管理人の都合によりしばらくお休みさせていただいております。
毎回見に来てくれていたかた、更新が滞ってごめんなさい。
また近いうちに再開する予定ですが、もうしばらくお待ち下さい。
ハレ氏の作品はまだまだたくさんあります。
どうぞ楽しみにしていてください。
毎回見に来てくれていたかた、更新が滞ってごめんなさい。
また近いうちに再開する予定ですが、もうしばらくお待ち下さい。
ハレ氏の作品はまだまだたくさんあります。
どうぞ楽しみにしていてください。
(管理人)
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「来年のことを言うと鬼が笑うって言うけどさ」八郎が言う。「今年も残り、一週間も無いんだし、正月どうするかいい加減に決めなきゃなぁ」
「ああ」
「そうだな」
「もう、そんな時期なのね」
八郎の兄や姉たちは答えた。
その時だった。
狭いリビング内に重い音が響く。
よく聞くと、どうやらそれは笑い声のようだった。
あえてそれを文学という情報伝達媒体としてコード化するならば、こんな感じになる↓
「ヴ ヴァ ヴォ ヴァヴヴォ ヴォオオオオオオ ヴァル ヴァルヴァヴァヴァヴルァッ! ブベラボブオ ブリアッ!」
「鬼だ!」八郎の姉さんが悲鳴を上げる。「鬼よ! みんな逃げ――」
床下から大きな赤い手が現れ、彼女の細い体を握った。
彼女は鬼の握力のせいで息もできずに眉根を寄せ、一種官能的とも言えるような苦悶の表情を見せた。
二十階建てマンションの、地上九階。
八郎は階下の住人が気になり、赤い腕と床の境目を見る。
そこには、ただ永遠の暗黒が見えるばかり。もしかしたら別の次元につながっているのかもしれないなと八郎が思ったときだった。
暗闇の中から怒りに燃える、二つの瞳が、周囲の暗黒よりもどす黒い邪気を放って八郎を射抜いていたのだ。
八郎は体がすくんで動けず、腰を抜かした。
床の裂け目からは腕が伸び、怒髪天を衝く鬼の額、それから目、鼻と顔が現れた。
八郎の姉を掴んだ右腕と顔だけを覗かせながら、鬼はまだ笑っている。
鼓膜がビリビリと震える。
一同は耳を塞ぐが、効果はなかった。
どうやら何かしらの力でもって、鼓膜だけに干渉しているみたいだ。
「これが、鬼の力か」八郎の兄のうちの一人が言った。
悲鳴みたいに、声を荒げて。
鬼は姉である一人の女性を掴んだまま、右腕を後ろに逸らした。
八郎は思った。
――何のためだろう?
しかし彼は瞬時に気付き、兄や姉に声をかける。
「バックスウィングだ!皆伏せて!」
しかし全員が耳を塞いでいるために、八郎の叫び、望む声が聞き取れない。
モリ――モリッと鬼の肩の筋肉が膨らみ、それは上腕から肘、そして下腕にまで達する。
手首の筋肉が膨らんだときには、掴まれていた姉の顔は蒼褪め口から泡を吐いていた。泡は弾け、粘性を失うと液状のよだれとなって、鬼の親指に滴った。
すると次の瞬間には、その親指を初めとするすべての指が膨らんで、右手の彼女をさらに圧する。
か細く華奢な八郎の姉は、その握力に抗うことも出来ずに口から血や臓物を吐き出し、眼球は押し出され、鼻血と涙でまだらな赤に濁って落ち、重すぎる圧力に脳が両眼の飛び落ちた眼窩からトコロテンのように搾り出される。続いて木の枝が折れるようなパキポキといった骨の砕ける音が聞こえてきた。
それは時間にして一、二秒のことだったから、八郎に姉の死に様がすべて見えていたとは考えにくい。
しかし彼は確かに目撃をした。
姉の死を、目撃した。
バックスウィングをした鬼の腕が振るわれ、八郎の兄姉たちが犠牲となった。ある者は胸に直撃されてそこから体が上と下との二つに分かれた。ある者は耳を塞いで屈んでいたために頭部が破壊されて脳漿やぐずぐずに崩れた脳をぶち撒かされて骨の一部や上記した物は壁一面にこびりついた。
鬼の右腕一振りで、八郎以外の兄や姉は皆死んでしまった。
伏せていた八郎は恐る恐る顔を上げ、惨劇の跡を見渡し絶句した。
気を失わずに済んだのは、喉元をせり上がってくる胃液のヒリヒリとした痛みと吐き気のせいだろう。
鬼はおもむろに掴んでいた八郎の姉を放した。
姉の体には、握られた粘土のようにしっかりと鬼の指跡が付き、それが人体であったことが嘘みたいに潰されていた。
「やっぱり」八郎は自分でも気付かず口にしていた。「来年の話は駄目ですか」
鬼はその言葉を聞くと、今までの態度と百八十度転換し、清清しい、一つの邪気も無い無邪気な声で言った。
「うん」鬼の瞳は優しいものへと変わっている。「駄目だよ。分かった?」
「――はい」八郎は答えた。
けれども八郎の意識はここで一時期、失われることとなる。
あまりの出来事に精神が保たず、現実を拒否する心の防衛反応により、気絶をしてしまったのだ。
だから、鬼がその後にどうやって帰ったのか、床の穴がなぜ消えたのかは分からない。
八郎はそのことで困っている。
とっても困っていたのだ。
密室での大量殺人。
確実に、八郎は容疑者扱いされている。
本当のことを言っても、誰も本気にしてくれない。
一度、霊視するという霊媒師が来たが、それはインチキ霊媒師だった。八郎と一儲けするために買収しようとしてきたのだ。
もちろん八郎は断わった。
しかしこのような大事件にも関わらず、八郎に接近できるということは余程名の売れた霊媒師か警察幹部とのコネを持っている人間なのだろう。
八郎はこの一件で、ますます窮地に陥ってしまったとも言えるだろう。
けれど彼には嘘をつけない。
兄や姉たちの死、その失われた命にかけて。
八郎は確信している。
このまま裁判で争っても、自分は死刑になるだけだと。
しかしそれもまた、仕方のないことだと思っている。
なぜなら来年の話を持ち出したのは自分だからだ。
間接的に、兄や姉を殺したのは自分だと八郎は思っている。
後は、粛々と刑の執行を待つだけだ。
死刑が執行されるまでの間、八郎は自らの軽挙妄動を反省することにした。悔い改め、毎日の日々を拘留所で過した。
しかし思いがけないことが起こった。
八郎は精神的に問題があるとされ、精神科への移送が決まったのだ。
大晦日前日の、まさに慌しい一日であった。
「良いよな、お前は」拘留所で知り合った男が八郎に声をかけてきた。「こんなに早く移送されるなんて、異例中の異例だぜ。お前、何かの秘密を握っているんじゃないのか?」
「秘密? 秘密ってなんです?」
「お前が足蹴にした霊媒師はな、ありゃ大物政治家の飼い犬だ。そいつに唾かけてもこんなに早い措置。こりゃ何かがあるんじゃないかと思ってよ」
「――残念ながら、私には心当たりがないのですよ」
あまりに真っ直ぐな八郎の視線に、男は狼狽えた。
「そ、そうか」男は言う。「ま、なんにしても気をつけるこったな。俺はまだまだ拘留所からは出られない。少なくとも来年の三月までは無理だろうよ」
「来年ですって!?」八郎は絶叫し、白目になって気絶をした。
「おいおい、どうしたんだよ」男は慌てて言う。「これじゃあ俺がお前に何かしたみたいに思われるかもしれないだろう」
男がそう言い終えた時、拘留所の床が裂け、何か赤い物が現れた。
「ああ」
「そうだな」
「もう、そんな時期なのね」
八郎の兄や姉たちは答えた。
その時だった。
狭いリビング内に重い音が響く。
よく聞くと、どうやらそれは笑い声のようだった。
あえてそれを文学という情報伝達媒体としてコード化するならば、こんな感じになる↓
「ヴ ヴァ ヴォ ヴァヴヴォ ヴォオオオオオオ ヴァル ヴァルヴァヴァヴァヴルァッ! ブベラボブオ ブリアッ!」
「鬼だ!」八郎の姉さんが悲鳴を上げる。「鬼よ! みんな逃げ――」
床下から大きな赤い手が現れ、彼女の細い体を握った。
彼女は鬼の握力のせいで息もできずに眉根を寄せ、一種官能的とも言えるような苦悶の表情を見せた。
二十階建てマンションの、地上九階。
八郎は階下の住人が気になり、赤い腕と床の境目を見る。
そこには、ただ永遠の暗黒が見えるばかり。もしかしたら別の次元につながっているのかもしれないなと八郎が思ったときだった。
暗闇の中から怒りに燃える、二つの瞳が、周囲の暗黒よりもどす黒い邪気を放って八郎を射抜いていたのだ。
八郎は体がすくんで動けず、腰を抜かした。
床の裂け目からは腕が伸び、怒髪天を衝く鬼の額、それから目、鼻と顔が現れた。
八郎の姉を掴んだ右腕と顔だけを覗かせながら、鬼はまだ笑っている。
鼓膜がビリビリと震える。
一同は耳を塞ぐが、効果はなかった。
どうやら何かしらの力でもって、鼓膜だけに干渉しているみたいだ。
「これが、鬼の力か」八郎の兄のうちの一人が言った。
悲鳴みたいに、声を荒げて。
鬼は姉である一人の女性を掴んだまま、右腕を後ろに逸らした。
八郎は思った。
――何のためだろう?
