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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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――初冬の北海道。
カメラを手にして、亜紀はバス停に降り立った。
初雪は、まだ降っていない。
けれどもやはり、北国の地は寒い。
亜紀はカメラを手に、しばらく歩く。
ブーツの下には砂利の感覚。少し歩き難かった。
しばらく歩くと体も暖まってくる。
コートを脱いで、腕に掛けた。
古い型だが、新品同様に手入れされたカメラ。亜紀は大事そうにカメラを両手で包んでいる。
時折フレームを覗いているが、その手つきは慣れていない。
やがて目指すべき草原に辿り着く。
晴れ渡った青空下、草は渋茶色に枯れ始めている。
所々に冬の花が咲いてはいるが、明らかに写真を撮るには時期を逸している。
遠くに見える木立も冬支度を始めているため、さらにもの寂しい。
しかし亜紀は風景に目をやるでもなく、屋根の付いた休憩施設に向かい、据え付けの椅子に腰掛けた。
コートとバッグをテーブルの上に置く。
カメラを持った手は膝の上に。プラスチック製の表面を優しく撫でている。
亜紀がこの草原に来続けて、三日目になる。しかしフィルム数は一枚も減っていない。
二日前からこの椅子に座り、時々携帯電話をいじりながら、日が沈むまでぼんやりと辺りを見回し続けていた。
無為とも思える時間。
しかしそこには意味があった。
彼女はシャッターチャンスを待ち続けているのだ。
――雪虫。
亜紀はこのカメラで、どうしても雪虫が撮りたかったのだ。
そのために大学も休んでいる。
滞在予定は一週間。その間に撮れなければ、もう少し予定を伸ばしてもいいと思っている。
彼女が友人と交わした約束なのだ。
それは彼女が一方的にした約束なのだけれど――
白い息。
再び寒さを感じ、亜紀はコートを羽織った。
バッグから水筒を取り出し、暖かい紅茶を注ぐ。
一口飲み、熱さが喉元を通る感覚を味わう。
ほうっと息を吐くと、彼女は友人のことを思い出す――

中学校の図書館。
制服を着た亜紀と、友人の早織が椅子に座っている。
夕陽が窓から射し込み、亜紀はぼんやりと本の外を見ている。
「――綺麗」
「ん?何が?」早織の言葉に反応し、亜紀は彼女の見つめる写真集を覗く。「何コレ、雪?」
「雪虫っていうんだって」
「うわっ、虫か―」
「でも綺麗だよ」
「ダメダメ」亜紀は手を振った。「そんなモン蛍と一緒だよ。遠くから見れば綺麗かもしれないけど、近付いて見たらグロいモンだって」
「亜紀らしいね」早織は笑った。「――でも、いつか撮ってみたいな……こんな写真」

中学を卒業すると、二人は同じ高校に入学した。
早織は入学祝にカメラを買ってもらった。
「いつか雪虫を撮りに北海道へ行こうね」
亜紀は早織に連れられて、何度か写真旅行に行った。
亜紀自身は写真に興味は無かったのだけれど、カメラを手にして嬉々とする早織は精力的で魅力的で、とても輝いて見えた。
そんな彼女を見るのはとても素敵で、亜紀にとっても楽しい時間だった。

「早織は将来、カメラマンになればいいと思う」亜紀は早織の写真を見て言った。
「またまた―」早織は笑う。
「でも、とってもいい写真だよ」亜紀は本当にそう思っていた。「この花だって、とっても活き活きしてるし」
「――まぁ、なれればいいけどね」

そんな早織が通学中に事故に遭ったのは高校二年の春のことだった。
スピードを出し過ぎた車が交差点を曲がり切れず、信号待ちしていた彼女の方へ突っ込んできたのだ。
早織は跳ね飛ばされ、小さな体は十メートルも転がった。
いつも二人で通学していたが、その日は亜紀が体調を崩していたため、早織一人での通学途中の出来事だった。
早織はひどく頭を打ち、植物状態になってしまったのだ。
亜紀は毎日のように彼女の病室へ見舞いに行った。
しかし、何を言っても返事は無い。
手を握っても、そこに力は無い。
家に帰った後で、亜紀は一人、泣いていた。

