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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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 アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群という病気が見つかって、四半世紀が過ぎた。
 この病はアンドロメダ星雲にある植民星、ナラウムが発症の地とされているからこの名前が付いた。
 ナラウムの原生虫、ティファイトが人間に寄生して起こる症候群である。
 原因がはっきりしているので、感染経路も分かりやすく、予防もしやすい。だが、この奇病には二つの厄介な問題点があった。
 一つは患部。
 ティファイトは目蓋の裏に棲むので、割りと判明しやすい病気である。まばたきに遅れてティファイトが姿を現すことがあるからだ。そしてその触手は視神経に沿って脳細胞へ届き、脳下垂体や視床下部、大脳辺縁系と複雑に絡み合っているため、手術によって取り除くことが難しい。
 その困難さたるや、例えてみれば大地を傷つけずに木の根を掘り出すのと同じくらいの難易度なのだ。
 手術が成功しても後遺症が残ることは必定であり、この問題点が第二の問題と深く関わっている。

「簡単に言ってしまえば、アンドロア・ナラウムシス・ティファイト性クルルッタ・クリリッタ症候群はホルモンのバランスを調整し、脳内麻薬であるエンドルフィンやドーパミン等を糧としているのです」
 一人の男性と二人の女性を前にして、医師はそう説明した。
 男の目はどんよりと濁っていて無表情だ。時折まばたきをする目蓋に遅れて緑がかった透明な膜が窺える。
 この男性が寄生されているのは明らかだ。
 付き添いの女性は一人が若く、もう一人は年老いている。
 母親と、男性の妻。
「その」母親が口を開いた。「ホルモンバランスのせいで、寄生された人は同じような容姿になってしまうのですか」
「その通りです」医師は頷く。「皆一様にして、目を瞠るべき美男美女と言われる姿へ変わるのです」
「取り除くと、どうなるのですか」
 続く母親の質問に、医師は表情を曇らせる。
「上手く取り除けても、ダメージを負った脳細胞の回復とは別の話ですので……バランスを崩したホルモンのせいで、容姿に変化が現れるのは確実です。しかし脳内物質を搾取されることはなくなり、感情が甦るのですよ」
「しかしその感情も、普通とは違うと聞きましたけれど――」母親は浮かない顔をしている。
「感情の暴走、混乱といったものは一時的なものです。精神医療の分野は、この一世紀で飛躍的な進化を遂げました。この点は大丈夫です」
「ね、お母さん。ですから昔と違って、今ではなんの問題点はないんですよ」
 嫁が姑を説得する。
「でもねぇ」
 母親は二の足を踏んでいるようだ。
「このままでは虫が成長して、脳を押し潰してしまうかもしれないんですよ」妻は切迫感溢れる口調で言った。
「先生、半分だけ残して容姿はこのまま、なんていうことはできないんでしょうか」
「まだそんなことをおっしゃって」恨みがましい目をして義母を見る。
「今までにも、そのようなイイトコ取りを試した例はあるようですが」医師はあくまで落ち着いて言う。「その結果はいずれも惨憺たるものに終わっています。ティファイトは生命力が弱く、少しの傷でも死んでしまうのです。ですからデリケートな眼球付近に寄生するのでしょうけれども。死ぬとティファイトは壊死し、毒素を撒き散らします。そしていずれの患者さんも帰らぬ人に――おすすめはできません」
 自分の病気のことを言われているのに、男性は無反応だ。恒常的に脳内物質を吸い取られ、思考すらできない状態なのかもしれなかった。
「お義母様、何もそこまで外見を気にしなくてもいいんじゃないですか」
「あなたは他人だから分からないんです」
 若い女性はその言葉に熱くなった。
「私は他人じゃありません! この人の妻です!」
 憎しみすら宿らせるような目で、義母を見る。
 対して年老いた女性は冷静、というよりも冷淡な目をして見返している。
「本当に、そう思っているのかしらね」
「本気です!」
「そうですか」患者の母やため息を吐いた。
「分かりました。それならいいんです」
 こうしたいさかいに慣れているのか、耳を閉ざしていた医師は、事態の収拾する気配を感じて、カルテから目を離した。
 何事もなかったかのように医師は言う。
