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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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 その主婦は、ビールを片手につぶやいていた。
「ダメねぇ、あたしって。ダンナは仕事をしているっていうのに、昼間っからビールなんか飲んで。でも、お酒がやめられない。いつからこんなになっちゃったんだろう」
 ビールをゴクゴクゴクッと喉に流し込む。
「考えてみると、料理しながらお酒を飲むのが習慣になったのが悪かったのかしら。キッチンドランカーってやつね。でも料理を作りながら飲むお酒って、とってもおいしいのよねぇ」
 再びビールを口に含む。
「あたしはお酒飲む方じゃなかったけど、ダンナと出会ってから飲むようになったんだっけ。お酒に合う料理を作ろうと思って、お酒の勉強をして、ダンナ好みのお酒とそれに合う味付け。それを試しているうちに習慣になったのかしら」
 彼女はまたもビールを口に運ぶ。しかし中身は空になっていた。
 冷蔵庫へ向かい、新しくビールの缶を取り出し、プルタブを開ける。そして一気に半分近くを飲んだ。
「やっぱりそのせいかしら」充血した目で、彼女はつぶやき続けている。「やっぱりそうよ。ダンナのせいなんだわ。こうなったのも何もかも。いっそ離婚して――」
 ビールを飲む。
 もはやアルコールがなければ考えられない状態にまで陥っているらしい。
「ダメダメ。離婚したって損するのはあたしだけ。何とかしなくっちゃ」
 そう言いつつも、早くもビールを一缶飲み干すのだった。
「もう空だわ。お酒控えなくっちゃね」
 彼女はビール缶をそのままに、手近な雑誌をペラペラとめくる。
 ちょっと気になるダイエット法の記事を見付け、それを読む。しかし五分も経たないうちに、目は文章だけを追い、内容を把握できなくなってくる。だが、彼女はそうなっていることも、手が小刻みに震えだしていることにも気付いていない。
 ただただページをめくり、酒が飲みたいと思い、イライラし始める。
 と、視界の端に何かが見えた。
 緑色をしたウサギが一羽、嫌らしい目付きでこちらを見ている。
「ああ、また始まった。あのウサギを追い払うためにはお酒を飲まなくちゃ」
 ビールを取りに行き、そのまま冷蔵庫の前で一缶飲み干す。
 辺りを見回すと、緑色のウサギの姿は消えている。
 ホッとしたついでにもう一缶ビールを飲むことにする。一口飲んで元の位置へ。
 集中力が戻ってくるのが分かり、文面の内容が頭に入ってくる。
 ダイエットの記事を初めから読み直し、読み終えて次のページを捲る。そこで一瞬、時間が止まったような気がした。
 見開きの広告。そこには『アルコール依存症脱出のための合宿』と書いてあったのだ。しかも期間はたったの一週間。まさに苦境の中、天使が舞い降りたかのようなタイミング。
「一週間か」彼女はつい口に出す。「お友達と海外旅行に行ってくるって言えばごまかせそうね。実際、四年前に二週間ほどヨーロッパ旅行へ行って来た事もあったし」
 彼女は既に決断していた。あとは実行あるのみ。

