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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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 何の意味もなく、頭の中でカウントダウンをしてみる時がある。
 十から始まる時もあれば、いきなり三から始める時もある。
 数の間隔もバラバラで「じゅ~~う」「きゅ~~う」「はち、なな、ろく」「ご~ぉ」と「ゼロ」と終わる時もあれば、時計の秒針の動く音に合わせてカウントダウンする時もある。
 何の意味もないのだけれど、「ゼロ」の瞬間に辺りを見回し、耳を澄ます。
 すると不思議なことに何かが起こる。
 家の中に居る時には、サイレンや車の音が聞こえてきたり、スズメが飛んできたりする。
 外に出た時には、信号が一斉に変わったり、誰かが転びそうになる所を見かけたり。
 何でもない、日常的でありふれたことなのだけれど、なかなかの確率で、そんなものを見つけたり聞いたりするのだ。
 本当に些細なことなのだけれども、「ゼロ」の瞬間には何が起きるかと、ちょっと楽しい気分になる。
 でも、もちろん、いつも何かが起きるとは限らない。
 そんな時には、こう思うのだ。
 世界は広い。今、この瞬間にどこかの国の誰かがおならをしたかもしれない。何かの動物が子供を産んだかもしれない。どこかで虫が踏み殺されたかもしれないし、象が水を浴び、ミミズが捕食されたかもしれない。木の葉は風にそよぎ、あるいは伐採され、どこかでは雨がやんで虹が架かっているかもしれないのだ。
 どうです?
 ちょっと試してみたくなったでしょ?
 そんなこともないのかな。
 試してみたくなった方は、一度、やってみて下さいな。
 大事なのは自分のタイミングで数を減らすこと。
 でもね、ひとつ注意して下さい。
 カウントダウンをしている間、そのことに意識を集中していると、いろんなものを見失います。
 だって、数を減らしている瞬間瞬間にも、世界は動いているのですから。
 本末転倒でしょうか?
 でも、それくらいが調度良いのかもしれませんよ。
 人が一生のうちにできることは限られているんです。
 ひとつひとつ、目の前に立ち塞がる障害を越えていくしかないんです。
 疲れて迷い、嘆いた時こそ「ゼロ」の心境になって、周りを見回してみましょう。どこか抜け道があるかもしれません。
 自分の一番心地良いタイミングで、数を減らすんです。
 ゆっくりでも良いから、確実に。
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 寂しい夜は ぼくの友達
 夜は もう一人のぼくになって ずっとしゃべり通している

 時も忘れて 夜明けまで

 不安 焦燥 恐怖のトラウマ 孤独 数々の別れと裏切り どうしようもない無力感 痛切なる力不足

 ぼくの悪友 素敵な友人
 そして同時に強烈な ぼくの宿敵

 時にぼくを陥れ 気紛れに救いの手を伸ばす

 あまのじゃくな ぼくの親友
 ヘソ曲がりなぼくのライバル

 ああ! 夜よ!
 自省と期待と不安をもたらす暗闇よ!

 ぼくは問う
 ぼくは 正しい道を歩いているのだろうか?
 それとも 複雑怪奇な袋小路のような迷路に 泥沼たる茨の道を永遠に彷徨うだけなのか?

 しかし夜は答えない
 黙して語らず 愁いを湛えた獣の瞳で笑っている

 ぼくは笑う
 それはそうだ! そうなんだ! 未来のことなんて誰にも分からないし 知ることなんて出来はしない

 友よ! とこしえに広がる深遠と混沌にまみれた暗黒の世界よ!
 それでもぼくは 君と語り続けるだろう!

 不確定なる可能性と悲哀を求めて 闇の魔力に魅せられて 悲痛なる嘆きと 孤独の極みたる魂を この手に掴む その日まで 求め続ける 君の囁きを!
  