「ティファイトの性質上、数度に渡っての手術はできません。さきほども言った通り、ティファイトは死ぬと毒素を分泌しますからね。一度の手術で摘出しなければならないのです。ですから二、三人の交替制で一日から二日、集中的に手術を行います。後は患者さんの体力次第なのですが、幸いにして年齢もお若いので大丈夫でしょう」
「そうですか」もの憂げに母親が尋ねる。「手術の日程は、いつ頃になるのでしょうか」
「ん、そうですね」医師はペン先でコメカミをいじった。「他の先生方のスケジュールもありますので、早くて一週間後になるでしょうか。でもご安心ください。皆ベテランの先生ばかりですよ」
「よろしくお願いいたします」
 二人の女性は頭を下げた。
 実際、手術は一週間後に行われることになり、二人の医師が交替で休憩に入りながらも、丸二日ぶっ通しでの摘出手術が施された。
 そして無事にティファイトは取り除かれ、患者は無菌室で数日間の投薬を受ける。
 技術が発達しているため、仰仰しい包帯を巻く必要もなく、額と側頭部に穴を開けただけであり、包帯もその部分だけだ。
 点滴からは抗生物質、ビタミンK、生理食塩水、各種ホルモン、抗うつ剤に精神安定剤が投与されている。それから、まだ自力での食事ができないので高カロリーの栄養剤も。
 日に日に患者の意識もはっきりしてくる。
 白衣を着ての面会も可能になるが、鏡の持込みは厳禁とされている。顔面の歪みが大きくなり、本人の精神的外傷を鑑みてのことである。
 事実、端正だった顔立ちは顎の歪みから始まって目蓋の引き攣り、肌ツヤは失われ筋肉の弛みといった相互作用によって崩されている。
 それは病にかかる前の彼を知る者にとっては破滅的とも言える変わり様であり、親しければ親しい存在であるほど、我慢ができなくなってしまう種類の変貌であった。
 しかし肉親であれば、愛ゆえにこそ乗り越えられる障害でもあるのだろう。
 彼の母親は毎日、見舞いに訪れる。
 対して妻は、次第に足が遠のいてしまう。
 そしてある日、嫁は義母に涙ながらに離婚を申し出る。
 義母は承諾し、嫁であった女性との関係は消失する。
 病院を出て行く一人の女性の背中を見ながら、患者の母親は思うのだ。
 だから私は外見を気にしていたのだと。きれいな顔のまま死なせた方が良かったのではないかと。
 しかし見捨てる罪悪感は残っただろう。
 対して、容貌の変化により見捨てるという罪悪感が、今のあの女性にはある。
 どちらの方が良い結果を生んだのだろう?
 それは息子――元彼女の夫である、あの子の生き方いかんに関わっているのだろう。
 ため息を吐き、病室へと戻って行く母親。
 さらにその母親を見て、医師は病に悩む人の姿を嘆くのだ。
「いつの世でも、病に関わる人は不幸だ」と。
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 もう十二時か。
 ユウヤは少し困っている。
 友人のナガトミが、なかなか帰ってくれないのだ。買ってきたばかりのゲームを始めてから三時間。
 ユウヤは退屈し、ちょっと眠くなっている。いや、かなりの眠気を感じている。
 目をこすり、ぼんやりとゲーム画面を見つめる。
 平面なモニターは、懸命に三次元に似せようとしてポリゴンを複雑化させている。車は破壊的スピードで走り、背景は時のように流れて消える。
 変化する画像速度は、睡魔に襲われたユウヤの脳の限界を越えている。そのせいか、彼はますます眠くなる。
 手を伸ばし、背筋を反らせると、ユウヤは大きく口を開いた。
「ふあ~ぁ」
 あくび。
 閉じた目から涙が流れる。
 大きく息を吸い、そして吐く。
 一回では頭がクリアにならず、二回目のあくびをする。
 その時だった。
 彼の口の中に、何かが入ってきた。
 舌に張り付いたそれはどこか甘く、驚いたユウヤは口を閉じ、思わず飲み込んだ。
 あくびを止められた不快感よりもまず、彼は戸惑った。
 この味は何だ、何を飲みこんだ? 口の中に溜まった唾液は飲むべきか吐き出すべきか?
 不確定な想いの中で分かっていることは、ただひとつ。
「飲んじゃった」
 反射的に、思わず、何も考えず。
「え?」モニターに目を向けたまま、ナガトミは尋ねる。
「飲んじゃった」
「だから何をだよ」
「分かんない」
「はあ?」ナガトミは失笑し、ポーズボタンを押す。「何言ってんだよ」
 そこで初めて彼はユウヤの顔を見た。
「飲んじゃったんだよ」
 表情の欠落したユウヤを視て、ナガトミはやっと、何らかの異常が起きたことを知る。
「どうした」
 ナガトミの言葉に、ユウヤはたどたどしく答える。
「あくびしたらさ、何か良く分かんないけど、口に入ってきたんだ。それ、飲んじゃったんだよ。ヤバイかな」
「何を飲んだんだよ」