 そしてその主婦は、合宿施設にやってきた。
 料金は高めなのだが、一週間でアルコール中毒から卒業できるのだ、この値段なら安いもの。と、彼女は感じている。
 なんと言っても彼女にとっては、暗雲立ち込める中に差した一条の光なのだ。すがりつくような思いで夫を騙し、ここまできたのだから。
 この施設に集まったのは彼女を含めて男女六名。人数が多いのか少ないのか、彼女には分からなかったが、そんなことはどうでもいいのだ。
 インストラクターが現れ、館内を案内される。各自に割り当てられた部屋に荷物を置き、再集合。
 早速インストラクターの説明が始まり、まずはヨガにも似た奇妙な体操をさせられた。
 呼吸法を教えられ、精神を統一するための方法を教わる。
 この体操はヨガから脳をリラックスさせ、かつその働きを活性化するエッセンスを取り出して編み出されたものだと言う。
 リラックスするのに活性化させるとは矛盾な話だけれども、必死な彼女達には疑う余地などまるで無い。
 終始笑顔を浮かべたインストラクターの指示の下、注意を受け、正しいとされる動きをする。
 その後、休憩と夕食を挟み、今度は散歩という名のジョギングが始められた。
 夜にはヘトヘトに疲れた所で、アルコール依存症の仕組みを知ろうという勉強会が始まる。CGやアニメーションを交えた子供向けのような内容だったが、疲れた彼女達には下手な睡眠導入剤よりも効果を発揮し、その夜は全員が満足な眠りを久々に味わった。
 翌日は疲れた筋肉をほぐす体操から始まり、ジョギング、そして勉強を午前と午後に一セットずつ行った。この日も夜はぐっすりである。
 三日目。疲れて眠っていたいのだが、強引に起こされる。その甘えが依存から脱し切れていない証拠なのですと言われれば不安になって起きようと言うものだ。
 四日目。眠っても全然疲れが取れない。にも関わらず、インストラクターはこう言ってのけた。
「今日で四日目です。皆さんも大分この生活にも慣れたことでしょう。しかし油断してはいけません。ここで手を休めることこそ、元の状態に戻ってしまう元凶なのです。ですから午前午後に加えて夜にもう一セットがんばりましょう」
 そうして一日三セットになり、夜の勉強会の内容が何か怪しげなものであることにも気付かず、彼女達は必死でインストラクターの言葉を復唱する。
 声が小さいとダメ出しをされ、自分でも何を言っているのか分からなくなるくらい何度も復唱させられる。
 夜寝るときにはこれを聴いて下さいとICレコーダーを手渡しされ、なにやら分からぬ内容の音声を夜通し聴くはめになる。そのために夜は寝付けず、かなり苦しい思いをした。
 五日目。朝昼夜の三セット、プラス前夜渡された音声。
 徐々にではあるが、彼女は自分の中で何かが変わりつつあるのを感じた。
 六日目。この日は夜の勉強会は休みで、代わりに感想会というものが開かれた。
 人数は四人に減っていたが、それぞれが彼女と同じく、自分の中の変化に気付いてきたと口にした。
 そして今までの生活での悩みや不安を打ち明け合い、互いを褒め合い、次に欠点を言い合い、そして欠点を補うにはどうしたらいいのかを語り合った。
 インストラクターを含めた全員が心の底から涙を流し、心はスッキリと洗い流されたかのように澄んだ思いを味わった。
 七日目、最終日。午前の一セットをこなした後、昼食を食べて解散になる予定だったが、昼食後に彼女達はインストラクターから集合するよう指示された。
 もはや彼女達にとって、インストラクターの言葉は絶対だ。何しろ自分達を心の底から変えてくれたのだから。
「この合宿を終えてからも、皆さんにはそれぞれ立ち向かわなくてはならない問題が立ち塞がるかもしれません」全員を前に、インストラクターは言う。「そこで迷った時、悩んだ時、どうすればいいのか分からなくなった時には、今から配布するパンフレットの連絡先にご相談下さい。そこには私たちと同じように苦労し、克服した人たちが沢山います。きっと新しい道が拓かれることでしょう」
 そしてパンフレットが配られ、合宿は終了となった。

 合宿が終わってから数日後、彼女は久し振りに酒が飲みたくなり、一口だけならいいかなと思いつつも自制する自分との間で葛藤していた。
 そしてパンフレットを思い出し、そこに書いてある連絡先に相談してみることにした。

 以降、彼女は酒を口にすることは一切無くなった。代わりに、毎日、朝早くから夜遅くまでパンフレットを配り回ることだけに専念することになった。
 そのせいで夫から見放されて離婚もしたが、彼女は幸せそうに、新興宗教のパンフレットを今日も配っているという。