一年経ち、三年生になると受験勉強をするために足が遠くなった。

大学へ合格した時は一番に報告した。
けれど、早織の笑顔は見られない。

亜紀は大学へ通うために上京したが、いつも早織の写真は部屋に飾られていた。
大きな休みのたびに実家へ戻り、彼女の病室へ見舞いに行った。

――そして大学三年目の秋。
男の子と付き合うこともなく、二十歳にして早織は息を引き取った。
無言の闘病生活は突然、終わりを告げたのだ。
彼女の通夜に間に合うことはできなかったが、葬式に参列することはできた。
不思議と涙は流れなかった。
実感も沸かず、もう会えないのかと、ぼんやりそう思ったことだけは覚えている。
残酷な言い方をすれば、こんな別れ方をするかもしれないという心の準備はできていたのかもしれない。
飽くまで亜紀は早織の意識が回復することを願い、望んでいた。
けれども一抹の不安や悲しさが無意識の裡でそう形造ってしまても、誰も非難できないだろう。
――本人以外には。
亜紀は式の間中、自分は薄情な人間だと罵り続けていた。
式が終わり、数週間が経っても。
心の空白はある。
だが早織のために悲しむことができない。
そんな戸惑いの中にいた亜紀の元に、一つの荷物が届いてきた。
中にはカメラが入っていた。
早織の両親からの手紙も入っている。そこには最期まで見舞いに来てくれた礼の言葉と、形見分けとしてカメラをもらってほしいという内容の文面があった。
亜紀はカメラを取り出し、つぶさに観察した。
旧式の一眼レフ。
その重みがズッシリと手に伝わる。
途端に、亜紀の双瞼から涙が溢れてくる。
「――どうしてだろう」亜紀は震える声で呟いた。「早織の顔を見た時にも涙は流れなかったのに」
――そして次々と脳裡に浮かぶ、早織との思い出。
カメラの重さに想い出の重さがかさなった。
泣いて泣いて、亜紀はそのまま夜を明かした。
朝日が昇り、あまりにも澄んだ青空が窓から見える。
亜紀は涙を拭い、早織のできなかった夢を叶えてあげようと、その時決めた。
――彼女の遺した、このカメラで。
これが、亜紀が早織に一方的に交わした約束だ。

寒空の下、亜紀は冷風に耐えている。
と、綿毛のようなものが宙に浮いている。
それは風に乗って徐々に増え、舞い踊る雪のように見えた。
――雪虫だ。
亜紀はカメラを構えると、シャッターを押した。
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荒れ果てた台地に咲く一輪の花。いや、草一本だっていい。
そんなものがあったら摘み取ってしまえ。
何もいらない。
あったら、全部捨ててしまえ。
全て壊してしまえ。