「だから分かんないって。目、閉じてたし。虫だったらどうしよう……あ、でも、なんか甘かった気もする」
「甘い? じゃあ虫じゃないんじゃね?」
「虫じゃないなら何を飲んだのかな――」
「つーか、なんで飲んだんだよ」
「分かんないって。あ、あれ?」
 ユウヤはげほごほと咳をする。
 喉が熱い。舌の根にある感覚は辛味のようだった。
「辛っ! かっれーっ!」ペットボトルを掴み、蓋を開ける。
 紅茶を飲むユウヤを、ナガトミは心配そうに見ている。
「ゲホッゲホゲホ。うわっまだ辛いよ。なんだこれ、さっきの飲んだせいかな」
「どうしたんだよ」
「なんか喉が熱くってさ、なんか口の奥が辛いんだよ、どうすりゃいいんかな」
「とりあえずあれだ、うがいでもしてきたら?」
「ああ、うん。そうだな、うがいしてくる」
 ユウヤはキッチンへ駆けると水をコップへ汲み、うがいを始める。
 ナガトミはゲーム機本体のボタンを押してディスクを取り出すと、パッケージへしまう。
 隣のキッチンから、ユウヤのうがいをする音が聞こえてきた。
 五分も経たずに、ユウヤはコップを手にして部屋へ戻ってきた。
「辛いのは消えたか」ナガトミはユウヤの顔を見てぎょっとする。
「消えたけど喉が渇――」友人の異変に気付く。「どうした?」
「赤くなってないか、首の辺り」
 言われてユウヤは姿見を覗く。
 首から顎にかけて赤くなり、ぽつぽつと湿疹のような膨らみができている。
 嫌な予感とともに服を捲り上げてみると、予感は的中。胸、腹部両方が首と同じような状態になっていた。
「俺、何を飲んだんだろう」ユウヤはつぶやく。
「うわっ、お前どうしたんだよ」ナガトミが声を上げる。「背中まで真っ赤だぞ」
「――湿疹みたいの、できてるか」
「できてる。大丈夫か?痒くはないのか」
 言われた途端、ユウヤはムズ痒さを感じ始めた。
 室内のわずかな空気の流れすらが刺激して痛痒感を増幅しているようにも感じる。
 しかし掻いたら虫さされのように痒みが広がりそうな気がして、ユウヤは我慢する。
 服を下ろしてコップの水を飲む。
 心を落ち着かせようとするが、湿疹を見たせいで動揺は大きくなるばかり。
「俺、何を飲んじゃったのかな。この湿疹も飲んじゃった奴のせいなのかな」
 救いを求めるような目で見られ、ナガトミは考える。
 しかし簡単に答えの出るわけもない。
「とりあえず明日――あ、もう今日か。今日さ、早めに病院行けよ。朝になったら消えてるかもしれないしさ、気にしない方が良いと思う」
 気安めの言葉であるのは分かっていたが、ユウヤは頷いた。
「病院、行ってみるわ」背中をくねらせ、彼は言った。
 その様子を見て、ナガトミは痒そうだなと思い、次に感染性について考えた。さらには何を飲んだのか分からないが、その何かがまだ室内にある可能性もある。
「今日は風呂に入んない方が良いぞ」ナガトミは荷物を手に取り、立ち上がる。「湿疹は血行が良くなると広がるらしいからな」
「帰るのか?」シャツが擦れるだけで全身が痒い。
「うん。お前もその方が良いだろう。今夜は早く寝とけ」
「ああ、分かった」痒みに意識を支配され、友人の薄情さに気付かない。
 ユウヤはナガトミを見送ると、玄関のドアにかぎとチェーンを掛けた。
 部屋の中を片付けていると、知らずうちに体を掻いている自分に気付かされる。
 痒い、痒い。
 どうしようもなく痒い。
 なんでこんなに痒く――ユウヤは考える――痒いってのはアレルギーからだろ。ってことは飲んだ奴が飲んだヤツがアレルギーの元なのか?アレルギーって、ひどいヤツになると死ぬ場合もあるんだろ。俺、大丈夫かな。なんなんだよ、あれ。
 うがいをした時に、実は一度、胃の中の物を吐いてみたのだが、それらしい物は見当たらなかった。
 なんだろう。
 なんなんだろう。
 布団に入っても、ユウヤは不安と恐怖と痒さのせいで眠れない。
 全身を掻く。
 腕や足まで痒くなってきた。
 掻く、叩く、撫でる、つねる、爪で十字に跡をつける。
 いろいろ試しても効果は刹那的なものだ。
 濁点を付けた『あ』とか『い』とかの語尾を伸ばして、ユウヤは呻いている。時々「痒い痒い痒い」と連呼し、ばりばりと皮膚を掻く。
 布団は乱れ、着ているスウェットも乱れている。
 とても他人に見せられたものではない。
 布団の上で転がり、跳ね、体を捻り、背を反らせ、丸くなる。
 しかし意識の底には、氷でできた針を背筋に刺されたような恐怖感が張り付いている。
 半端な痛みより辛い拷問。
 正体不明の恐怖感。
 実は何かを飲んだというのは気のせいだったりするのだ。本当はナガトミに早く帰って欲しいために起きた心理的なもの。病院に行って医者から問題無しと言われるまでユウヤの苦しみは続いたのであった。
  