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 医者から禁煙を指示された男は、仕方なしにタバコをやめることにした。
 日頃から「タバコなんて、いつでもやめられるよ」と口にしていた彼は、禁煙グッズに頼ることもなく、自分の意思の力のみで禁煙に挑むことにした。
 元から、あまり吸う方ではなかったのだ。
 三日に一箱くらいのペース。二日続けて吸わなくても全然平気だったこともある。
 しかし体質なのか先天的なものなのか、男は呼吸器系統の病にかかった。
 ぜんそくである。
 始めはむせただけだと思って放っておいたせいか、かなり厄介な状態になっていたらしい。
 大人でもぜんそくになるなんてと半信半疑ではあったが、医者によると、最近は大人になってから患う人も珍しくないと言う。
 そんなものなのかなと思いながらも、男はタバコをやめることにしたのだった。
 禁煙は順調に進み、問題なく一週間が過ぎた。
「禁煙なんて簡単なものだよ」男は笑いながら、妻にそう豪語していた。
 だが、それから程なくして、男は自分がタバコを吸っている人に目が行くことに気付いた。
 ちょっと前ならば「禁煙できない奴だな」などと見下した考え方をしていたかもしれない。が、今は違う。彼は自らの意識の変化に気付いていた。
「吸いたい……」男は半ば羨望の目付きで喫煙者を見つめている。
 タバコを扱っているコンビニのレジでも、自然と手が伸びそうになり、ハッとする。それから店員の後ろに並んでいるパッケージを恨めしそうに眺めるのだ。
 そして二週間が過ぎようとしたその日に、彼はタバコの誘惑に負けてしまった。
 包装を破り、取り出した一本のタバコ。
 思わずコンビニで買ってしまった物だ。
 しばらく吸っていなかったので、百円ライターもついでに購入した。
 口にくわえ、火を点ける。
 深く吸い込み、肺を煙で満たし、満足そうに吐き出した。
 途端、彼はぜんそくに襲われ、苦しんだ。
 目に涙が浮かぶ。
 男は灰皿にタバコを投げ捨てると、まだ十九本残っているタバコの箱をゴミ箱に捨てる。
「二度と吸うもんか」ぜんそくが治まると、男はそう吐き捨てた。
 けれども。
 また一週間が過ぎようとしている頃には、タバコが吸いたくなってくる。
 己の意思はここまで弱かったのかと凹んだが、そのうちに「そうではない、ニコチンこそが悪なのだ」と考えるようになり、次第にイライラしてきはじめた。
 仕事の能率も下がり、家では怒りやすくなる。
 子供がいたら、もっと面倒になっていただろう。だが彼ら夫婦は結婚して三年目。まだ子供はいないし、新婚と言える範囲にもあるので、妻は夫に逆らうよりも不憫に思う方が強かった。
「ねえ、あなた」妻は言う。「気分転換にでも、二人で旅行に行きましょうか」
 男は少し考え、その提案に賛同することにした。
 突然なことなので旅費も安い所にしようと話し合い、カタログを二人で見る。
 そんな時は男もリラックスでき、次の休日を楽しみに選びながら、日々を過すことができた。
 二人で話し合った結果、旅先は栃木県の日光に行こうということになった。都内から近い世界遺産でもあるし、鬼怒川や川治温泉などで一泊して帰ることに決めたのだ。
 当日、二人は電車で日光に入り、車をレンタルする。
 まずは東照宮へ行き、三猿を見付けようとしたり、眠り猫の小ささに少しがっかりしたり、鳴竜の間で音の響き具合を楽しんだりする。次に竜頭の滝を見て、どこが竜頭なのか分からなかったりもしたが、中禅寺湖を一周して、お土産売り場に立ち寄り、ショッピングを楽しんだ。
 そして名所中の名所、華厳の滝に辿り着く。
 一番勢いの激しく見える場所を案内係に教えてもらい、入場料を払って施設に入る。
 建物の中を歩いていると、次第にドドドドドと音が聞こえ出す。
 見学所は高みになっていて、病院か何かの屋上の様な雰囲気だ。