何もいらない。
渇いた心、それだけがあればいい。

渇いて罅割れた大地の上で、ぼくの渇いた心が風に震える。
冷たい風に怯えながら、ぼくの心は息もできずに、ただただ悲しむだけなんだ。

何もいらない。
渇いた心に冷たい風、それと罅割れた大地。

――それだけがあればいい。
他には何もいらない。

ぼくは傷付いたっていい。
いや、寧ろ自傷する。

何故なら、ぼくは自分のことが嫌いだから。
何故ならぼくは、自分自身を憎悪しているから。
  

八百万の神様たちが集まり、社の守りをどの動物に決めるか相談をしておりました。
いくつかの候補が上がっては消え、最後に二種類の動物に絞られたのです。
その動物とは、犬と猿でありました。
犬を擁立する神々は天照大神(あまてらすおおかみ)を筆頭に、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、木花開耶姫(このはなさくやひめ)、その他諸々の神様たちの御名が連なり、猿を擁立する側の神々としては素戔鳴尊(すさのおのみこと)を筆頭にして、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、少彦名命(すくなひこなのみこと)といった神様たちの御名が連なっておりました。
二つの勢力が論を争わされている中、月読尊(つくよみのみこと)は中立の立場におられまして、優しく微笑み続けております。
飛び交うお言葉に業を煮やされました手力雄神(たぢからおのかみ)様が、一際大きな声を発せられました。
「この際、決闘をもってどちらかに決めるというのはいかがだろうか」
さすがは天の岩戸の隙間を抉じ開けた程の雄雄しき神でございます。
しかし思慮深き思金神(おもいかねのかみ)がそのお言葉をお止めになったのです。
「決闘をするには血の流るること必定なり。血は穢れ。而して社の鎮守を決めうる前に、血の流るることは避けるをもって良しとすべし」
そのお言葉に、手力雄神もご納得なされました。
「しかし、では」手力雄神は悩まし気な表情を浮かべました。「どのように決めるを以て最良とすべきなりや。このままでは埒の開かぬ」
「そうじゃそうじゃ」
「どうすれば良いのかのぉ」
神々は一様に声を上げられました。
「我に良き考えあり」思金神が再びお言葉を発せられます。「食こそは健康の源。健康こそ鎮守の基本なり。なればここは、どちらがより多く食するころができるかを競わせるのも一興かとや思いなん」
「さすがは思金神なりきや」天照大神が興味をお示し遊ばされました。「それは面白き試みなるぞ。素戔鳴尊、この方法で異存は無いか」
「おお、それは面白きかな」素戔鳴尊は口元に笑みをお浮かべにならせました。「我、異存無し」
この様にして、社を守る動物を、大食い大会の勝者とすることに取り決められたのです。
かくして犬と猿、各々の代表者の選別が始まりました。
選別の結果として、天照大神の忠実たる愛犬にして犬の王、コマが選ばれました。
猿の側としては猿田彦大神の僕にして猿の王、彦十郎に決まったのでございます。
そして食べ物は団子に決まりました。
日時の決定は、団子といえば月見、月見といえば団子という関係性もございますので、中秋の十五夜と相成りましたのでございます。
公平を期するため、中立の神様をお招きになることも決議されましたが、十五夜こそ月読尊のお仕事でもありましたために、もう一柱の中立なる神、一言主大神(ひとことぬしおおかみ)が招かれることとなりました。
団子は一皿に五つのお団子が二列、合計十個として、枚数による決着がつけられる運びとなりましたのでございます。
そしていざ、決戦の日となりました。
二つの台座が設えられまして、諸々の神様たちが今や遅しと二匹の獣を待ち受けております。
台座の正面には審判すべく一言主大神が鎮座ましまして、この楽しき試みを優しき瞳で見届けんとなさっておりました。
やがて天照大神が愛犬のコマを引き連れまして、場内に、その麗しき御姿を御見せ遊ばされます。
コマが礼儀正しく台座の前にチョコナンと座りますと、天照大神はしずしずと観覧席へご移動なされました。
次いで現れましたのは、猿の彦十郎を連れた素戔鳴尊でございます。
彦十郎は神々の数の多さに驚き、幾分緊張をしている様子で台座の前に座りました。
素戔鳴尊は悠然と観覧席へ向かいます。
こうして二種の動物による、お社の鎮守の座を巡る対決が始まったのです。
制限時間は半刻、これはいまの時間で一時間程度でございましょうか。
コマは起用に鼻先と舌を駆使して、皿の上の団子を口に運びます。彦十郎の方は両の手を使い、いくつもの団子をむんずと掴んで頬張るのです。
二匹ともたちまちのうちに一皿を平らげました。その差は殆どなく、同時と言っても良い程のものでした。
二皿三皿と皿の数は増えてまいります。
月読尊も遠き夜空から御覧下さっているのでしょうか。優しき月光が二匹を照らし出しております。
勝負は段々と白熱してきたのでございます。
十皿二十皿を同時に二匹が食べ終えた時には、神々の歓声が飛び交いました。
両者まったくの互角振りに、どちらが勝ってもおかしくない状況となっております。
而して戦っている方の気持ちとしても、昂ぶる感情を抑え難くなってきてしまったのでしょう。皿の上から一つ二つと零れ落ちる団子が二匹の足元に転がり落ちております。
コマは息を荒げ、熱き吐息を漏らしつつ食していきます。
彦十郎も負けじとばかり、鼻息を荒くして懸命に咀嚼をし、団子を口に運んでおります。
とうとう皿の数も五十を越え、六十を越えました。
この辺りになりなすと、さすがに二匹とも食べる速度が落ちてきたのでありました。
しかし、その差は未だありません。
コマは疲れてきたのか、鼻先で団子を突き落としてしまうことが多くなりました。
彦十郎とて疲れているのは同じでありましょう。無理矢理口に団子を詰めているために、口から零れ落ちる数も多くなってまいりました。
七十皿を越えた所で、コマは少しの休憩を挟みます。
八十皿を越えた所で、今度は彦十郎が少しの休憩を挟みました。
九十皿を越える時にはまたもや互角の勝負に戻っておりました。
しかし二匹ともに口に運ぶのがやっと、飲み下すのにやっと、といった状態でございました。
そうして終了の刻限が近付き、共に一つの皿を完食しました時点で、終了の合図が鳴ったのでございます。
食べた皿の数の読み合わせが始まりました。
「一皿、二皿、三皿、四皿、五皿――」
二匹は息を整え、粛々と結果を待ちます。
「九十一皿、九十二皿、九十三皿」共に同数でございますので、皿を数え上げる二つの声が重なり続けます。「九十四皿、九十五皿、九十六皿、九十七皿、九十八皿、九十九皿、百皿」数を数える声が止みました。二つの声の主は互いに顔を見合わせます。そして同時に言われました。「百皿にて、最後で御座りまする」
神々もコマも彦十郎も、みな無言でありました。
何も言わずとも心の裡にあることは、みな同じことでありましょう。
「あなや」沈黙を破り、初めて御声を発せ上げられましたのは木花開耶姫でございました。「引き分けと申すかえ。さてさてこのような場合、いずくんぞしたて給わらんべきなりきや」
このお言葉が口火を切り、場は騒然となりました。
しかし、その騒ぎを鎮めんとして、少彦名命が声を張り上げました。
「案ずること無きや。二匹の足元に食べ散らかされた団子あり。どちらの食べ残しが多きか調べるかを以て、真の決着とすべし」
「しかしどれがどちらの食べ残しし物か、いずくんぞ知るならん」どこからか声が飛んでまいりました。
しかしさすがは智に優れたる少彦名命でございます。落ち着き払って、こう申されました。
「一言主大神は真実を語る大神なり。なればこそ、大神に尋ねるを以て最善かと思わるる」
「おう」感嘆の声が上がりました。「それは良い」賛同の声も上がります。「そうすべし、そうすべし」
場は盛り上がり、そして一言主の大神の言の葉を待たんと静まります。
而して、一言主大神の重き口が開かれました。
「食べ残しの多き方、猿の彦十郎なりき。その差は口から零れし団子、一欠けなりきや」
この様にして社の護りは犬に決まり、コマの偉業を讃えて狛犬と申されることになりました。
対して彦十郎の口惜しさたるや如何程のものであったでしょう。団子一齧りの差。口の端から零れ落ちたる一欠片のみ。悔やみに悔やみきれないものでありましょう。
さればこそ、猿は犬を見て悔しさを隠そうともせずに歯を剥き出し、犬は猿の挑戦を受けて立たんと吠え掛かるのでございます。
こうして犬猿の仲と喩えられる程にまで、二種の動物は争わんとしている訳でございます。
  