 お母さん業を営むむつ子さんはこう語る。

 ――人生というものは、辛く険しく厳しいものです。特に混迷なる今の時代、このような職種も必要なのではないでしょうか。

 ではお母さん業は時代が求めたものだと?

 ――ええ。生や死の問題が拡大解釈されるに従って、その神聖性は皮肉なことに失われてしまったのです。そのことに一番敏感な弱い人たちが気付き、自分を守るために牙を剥きました。その次に弱い人たちは仮想世界へと逃げ込み、殻を堅く閉ざしてしまいました。今、彼らに必要なものは包容力なのでしょう。

 弱い人たちが牙を剥いたとは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?

 ――窮鼠が猫を咬むという喩えの通りですよ。神聖性を失った生や死に代わって彼らを襲うのは現実なのです。それも普通の人が感じるよりもリアルで生々しい現実感です。生臭い息を吹きかける魔獣の爪よりも鋭く、深く人の心を抉り取り、突き刺さります。どんな暴力よりも、見せかけの優しさの方が強く精神を揺さぶり傷付けるのです。その反発は殺人といった重大な犯罪から、登校拒否という自らを傷付ける行為、そして小さな嘘などと多岐に渡る反社会行動のすべてなのですよ。

 小さな嘘ですか。そんな所にまで影響が出るのですか?