 春が好き 命の芽生く季節だから
 夏が好き 海や山に行けるから
 秋が好き 長い夜空を楽しめるから
 冬が好き コタツで居眠りできるから

 でも それは建て前

 春が嫌い 虫の目覚める季節だから
 夏が嫌い 蚊もうるさいし暑いから
 秋が嫌い あっという間に夜になるから
 冬が嫌い 地面が凍てつき寒いから

 でも それは言い訳

 春が嫌い 自分の生まれた季節だから
 夏が嫌い 祖父母の死んだ季節だから
 秋が嫌い 父の亡くなった季節だから
 冬が嫌い 死の色の濃い季節だから

 でも それは刷り込み

 春が好き 寒さが和らぎ暖かだから
 夏が好き スイカのおいしい季節だから
 秋が好き 暑さが和らぎ涼やかだから
 冬が好き お餅のおいしい季節だから

 でも これは体の感覚

 春が好き でも心は乱れる
 夏が嫌い 熱で頭が沸騰しそう
 秋が嫌い 夜が長すぎるんだ
 冬は好き 一番静かな季節だから

 でも これは心の溜め息

 本当の気持ちの見分けがつかない
 本当の気持ちなんてないかもしれない
 本当の気持ちはどれだろう?

 知ってるよ

 誰かが囁く

 人の想いは矛盾だらけ
 全部本当で
 本音の言葉
 けれど同時に すべては偽りの想いなのさ

  

※今回は自分のために書かせて頂きます。
つまらなかったらごめんなさいです。

 私の大叔父は、数年前に亡くなった。
 彼はとても温厚でユーモアのある人物で、親類からの信頼も厚かった。
 私は今でも、幼い頃に見た大叔父の笑顔を覚えている。
 指パッチンの得意な大叔父に指導を受けたがなかなか指が鳴らず、そんな私を優しげに微笑んで見ていた夏の日の思い出。禿頭に太陽の光が反射していた映像が、今でも鮮明に記憶されている。
 そんな彼が朝鮮半島出身の帰化人であると知ったのは、法事の時だっただろうか。
 詳しくは知らないが、戦中か戦後、祖母の妹と出会い、結婚したらしい。別に隠してたわけでもなく、話す必要がなかっただけなのだろう。
 だから私の大叔父は、朝鮮民族系日本人ということになる。
 けれど、私にとってそんなことは瑣末なもので、大叔父と接した楽しい日々の思い出にとっても、どうでもいいことだ。
 彼は立派な人物であったし、彼に世話してもらった親戚は、いっぱいいる。
 私は大叔父が大好きだ。彼のことを誇りに思う。