「ややや、しまった。今日は百鬼夜行の出る日だったか。百鬼予報を見逃してしまっていたぞ」乱れたスーツを着たサラリーマンが怯え声を発する。
百鬼夜行とは勿論、平安の昔から古典文学に伝わる妖怪の大行列の事だ。
百鬼予報とは陰気の濃度を測り、百鬼夜行注意報を発令する、気象庁の管轄である。
時刻は午前2時。男はしたたか酒に酔い、夜気に触れながら歩いて帰る途中だった。
やけに人気がないとは思っていたのだ。

♪目玉啜ってぽいっと投げりゃあ
今度はアイツが脳髄啜る
やっこらせーどっこらせー
よっこらせーのせー

遠く街灯に照らされて、妖怪たちが歌っている。
赤い目が光っている。古ぼけた冷蔵庫やテレビ等の家電製品は、現代ならではの付喪神だろう。真っ黒いヤツ、小さい人型の影、丸くてつやつやしたモノ、一つ目から百目までの小僧や鬼。大きく開けた口にはノコギリの様な歯。紫色の舌や怒髪を衝かれた様に逆立つ髪。ツノやシッポ。
名前を並べるならば、ぬっぺっぽうや手長足長、アササボンサンにペナンガラン、天狗や犬神、管狐から猫又、キジムナーからケセランパセランまでが行進している。