しかし彼は瞬時に気付き、兄や姉に声をかける。
「バックスウィングだ!皆伏せて!」
しかし全員が耳を塞いでいるために、八郎の叫び、望む声が聞き取れない。
モリ――モリッと鬼の肩の筋肉が膨らみ、それは上腕から肘、そして下腕にまで達する。
手首の筋肉が膨らんだときには、掴まれていた姉の顔は蒼褪め口から泡を吐いていた。泡は弾け、粘性を失うと液状のよだれとなって、鬼の親指に滴った。
すると次の瞬間には、その親指を初めとするすべての指が膨らんで、右手の彼女をさらに圧する。
か細く華奢な八郎の姉は、その握力に抗うことも出来ずに口から血や臓物を吐き出し、眼球は押し出され、鼻血と涙でまだらな赤に濁って落ち、重すぎる圧力に脳が両眼の飛び落ちた眼窩からトコロテンのように搾り出される。続いて木の枝が折れるようなパキポキといった骨の砕ける音が聞こえてきた。
それは時間にして一、二秒のことだったから、八郎に姉の死に様がすべて見えていたとは考えにくい。
しかし彼は確かに目撃をした。
姉の死を、目撃した。
バックスウィングをした鬼の腕が振るわれ、八郎の兄姉たちが犠牲となった。ある者は胸に直撃されてそこから体が上と下との二つに分かれた。ある者は耳を塞いで屈んでいたために頭部が破壊されて脳漿やぐずぐずに崩れた脳をぶち撒かされて骨の一部や上記した物は壁一面にこびりついた。
鬼の右腕一振りで、八郎以外の兄や姉は皆死んでしまった。
伏せていた八郎は恐る恐る顔を上げ、惨劇の跡を見渡し絶句した。
気を失わずに済んだのは、喉元をせり上がってくる胃液のヒリヒリとした痛みと吐き気のせいだろう。
鬼はおもむろに掴んでいた八郎の姉を放した。
姉の体には、握られた粘土のようにしっかりと鬼の指跡が付き、それが人体であったことが嘘みたいに潰されていた。
「やっぱり」八郎は自分でも気付かず口にしていた。「来年の話は駄目ですか」
鬼はその言葉を聞くと、今までの態度と百八十度転換し、清清しい、一つの邪気も無い無邪気な声で言った。
「うん」鬼の瞳は優しいものへと変わっている。「駄目だよ。分かった?」
「――はい」八郎は答えた。
けれども八郎の意識はここで一時期、失われることとなる。
あまりの出来事に精神が保たず、現実を拒否する心の防衛反応により、気絶をしてしまったのだ。
だから、鬼がその後にどうやって帰ったのか、床の穴がなぜ消えたのかは分からない。
八郎はそのことで困っている。
とっても困っていたのだ。
密室での大量殺人。
確実に、八郎は容疑者扱いされている。
本当のことを言っても、誰も本気にしてくれない。
一度、霊視するという霊媒師が来たが、それはインチキ霊媒師だった。八郎と一儲けするために買収しようとしてきたのだ。
もちろん八郎は断わった。
しかしこのような大事件にも関わらず、八郎に接近できるということは余程名の売れた霊媒師か警察幹部とのコネを持っている人間なのだろう。
八郎はこの一件で、ますます窮地に陥ってしまったとも言えるだろう。
けれど彼には嘘をつけない。
兄や姉たちの死、その失われた命にかけて。
八郎は確信している。
このまま裁判で争っても、自分は死刑になるだけだと。
しかしそれもまた、仕方のないことだと思っている。
なぜなら来年の話を持ち出したのは自分だからだ。
間接的に、兄や姉を殺したのは自分だと八郎は思っている。
後は、粛々と刑の執行を待つだけだ。
死刑が執行されるまでの間、八郎は自らの軽挙妄動を反省することにした。悔い改め、毎日の日々を拘留所で過した。
しかし思いがけないことが起こった。
八郎は精神的に問題があるとされ、精神科への移送が決まったのだ。
大晦日前日の、まさに慌しい一日であった。
「良いよな、お前は」拘留所で知り合った男が八郎に声をかけてきた。「こんなに早く移送されるなんて、異例中の異例だぜ。お前、何かの秘密を握っているんじゃないのか?」
「秘密? 秘密ってなんです?」
「お前が足蹴にした霊媒師はな、ありゃ大物政治家の飼い犬だ。そいつに唾かけてもこんなに早い措置。こりゃ何かがあるんじゃないかと思ってよ」
「――残念ながら、私には心当たりがないのですよ」
あまりに真っ直ぐな八郎の視線に、男は狼狽えた。
「そ、そうか」男は言う。「ま、なんにしても気をつけるこったな。俺はまだまだ拘留所からは出られない。少なくとも来年の三月までは無理だろうよ」
「来年ですって!?」八郎は絶叫し、白目になって気絶をした。
「おいおい、どうしたんだよ」男は慌てて言う。「これじゃあ俺がお前に何かしたみたいに思われるかもしれないだろう」
男がそう言い終えた時、拘留所の床が裂け、何か赤い物が現れた。
ねぇ 愛して欲しいの
ずっと強く 抱き締めて欲しいの
苦しくなるくらい 強く 強く
寂しさの 欠片が粉々になるくらい
私を求めてめて ぎゅっと抱き締めて
夢でもいいから もっと求めて
何もかも忘れるくらいに
私の体を求めて欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから 私を求めて
ねぇ 殺して欲しいの
ひと思いに 命を奪って
苦しいことは もう嫌なの
寂しさが膨れて たまらないから
私を奪って 私の命を
夢なんていらないの 早く殺して
何もかも忘れてしまいたい
私の心を 解き放って欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから 私を殺して
ねぇ 救って欲しいの
心の底から 求めているの
苦しさなんて もう終わりにして欲しいの
寂しいことは もう嫌なの
私を救って 私を助けて
夢か本当か 私にはもう分からない
何もかもが 私を苦しめる
私の心を 救って欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから私を愛して
ねぇ 君は綺麗だよ
嘆きすらもが 素敵なんだ
苦しさにあがく君は とても素晴らしい
寂しさにもがく君は 美しい
君は悩んで 悩み続けて
夢が悪夢でも すぐに終わるから
君の苦悩は 生きている証し
プレゼントを君にあげるよ
ひとつの言葉 「君は正しい」
ずっと強く 抱き締めて欲しいの
苦しくなるくらい 強く 強く
寂しさの 欠片が粉々になるくらい
私を求めてめて ぎゅっと抱き締めて
夢でもいいから もっと求めて
何もかも忘れるくらいに
私の体を求めて欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから 私を求めて
ねぇ 殺して欲しいの
ひと思いに 命を奪って
苦しいことは もう嫌なの
寂しさが膨れて たまらないから
私を奪って 私の命を
夢なんていらないの 早く殺して
何もかも忘れてしまいたい
私の心を 解き放って欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから 私を殺して
ねぇ 救って欲しいの
心の底から 求めているの
苦しさなんて もう終わりにして欲しいの
寂しいことは もう嫌なの
私を救って 私を助けて
夢か本当か 私にはもう分からない
何もかもが 私を苦しめる
私の心を 救って欲しいの
プレゼントなんていらないから
誰でもいいから私を愛して
ねぇ 君は綺麗だよ
嘆きすらもが 素敵なんだ
苦しさにあがく君は とても素晴らしい
寂しさにもがく君は 美しい
君は悩んで 悩み続けて
夢が悪夢でも すぐに終わるから
君の苦悩は 生きている証し
プレゼントを君にあげるよ
ひとつの言葉 「君は正しい」
<続き>
実際に鳥の襲撃を察知したのはかげの方だったけれど、ひかりにも言い分はあると思う。
前の通り、体を動かしているのはひかりの方だからね。餌を探し、口にするのもひかり。だから一時の雨に打たれて癒されていたっていう、一種の気の緩みっていうか、リラックスしすぎちゃったっていうことが上げられると思う。
体の神経はかげにも伝わっていて、体の疲れ具合だとか、そういったことも感じ取れているんだけれど、ひかりが獲物を探している間、かげはそういった緊張状態にはいなかったからね。でも、ただボーっとしていたわけじゃあないよ。かげはいつでも自分の心と闘っている。きっと、その内面世界へ向けられた意識が外に向けられると、深い洞察力が得られるのかもしれない。
けれど実際には内へばかり向かっているために、その力は得られていない。
そうでしょう?