 私の父は11年前、くも膜下出血で入院した。
 一時は大変に危うい状態にあったし、手術後の経過もあまり良くなかった。脳梗塞や肺炎にかかり、何度か死線を彷徨ったし、意識も正常ではなく、話しかけても答えはめちゃくちゃで、脳細胞の連結が上手く働いていないことは明らかだった。
 しかし、3ヶ月ほど経ったある日、ふと正常に戻った。今までの混乱が嘘みたいに、はっきりと会話もできる。術後からその日までの記憶は夢よりも曖昧で、断片的に、うっすらと覚えているような気がするという感覚らしかった。
 私たち家族の喜びの中、父は懸命にリハビリテーションを受けて、麻痺していた半身の動きを取り戻し、杖を使ってではあるが、一人で散歩ができるまで回復していった。さらに、手術前の記憶は完全に戻っていた。私の友人、Iの好き嫌い――カリカリ梅は食べられるけれど普通の梅干しは苦手――まで覚えていたのだ。
 けれどすべてが順調というわけでもなかった。
 父の性格に、変化が起こっていた。頑固だった性格が好々爺然とした柔和な物腰になったけれど、ちょっとしたことで腹を立てて怒りっぽくなるという、複雑過敏なものへと変わったのだ。
 それに子供の内の一人――つまり私のことであるけれど――が問題児であった。
 他の子供は結婚し、孫の顔を見せたり、親を助けて働いたりしていたが、私は心神的な病にかかり、親孝行どころか両親に迷惑をかけるばかりだったからだ。
 アルバイトもたまにはしたが、独り立ちすることも出来ず、引きこもった生活の方が長かったくらいだ。二人が悩むのも当然のことと言えよう。
 7年経っても、私の生活の堕落さは変わらぬものだった。
 父としての心労もあったのだろうか。父は体調不良を訴えた。健康管理のために購入していた血圧計で計ってみると、上の値は170を越えていた。
 明らかに異常である。
 母は慌てて父を病院に連れて行ったが、医師は母の頼む検査をせず、薬を出して帰らされたという。
 この時、母や父に病院を変えるよう話したらしい。しかし父は、こう言ったと言う。
「俺はこの病院に、一度、命を救ってもらったんだ。この病院で死ぬなら、それでもいい」
 その病院は総合病院で、転属も多い。
 父の担当医師だって替わっている。
 なのに父は、そう言って聞かなかったという。手術する前の頑固さ、そのままに。
 その結果、数日後に父は二度目のくも膜下出血を起こして入院した。
 当時、この総合病院では外来患者と入院患者の医師は切り替えられるシステムになっていた。
 今は知らない。
 新しく主治医となった医師は、MRI画像を私たち家族に見せ、懇切丁寧に説明してくれた。
 その説明によると、くも膜下出血は10年前後で再発するケースが増えているという。
 事実、今回の出血部位は、前回と同じ血管。
 スクリーンに貼られた画像を見ると、7年前に止血手術を施したクリップが見える。説明通り、すぐ隣にできた動脈瘤が破裂していたようだった。
 セカンドオピニオンという言葉が使われる、少し前の頃だっただろうか。
 父は馬鹿である。
 大が付く程に、自分自身に正直すぎたのだと思う。
 恩を感じ、病院を信じ、そして医師に裏切られた。検査を拒否したその外来の医師の苗字は、日本人のものではなかった。北か南か知らないが、そんな漢字一文字の名前だった。
 二度目の手術は長引いた。
 長引いた時ほど、この手術が上手く行っている証だという。ゆっくりと部位を探し、脳への損傷を軽減するものだと説明を受けていた。
 手術室から戻ってきた父は、前回よりも酷い様子だった。
 新しく主治医になった、執刀医の医師は、できるだけのことはしたと言ってくれた。
 しかし、以前の通りに戻るには、年単位で考えなくてはならないとも。
 脳細胞は、肝臓のように再生はしない。
 新聞記事で、脳の底から新しい脳細胞が生成されるとの科学コラムを読んだが、それも稀なことらしい。
 脳梗塞に次ぐ脳梗塞。
 二度目の出血は、父の脳に圧倒的な暴力で負荷を与えた。めちゃくちゃな話すらできない。
 祖母は長男である父の手をさすりながら名前を呼んで言った。
「親より前に死ぬなよ。そんな親不孝だけはしないでくれよ」
 数ヵ月後、主治医の転属を聞かされ、突然のことに母を初めとして、家族全員が戸惑った。
 新任の主治医はまだ若く、冷静だった。
 冷然と言えるほど、冷静だった。
 私たち家族の希望的観測を草を刈るように薙ぎ払い、その芽を摘んでいった。
 ドクターハラスメントという言葉が使われる少し前――いや。これは公平な見方ではないかもしれない。医師のスタンスとしての問題。家族の心と、現実の厳しさ。
 その辺りは分からない。父は長期入院の限界によって、すぐ転院させられたために、その若き医師と接する期間はごく短いものだったからだ。

