沈んでいて、悩み続けるのが辛くなり、家族が寝静まったら死のうと思った。痛みや恐怖心を和らげようとして、深夜に大量の酒を飲み、台所から包丁を持って来て首に当てた。
でも、皮肉なことにお酒は逆に作用した。恐怖心を限界まで煽り、頭を混乱させ、絶望的な気分を心に深く刻み付けた。
死ねなかった腹いせに、ワープロの画面やキーボードをめちゃくちゃに刺し、壊してしまったのだ。
ワープロを壊したせいでその頃のデータは見られなくなり、一連の騒動で精神科に通うようになった(補足させて頂けると、物には当たったことがあっても人にには当たったことは無いので心配しないで下さい。他人に怒ることも当たることもできない資質の小心者ですので)。
そのせいで今は手書きだけれども、ワープロを使ったおかげで少し、物語の造り方、書き方が分かったきたような気がする。このブログにも、ワープロの経験が、どこかに反映されているのだろう。
精神的に落ち着いてきたとはいえ、一人暮らしを始めた今、夢を見失いかけている。
一人暮らしが煩雑すぎるからかもしれない。まだ慣れていないからかもしれない。
せっかく見つけた夢が生活に壊されようとしている用な危機感。
これは甘えだろうか。
今、また夢を見失いかけている。
「夢なんてみないで、きちんとした生活を送れ」と囁く自分はこう続ける。「どうせ、プロの作家になんてなれやしない」
けれど、このエッセイを書いていて気付いたことがある。
文章を書くのは、やっぱり楽しい。
妥協して趣味のまま続けていけば良いのだろうか。しかしそこには限界がある。
悩みジレンマ葛藤。
夢、追うべきか追わざるべきか。
たとえプロになったとしても、この種の悩みは付き物なのでしょう。いつ干されるか分からない不安。
しかし、これが今のリアル。愚痴っぽくなってしまいました。申し訳ありません。けれど心情さらけ出す覚悟もないでは、何もできないのではないかとも思うのです。
PR
この記事にコメントする
こんばんは。
夢に対する考え方は人それぞれあると思います。
やり場のない、苦しみと虚無感が入りまじっているように感じます。
もし、私でお役に立てる事がありましたら、
ご遠慮なくどうぞ。
心の平穏が訪れますように。
やり場のない、苦しみと虚無感が入りまじっているように感じます。
もし、私でお役に立てる事がありましたら、
ご遠慮なくどうぞ。
心の平穏が訪れますように。
Re:こんばんは。
今は少し安定しています。
心配かけてすみません。安定よりも不安定を求める、破滅型人間な性格なものでf^_^;
心配かけてすみません。安定よりも不安定を求める、破滅型人間な性格なものでf^_^;
無題
物語を書く事は自分の深淵を覗きこむ気がします。好きな事は好きだと言って続けるしかない。あきらめたりやめたりする必要なんて無いんだと思います。
すごい作品に出会ったときに受ける衝撃は作り手になって初めて味わう感情の入り乱れる快感だと思うんです。これは特権で醍醐味だと思う。
荒波や嵐の夜をじっとやり過ごせますように。
すごい作品に出会ったときに受ける衝撃は作り手になって初めて味わう感情の入り乱れる快感だと思うんです。これは特権で醍醐味だと思う。
荒波や嵐の夜をじっとやり過ごせますように。
Re:無題
ありがとうございます。
不安定な波に慣れようとは努力しているのです。
弱音も上手く昇華して、ネタに出来るようになれたらいいな、なんて思うのです。
不安定な波に慣れようとは努力しているのです。
弱音も上手く昇華して、ネタに出来るようになれたらいいな、なんて思うのです。