 一本の筋となって流れ落ちる莫大な水の質量。
 晴れているせいか虹が架かり、見ている方を呑み尽くさん勢いで迸る。
 飛沫がこちらまで飛んできているように湿度が高い。実際、辺りには靄がかかり、服が水分を含んでいくのが分かる。
 二人はしばらく見入った後、車に戻って予約していたホテルに着いた。
 川魚や山菜をメインにした料理を食べた後、温泉に浸かる。
 風呂を出た二人は、部屋でくつろぎつつ、デジカメで撮影した画像を見る。互いに印象や感想を口にし、酒を飲んでいるうちに夜となる。
 男は妻に感謝した。こんな気分になれたのは久々のことだったと。
 妻は喜んだ。そして余計な一言「禁煙がんばってね」などという言葉は口にしなかった。彼女は夫の久し振りの笑顔が見られただけで嬉しかったのだ。彼の気持ちを台無しにしたくはない。
 酒のせいか、二人はいつしかまどろみ始める。
 まどろみとは言え、この場合は少しウトウトしてきて、本格的に眠るために布団へ横になろうかな。くらいの程度のものであった。
 しかし、ふと気付くと辺りは明るい。
 電気の明るさではない。これは太陽の光だ。
 男は布団の上に立っていた。浴衣姿で。
 隣を見る。
 妻も浴衣を着たまま、眠そうな目をし、不思議そうに口を歪めて布団の上に立っている。
「お前、なんでぼんやり立ってんだ?」男は聞いた。
「あなたこそ」間伸びした声で妻が言う。
「分からない」男はぼんやりとした頭を働かせるべく努力する。「ちゃんと眠れたのか?」
 妻は無言で首を振る。
「と、言うことはつまり、お前は俺と同じ状況にいるわけだな?」
「どんな状況よ」妻は返す。「わけが分からないわ」
「まず整理するとだな、二人でデジカメの画像を見ながら酒を飲んでたわけだ」
「ええ。覚えてるわ」
「うん。そこまでは良い。そして、俺は眠くなって、そろそろ布団に入るかと言おうと思ってたんだよ」
「あたしもそんな感じだったわ」
「そうか。まあいろいろ回って疲れてたしな」
「そうね、それもあったでしょうね」
「ああ。で、寝るかと言おうとした所で、気付いたら、ここに立ってる」
「あたしも大体そんな感じね」
「で、朝になってるってわけだ」男は窓を指差す。
「朝になってるわね」妻は窓外を見てから夫に視線を戻す。「まさしく同じ状況だわ」
「やはり同じ状況なわけだな」男は考えようとするが眠気が邪魔をする。
「そう言うことになるわけよね」
「ああ」
「でも、どうして――」
「おっと、もうこんな時間なのか」妻への言葉を制して夫が言う。「チェックアウトしなきゃ」
 二人はホテルを出、慎重に車を運転する。
 帰りの電車の中で、二人はやっと眠ることができた。
 家に着いてからも、不思議な思いは消えるわけもない。
 男はあくびを噛み締めながら、デジカメの画像を見続けている。そこに、時間断絶のヒントがあるような気がしてならなかったからだ。
 注意深く観察しながら、ボタンを操作しデータを送っていく。
 すると、妙な画像が最後に現れた。
 夜中の華厳の滝。そこに浴衣姿の二人が写っている。
 しかも夫婦の間には半透明な人影の輪郭。
「おい!おいおい!」男は眠っている妻を起こした。「何だこれは!何だこの写真は!?」
 夫に起こされ、不機嫌そうにしていた妻も、その画像を見て凍り付いた。
「何……これ……」彼女は口に手を当てる。
「なんで夜中に滝の前で。俺たちは眠りながら写真を撮ったって言うのか?」夫は取り乱している。「いや、正確には眠ってもいないわけだが――じゃあ、どう言ったらいいんだろう、ますます頭が混乱する」
「でも、私たち二人とも写ってるわよね」
「他になんだか分からないものもな」
「ちょっと落ち着いて。私たち二人が写ってるなら、この写真、誰が撮ったの?」
 夫は恐怖の叫びを上げた。何かに取り憑かれたのかもしれない。
 以来、彼はタバコを吸うどころではなく、怯えに怯えながら毎日を暮らしている。