♪アバラの骨を一本寄越せ
足の指なぞケチ臭い
やっこらせーどっこらせー
よっこらせーのせー

近付く歌声に、男の背筋に寒気が走る。肌は粟立ち、手足が震える。
腐臭が漂い始め、急激に温度が下がる。
男は焦って鞄の中を漁りだした。
営業という仕事柄、般若心経の冊子を支給されているのだ。
日本の国際化に伴い、妖怪への対処法も変化が現れている。
仏教は元よりキリスト教の聖書の一文を詠じたり、十字架を持っていても百鬼夜行から身を守ることができるという事実から発展し、イスラム教のクルアーンを身につけているだけでも良しとされていた。
この辺の事情は無宗教な日本という国柄だけはある。

♪赤く滴る血や肉を
暖か臓物喰い散らかせ
やっこらせーどっこらせー
よっこらせーのせー

どんどん妖怪が近付いている。
男は冊子を手にすると、光を求めて移動する。そして字の読めそうな場所へ着くと冊子を開いた。
「摩訶般若波羅密多心経」手が震えている。
「カカカ、カンジー…ザイ…ボボ、ボーサーツー」酔っているせいか漢字がうまく読めない。
「――行く、…いや、ギ、ギョウ…?ギョウ…シン――あ、ジンか、えーと――」焦りのせいで益々目が眩む。「ギョウジンハラミーター…いやいや、ギョウジンハンニャハラミーターショー…また違った、ハンニャーハラーミータージー、ショウケンゴク…ゴウンカイクウー」
妖怪たちの歌が止んだ。
妖怪達は立ち止まり、ザワザワと何か話し合っている。その声は断片的ながらも男の耳に届いてくる。
「人間の臭いがしないか」重い声。「途切れ途切れにするな」高い声。「下手な読経――」ガラスを引っ掻いたような声。
男は極度の緊張状態に陥り、大声で助けを求めたくなった。
しかし、住宅街とはいえそれはできない事だった。多くの宗教が妖怪に効果を持つに従って、妖怪の前でしてはならない行動、いわば縛りが人間側にもできてしまったのだ。
つまりこの場合、男が助けを求め、家の戸を叩いたとする。家の人がドアを開けた瞬間に家という結界が開き、その家にまで被害が及んでしまうのだ。それだけではない。妖怪への命乞いということは神への冒涜となり、本人のみならず、一族は呪われた者として、今後百鬼夜行に遭遇しても神仏の加護は一切受けられなくなってしまうのだ。
男はハッとする。
いつの間にか冊子を握り締めていた。
広げてみるが、手汗で文字が滲んでしまっている。これではもう読み取れない。
「どうしよう、どうしたらいい、どうすれば――」
悩んでいるうちにも妖怪達の気配が近付いてくる。
「どこだ。人間の臭い」ヒビ割れた声。「あの辺じゃないか」タイヤから漏れた空気の様な声。「おお、向こうだ。あの辺りだ」嬉しそうな女の声。
そして――男は妖怪に見つかった。
赤い口、黒い口、青い口がニヤリと歪む。白い牙、お歯黒、尖った舌が覗き見える。
手や触手や舌が男の四肢に纏い付く。
強力によって腕が潰され、骨の折れる乾いた音がする。さらには技巧的に肘関節をねじ曲げられる。男の悲鳴――それでも力は弱まらず、肘は反対方向に曲げられた。激痛、流れる涙。妖怪の嘲笑。小さな妖怪が男の指に噛り付く。肉の裂かれる感触――みるみる手が血に塗れる。滴る血を待ち受けて、いくつかの舌が絡みつく。そのザラついた粘膜。指骨が少しずつ砕かれる、その拷問めいた痛み――ぐるんと腕が回転させられ、もう一つの肘が破壊される。そして引っぱられ、伸びる筋肉の軋み。ブチブチと断たれていく血管や神経細胞の悲鳴、そして引き千切られる腕。心臓の鼓動に合わせてリズム良く迸る血の流れ。妖怪達の歓声。右腕の肘から先の感覚はなくなってしまった。変わりにあるのは身をよじる程の苦痛。靴が脱がされ、小さな妖怪達は足指にもむしゃぶりつく。腹部は大型妖怪の鉤爪によって抉り取られ、黄色を帯びた脂肪細胞が夜気に晒される。耳は千切られ鼻は削り落とされ、失くなった筈の右手薬指の痛みを感じる。見ると紐状の神経細胞を弄んでいる奴がいる。そいつのせいで誤った電気信号が脳に届いてきたのだろう。目蓋が引っぱられ、流血によって視界が濁る。ふくらはぎをかじり、鶏の足の様に肉を喰われる。小さな手に皮膚は毟られ、脂肪をつまみ喰いされる。露出されるピンクの筋肉に矯声を上げる妖怪。たちまちの内に幾つもの口が襲いかかり、男の内臓が零れ落ちる。内臓を傷つけられるのは、また別種の重い痛みだった。
陰部をもぎ取られ、男は長い絶叫をし、その末に彼は気を失った――