 時間は交錯するけれど、父が病床に伏して一年半後、私は友人Sに派遣の仕事を紹介してもらい、一緒に働いていた。
 いろいろな問題の噴出した、あの派遣会社である。
 もちろん問題が表に出る前であり、Sには悪気のあったわけではない。
 と、いうより、私から頼んで紹介してもらったのだ。ちょっとイタズラっぽい書き方をしてしまったけれど、許してくれるかしら。
 そんなある日の朝、祖母が亡くなった。
 初夏。母が祖母を起こそうとして、発見したのである。
 いきなりのことに戸惑い、救急車を呼んだ。
 救急隊員は祖母の掛かり付けの医者と警察を呼んだ。
 警察の検分と、医者の死亡診断書。
 眠っているうちに、心筋梗塞を起こしたらしい。このようなケースは老人に多く、苦痛もないまま亡くなったのでしょうと医者は言った。
 けれど私たち家族に、祖母の死という実感は湧かなかった。あまりに突然すぎたからだろう。忙しく親戚中に連絡し、嵐のように葬式と初盆を一気に迎え、余裕がなかったからかもしれない。
 実際、私が祖母の死を実感したのは、送り盆を済ませて、一息ついてからだった。
 その夏その時、私の中で何かが狂い出した。
 派遣の仕事をする気が失せたのである。
 父への見舞いの足も遠のく。
 祖母は死へと旅立つ時、肉体的な苦痛はなかったかもしれない。しかし精神的には子と孫、つまり父と私のことで心を痛め続けていたのである。
 祖母は馬鹿だ。 
 こんなろくでもない孫を気に掛けて。
 色々考えて。少ない年金から、とっくに成人した私に小遣いをくれたりして。
 大が付くほどに、心の中は心配にまみれていたのだろう。
 私が逃げるようにインターネットの世界へ入ったのは、この頃だ。
 そして友人Jが腐々していた私を見かねてブログを立ち上げてくれたのである。
 その後、祖母の一年祭――我が家は神道のため、一周忌と言わずにこう言う。祖母は我が家を見守る御霊となったのだ。神の一柱となって一年が経つため『祭る』わけだ――が終わった。
 父の意識は正常ではないが、祖母の死を知っては心が乱れるかもしれないとの考えの下、祖母の死は父に隠されていた。
 自分の母の死を、2年以上も知らぬ父。
 祖母が父に語り残した言葉。
 父は親不孝者にはならなかった。
 しかし翌年、その子である私が親不孝者になりかけた。去年のブログ中断における出来事である。が、この話は別のことだ。
 父はわずかながら、母の言葉に反応し、時々笑顔を見せるようになった。
 あ、い、う、え、お、の発声練習をし始め、私も二度ほど立ち合った。
 あ、い、う、までは言えても、その後が難しいらしい。父は笑ってごまかした。
 でも、それだけでも私たち家族には嬉しかった。
 そして秋。
 父の誕生日の十日前。夜。
 病院からの報らせ。
 父が肺炎にかかり、容態が急変したとのこと。
 家から病院までは車で五分の近距離。
 家族で父の元へと向かう。
 集中治療室へ移されたベッド。
 酸素マスクをして、苦しそうに喘ぐ父の姿が見えた。
 意識はまだあるらしく、話しかけると頷いてくれる。
 思ったより元気そうだった。
 日付が変わるくらいまで病院に居ただろうか。
 小康状態を保っているため、私たちは家に帰ることにした。
 帰っても眠れずに、自然と皆が茶の間に集まる。
 そして落ち着き、うとうとし始めた午前四時、病院から危篤の電話。
 驚き、再び急いで病院へ向かう。
 病院に到着、人気のないエレベーターは素早く家族を運ぶ。
 集中治療室へ着くと、父は亡くなったばかりだった。約三年間の入院生活の終わった瞬間。
 手に触れると、まだ温かいような、冷たいような。
 表情は安らかだった。
 微笑むように、唇の端が上がっていた。
 でも、やっぱり父の死という実感がなかった。
 祖母の時のように。いや、或いはこうなることを心のどこかで考え、準備ができていたのかもしれない。そう思った。
 ずっと、そう思っていた。
 だけど違った。
 私は今年、再び心神を病んで4月に入院することになった。そして7月、私はようやくにして悟ったのだ。
 父の死を認めたくなかったのだと。
 私は成人しているけれど、心は幼く子供のままで、父に死んで欲しくなかったのだと強く思い、父の死を拒んでいたのだと。
 私は醜い心の中で、父を罵倒した。
 どうして死んじゃったんだ、こんな駄目な子供を残して、どうしてこんなにも早く!あなたは死ぬべきじゃなかった! 私を残していくべきではなかった! 勝手に死んじゃうなんて、なんて馬鹿なまねをしてくれたんだ! どうして死んじゃったんだよ、大が付くほど大馬鹿だ!
 ――と。
 そして私は二度目の発作前に精密検査をしなかった医師を呪った。
 訴えるべきじゃないのか? 慰謝料なんていらない。医師免許を剥奪するだけで良い。医師として、人として、命を左右する重要な位置に居るべき人間じゃない!
 私は母に言った。あの医師を訴えても良いんじゃないかと。
 その時、訴えることもできるだろうと母は前置きをし、私は初めて、あの言葉を聞かされたのだ。
「俺はこの病院に、一度、命を救ってもらったんだ。この病院で死ぬなら、それでもいい」
 だから母は、訴えても意味がないと言う。
 介護疲れも残っているのだろう。
 私のことを気に病んでもいる。
 父の想い、母の想い。
 父も馬鹿なら、母も馬鹿だ。
 大が付くほど、家族の心配ばかりしている。
 でも、一番馬鹿で、どうしようもなく駄目な本当の大馬鹿者なのは、この私だ。
 立派な家族に包まれながら、私は今、何をしている?
 もう9月。このエッセイを書いている私は、いまだ入院中の身だ。
 父の一年祭までに退院できるのか?
 ブログにこのエッセイがアップされる頃、私はどんな生活を過している? 一年祭は無事に終わったか? 少しでも前に進めているか?
 父の死は、多分これで受け入れることができたのだろう。次は現実を受け入れてみせろ!
  