 華厳の滝は名所中の名所。
 自然美あふれる名所であり、自殺の名所でもある。心癒される名所であり、心霊写真の名所でもある。皆さん、是非来て下さい。
  

「夏祭りといったら、やっぱり粉物だろう」
「粉物?」少年に手を引かれた少女は問う。
「たこ焼きとかお好み焼きとかだよ」露店の明かりに照らされた中で、少年は笑顔を作った。
 少年少女といえども今の中学生は大人びている。二人の顔には幼さが残っているが、Tシャツ姿の少年と浴衣姿の少女の体格は、ほとんど大人と変わらない。
「ああ、そういうことね」髪をアップにした少女はいつもと雰囲気が違って見える。
 履き慣れていない草履に足元の覚束ない彼女の手を握りながら、少年はその温度を感じ取っている。
 薄暮の人の群れ。その中で離れ離れにならないように。
「どっちが好き? たこ焼きとお好み焼き」
「どっちも」少女は答える。
 二人は安くて大きそうな店を選んで、それぞれを一つずつ買った。
 ついでに少女は綿あめを買う。
 少年は空いていた手に二つのビニール袋を提げ、少女は綿あめを手にしている。時々二人で、白い産毛のようなあめを口にしながら。
 どこか落ち着ける場所を探しているうちに、綿あめは食べ終えてしまった。
 人ゴミを離れた公園にベンチを見つけ、二人は座り、たこ焼きとお好み焼きを半分ずつ食べた。
 たこ焼きは大きいけれど、中まで火は通っておらずにベシャベシャしていた。たこは、はみ出すくらいにあったのだけれど、まともなのは見た目だけで店選びは失敗だった。
 対して、お好み焼きの方は広島風でボリュームがあり、潰した卵の黄身と麺、キャベツに生地の味がソースと良く合い、こちらは店選びに成功したようだ。
 二人はお好み焼きに満足した一方で、たこ焼きのまずさについて語り合う。
 しかし周囲は祭り特有の覇気を放っており、自然と彼らの心も高揚している。その空気こそが楽しいのであり、たこ焼きのまずさに対しても本気で怒っているわけではないのだ。
 生焼けの球体すら祭りの一部であり、彼女たちは充分にその気分を味わっていた。
 少し離れた場所からの人声。 
 露天の明り。
 薄暗い景色。
 やがて会話は途切れ、二人は語り合う話題を探そうと頭を働かせる。
 本当は黙って見つめ合うだけでも良いのに。幼さゆえか、囃子太鼓のせいだろうか、思いついた話もすぐに終わり、次の話題も短く終わる。
 互いに戸惑い、しかし膨らむ期待感。
 気もそぞろになる。
 彼は思う。彼女はどう思っているのだろう?
 彼女は思う。彼は何を考えているのだろう?
 彼と彼女の想いは行動に移されるのだろうか?
 二人は目を合わせ、逸らせる。
 何かを言おうとして、口を閉ざす。
 ゴミもないのに膝の上を払い、髪に手を当てる。
 気まずいような、幸せなような。
 少年と少女は手をつないでいても、まだキスをする仲になってはいない。
 キス、口付け、接吻。
 二人の頭によぎっているのはそのことだけれど、相手がどう思っているかは分からない不透明な不安感。
 タイミング、それとも勇気?
 少女と少年の間に必要なのは何だろう?
 何かのきっかけ、二人はそれを欲している。
 夏の夕べ。
 狂おしいほどに鳴く、セミの羽音。
 二人は付かず離れず……いや。少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど近付いているようだ。
 乾いたベンチ。
 風に揺れるブランコ。
 山や穴の影のできた砂場。
 カラフルなすべり台。
 把手とバネの付いた、動物型のバランス椅子。
 優しい色をした街灯の明り。
 水飲み場から伸びる、細長い影。
 溶け合うかのような瞬間。
 やがて少女は目を瞑る。
 顔を少年に向けたまま。
 彼のバイタルは急激に跳ね上がり、手に汗をかいて生唾を呑みこむ。
 少年は首をわずかに傾げ、視線は彼女のピンク色をした唇に固定されたまま――
 近付く轟音。
 強風に煽られた幟旗がはためくような音。
「うわあ!」少年は悲鳴を上げた。
 セミが彼の頬に突進してきたのだった。
「虫! 虫だ! 虫!」少年は取り乱す。「虫嫌い! あっち行け! ヒィッ!」
 セミは少年に二、三度ぶつかってから、どこかへ飛び去った。
「ああ嫌だ、顔洗わなきゃ」
 少年は水道の水を流して必死に洗顔する。
 必要以上に、潔癖に。
 少女の想いは、水に溶ける石鹸の泡のように弾けて流れた。
 少年が我に帰って振り向いた時、彼女の姿はすでに消えていた。
 彼の想いは、南極に浮かび、なかなか溶けることもない氷山のように深く沈んでいった。そのわだかまりが溶けるまで、少年はどれくらいの苦労を味わうのだろう。
  

 ねえ! 『ぼく』を見て!
 服を脱ぐように皮膚を剥ぎ
 鎧を解くように筋肉を解放し
 兜を外すように頭蓋骨を投げ捨てるよ

 灰色の脳細胞 剥き出しの丸い眼球 膨らんでは萎む肺 上下する横隔膜 胃や大腸は蠕動し 物言わぬ肝臓や二つある腎臓に細く長い小腸からは湯気が出ているのが分かるかい?

 ほら! もっと『ぼく』を見ておくれよ!
 心臓は鼓動して
 血管が脈動している
 血液を全身に送りこんでいるんだ!

 こんなに狭くて細い毛細血管まで!

 脳を囲んでいる膜が見えるかい?
 縦横 きめ細かく脳細胞に酸素を運んでいる動脈が見えるだろう?
 ヘモグロビンを回収している静脈も見えてるはずだ!

 その膜に包まれ 液体に浮かんで考えている脳が『ぼく』なのだろうか?

 それとも 君が見ている体全体が『ぼく』なのか?

 ぼくには分からないんだ!
 本当の『ぼく』がどこに存在するのかっていうことが!

 君なら教えてくれるかい?

 すべてを曝け出した
 この姿を見ている君ならば?

 ならば頼む
 お願いだ!

 本当の『ぼく』はどこに居る?
 教えておくれ

 脱ぎ捨てた皮膚や筋肉を調べてもらっても構わない
 その代わり詳細に頼むぜ

 これは大問題なのだから!

 ――さあ どうだい?
 君には居場所が分かるかい?
 ぼくには全然分からないんだ!

 教えてくれるかい?
 本当の『ぼく』がどこに居るのか
 教えてくれるかい?
 本当の『ぼく』がどこに有るのか
 君なら教えてくれるかい?

  

其は根深き無意識を 月光の下に引き摺り出さん
  

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