だって、本当の洞察力って物が備わっていたのなら、自分たちの体の色が雨滴によって光を乱反射することに気がつき、鳥に見つかるよりも先に、ひかりへ忠告することができたはずなんだ。このままじゃ天敵に見つかりやすいから、どこかに隠れながら喉を潤そうよってね。
とりあえず一命を――二命?――取り留めたんだから、それで良しとしなくっちゃね。
良かった良かった。
尻尾も再生して姿形も元に戻ったことも、前に言ったと思うけど、ひかりはそのために頑張ったんだよ。
いつもより多く餌を食べ、休みを取る。
なにげないことにようにも思えるけどさ、休みと捕食のバランスっていうのが結構大変。
人間だって骨折とか、大きな怪我をしたら休むでしょう? トカゲが自由に尻尾を切り離せるっていっても、命を守るためだからね。ナイフを持った相手から顔や心臓を守るために、腕にガード傷ができるみたいなものだよ。
ジッと我慢しなくちゃならない。それがどんなに退屈で憂鬱かは、一度病院に入院したことのある人なら共感できるんじゃないかな。
プラス毒のある植物には注意しなくちゃならない。いくら細胞生成のためにエネルギーが必要だって言っても、そんな物を食べたら本末転倒だからね。
あ、あと動きの速い虫とかは厄介だよ。
追っている内に、こちらの体力が減ってしまう、なんてことも有り得るからね。
色々と神経を使ってひかりは日々の生活を送り元に戻ったってわけ。きっと、かげの性格だったら、こんな毎日に耐え切れなかったかもしれないな。
ヤケを起こして、ギャンブルめいた破滅への道を選んでしまいそう。
ボクには、そんな気がするんだ。
だけど、幸か不幸か、かげは体を動かせることはできない。だから体を動かさない分、彼は自分の内面へ向かって、時には引き合い時には反発する磁石みたいに、めくらめっぽう進んで行った。
だから、ひかりがかげの異常に気付かなかったことは、残念だけれど仕方のないことだって思う。当然のような必然のような、これはきっと誰にも止められない種類の事故みたいな物だったんだ。突然起こった山火事が、気づいた時には消火不能な状態にまで拡大されてしまった、と言ったような種類の出来事。そんな事故。
かげはね、いつの間にか外からの刺激に反応しなくなってしまっていたんだよ。まったく、全然。それはそれは石のように。
兆候というものがあったとしたらね、それはひかりの言葉に反応する速度が遅くなったことだっただろう。でもひかりは必死だったし、体も疲れていたから、かげも疲労を感じて苦しんでいるのだろうってひかりは思っていたんだ。
でも、その見方は間違っていた。
複雑な心という物に肉薄しすぎたかげの意識は、心に飲み込まれつつあったんだよ。
そのために心は意識に作用し、意識は心に作用したんだ。まるで別々の機械の歯車を無理矢理はめこんだみたいにね。この相互作用は当然のようにマイナスに働いたんだ。結果、かげは生ける屍のような状態に陥ってしまった。
これはヒカリトカゲという双頭のトカゲにとって、致命的な事態を引き起こす可能性を秘めている。かげは体を動かすことはできなくても、今まで自分の領分、つまり首から上だけは自由に動かせたんだ。ひかりが体を動かす邪魔にならないよう、トゲや枝なんかを避けたりしていたってことなんだけれど、かげはそれすらできなくなってしまったんだよ。
心と意識の器が割れてしまったかげにとって、トゲに目を刺されようが首に枝が絡まろうが何も感じはしないと思う。
でもね、二匹の神経は共有されているから、例えトゲに刺されてかげが痛みを感じなくても、ひかりは痛みを感じ取ってしまう。かげの頭が枝に絡まってしまったら、ひかりも身動きができなくなってしまうんだ。
つまり、ちょっとしたアクシデントで二匹の命が落ちかねない危険極まりない状況になっているってことなんだよ。
ひかりはかげのことがとっても心配になっていたんだ。
自分もかげのせいで死んでしまうかもしれないって以上に、唯一の肉親であり友達でもあるかげのことがね。
だからひかりは、かげを正常に戻したいって考えた。なんとしても今の状況から、かげを救いたいってね。
ひかりはそうして、かげの好物である果実を食べてあげようって思ったんだよ。
二匹の神経は脳以外、ほとんど全部つながっているからね。ひかりが食べたものにかげがうまいとかまずいとか感じ取れるんだ。このせいで喧嘩をしたこともあったっけ。ひかりが好きな味とかげの好む味とは、ちょっとした違いがあったのさ。
かげの好物とする果実は、ちょっと時期はずれでなかなか見つからなかった。
けれどひかりは懸命に探したんだ。
かげのために、熱帯雨林の地面を這いまわった。
もちろんかげがトゲや枝なんかに絡まれないよう、細心の注意を払ってね。
これは神経を消耗させる、ひどく疲れる行為だったんだけれど、ひかりはそんなこと意にも介さなかった。
そしてひかりは、ようやくその果実を見つけ出したんだ。
けれどそれは半分、腐りかけてた。爛熟っていうのかな。強烈な匂いを放って、地面に落ち、黒ずんで潰れたようになっていた。
ひかりは食べられそうな部分を選んで、果実を口にしたんだ。
途端にひかりの口中に甘い匂いと味が広がった。甘いっていう形容詞の範囲内に納まらないほどに、それはそれは甘かったんだ。
まさに脳天を直撃するほどの甘さ。
今まで食べた、どんな物よりも甘くって、攻撃的な甘さだったんだ。どんな苦味もしょっぱさも辛さをも凌駕するほどに脳天を直撃し、ひかりは呻いて失神しそうになるくらい衝撃的な非常識な甘さだったんだよ。
ひかりは不安と期待と胸焼けを感じながらかげに話しかけた。
「かげよ」けれど返事はない。「かげよ」一縷の望みをかけて呼びかけても同じだった。「かげよ――」失望に心を苛められながらも彼は声をかけつづけた。
そしたらね、ひかりの思いが天に通じたのか、それとも必然的な運命によるものかは分からないけれども、かげが反応する気配をね、ひかりは感じ取ったんだ。
「かげよ」
ひかりの呼びかけに、かげは鼻先をヒクヒク動かし、ちょっとしてからひどく寝起きの悪い子供みたいにゆっくりと目を開いた。それから瞳を動かし、事態を把握しようと辺りを観察して、一口齧られた果実を見つけたんだ。
「ひかりよ」しばらくしてかげは言った。「お前がこれを食べたのだな」
「ああ。そうさ」ひかりは嬉しくてたまらなかったのだけれども、かげに合わせてゆっくりとした口調で答えたんだ。「こいつを食べたのさ」
「ひかりよ。なぜこのような時期はずれて腐りかけたこの果実を食ったのだ。もし腹を下したらどうする。お前はそんな迂闊な者ではあるまいに」
ひかりは不躾そうに聞こえる、かげの言葉に怒ったりはしなかった。
むしろひかりは、いつも通りのかげの様子に喜んだくらいだったんだ。
「かげよ、お前のために食ったのさ」
かげはひかりの答えに驚いた。
「俺のために? それはどんな意味なのか俺には分からない。説明をしてくれぬか、ひかりよ」
ひかりは少し戸惑った。そこには家族に対する照れ臭さもあったかもしれないけれど、何よりもかげの状態が見極められないからっていう理由の方が大部分を占めていたからなんだ。
「かげよ、お前は俺たちが鳥に襲われたときのことを覚えているか」
「ああ」
「ではその時、尻尾を切り離したことも覚えているだろうか」
「ああ。覚えているよ」
「では、あれから数ヶ月が経ち、尻尾が元に戻っていることには気付いているだろうか」
かげはぴくりと反応し、何かを確かめるように目を閉じた。
きっと、尻尾との神経のつながりを感じ取っていたんだと思う。
かげは目を開くと答えたんだ。
「おお、本当だ。確かに尻尾は元通り再生できているようだな」かげは喜んだけれど、その喜びは長く続かなかった。「ひかりよ、お前は頑張って体をすっかり以前のように戻すことができたのだな。しかし俺はそのことに気がつかなかった。それは俺の罪業のせいかもしれぬ。俺はなんの手助けをすることもできずに、お前一匹に全てを任せてしまった。ひかりよ、すまなかったな」
「かげよ、そのようなことは言ってくれるな。むしろお前の異変に気付かなかった俺こそが悪いのだ。俺は今、お前が回復してくれて嬉しいのだよ。今はこの喜びを、尻尾の再生とお前の回復という二重の喜びを、共に楽しもうではないか」
ひかりの優しい言葉はありがたかったけれどもね、やっぱりかげの心には暗い疚しさみたいな物が残っていたんだ。
けれども自分の回復のために欣喜雀躍しているひかりを見ているとね、その心の芯を打ち明けることはできなかった。
一方のひかりは心の底から喜び、かげの記憶の空白時にどんなことがあったかを話したりしていた。
有頂天のひかりにかげの心の闇を見つけることはできなかったし、かげはそれを隠すように努めていた。だから、ひかりがそのことに気付けなかったのも仕方のないことだって、ボクは思う。
でも、なんでかな。どうしてだろう? 相手を思ってしたことが裏目に出る。そんな悲劇っていっぱいある。本当にこの世の中には、いっぱいいっぱい、そういう擦れ違った悲しみが溢れかえっている。
ひかりとかげはね、そうして暫しの時を過してた。
表面上はうまくやっていたよ。
二匹は仲良く暮らしていたんだ。
その暮らしの中から、ひかりはある違和感を感じていたんだけれど、その正体が分からなかった。
以前の毎日と同じようでいて、決定的な何かが違っているって感じたんだ。
よくよく注意して、ひかりはその原因を突き止めた。
かげの心が閉じているっていうことに。
かげは巧妙にそのことを隠していたけれど、毎日一緒に一つの体で過しているひかりには分かった。ひかりにしか分からなかった。
ヒカリトカゲははぐれ者だからね。
だからってひかりには、どうしたらいいのか分からなかった。
そのことが、さらに擦れ違いを生んでしまったんだよ。
そうこうしているうちに、ひかりとかげの間には深い溝ができてしまっていた。
けれどある日、ひかりはこのままではいけないと考えて、溝を埋めるためにかげと話す決意をしたんだ。
「かげよ」ひかりは話しかける。「お前は深い悩みを抱えているのだろう。それを話してはくれまいか」
「ひかりよ」かげは答える。「やはりお前は気付いていたのだな。しかしこればかりは打ち明けるわけにはいかぬ」
「なぜだ」ひかりは少し語気を荒げた。
「それも言えぬのだ」
「それではなにも解決できぬではないか! 俺はお前のために悩み、考え、そうして互いに心の内を明らかにすべく決断したのだ。引くわけにはいかぬ。俺はお前が打ち明けてくれるまで水も飲まず餌も食べず、ずっとこうして動かない覚悟で居るつもりだ」
「俺はともかく、それではひかり、お前まで死んでしまうではないか」かげは嘆くように叫んだんだ。
「このままの状態が続くのならば、俺はそれでも良いと思っているよ」
一転して平静に言うひかりに対して、かげは呻いたよ。
「ううむ。それでは話さぬ理由がなくなってしまうではないか。仕方がない。心の内を話すことにしよう」
「それはどういうことなのだ」
「ひかりよ、少し時間をくれぬか。話すためには頭の中を整理することが必要なのだよ」
「うむ。分かった」ひかりは言った。「ならば待つことにしよう」
そして四つの目蓋は閉じられたんだ。
一対の目蓋はひかりのもので、ただひたすらに言葉を待ち、相手の心を乱さぬように閉じられていた。もう一対のかげの目蓋は沈思黙考するために外からの刺激を寄せ付けないために閉じられていたんだ。
やげて、二つの目蓋が開かれると左目で相手の顔を見、話しかけた。
「ひかりよ」
残った二つの目がその声に応じて開かれ、話しかけられたひかりが返事をする。
「かげよ、考えがまとまったのか」
「ああ」かげは頷き、遠く前の方に視線を向ける。「俺はどうやらあの後から変わってしまったみたいなのだよ」
「あの後とは、俺たちが鳥に襲われ尻尾を切り離した後と言うことか」
「ああ。俺は変わってしまった。――いや。変わったと言うより――」
「どうした、かげよ」
かげはひかりに促されても、ちょっとまだいいにくそうだった。
まるで痛みに我慢しているような表情で、やっと搾り出した感じの声で続けたんだ。