 ――出ますよ。それは確信的な嘘ではなく、保身的な怯えという感情から出る切羽詰った嘘として現れるものなのです。

 保身的な嘘ですか。感覚的には理解できるのですが、その構造はちょっと理解しかねます。それはやはり、心理学の専門家であったむつ子さんならではの考えなのでしょうか。

 ――それは古い話です。けれども、そうですね。心理学的な見地も大きいですよ。母親が子供を心を真っ先に見通さずして、優しく包むことは無理なことですからね。

 なるほど、やはりそうした下地があってこそのお母さん業であり、従業員の育成プログラムとして役に立っているのですね。

 ――そんな大それたことではないのですけれど(苦笑)

 お母さん業を依頼しに来る人たちが、ある定型に分けられるとのことですが、どういった所で見分けられるのでしょうか。

 ――それは企業秘密に関わることですので多くは語ることができないのですが、一つ、大きな点を上げるとすれば洗濯物でしょうかね。

 洗濯物ですか。これは意外なお言葉ですね。

 ――そうかもしれませんね。しかしこれは重要な点なのですよ。洗濯をする物の種類や状態で、大まかなことは分かります。例えばタオル地の多い場合はマザーコンプレックスの片鱗が窺えますし、脱ぎ散らかしたままの状態であれば、男性らしさを重視する人物というように捕らえることができるのです。

 なるほど。そしてそのタイプに合わせて理想のお母さんを演じるというわけですか。

 ――演じると言うには語弊がありますけどね。

 失礼しました。

 ――いいえ。まあ、世間の方から見ればそうなのかもしれませんね。

 ところで、お母さん業を開設するにあたってのエピソードがあるそうですけれど、そのお話を聞かせて頂けませんでしょうか。

 ――そうですね。これは多くのお母様方に聞いて頂きたいと思ってもいる話なので、お話しましょう。それは心理学を教えていた大学時代にまでさかのぼる話なのですが、大学生のサークル勧誘の裏に、多くの宗教団体が関わっていることはよく聞かれる話です。大学生という、思春期を脱し切れていない精神状態の中で、母親の不在がいかに大きな問題となっているのかを理解していない方々のお子様ほど、その宗教の毒牙にかかってしまうという現実を見てきたからなのです。もちろんこの場合で言う母親の不在とは、実際に母親がいる、いないということではなくて、精神的な存在としてのことなのですけれどもね。

 では、そういった学生を見るに見かねてといった所が出発点だったのですね?

 ――そうです。私はまず宗教とはどんなものなのかを基本的なことから学び、理解しようとしました。その中から得られた結論の一つに、どんな宗教の神でも人を愛すると同時に憎んでいるという二律背反に気が付いたのです。それはまさに父であり母であるのですが、それは誰もが持つ理想的な両親であり、実際の両親には投影できない種類のものなのです。そして今の時代は荘厳なる父性よりも慈愛たる母性が求められていると考えました。

 神は憎しみを持っていますか。

 ――ええ。持っています。それは実際に神様がいたとしたならば、きっと噛み締めた歯がヒビ割れ歯茎から血を流すほどに人間というものを呪い、痛めつけようとしているのではないかと思えるくらいにです。

 それはまた壮絶ですね。

 ――神がその対称となっている悪魔や悪鬼への情け容赦のない姿勢を見れば一目瞭然でしょう。人は心の内に悪を抱えていますからね、当然その資性は受け継がれてしかるべきと考える方が自然でしょう。

 では悪に対する厳しさこそが父性であり、善に対するありったけの愛情が母性にあたると?