「副機長のササキです」飛行機内に緊迫したアナウンスが流れる。「お客様の中で、猫を――」叱責と、それに謝る副機長の声。副機長は言い直す。「お客様の中で、にゃんこをお連れの方は居らっしゃいませんか。居らっしゃいましたなら、至急、パイロット室まで、にゃんこを連れて、お越し下さい」
 ファーストクラスからエコノミークラスまで、機内は騒然とする。
「今の放送は、なんだったのだろう」
「タチの悪い冗談ではないのか。もうすぐ着陸だ、猫の手も借りたいとかいった意味だろう」
「飛行機に猫なんて連れてこられるのか? 常識的に考えて、それは無理だろう」
「平日のこんな時間に乗ってる客なんて、みんな仕事絡みのビジネスマンだ。猫なんて連れてる奴なんか居ないよ」
 客は口々に言い、副機長のアナウンスを受け流す。
「副機長のササキです」二回目のアナウンス。「お客様の中に、にゃんこをお連れの方が居らっしゃいましたら、大至急、パイロット室までお連れ下さい」
 切迫した声。
 客たちは、ただならぬ状況を感じ取り、次々と客室乗務員に説明を求めた。
「あの、少々お待ち下さい」客室乗務員は慌てる。「その、私たちにも、えと、どのような状況なのか分かりませんので、問い合わせてみませんことには」
「なら早く問い合わせろ」
「はい。はい、ただ今。すぐに、はい」
 客室乗務員は、ただちに問い合わせる。
「機長、このままでは、お客様たちがパニックに陥ってしまいます。詳しい説明をして下さい」
「機長のスズキです」少しの間があって、機長の声が機内の全スピーカーから流れ出す。その声は、おろおろとした様子で、今にも泣き出しそうな感じだった。「これから向かう空港から、現地が濃霧であり、視界がまったくと言っていいほど効かないと言うことであります。ですから、ですからどうぞ、にゃんこをモフモフさせて下さい! お願いします!私はいつもにゃんこのぬいぐるみ、シーちゃんを連れて緊張をほぐしているのですが、今回の着陸は非常に困難でありまして、シーちゃんのぬいぐるみもぼろぼろになっておりまして、ああ――にゃんこちゃん。このことで、私は今後、解雇されることでしょう。しかし皆様の命を預かっている今、どうしてもにゃんこちゃんが必要なのです! 副機長のササキは新人でありまして、交替もできません。もう一人の副機長は、パニックを起こした私が殴り、気を失っております。ですから、どうかにゃんこちゃんをお連れの方は、どうか、どうにか、にゃんこちゃんを連れて来て下さい! お願いします! にゃんこちゃんを!」
 最後は泣き声になっていた。
 客たちは怒り、嘆き、あるいは諦めた。
「なんて機長だ!」
「死にたくない!」
「こんな飛行機に乗り合わせたのも運命なのだろう……」
 遺書を書き始める者、客室乗務員に怒鳴り散らす者も居たが、客室乗務員だって、ベテランであるはずの機長がこんな性質の持ち主だなんて知らなかったのだ。客室乗務員の何名かは泣き出す。さらにはどこかでケンカが始まり、止めようとして殴られ失神する者、心臓発作を起こす者、それを見てAEDを取りに走ろうとしたが、どうせ皆死ぬのだからなと思いどうしようかと考えこむ者も現れた。