「俺は変わってしまったと言うよりもむしろ――狂ってしまったようなのだよ。およそ、この世の全てが色褪せてしまったように見えるのだよ。考えることすらがもどかしく、どうしようもない灰色の世界に見えてならないのだ。つまり、生きるという意味が見えなくなってしまったということなのだ」
「生きることには」少し考えてからひかりは言った。「生きていること自体が大きな意味を持っているんではないかと俺は思うよ。少し考え方や世界の見方を戻せばよいだけなのではないだろうかな」
「ああ」かげは嘆息した。「俺はそのように誤解されるのを怖れていたのだ。それこそが問題なのだよ」
ひかりは黙って、かげの言葉の真意を捜したのだけれどね、ひかりには分からなかったんだ。
「俺には分からないよ」ひかりは言った。「お前の言う意味が良く理解できないのかもしれないな」
「だからそれが違うのだ」かげは諦めたような、それはそれは寂しい目をして言ったんだ。「もっと大元。それよりもずっと根本的な所から俺は狂うてしまったのだよ。俺はお前が生きている意味を識る。知っているのではなく識っている。本当の意味で解っているのだ。しかし、俺の生きている意味が分かることすらできないでいるのだ」
「かげよ。確かにお前の言うとおり、どうやら俺とお前とでは考えている根元からして違うようだ。ならば教えて欲しい。俺の生きている意味とはどんなことなのだ」
「お前は生きるために生きているということよ」
ひかりは意味が分からなくなって、かげの方を見ていたんだけれど、かげは相変わらず遠くを見たまま話していたんだ。だから、ひかりはかげの表情から何かを読み取ることもできず、すっかり困ってしまったんだ。
「俺を困らせないでくれよ」ひかりは音を上げた。「かげよ、もっと分かりやすく言ってはくれまいか」
「ああ、分かった」かげはようやくひかりを見たんだ。そこには厳しい覚悟めいた何かが宿っているみたいだったよ。「お前は生きるために体を動かし、餌を喰らい、水を飲むことができる。しかし俺にはそのようなことはできない。つまり、俺はお前にとって荷物以外の何者でもないと思っているのだよ。俺は必要のない存在なのだ」
「かげよ、それは間違っているぞ」ひかりはそう言ってかげを睨んだんだ。「お前の忠告のおかげで俺は尻尾を切り、生きている」
「ひかりよ、それこそ間違いの元というものさ。お前は俺のために、他のトカゲよりも多くのエネルギーを摂らなければならない。そのためにお前は体力を消費してしまうのだ。あの時のお前の疲れは俺のせいでもあるということさ」
「だが、しかし、俺はお前を肉親として、また友人として必要としているのだ」
「ひかりよ、それは俺も同じだ」
「ならば――」
「だからこそ、なのだよ」かげはひかりの言葉を遮って続ける。「俺はあの時まで、お前と同等であると思っていた。しかし実際はお前にぶら下がっているだけなのだ。俺がいなければ、お前は他のトカゲと色が違うだけの存在となろう。もしくは新たなる俺が、尻尾のように再生するやもしれぬ。ひかりよ、俺を切り離せ」
「いや、今でも同等だ。お前を切り離したりなぞするものか。お前は俺から離れれば死ぬのだぞ。もしくは俺も一緒に死ぬかも知れぬ」
「それは無い。安心しろ。お前は死なぬ」
「どのような根拠の元にお前は言う――」ひかりの息が、一瞬詰まったんだ。
かげは自分の動かせられる首を、自分で切り離してしまったんだ。実力行使。
「ひかりよ」地面に落ちたかげが言う。「根拠も何も無い。お前は生き続けるのだよ。言葉では伝わらぬものもあるのだ」
「分かるものかよ」ひかりは苦痛に顔を歪ませていた。
やっぱり、首を切り離すのは尻尾の時と同じようにはいかなかったみたいだ。
かげの居た部分からは大量に血が流れている。
「この傷では次のお前など再生できるものかよ」
「すまぬ」かげの意識はぼんやりとし始めていた。「許せ、ひかりよ」
「まぁ次のお前ができなくとも、このくらいの傷口なら塞ぐこともできようよ」ひかりは優しい嘘をついた。
「そうか。ありがとう」
あふれ出る血がひかりに飛んで、まるでひかりは血の涙を流しているみたいだった。けれど彼は構わずにかげの死をじっと見守っていたんだ。
そして、かげは死んだ。
死んでしまったんだ。
「――許すものかよ」
ふらついた足を、しっかりと大地に爪を食い込ませてひかりはつぶやくと、かげの死体を食べ始めた。
「俺たちはこれで本当のひとつとなるのだ」ひかりはかげに話しかけるようにしながら食べ続けた。「俺の命も長くはあるまい。この傷口は塞がらぬ。それ以前に塞いではならぬのだよ。これから俺とお前は共に死という暗黒の中を進んでいくのだ。お前と一緒でなければ寂しいではないか」
そうして、ひかりとかげは、生とコインの裏側である死へと旅立って行った。
ボクはね、このお話をしている間に、あることに気付いてしまったんだ。
ボクたち地球に生きている者には、光と影はコインの表と裏。でも天体レベルで見れば、光と闇が一対になる。だって光が無ければ闇も闇として認識されないだろうからね。この意味で言うと、コインは存在っていう表現で現わせられる。
存在の反対は、多分、虚無。
神様の言った「光あれ!」の光とは、実在として形を現せっていう意味だったのかもしれないね。
ヒカリトカゲの肉体は完全にひとつの死体となってしまった。これから誰かに食べられるか腐るかして、ヒカリトカゲの姿は形を変えていくのだろう。
ひかりとかげの魂は、きっと仲良く死後の世界の中で戯れているはずさ。
実際に鳥の襲撃を察知したのはかげの方だったけれど、ひかりにも言い分はあると思う。
前の通り、体を動かしているのはひかりの方だからね。餌を探し、口にするのもひかり。だから一時の雨に打たれて癒されていたっていう、一種の気の緩みっていうか、リラックスしすぎちゃったっていうことが上げられると思う。
体の神経はかげにも伝わっていて、体の疲れ具合だとか、そういったことも感じ取れているんだけれど、ひかりが獲物を探している間、かげはそういった緊張状態にはいなかったからね。でも、ただボーっとしていたわけじゃあないよ。かげはいつでも自分の心と闘っている。きっと、その内面世界へ向けられた意識が外に向けられると、深い洞察力が得られるのかもしれない。
けれど実際には内へばかり向かっているために、その力は得られていない。
そうでしょう?
だって、本当の洞察力って物が備わっていたのなら、自分たちの体の色が雨滴によって光を乱反射することに気がつき、鳥に見つかるよりも先に、ひかりへ忠告することができたはずなんだ。このままじゃ天敵に見つかりやすいから、どこかに隠れながら喉を潤そうよってね。
とりあえず一命を――二命?――取り留めたんだから、それで良しとしなくっちゃね。
良かった良かった。
尻尾も再生して姿形も元に戻ったことも、前に言ったと思うけど、ひかりはそのために頑張ったんだよ。
いつもより多く餌を食べ、休みを取る。
なにげないことにようにも思えるけどさ、休みと捕食のバランスっていうのが結構大変。
人間だって骨折とか、大きな怪我をしたら休むでしょう? トカゲが自由に尻尾を切り離せるっていっても、命を守るためだからね。ナイフを持った相手から顔や心臓を守るために、腕にガード傷ができるみたいなものだよ。
ジッと我慢しなくちゃならない。それがどんなに退屈で憂鬱かは、一度病院に入院したことのある人なら共感できるんじゃないかな。
プラス毒のある植物には注意しなくちゃならない。いくら細胞生成のためにエネルギーが必要だって言っても、そんな物を食べたら本末転倒だからね。
あ、あと動きの速い虫とかは厄介だよ。
追っている内に、こちらの体力が減ってしまう、なんてことも有り得るからね。
色々と神経を使ってひかりは日々の生活を送り元に戻ったってわけ。きっと、かげの性格だったら、こんな毎日に耐え切れなかったかもしれないな。
ヤケを起こして、ギャンブルめいた破滅への道を選んでしまいそう。
ボクには、そんな気がするんだ。
だけど、幸か不幸か、かげは体を動かせることはできない。だから体を動かさない分、彼は自分の内面へ向かって、時には引き合い時には反発する磁石みたいに、めくらめっぽう進んで行った。
だから、ひかりがかげの異常に気付かなかったことは、残念だけれど仕方のないことだって思う。当然のような必然のような、これはきっと誰にも止められない種類の事故みたいな物だったんだ。突然起こった山火事が、気づいた時には消火不能な状態にまで拡大されてしまった、と言ったような種類の出来事。そんな事故。
かげはね、いつの間にか外からの刺激に反応しなくなってしまっていたんだよ。まったく、全然。それはそれは石のように。
兆候というものがあったとしたらね、それはひかりの言葉に反応する速度が遅くなったことだっただろう。でもひかりは必死だったし、体も疲れていたから、かげも疲労を感じて苦しんでいるのだろうってひかりは思っていたんだ。
でも、その見方は間違っていた。
複雑な心という物に肉薄しすぎたかげの意識は、心に飲み込まれつつあったんだよ。
そのために心は意識に作用し、意識は心に作用したんだ。まるで別々の機械の歯車を無理矢理はめこんだみたいにね。この相互作用は当然のようにマイナスに働いたんだ。結果、かげは生ける屍のような状態に陥ってしまった。
これはヒカリトカゲという双頭のトカゲにとって、致命的な事態を引き起こす可能性を秘めている。かげは体を動かすことはできなくても、今まで自分の領分、つまり首から上だけは自由に動かせたんだ。ひかりが体を動かす邪魔にならないよう、トゲや枝なんかを避けたりしていたってことなんだけれど、かげはそれすらできなくなってしまったんだよ。
心と意識の器が割れてしまったかげにとって、トゲに目を刺されようが首に枝が絡まろうが何も感じはしないと思う。
でもね、二匹の神経は共有されているから、例えトゲに刺されてかげが痛みを感じなくても、ひかりは痛みを感じ取ってしまう。かげの頭が枝に絡まってしまったら、ひかりも身動きができなくなってしまうんだ。
つまり、ちょっとしたアクシデントで二匹の命が落ちかねない危険極まりない状況になっているってことなんだよ。
ひかりはかげのことがとっても心配になっていたんだ。
自分もかげのせいで死んでしまうかもしれないって以上に、唯一の肉親であり友達でもあるかげのことがね。
だからひかりは、かげを正常に戻したいって考えた。なんとしても今の状況から、かげを救いたいってね。
ひかりはそうして、かげの好物である果実を食べてあげようって思ったんだよ。
二匹の神経は脳以外、ほとんど全部つながっているからね。ひかりが食べたものにかげがうまいとかまずいとか感じ取れるんだ。このせいで喧嘩をしたこともあったっけ。ひかりが好きな味とかげの好む味とは、ちょっとした違いがあったのさ。
かげの好物とする果実は、ちょっと時期はずれでなかなか見つからなかった。
けれどひかりは懸命に探したんだ。
かげのために、熱帯雨林の地面を這いまわった。
もちろんかげがトゲや枝なんかに絡まれないよう、細心の注意を払ってね。
これは神経を消耗させる、ひどく疲れる行為だったんだけれど、ひかりはそんなこと意にも介さなかった。
そしてひかりは、ようやくその果実を見つけ出したんだ。
けれどそれは半分、腐りかけてた。爛熟っていうのかな。強烈な匂いを放って、地面に落ち、黒ずんで潰れたようになっていた。
ひかりは食べられそうな部分を選んで、果実を口にしたんだ。
途端にひかりの口中に甘い匂いと味が広がった。甘いっていう形容詞の範囲内に納まらないほどに、それはそれは甘かったんだ。
まさに脳天を直撃するほどの甘さ。
今まで食べた、どんな物よりも甘くって、攻撃的な甘さだったんだ。どんな苦味もしょっぱさも辛さをも凌駕するほどに脳天を直撃し、ひかりは呻いて失神しそうになるくらい衝撃的な非常識な甘さだったんだよ。
ひかりは不安と期待と胸焼けを感じながらかげに話しかけた。
「かげよ」けれど返事はない。「かげよ」一縷の望みをかけて呼びかけても同じだった。「かげよ――」失望に心を苛められながらも彼は声をかけつづけた。
