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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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荒れ果てた台地に咲く一輪の花。いや、草一本だっていい。
そんなものがあったら摘み取ってしまえ。
何もいらない。
あったら、全部捨ててしまえ。
全て壊してしまえ。

何もいらない。
渇いた心、それだけがあればいい。

渇いて罅割れた大地の上で、ぼくの渇いた心が風に震える。
冷たい風に怯えながら、ぼくの心は息もできずに、ただただ悲しむだけなんだ。

何もいらない。
渇いた心に冷たい風、それと罅割れた大地。

――それだけがあればいい。
他には何もいらない。

ぼくは傷付いたっていい。
いや、寧ろ自傷する。

何故なら、ぼくは自分のことが嫌いだから。
何故ならぼくは、自分自身を憎悪しているから。
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無題
乾けば乾くほどに傷は深くなるものですね。
何も感じないほどに枯れ切ってしまえば楽になれると思う気持ちすらもういらない。
でも、それと同じくらい強く救いを求めていると思う。ナンチャッテ
NONAME 2007 / 12 / 03 ( Mon ) 18 : 56 : 51 編集
Re:無題
>でも、それと同じくらい強く救いを求めていると思う。

そうですね。しかし表面的にはその気持ちすらも否定してしまうのでしょう。
そこから矛盾が生じ、自己否定の悪循環が始まってしまう。
難しいものです。
【 2007 / 12 / 05 16 : 53 】
無題
私も自分が嫌いです。
よく「自分を好きになりなさい」と、言われます。
でもどうしたら好きになれるのでしょう?私は師匠に教えを乞いました「人夫々であるが、まず己を受け入れる・己と向き合う」とのこと。
今まで自分の舞台ビデオ(映像というのは感情が出にくいので凄くシビアです)は見ても後に恥かしさが残るばかりで、あまり見ることはありませんでした。最近といっても2年前ですが、自分の舞台ビデオを見た時以前とは違い自分を冷静に客観的にみることができました。この時私は「これが自分を好きになった事か」と、初めて思いました。
今落ち込んでいる私にそんな事を思い出せてくれた素敵な話でした。
葛飾 2007 / 12 / 07 ( Fri ) 20 : 06 : 56 編集
Re:無題
一つ思ったことがあります。
自己を見つめるのならば、同じ比率で外に向かって行かなければならないのではないかと。
自分の見方から逃れられない以上、自分と社会とは一定の同一性が形付けられます。

故に、外を見ることによって、同時に刺激を受け、自らも変化します。
要はバランスが大事なのでしょう。
変化は怖いものでもあり、負荷のかかるものでもあるので、心の準備ができるまでは焦らない方がいいですけれどね。
【 2007 / 12 / 08 19 : 35 】
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