 ――その通りです。もちろんそれは簡単にした図式であって実際にはそう単純なことでもないのですけどね。

 分かります。深いお考えがあってのことなのですね。

 ――そこまで言われると、ちょっとくすぐったい気持ちがしてしまいますが、その通りですね。

 むつ子さんのおっしゃることこそがお母さん業の本質であり、バッシングに対するお答えでもあるのですね。

 ――そうです。男性による女装趣味の正当化などという言いがかりは単なる誹謗中傷であって、私が女装しお母さん業を営むことにはそれなりの覚悟と考えがあってのことなのです。

 本日はご多忙の中、貴重なお時間を割いて下さってありがとうございました。

 ――いいえ、こちらこそ。

 それでは最後に一言、お願いできますでしょうか。

 ――そうですね。では一つだけ。我が社はもちろん男性のお母さんだけではなく、女性のお母さんを募集しております。ですので女性の方も遠慮なさらずご連絡頂ければ幸いかと……。

  

気付いたらだいたい一年経っちゃいました。

読んでくれているみなさん、感謝です。
ハレさん、長く続けることが目的じゃあないが、二年目もよろしくということで。(更新係)
  

 街中の雑踏。きらびやかなイルミネィション。人の群れ。
 両親に挟まれ、手をつないだ少年は、気が付くと一人。迷子になっていた。
 視界を塞ぐのは大人たちの足、足、足。
 少年は両親の姿を探してさまよい、時に蹴られる。
 寂しさと惨めさと身体的苦痛と焦りと無力さとで小さな体をいっぱいに満たし、少年は涙を流していた。
 近付いては去って行く人影。交鎖する足。
 大勢の中で少年は一人、初めての孤独を味わっていた。
 そんな少年の肩を、ぽんと叩く一つの手。
 振り返ると青い涙を流したピエロが立っている。
 ピエロは風船を渡そうとしていたが、少年が泣いていることを知ると、顔を悲しげに歪ませる。
 風船の糸をまとめている段ボールに絡ませ戻し、腕に掛けていた手編みふうのバスケットから一包みの袋を取り出した。
 少年が受け取ると、ピエロは巻き取られたヨーヨーのようなパントマイムをして消えて行く。
 袋の表面には文字が書いてあった。
「とってもとっても あま~いおかし
 ほっぺがおちて あながあく」
 少年は袋を破いて、柔らかく乳白色をした見たこともないお菓子を口に含んだ。
 砂糖よりも甘く、凝縮された雨の日の匂い。
 舌が爛れるように口の中が熱くなる。
 口中に広がる甘さは粘膜から吸収されて少年の頬を膨らませ、溶けさせる。
 少年の頬には大きな穴が開き、唇は伸びた輪ゴムのように上顎と下顎をつなげている。
 頬の筋肉がなくなったせいで、口を閉じることができなくなってしまったのだ。
 頬の溶けた痛みはなく、代わりにあるのは両頬や口を伝い流れる唾液のもたらす淫靡な感覚。未発達なリビドー。しかし本能的な背徳感に自然と心が高揚する。
 涎は顎を伝い首を伝って服を濡らし、あるいは顎の先から地面に滴り落ちる。
 頬の穴から見える、宙に浮いた赤黒い炎は少年の舌だ。
 少年は虚ろな目をして歩いて行く。
 人生にも似た、目的のないふらついた足元。
 ふわふわと歩いているうちに、少年はサーカスのテントを見つけた。
 暗がりの中を、引き寄せられるように近付いて行く。
 人気のない幕舎内は明りもなくひっそりとしている。
 耳鳴りのしそうなほどの静寂。
 少年はステージの中央に降り立つ。
 真上からスポットライトが少年を照らし、彼は満杯の客席に向かって恭しく一礼をする。
 顔が下を向いた時には、かちりと歯が鳴り口が閉じる。だらしなく唾液は流れ続け、姿勢が直るとまたもや顎はだらりと下がる。