そしたらね、ひかりの思いが天に通じたのか、それとも必然的な運命によるものかは分からないけれども、かげが反応する気配をね、ひかりは感じ取ったんだ。
「かげよ」
ひかりの呼びかけに、かげは鼻先をヒクヒク動かし、ちょっとしてからひどく寝起きの悪い子供みたいにゆっくりと目を開いた。それから瞳を動かし、事態を把握しようと辺りを観察して、一口齧られた果実を見つけたんだ。
「ひかりよ」しばらくしてかげは言った。「お前がこれを食べたのだな」
「ああ。そうさ」ひかりは嬉しくてたまらなかったのだけれども、かげに合わせてゆっくりとした口調で答えたんだ。「こいつを食べたのさ」
「ひかりよ。なぜこのような時期はずれて腐りかけたこの果実を食ったのだ。もし腹を下したらどうする。お前はそんな迂闊な者ではあるまいに」
ひかりは不躾そうに聞こえる、かげの言葉に怒ったりはしなかった。
むしろひかりは、いつも通りのかげの様子に喜んだくらいだったんだ。
「かげよ、お前のために食ったのさ」
かげはひかりの答えに驚いた。
「俺のために? それはどんな意味なのか俺には分からない。説明をしてくれぬか、ひかりよ」
ひかりは少し戸惑った。そこには家族に対する照れ臭さもあったかもしれないけれど、何よりもかげの状態が見極められないからっていう理由の方が大部分を占めていたからなんだ。
「かげよ、お前は俺たちが鳥に襲われたときのことを覚えているか」
「ああ」
「ではその時、尻尾を切り離したことも覚えているだろうか」
「ああ。覚えているよ」
「では、あれから数ヶ月が経ち、尻尾が元に戻っていることには気付いているだろうか」
かげはぴくりと反応し、何かを確かめるように目を閉じた。
きっと、尻尾との神経のつながりを感じ取っていたんだと思う。
かげは目を開くと答えたんだ。
「おお、本当だ。確かに尻尾は元通り再生できているようだな」かげは喜んだけれど、その喜びは長く続かなかった。「ひかりよ、お前は頑張って体をすっかり以前のように戻すことができたのだな。しかし俺はそのことに気がつかなかった。それは俺の罪業のせいかもしれぬ。俺はなんの手助けをすることもできずに、お前一匹に全てを任せてしまった。ひかりよ、すまなかったな」
「かげよ、そのようなことは言ってくれるな。むしろお前の異変に気付かなかった俺こそが悪いのだ。俺は今、お前が回復してくれて嬉しいのだよ。今はこの喜びを、尻尾の再生とお前の回復という二重の喜びを、共に楽しもうではないか」
ひかりの優しい言葉はありがたかったけれどもね、やっぱりかげの心には暗い疚しさみたいな物が残っていたんだ。
けれども自分の回復のために欣喜雀躍しているひかりを見ているとね、その心の芯を打ち明けることはできなかった。
一方のひかりは心の底から喜び、かげの記憶の空白時にどんなことがあったかを話したりしていた。
有頂天のひかりにかげの心の闇を見つけることはできなかったし、かげはそれを隠すように努めていた。だから、ひかりがそのことに気付けなかったのも仕方のないことだって、ボクは思う。
でも、なんでかな。どうしてだろう? 相手を思ってしたことが裏目に出る。そんな悲劇っていっぱいある。本当にこの世の中には、いっぱいいっぱい、そういう擦れ違った悲しみが溢れかえっている。
ひかりとかげはね、そうして暫しの時を過してた。
表面上はうまくやっていたよ。
二匹は仲良く暮らしていたんだ。
その暮らしの中から、ひかりはある違和感を感じていたんだけれど、その正体が分からなかった。
以前の毎日と同じようでいて、決定的な何かが違っているって感じたんだ。
よくよく注意して、ひかりはその原因を突き止めた。
かげの心が閉じているっていうことに。
かげは巧妙にそのことを隠していたけれど、毎日一緒に一つの体で過しているひかりには分かった。ひかりにしか分からなかった。
ヒカリトカゲははぐれ者だからね。
だからってひかりには、どうしたらいいのか分からなかった。
そのことが、さらに擦れ違いを生んでしまったんだよ。
そうこうしているうちに、ひかりとかげの間には深い溝ができてしまっていた。
けれどある日、ひかりはこのままではいけないと考えて、溝を埋めるためにかげと話す決意をしたんだ。
「かげよ」ひかりは話しかける。「お前は深い悩みを抱えているのだろう。それを話してはくれまいか」
「ひかりよ」かげは答える。「やはりお前は気付いていたのだな。しかしこればかりは打ち明けるわけにはいかぬ」
「なぜだ」ひかりは少し語気を荒げた。
「それも言えぬのだ」
「それではなにも解決できぬではないか! 俺はお前のために悩み、考え、そうして互いに心の内を明らかにすべく決断したのだ。引くわけにはいかぬ。俺はお前が打ち明けてくれるまで水も飲まず餌も食べず、ずっとこうして動かない覚悟で居るつもりだ」
「俺はともかく、それではひかり、お前まで死んでしまうではないか」かげは嘆くように叫んだんだ。
「このままの状態が続くのならば、俺はそれでも良いと思っているよ」
一転して平静に言うひかりに対して、かげは呻いたよ。
「ううむ。それでは話さぬ理由がなくなってしまうではないか。仕方がない。心の内を話すことにしよう」
「それはどういうことなのだ」
「ひかりよ、少し時間をくれぬか。話すためには頭の中を整理することが必要なのだよ」
「うむ。分かった」ひかりは言った。「ならば待つことにしよう」
そして四つの目蓋は閉じられたんだ。
一対の目蓋はひかりのもので、ただひたすらに言葉を待ち、相手の心を乱さぬように閉じられていた。もう一対のかげの目蓋は沈思黙考するために外からの刺激を寄せ付けないために閉じられていたんだ。
やげて、二つの目蓋が開かれると左目で相手の顔を見、話しかけた。
「ひかりよ」
残った二つの目がその声に応じて開かれ、話しかけられたひかりが返事をする。
「かげよ、考えがまとまったのか」
「ああ」かげは頷き、遠く前の方に視線を向ける。「俺はどうやらあの後から変わってしまったみたいなのだよ」
「あの後とは、俺たちが鳥に襲われ尻尾を切り離した後と言うことか」
「ああ。俺は変わってしまった。――いや。変わったと言うより――」
「どうした、かげよ」
かげはひかりに促されても、ちょっとまだいいにくそうだった。
まるで痛みに我慢しているような表情で、やっと搾り出した感じの声で続けたんだ。
「俺は変わってしまったと言うよりもむしろ――狂ってしまったようなのだよ。およそ、この世の全てが色褪せてしまったように見えるのだよ。考えることすらがもどかしく、どうしようもない灰色の世界に見えてならないのだ。つまり、生きるという意味が見えなくなってしまったということなのだ」
「生きることには」少し考えてからひかりは言った。「生きていること自体が大きな意味を持っているんではないかと俺は思うよ。少し考え方や世界の見方を戻せばよいだけなのではないだろうかな」
「ああ」かげは嘆息した。「俺はそのように誤解されるのを怖れていたのだ。それこそが問題なのだよ」
ひかりは黙って、かげの言葉の真意を捜したのだけれどね、ひかりには分からなかったんだ。
「俺には分からないよ」ひかりは言った。「お前の言う意味が良く理解できないのかもしれないな」
「だからそれが違うのだ」かげは諦めたような、それはそれは寂しい目をして言ったんだ。「もっと大元。それよりもずっと根本的な所から俺は狂うてしまったのだよ。俺はお前が生きている意味を識る。知っているのではなく識っている。本当の意味で解っているのだ。しかし、俺の生きている意味が分かることすらできないでいるのだ」
「かげよ。確かにお前の言うとおり、どうやら俺とお前とでは考えている根元からして違うようだ。ならば教えて欲しい。俺の生きている意味とはどんなことなのだ」
「お前は生きるために生きているということよ」
ひかりは意味が分からなくなって、かげの方を見ていたんだけれど、かげは相変わらず遠くを見たまま話していたんだ。だから、ひかりはかげの表情から何かを読み取ることもできず、すっかり困ってしまったんだ。
「俺を困らせないでくれよ」ひかりは音を上げた。「かげよ、もっと分かりやすく言ってはくれまいか」
「ああ、分かった」かげはようやくひかりを見たんだ。そこには厳しい覚悟めいた何かが宿っているみたいだったよ。「お前は生きるために体を動かし、餌を喰らい、水を飲むことができる。しかし俺にはそのようなことはできない。つまり、俺はお前にとって荷物以外の何者でもないと思っているのだよ。俺は必要のない存在なのだ」
「かげよ、それは間違っているぞ」ひかりはそう言ってかげを睨んだんだ。「お前の忠告のおかげで俺は尻尾を切り、生きている」
「ひかりよ、それこそ間違いの元というものさ。お前は俺のために、他のトカゲよりも多くのエネルギーを摂らなければならない。そのためにお前は体力を消費してしまうのだ。あの時のお前の疲れは俺のせいでもあるということさ」
「だが、しかし、俺はお前を肉親として、また友人として必要としているのだ」
「ひかりよ、それは俺も同じだ」
「ならば――」
「だからこそ、なのだよ」かげはひかりの言葉を遮って続ける。「俺はあの時まで、お前と同等であると思っていた。しかし実際はお前にぶら下がっているだけなのだ。俺がいなければ、お前は他のトカゲと色が違うだけの存在となろう。もしくは新たなる俺が、尻尾のように再生するやもしれぬ。ひかりよ、俺を切り離せ」
「いや、今でも同等だ。お前を切り離したりなぞするものか。お前は俺から離れれば死ぬのだぞ。もしくは俺も一緒に死ぬかも知れぬ」
「それは無い。安心しろ。お前は死なぬ」
「どのような根拠の元にお前は言う――」ひかりの息が、一瞬詰まったんだ。
かげは自分の動かせられる首を、自分で切り離してしまったんだ。実力行使。
「ひかりよ」地面に落ちたかげが言う。「根拠も何も無い。お前は生き続けるのだよ。言葉では伝わらぬものもあるのだ」
「分かるものかよ」ひかりは苦痛に顔を歪ませていた。
やっぱり、首を切り離すのは尻尾の時と同じようにはいかなかったみたいだ。
かげの居た部分からは大量に血が流れている。
「この傷では次のお前など再生できるものかよ」
「すまぬ」かげの意識はぼんやりとし始めていた。「許せ、ひかりよ」
「まぁ次のお前ができなくとも、このくらいの傷口なら塞ぐこともできようよ」ひかりは優しい嘘をついた。
「そうか。ありがとう」
あふれ出る血がひかりに飛んで、まるでひかりは血の涙を流しているみたいだった。けれど彼は構わずにかげの死をじっと見守っていたんだ。
そして、かげは死んだ。
死んでしまったんだ。
「――許すものかよ」
ふらついた足を、しっかりと大地に爪を食い込ませてひかりはつぶやくと、かげの死体を食べ始めた。
「俺たちはこれで本当のひとつとなるのだ」ひかりはかげに話しかけるようにしながら食べ続けた。「俺の命も長くはあるまい。この傷口は塞がらぬ。それ以前に塞いではならぬのだよ。これから俺とお前は共に死という暗黒の中を進んでいくのだ。お前と一緒でなければ寂しいではないか」
そうして、ひかりとかげは、生とコインの裏側である死へと旅立って行った。
ボクはね、このお話をしている間に、あることに気付いてしまったんだ。
ボクたち地球に生きている者には、光と影はコインの表と裏。でも天体レベルで見れば、光と闇が一対になる。だって光が無ければ闇も闇として認識されないだろうからね。この意味で言うと、コインは存在っていう表現で現わせられる。
存在の反対は、多分、虚無。
神様の言った「光あれ!」の光とは、実在として形を現せっていう意味だったのかもしれないね。
ヒカリトカゲの肉体は完全にひとつの死体となってしまった。これから誰かに食べられるか腐るかして、ヒカリトカゲの姿は形を変えていくのだろう。
ひかりとかげの魂は、きっと仲良く死後の世界の中で戯れているはずさ。
光と影っていうのは、真逆のようでいて、表裏一体なものなんじゃないかなってボクは思う。
ほら、愛の反対は憎しみとか、そういった関係。
光のある所には、必ず影があって、どこまでも付きまとう所とかが似ているじゃない?