明け方になり、男の悲鳴を聞きながらも助け出すことのできなかった住人達が姿を現す。
道々に滴る血痕。
その先に住人の見た物は、十字路に散らばる何の物やら知れぬ肉片の群れだった。
  

家畜の群れの中に野生の生き物たちも加わって、会議を開いております。
議題に上がっているのは神様からのお知らせでありました。
そのお知らせとは、来年元日に催す宴についてのものであります。辿り着いたものから順に、十二番目の者にまでお神酒を振るまいになり、かつ、何がしかの栄誉を賜ることができるというものでありました。
動物たちは異言語ながら、どういうわけか意思の疎通が取れております。
ボデーアックション等の言葉ではないツールを用いてのコミュニケッションを執る故でありましょうか。
南米のスカンク等という生物はおならを持って自らの憤怒を伝えるという妙な感情表現方法をするそうであります由、音以外によるツールがありましてもなんら不可思議に思われることもないかと存じます。
さてはて、動物たちがそのように面妖なる思考伝達方法を有していると致しましても、私達人間が理解するには難のあるため、不肖私が言語化、翻訳したいと思います。
まず、牛がこう申しております。
「オレ、足遅いから早めに出発しようと思う」
それを聞いた気の良さそうな土竜が土から頭を出し牛を眺めます。
「そんなことみんなの前で言っちゃいけないよ。そういうことは頭の中に留めておくべきさ」
「だけどオレ、一人じゃ寂しいから、誰か一緒に行ってくれるヤツがいるか聞きたくて」
牛の言葉に反応し、頭を働かせる小動物が一匹。
ねずみ色をしたねずみであります。
ねずみは牛の耳に近付くと何やらコショコショと話を持ち掛けておるようです。
虎や狼といった強者等は、自分の前を行く奴は全員食ってやるとか息巻いておりますが、上位の獣である龍や麒麟に「それは御法度」と注意を受けてしまいました。
百獣の王の姿は見えませんが、これ以上の栄誉なんていらないという王者の余裕でもあるのでしょうか。
全体として獣達を見てみると、大物で名の知れたような動物は威風堂々と、貫禄と言いましょうか、それほど焦りもない様子。
小物達は必死でもあるのでしょうが、半ば諦めムードが漂っておりますようです。
一番切羽詰って真剣なのが、知名度も印象も中途半端な羊やカモシカ、タコ、イカ、アカミミガメといった連中でして…おやおや、それに輪をかけて熱心な連中がいるようです。
この連中は悪名の高く、この栄誉で持って汚名返上、名誉挽回と息巻く蛇、ハイエナ、キツネ、ブラックバスにブルーギルといった動物達でした。
まあ、そういったわけでライオンを除く、想像、現実の境界線を越え――おっとっと、失礼。昔はきちんと龍も麒麟も白沢も存在していたのでございます。ちょっと口が滑りましたがご容赦して下さいませ。
まあ兎に角、そこに人間とライオン以外のありとあらゆる動物が集まって――おやおやおや、これはおかしい。ちょっと待ってくださいよ――
――ここにも居ない――あそこにも居ない――
――どうやら、ライオンに加えて猫も居ない様子でございます。
ライオンと猫…共通点は猫科というところでしょうか、それにしたって虎や豹、チーターといった同じ猫科の動物は群れに混じているわけで。はてさて、これは一体どうしたことでございましょうか。
おっと、猫の不在に気付いた一群がいるようです。
犬やアリクイ、スズメにカマイタチという妙ちくりんな組み合わせ。
その一群が会議の輪から離れます。
犬の嗅覚に頼って猫の居場所を探す様子。スズメは空から探しております。
程なく猫が見つかりまして、犬、アリクイ、スズメにカマイタチは猫に話し掛けました。
「猫さんや」
犬の呼び掛けに猫は振り向きます。
「おやおや、犬さんどうしたんだい。珍しい連中を引き連れているじゃないか」
「何を呑気なことを言っているのさ」そう言ったのはスズメです。「いつもあたしを睨んでいるすばしこい目を持つアンタらしくもない」
「何のことだね」
「何を素っとぼけてるんだい、さては皆目興味のない振りをして、いの一番に神様の酒宴に駆けつける気なんだろうよ」
「ああ、神様の呼び出しのことかい。生憎とオイラにゃ興味の無い話でね。それよりスズメっ子よ、アンタにゃとことん嫌われたもんさね」
「あたり前だよぅ。アタシの仲間がアンタに何羽やられたことか――」
「スズメさんや」アリクイが口を挟みました。「この集まりにはそういう話は無しっていう決め事があった筈だよ」
「分かったよぅ」スズメはそれきり黙ってしまいました。
「しかし猫さんや、本当に興味が無いのかね?」カマイタチが抜け目なく尋ねます。「本当に?」
「何だい、面倒臭いやね。興味は無いよ」
「ライオンのタテガミに誓って?」
「ああ、誓うよ。ライオンのタテガミに誓う。オイラは神様の宴なんぞに興味は無いね」
カマイタチは縦長の猫の瞳を覗き込みます。
「どうやら本気のようだ」カマイタチは皆に向かって言いました。
「しかし何だってそこまでやる気がないのかね?」アリクイは不思議がって、気持ちを口に出しました。
「その日にゃ人間の婆さまの所に泊まる予定なんだよ」猫は事もなげに言いました。
「婆さまの家に何があるっていうんだい」異口同音、皆が猫に聞きました。
「いんにゃ。何もないでよ。ただ泊まりに行くだけだ。アンタらも暇なら一緒に泊まらんかね?」
皆が呆気にとられているうちに、猫はヒタヒタと歩き去ってしまいました。
会議の輪に戻りながら、皆は猫についての感想を口にします。
「まったく猫は相変わらずの自分勝手だよ」スズメに続いてアリクイが「勝手気儘だね」さらにカマイタチが引き継いで言います。「まぁこれで競争相手が減るってもんさ」
そんな中、犬だけがこう言いました。
「勝手というより、猫は頑固者なのさ。神様の宴よりも自分の都合を優先させるんだからね」