 タップダンスをしながらラインダンスを踊る一群が少年を取り囲み、タカタ タタ タタタタと靴を響かせた。
 ラインは輪となり小さくなる。
 大人たちの影。
 少年は不安になって手を伸ばす。
 何かを掴んだ。
 少年はもがくように強く、それを引く。
 鮮血。
 手にしたものは誰かのピアス。
 ダンサーたちは怒号のような悲鳴をあげて、影絵のごとく四散する。
 少年は高見から人々を見渡していた。
 ずらりと並んだこけしの頭が彼を見上げている。
 少年の頬に棒が通され、紐にくくられる。背中を押されて宙に跳ぶ。
 インドの苦行にも似た空中ブランコ。
 唾液が飛び散り線を引く。
 少年は四つ並んだ玉にぶつかった。
 少年のぶつかった所から一番離れた距離にある玉が反動ではじき出され、振り子の軌道で隣の玉にぶつかる。少年はその反動で飛ばされ、遠心力に身動きが縛られる。頂点で止まると次は落下と糸に引かれる感覚で酔ったような気持ちになった。
 離れたばかりの玉に衝突しそうになるが、玉はライオンの頭に替わっていた。
 白い牙の奥には暗黒の宇宙が広がり、少年は頭から宇宙に放り投げられる。
 頬の棒は消えてなくなり、銀河の渦が穴を通り抜ける。
 あまりの寒さに少年は両手で穴を塞ぐ。
 口の中に留まる唾や肺の中の空気は、真空の宇宙へ向かって勢いよく迸る。
 滝のように流れた空気は透明な輪っかになり、唾液は伸びきったカメレオンの舌のようにだらしなく続いている。
 口の気圧が低くなったせいで、両手の肉が内側に吸い込まれる。手の肉が丸く切り取られ、頬の穴と同じ大きさの穴が両手にできた。手の肉はそのまま口から吐き出されると、転がるマンホールの蓋のようにサーカスのテントを転がり、コインのようなダンスをしながら倒れる。
 少年はテントの頂点に立ち、手の穴を見る。
 手を顔につける。
 サングラスみたいに向こうが見えた。
 めりめりと眼球が音をたてて盛り上がり、もこもこと手の穴へ移動する。
 手の穴は目で塞がったので少年はほっとする。
 テントの柱の先についていたボールを二つ取り、眼窩にはめ込み頷くと、少年はテントの坂を前転しながら下る。
 目は手にあるが、視神経はつながっている。
 テントを下ると、文字通り目が回っているのが互いの目に映った。
 少年は地面に落ちていた手の肉を二つつまむと、息を吹きかけほこりを落とす。
 近くに鍛冶屋を見つけると、少年は手の肉を手渡した。
 鍛冶屋は黙って手の肉の周囲に釘を打ちつけ、少年の頬にはめこんだ。
 二つの穴はぴたりと塞がり、漏れていた涎も止まる。
 くるくると手の肉が回転すると口が閉じ、反転すると口が開く。
 少年は深々とお辞儀をする。
 姿勢を戻して鍛冶屋を見ると、顔が黄色い風船になっていた。
 風船は風によって飛ばされ宙を浮う。
 少年は風船を追いかける。
 手の平を上に向け、風船を視界に捕らえたまま走る。まるで見えないガラスでも運ぶみたいに。
 風船は黄色から赤へ変わり、青へと変わる。
 少年は色が三十周するまで追いかけ、黄色の時にやっと捕まえた。
 黄色い風船を口へ運び、奥歯で噛み締める。
 心地よい破裂音。
 ぽふっと少年は煙を吐き出す。
 煙はみるみる人の姿を形造り、青い涙を流したピエロになった。
 ピエロはにっこり笑うと少年の頭を撫で、去って行く。
 少年は満面の笑みを浮かべ、自分が大人の仲間入りをしたことを自覚した。

  

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