愛も反転してしまえば憎しみっていう感情に切り替えられてしまうものだからね。
だから、この二つの対比は似ていると思うのです。
似ている所は他にもあって、それは何かって言うと、ちょっと説明が難しいんだけれど、がんばってみようと思う。
まずは、分かりやすいように愛と憎悪の関係から話を進めてみようかな。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」っていうことを、明石家さんまさんが言っているのを聞いたことがあるのだけれど、ボクはその見方に反対の気持ちを抱いているの。それはどうしてかって言うとね、愛と憎しみっていうのは、その相手の誰かに対する「関心」を持っているってことでしょう?
だから、愛と憎しみとは同じレベルで論じることができるけど、この二つと「無関心」とのレベルって違うと思うの。
「無関心」の反対は、やっぱり「関心」なんじゃないかな。この二つは同じレベルとして成り立つと思うから。
だってそうでしょう?
愛と憎しみは「関心」の中にあるものだから。
相手に対する「関心」のプラスの面とマイナスの面。つまりは「関心」「無関心」のレベルから見たら、下ってことになる。
愛の反対が「無関心」なら、憎しみの反対だって「無関心」だものね。
つまり相反する者っていう奴は、まさしくコインの裏と表のように、同じ枠内でしか対比できないってことだと思うの。
で、これが光と影の間にどんな共通点があるのかって、みんな不思議に思うかもしれないよね。
いい? 説明するよ。
あくまで、愛と憎しみと「関心」と「無関心」の話を理解しているって前提で話すから、ちょっと分からない人が居るかもしれないけれど、それはボクの力不足のせいかな。
謝ります。
ごめんなさい。
じゃあ、説明するね、光と影の関係って奴を。
皆はこう思うかもしれない。
「光の反対って、影じゃなくて闇なのではないのか」って。
でもボクはさっき光のある所には必ず影があるって言ったよね。
覚えてるかな?
影は闇の一部に思えるかもしれないけれど、ボクはそれって違うと思うんだ。
だってさ、影と闇って、根本的に大きさが違うでしょ?
影には薄い影もあれば、濃い影もあるでしょう? 特に夜の街灯の下に立ってみれば分かると思うんだけれど、薄い影の上に濃い影が重なるってことない?
特に街灯と街灯の間で、そのうちのどっちかに近付いているときなんか。
それは光の加減や角度なんかも作用していると思うんだけれど、影の濃度が均一でない場合があるってことだよね。
でもさ、それに比べてみると、闇っていうのは本当に真っ暗で何も見えないイメージがするでしょ? そこには一点の光もなくって、混じりっ気なしの暗黒の世界。
これで影と闇の違いは分かってもらえたかもしれないけれど、皆にはこんな思いが浮かぶんじゃないかな。
「闇は真っ黒なのは分かった。影と違うことも認めよう。だが、光は闇を照らす存在。闇と対等に闘い得る唯一の存在なのではないのか」って。
ボクも最近まではそう思ってたんだ。
でもさ、ミルトンの失楽園を呼んで思ったんだけど、キリスト教の神様って、混沌の支配する場所に空間を造り、次に初めて、あの有名な「光あれ!」って言葉を発したらしいのね。そこで初めて光がこの世に現れたってわけ。
ボクはキリスト教の信者じゃないし、聖書の言葉通りに世界が作られたかどうかなんて知らない。
でもね、そのときに思ったことがあったの。
宇宙ってとんでもなく広くて、星もいっぱいあるじゃない? でもさ、星の見える数って限られてるよね。五等星とか六等星なんて肉眼では見られないんでしょ? 詳しくはしらないけれど。
でさ、光と闇が対等なら、見えない星なんてないんじゃないかなって、そう思った。
だって、ブラックホールなんか光粒子まで重力で捕まえちゃうんだよ。
これはもしかして、光よりも闇のほうが高いレベルに居るのかなって考えちゃってさ、それからボクは色々想像して、こういう結論に達したわけ。たとえば光粒子は発見されてるけど、ダークマターはまだ正体が掴めないみたいだしさ。天文学のことはあまり分からないから、とんでもない間違いなのかもしれないんだけどね。
光と影はワンセット。直感的にそう思ったんだ。
「ならば闇に対抗し得る存在は如何なる者であるのか」
皆はそう思うだろうね。「無関心」に対して「関心」があったように。
でも、ボクには答えられないんだ。ごめんね。正直に言って、分からない。もしかしたら闇に対抗できるレベルの者なんてないかもしれないよ。だって、この世界の全部が全部、対になっているとは限らないんだからね。
こんな説明じゃ納得できないよね。そこで、ボクは闇が一番レベルが高くて、次に光、その下に影があるんじゃないかって思ってもみたの。だってさ、影は光がなきゃできないものね。
あれ? そしたら愛とか憎しみとかの関係を話したのって意味なかったのかな?
なんかごめんね。
本当に長々と関係ない話ばかりして。
だってこれまでの話、題名と関係ない感じになっちゃったからね。
じゃあ、気持ちを切り替えて、あるトカゲの話をしようと思うんだ。
そのトカゲの種類の名前は分からないんだけれど、体長は三十センチくらい。
まだまだ小型の部類だね。
赤道近くの熱帯雨林に住んでいて、雑食性。虫も食べれば花も食べるんだ。
食料は豊富で、冬眠することもなく、トカゲは悠々自適に暮らしている。
けれど、このトカゲにはいくつかの問題があったの。
まず、第一に染色体の異常があって、このトカゲには生殖能力がないんだよね。雄でも雌でもないんだ。これは動物にとって致命的な問題でもあるわけ。そのせいかどうか分からないけれど、トカゲの色は金色っぽくて、一種のアルビノになっているんだ。これが第二の問題。
でも、熱帯雨林には色々と色彩豊かな生物が跋扈しているから、天敵である鳥類に見つかる危険性は、他の地域に比べたら少ないみたい。実際、このトカゲは数年生きながらえているからね。
この金色の体を持っているから、ボクはこのトカゲを「ヒカリトカゲ」って呼んでいるんだ。実際、太陽の光をその鱗で反射しているんだよ。
で、もう一つ、最後に控えている特徴なんだけれど、これが一番厄介で、とても大変な現象なんだ。
それはね、一つの体に二つの頭があるってこと。双頭のトカゲってわけ。これはもう、遺伝子レベルの問題になってしまうよね。
地球環境のせいでこんなにいくつもの問題を抱えて生れ落ちたのか、それとも天然自然による運命のいたずらなのかは分からないけれど、ヒカリトカゲは特異な体質をこんなに抱えているんだ。
でも、彼ら(性別のないのにこんな言い方をして良いのか分からないけれど、とりあえず彼という呼び方で呼ばせてもらうよ)は小さい頃から双頭だったから、もうとっくに慣れている。だから全然平気みたいなんだ。
他のトカゲから避けられているけれど、彼らは一人じゃない。
一つの体だけれど、二匹なんだから。
時々はケンカするけれど、二匹はうまくやっている。
ボクはこの二匹を区別するために、左の頭を「ひかり」右の頭を「かげ」って呼んでいる。
「ヒカリトカゲ」の「ひかりとかげ」なんてちょっと駄洒落も入っているんだけどね。
二匹の体は、勿論共有されているから、体の感覚も一緒なんだ。
尻尾が草に触れると、同時に二匹はそのことを感じる。それどころか、かげの頭に水滴が落ちた事だって、ひかりは感じて水滴がおちてきたなとか、かげの頬を伝うその水の生暖かさまで感じることが出来るんだ。
でも、二匹は違う脳を持っているからね、もちろん違う意識を持っている。
だから、お互いに何をどう感じ、考えているのかは分からない。
たとえば、お腹が減ったとひかりが感じていても、かげはまだ大丈夫なんて思ったりしている。
二匹の喧嘩の理由は、大抵がこんな小さな理由がきっかけなんだ。
考えてみれば、人間だって同じようなことが原因で喧嘩することってあるよね。たとえばさ、結婚当初は仲の良かった夫婦でも、長い結婚生活を送っているうちに、相手の些細な行動が気にならなくって喧嘩するっていうようなこと。
ましてひかりとかげは卵の中に居る時から一緒だったんだから、それはしょうがないことかもしれないってボクは思う。
双子くらいだったなら、時には一人になって、冷却期間もできるだろうけれど、ひかりとかげは体がくっついているためにそんなこともできないんだ。
いつも一緒に居るってことは孤独を感じることはないけれど、こういう場合なんかは可哀想だよね。
でもヒカリトカゲは爬虫類だから、人間みたいに長い間喧嘩をすることってあまりない。すぐに忘れて、いつの間にか仲直りしているんだ。
だから、ひかりとかげは仲良しのときの方が多い。
基本的に、ひかりの性格が明るいことも原因なのかもしれないな。だからひかりからかげに話しかけ、それがきっかけで二匹の仲が戻るんだ。
今の話で分かった人もいるかもしれないけれどね、二匹の性格は大分違う。
また人間の話にたとえるけどさ、双子って二種類に分けられるらしいんだよね。
あ、もちろん一卵性とか二卵性とか、そういう意味じゃないよ。性格の話。
双子って、極端に仲がよいか、極端に仲が悪くなるものなんだって。
双子女優のマナカナちゃんは仲がよい方に入るよね。彼女達は微妙に性格が違うらしいよ。本人達がそういっているのを、テレビで見たことがあるんだ。
それに対して仲の悪い双子っていうのは、同族嫌悪ってヤツが理由らしいよ。似すぎているってことも、案外難しいものなんだよね。
で、ひかりとかげの性格は違うって前に言ったとおりだから、だからうまくいっているのかもしれないね。
ひかりの性格は、これもさっき言ったけど、詳しく説明すると明るくてアクティブでポジティブながら現実派って感じなんだ。
かげは対照的な性格の持ち主で、おとなしくパッシブでネガティブで考え込んでしまう性格なんだよね。
ボクが「ひかり」と「かげ」って呼んだ理由は、この性格に起因するんだ。二匹の能動性っていうのを考えてね。
初めのほうに話したことって、皆覚えてる?