 そんな中、一人の老婆がおもむろに立ち上がった。
 彼女は泣いている客室乗務員に話しかけた。
「私を、パイロット室まで連れて行ってくれませんかねぇ」
「え!」客室乗務員は希望に目を輝かせる。
「猫をお連れなんですか!?」
 その発言に、客たちは反応し、静まりかえる。
 本来なら禁止されているその行為。しかし今は別だ。
 衆人環視の中、老婆は首を振った。
「いいえ。猫は連れておりません。私自身が化け猫なのですよ」彼女は言った。「今は人に化けていますが、猫に戻ってさしあげましょう」
 老婆を見る人々の目は、期待から悲哀へと変じた。
「可哀想に」誰かがつぶやく。「恐怖で気が触れてしまったんだな」
 落胆し、崩れ落ちそうになる客室乗務員の前で、老婆は「にゃん」と鳴き、くるりと宙回転をする。
 そこには一匹の三毛猫が居た。
 皆は目を疑う。
「早く私を連れて行きなさい」
 我に返った客室乗務員は、化け猫を抱えてパイロット室へと走った。
 パイロット室のドアを開け、叫ぶ。
「機長! 猫が居ました! 化け猫です!」
 ササキは変な顔をしたが、とにかく腕に抱かれている猫を見て、ほっとした。
 スズキは振り向き、猫を見ると、動きが止まった。
「どうしたんです、機長! 猫ですよ!」ササキが声をかける。
「化け猫――尾が二つに分かれている。確かにこれは猫又――」スズキは戸惑っているようだった。「しかし、この顔は――いやいや、そんなわけもあるまい。でも……」
「久し振りじゃな、えっちゃんや。」猫又は言った。「私は帰ろうと思うて、この飛行機に乗り込んだんだが、こんな形で再開するなんて思いもよらんかった。化け猫もびっくりじゃて」
「やっぱりシーちゃん!」機長は猫をひったくるように抱き寄せた。「本物のシーちゃんだ!二十年以上も前に居なくなって心配してたんだよ!」
「すまんかったのう」シーちゃんは言う。
「ううん」スズキは子供のように顔を振った。「いいんだ、戻ってくれようと思ったんだろう? シーちゃんは、父さんが子供の頃から家に居たんだったよね――そうか、猫又になるための修行をしに出て行ったんだね?」
「そうじゃよ」
「ならひとこと言ってくれればよかったのに」
「あの頃は、まだ人の言葉は分かっても話せんかったもんだでな。しかし、えっちゃんも偉くなったもんじゃて」
「そんなことないよ」スズキは鼻の下を指先でこすった。「これがラストフライトになるだろうしね」
「まあいいわい。とりあえず今は着陸のことを考えんと。思う存分モフモフして心を落ち着かせることじゃ」
「うん」
 スズキは猫又のシーちゃんをモフモフし、手の肉球をふにふにした。
 久々の再開を喜ぶようにシーちゃんは喉を鳴らし、満足そうに目をつむる。
 ――数分後。
 飛行機は濃霧の中、滑走路を走っていた。機長は乗客を無事に、空港へ届けることができた。
  

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