日は過ぎ去って正月になります。正月とは言っても旧暦のものでして、実際今の元日とは違うわけですが――細かいことはさて置きまして。
神様の宴に辿り着いた順番は、皆様御存知の通り子丑寅卯辰巳馬未申鳥戌亥といった面々であり、栄誉というのが、干支に選されるということだったわけでございます。
そして問題の猫はというと――
戸を叩き、声を掛けます。
「ちょいとごめんよ。開けとくれ」
勿論、中の婆さまにはニャーとしか聞こえません。聞こえませんが、ああ猫が来たなと戸を開ける。
夜遅く、寝床には布団が敷かれております。婆さまは先程まで横になっていたために、布団は温まっておりまして、猫は一目散に温まった布団に駆け寄り、丸まります。
「お前は寒がりだねぇ」婆さまも布団の中に入ります。「こんな婆さまの所に来るなんて、お前も暇なもんだよ」
神様の宴のことなど知らない婆さまは言います。が、猫は何も言わずに大人しくしております。
「爺さまが死んでから、毎日来てくれてありがとうよ」婆さまは猫の体をそっと撫でます。「お前のおかげで少しは寂しさも薄まるよ」
「しみったれた話はすんなぃ」猫の言葉は婆さまの耳にはニャアとしか聞こえません。「毎日おまんまもらって、そのついでに寝床まで借りてるだけだよ」
言葉は伝わらないとは言え、猫の照れ隠しはニュアンスとして婆さまに伝わったようでございます。
「そうかい。そうかい」
顎を撫でられ猫はゴロゴロと喉を鳴らしました。

婆さまも眠り、神様の取り決めによって干支の順番が決まった頃、布団の中で丸まったまま、猫はポツリと言いました。
「こうして法は整い、時は過ぎていくんだなぁ」
そんな哲学的な言葉も、部屋の中にはただニャアとしか響きませんでしたとさ。
  

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