光のほうが影よりもランクが上なんじゃないかって言う話。
二匹の関係もその通りなんだ。
でもひかりのほうがえらそうにしているとか、かげの方がへりくだっているとか、そういうことじゃあないんだよね。
「では、お前の言う真意はどこにある」って質問が聞こえそうだから説明するね。
それは体に対する支配力ってことなんだ。
自由に体を動かせられるひかりと、それのままならないかげ。
体の主導権をひかりに握られたかげには、自分の内面へ内面へと心が向かったのかもしれない。
これが二匹の根本的性格の違いなんだろうね。ボクは、そう確信しているよ。
この図式ってさ、一見かげの悲哀を表しているように見えるけれど、逆に考えてみるとひかりのほうが大変なんだよね。
だってかげが体を動かせない分、ひかりが食料の調達や喉の渇きを潤わさなくちゃいけないんだから。ひかりにしてみれば、かげは邪魔者なんだろうと思うよ。少なくとも、ボクがひかりだったら、そう思う。
でもね、ひかりはかげを邪魔者扱いなんて一度もしたことはないんだ。
そりゃ、何度も喧嘩をしたけれど、唯一の肉親だからなのかもしれない。
体はひとつだけれども、二匹の差っていうのは確かにあって、それが個性なんだってことも、これで分かってもらえたかなって思う。
ひかりは毎日の生活に必要な行動のために動き、這い、自分たちの生きるための努力をしている。
かげは自分の思考に埋没し、心の底に溜まり続ける澱のようなものと、見えない格闘の中で葛藤している。
二匹の考え方は違っているかもしれないけれど、共通しているのはひとつだけ。
自分達が生き続けるために、自分なりの戦い方で生き残ろうとしているってこと。
ひかりとかげを紹介する時にさ、ボクは彼らが悠々自適に暮らしているって言ったけど、自然っていうヤツは、やっぱりそれなりに厳しいものだからね。
時には自分の身を守らなくちゃいけない時だってあるんだから。
熱帯雨林は食料が豊富って言ったけれどもさ、それって言い換えると、自分も食料の一種ってことになるからね。
この地域でも、食物連鎖のピラミッドは他の地域と一緒でさ。
捕食するものの数の方が、上位に行くほど少なくなっているんだ。だから虫や草花の数が一番多くて、次に草を食べる虫や虫を食べる虫、それから虫を食べる花って具合に数が減っていく。
中でもトカゲみたいな爬虫類は中くらいの位置でさ、数多くの食物がある変わりに、栄養の豊富な餌として恰好な標的にもなるんだよ。
実際に、一度か二度、ひかりとかげは天敵の鳥に狙われたことがあるんだ。
いくら器用に隠れようとしていても、鳥の視界っていうのは特殊だからね。望遠レンズのように、中心が特化して見えるんだ。
だから、少しの油断も彼らは見逃さない。
時には旋回しながら、時には滑空しながら、虎視眈々と地表を見つめている。
鳥なのに、虎視眈々なんて言い方、なんだかちょっと変な感じがするね。鳥視眈々って言い方をすればよかったのかな? でもそんな言葉ないもんね。
別な言い方、なにかないかなぁ。「イージス艦のレーダーのように」とか、「ハッブル宇宙望遠鏡のように」って言ったほうが良かったのかなぁ。
あ、こんなことどうでもいい話だったね。
それよりもひかりとかげが鳥に襲われたときの話をしなくっちゃ。
一番最近の話っていうと、数ヶ月前のことだったかな。
二匹はいつものように、昆虫とか蜘蛛とか、あざやかな花とかを食べていたんだ。
二匹の体は一つだから、胃の大きさは普通のトカゲと同じくらい。でも双頭だからね、エネルギーの消費カロリーは他のトカゲよりも多いんだよ。さすがに倍とはいかないけれど、それでも1.5倍くらいはかかるかな。
だからお腹がすぐに空く。
ひかりはそのたびに巣から出ようとするんだけれど、かげは出不精だから文句を言う。ひかりはかげを宥めながら毎日外へ出る。これはいつものこと。日課みたいなものなんだ。
ひとしきり食べてお腹がいっぱいになった時、雨が降ってきたんだ。
二匹とも、調度喉が渇いていたから、少し雨に打たれて雨水を飲んでいたんだ。
金色のヒカリトカゲは雨水に濡れて、とても綺麗に光っていたよ。
それはそれは綺麗だったんだ。池に浮かぶように見える金閣寺みたいにね。
人間が居たら、きっと見とれてカメラに写すのも忘れてしまうくらい。
でも、鳥は違った。
金色に輝くヒカリトカゲを見つけて、急降下してきたんだ。
もちろん食べるためにね。
初めに鳥が向かってくることに気付いたのは、かげだった。
「ひかりよ。鳥がこちらへ向かって来ているようだ。あの穴へ隠れよう」
「おおう。確かにあの鳥は俺たちを狙っているようだ」
ひかりはかげが顎で指した穴に隠れようとしたんだけれど、その穴は、二匹にはちょっと狭すぎたようだったんだ。どうやっても尻尾が穴から出てしまってね。
そして、鳥はそれを見逃すはずもなく、食いついてきたんだ。
ひかりは地面に爪を立てて引きずられまいとしているんだけれど、鳥の力に適うわけもない。
じりじりって感じに引き出されていく。
「ひかりよ。俺たちの尻尾は切り離せ、再生することができる。ここは尻尾を切り離すべきではないのか」
けれどひかりはこう言ったんだ。
「確かにそうすることは出来る。しかし尻尾の再生には相当の時間とエネルギーが必要になることも、また事実なのだ」
「ふん」かげは鼻で笑った。「尻尾に執着し、生を拒むと言うのか。ならばそれでも良し。俺は、すでに生きることに飽いているのだからな」
「かげよ。お前は尻尾の確保を執着と言うのか」ひかりは少し考えてから続けたんだ。「確かに、それはそうなのかもしれぬな。俺は目の前の事物に捕らわれすぎるきらいがある。俺は、尻尾よりも生きることに執着したいとおもっているよ。ここはお前の言葉に従ってみたいと思う」
そうしてひかりは尻尾を切り、難を逃れたわけなんだ。今ではもう金色の尻尾は再生されて、元に戻っているけどね。
<続く>
ほら、愛の反対は憎しみとか、そういった関係。
光のある所には、必ず影があって、どこまでも付きまとう所とかが似ているじゃない?
愛も反転してしまえば憎しみっていう感情に切り替えられてしまうものだからね。
だから、この二つの対比は似ていると思うのです。
似ている所は他にもあって、それは何かって言うと、ちょっと説明が難しいんだけれど、がんばってみようと思う。
まずは、分かりやすいように愛と憎悪の関係から話を進めてみようかな。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」っていうことを、明石家さんまさんが言っているのを聞いたことがあるのだけれど、ボクはその見方に反対の気持ちを抱いているの。それはどうしてかって言うとね、愛と憎しみっていうのは、その相手の誰かに対する「関心」を持っているってことでしょう?
だから、愛と憎しみとは同じレベルで論じることができるけど、この二つと「無関心」とのレベルって違うと思うの。
「無関心」の反対は、やっぱり「関心」なんじゃないかな。この二つは同じレベルとして成り立つと思うから。
だってそうでしょう?
愛と憎しみは「関心」の中にあるものだから。
相手に対する「関心」のプラスの面とマイナスの面。つまりは「関心」「無関心」のレベルから見たら、下ってことになる。
愛の反対が「無関心」なら、憎しみの反対だって「無関心」だものね。
つまり相反する者っていう奴は、まさしくコインの裏と表のように、同じ枠内でしか対比できないってことだと思うの。
で、これが光と影の間にどんな共通点があるのかって、みんな不思議に思うかもしれないよね。
いい? 説明するよ。
あくまで、愛と憎しみと「関心」と「無関心」の話を理解しているって前提で話すから、ちょっと分からない人が居るかもしれないけれど、それはボクの力不足のせいかな。
謝ります。
ごめんなさい。
じゃあ、説明するね、光と影の関係って奴を。
皆はこう思うかもしれない。
「光の反対って、影じゃなくて闇なのではないのか」って。
でもボクはさっき光のある所には必ず影があるって言ったよね。
覚えてるかな?
影は闇の一部に思えるかもしれないけれど、ボクはそれって違うと思うんだ。
だってさ、影と闇って、根本的に大きさが違うでしょ?
影には薄い影もあれば、濃い影もあるでしょう? 特に夜の街灯の下に立ってみれば分かると思うんだけれど、薄い影の上に濃い影が重なるってことない?
特に街灯と街灯の間で、そのうちのどっちかに近付いているときなんか。
それは光の加減や角度なんかも作用していると思うんだけれど、影の濃度が均一でない場合があるってことだよね。
でもさ、それに比べてみると、闇っていうのは本当に真っ暗で何も見えないイメージがするでしょ? そこには一点の光もなくって、混じりっ気なしの暗黒の世界。
これで影と闇の違いは分かってもらえたかもしれないけれど、皆にはこんな思いが浮かぶんじゃないかな。
「闇は真っ黒なのは分かった。影と違うことも認めよう。だが、光は闇を照らす存在。闇と対等に闘い得る唯一の存在なのではないのか」って。
ボクも最近まではそう思ってたんだ。
でもさ、ミルトンの失楽園を呼んで思ったんだけど、キリスト教の神様って、混沌の支配する場所に空間を造り、次に初めて、あの有名な「光あれ!」って言葉を発したらしいのね。そこで初めて光がこの世に現れたってわけ。
ボクはキリスト教の信者じゃないし、聖書の言葉通りに世界が作られたかどうかなんて知らない。
でもね、そのときに思ったことがあったの。
宇宙ってとんでもなく広くて、星もいっぱいあるじゃない? でもさ、星の見える数って限られてるよね。五等星とか六等星なんて肉眼では見られないんでしょ? 詳しくはしらないけれど。
でさ、光と闇が対等なら、見えない星なんてないんじゃないかなって、そう思った。
だって、ブラックホールなんか光粒子まで重力で捕まえちゃうんだよ。
これはもしかして、光よりも闇のほうが高いレベルに居るのかなって考えちゃってさ、それからボクは色々想像して、こういう結論に達したわけ。たとえば光粒子は発見されてるけど、ダークマターはまだ正体が掴めないみたいだしさ。天文学のことはあまり分からないから、とんでもない間違いなのかもしれないんだけどね。
光と影はワンセット。直感的にそう思ったんだ。
「ならば闇に対抗し得る存在は如何なる者であるのか」
皆はそう思うだろうね。「無関心」に対して「関心」があったように。
でも、ボクには答えられないんだ。ごめんね。正直に言って、分からない。もしかしたら闇に対抗できるレベルの者なんてないかもしれないよ。だって、この世界の全部が全部、対になっているとは限らないんだからね。
こんな説明じゃ納得できないよね。そこで、ボクは闇が一番レベルが高くて、次に光、その下に影があるんじゃないかって思ってもみたの。だってさ、影は光がなきゃできないものね。
あれ? そしたら愛とか憎しみとかの関係を話したのって意味なかったのかな?
なんかごめんね。
本当に長々と関係ない話ばかりして。
だってこれまでの話、題名と関係ない感じになっちゃったからね。
じゃあ、気持ちを切り替えて、あるトカゲの話をしようと思うんだ。
そのトカゲの種類の名前は分からないんだけれど、体長は三十センチくらい。
まだまだ小型の部類だね。
赤道近くの熱帯雨林に住んでいて、雑食性。虫も食べれば花も食べるんだ。
食料は豊富で、冬眠することもなく、トカゲは悠々自適に暮らしている。
けれど、このトカゲにはいくつかの問題があったの。
まず、第一に染色体の異常があって、このトカゲには生殖能力がないんだよね。雄でも雌でもないんだ。これは動物にとって致命的な問題でもあるわけ。そのせいかどうか分からないけれど、トカゲの色は金色っぽくて、一種のアルビノになっているんだ。これが第二の問題。
でも、熱帯雨林には色々と色彩豊かな生物が跋扈しているから、天敵である鳥類に見つかる危険性は、他の地域に比べたら少ないみたい。実際、このトカゲは数年生きながらえているからね。
この金色の体を持っているから、ボクはこのトカゲを「ヒカリトカゲ」って呼んでいるんだ。実際、太陽の光をその鱗で反射しているんだよ。
で、もう一つ、最後に控えている特徴なんだけれど、これが一番厄介で、とても大変な現象なんだ。
それはね、一つの体に二つの頭があるってこと。双頭のトカゲってわけ。これはもう、遺伝子レベルの問題になってしまうよね。
地球環境のせいでこんなにいくつもの問題を抱えて生れ落ちたのか、それとも天然自然による運命のいたずらなのかは分からないけれど、ヒカリトカゲは特異な体質をこんなに抱えているんだ。
でも、彼ら(性別のないのにこんな言い方をして良いのか分からないけれど、とりあえず彼という呼び方で呼ばせてもらうよ)は小さい頃から双頭だったから、もうとっくに慣れている。だから全然平気みたいなんだ。
他のトカゲから避けられているけれど、彼らは一人じゃない。
一つの体だけれど、二匹なんだから。
時々はケンカするけれど、二匹はうまくやっている。
ボクはこの二匹を区別するために、左の頭を「ひかり」右の頭を「かげ」って呼んでいる。
「ヒカリトカゲ」の「ひかりとかげ」なんてちょっと駄洒落も入っているんだけどね。
二匹の体は、勿論共有されているから、体の感覚も一緒なんだ。
尻尾が草に触れると、同時に二匹はそのことを感じる。それどころか、かげの頭に水滴が落ちた事だって、ひかりは感じて水滴がおちてきたなとか、かげの頬を伝うその水の生暖かさまで感じることが出来るんだ。
でも、二匹は違う脳を持っているからね、もちろん違う意識を持っている。
だから、お互いに何をどう感じ、考えているのかは分からない。
たとえば、お腹が減ったとひかりが感じていても、かげはまだ大丈夫なんて思ったりしている。
二匹の喧嘩の理由は、大抵がこんな小さな理由がきっかけなんだ。
考えてみれば、人間だって同じようなことが原因で喧嘩することってあるよね。たとえばさ、結婚当初は仲の良かった夫婦でも、長い結婚生活を送っているうちに、相手の些細な行動が気にならなくって喧嘩するっていうようなこと。
ましてひかりとかげは卵の中に居る時から一緒だったんだから、それはしょうがないことかもしれないってボクは思う。
双子くらいだったなら、時には一人になって、冷却期間もできるだろうけれど、ひかりとかげは体がくっついているためにそんなこともできないんだ。
いつも一緒に居るってことは孤独を感じることはないけれど、こういう場合なんかは可哀想だよね。
でもヒカリトカゲは爬虫類だから、人間みたいに長い間喧嘩をすることってあまりない。すぐに忘れて、いつの間にか仲直りしているんだ。
だから、ひかりとかげは仲良しのときの方が多い。
基本的に、ひかりの性格が明るいことも原因なのかもしれないな。だからひかりからかげに話しかけ、それがきっかけで二匹の仲が戻るんだ。
今の話で分かった人もいるかもしれないけれどね、二匹の性格は大分違う。
また人間の話にたとえるけどさ、双子って二種類に分けられるらしいんだよね。
あ、もちろん一卵性とか二卵性とか、そういう意味じゃないよ。性格の話。
双子って、極端に仲がよいか、極端に仲が悪くなるものなんだって。
双子女優のマナカナちゃんは仲がよい方に入るよね。彼女達は微妙に性格が違うらしいよ。本人達がそういっているのを、テレビで見たことがあるんだ。
それに対して仲の悪い双子っていうのは、同族嫌悪ってヤツが理由らしいよ。似すぎているってことも、案外難しいものなんだよね。
で、ひかりとかげの性格は違うって前に言ったとおりだから、だからうまくいっているのかもしれないね。
ひかりの性格は、これもさっき言ったけど、詳しく説明すると明るくてアクティブでポジティブながら現実派って感じなんだ。
かげは対照的な性格の持ち主で、おとなしくパッシブでネガティブで考え込んでしまう性格なんだよね。
ボクが「ひかり」と「かげ」って呼んだ理由は、この性格に起因するんだ。二匹の能動性っていうのを考えてね。
初めのほうに話したことって、皆覚えてる?
光のほうが影よりもランクが上なんじゃないかって言う話。
二匹の関係もその通りなんだ。
でもひかりのほうがえらそうにしているとか、かげの方がへりくだっているとか、そういうことじゃあないんだよね。
「では、お前の言う真意はどこにある」って質問が聞こえそうだから説明するね。
それは体に対する支配力ってことなんだ。
自由に体を動かせられるひかりと、それのままならないかげ。
体の主導権をひかりに握られたかげには、自分の内面へ内面へと心が向かったのかもしれない。
これが二匹の根本的性格の違いなんだろうね。ボクは、そう確信しているよ。
この図式ってさ、一見かげの悲哀を表しているように見えるけれど、逆に考えてみるとひかりのほうが大変なんだよね。
だってかげが体を動かせない分、ひかりが食料の調達や喉の渇きを潤わさなくちゃいけないんだから。ひかりにしてみれば、かげは邪魔者なんだろうと思うよ。少なくとも、ボクがひかりだったら、そう思う。
でもね、ひかりはかげを邪魔者扱いなんて一度もしたことはないんだ。
そりゃ、何度も喧嘩をしたけれど、唯一の肉親だからなのかもしれない。
体はひとつだけれども、二匹の差っていうのは確かにあって、それが個性なんだってことも、これで分かってもらえたかなって思う。
ひかりは毎日の生活に必要な行動のために動き、這い、自分たちの生きるための努力をしている。
かげは自分の思考に埋没し、心の底に溜まり続ける澱のようなものと、見えない格闘の中で葛藤している。
二匹の考え方は違っているかもしれないけれど、共通しているのはひとつだけ。
自分達が生き続けるために、自分なりの戦い方で生き残ろうとしているってこと。
ひかりとかげを紹介する時にさ、ボクは彼らが悠々自適に暮らしているって言ったけど、自然っていうヤツは、やっぱりそれなりに厳しいものだからね。
時には自分の身を守らなくちゃいけない時だってあるんだから。
熱帯雨林は食料が豊富って言ったけれどもさ、それって言い換えると、自分も食料の一種ってことになるからね。
この地域でも、食物連鎖のピラミッドは他の地域と一緒でさ。
捕食するものの数の方が、上位に行くほど少なくなっているんだ。だから虫や草花の数が一番多くて、次に草を食べる虫や虫を食べる虫、それから虫を食べる花って具合に数が減っていく。
中でもトカゲみたいな爬虫類は中くらいの位置でさ、数多くの食物がある変わりに、栄養の豊富な餌として恰好な標的にもなるんだよ。
実際に、一度か二度、ひかりとかげは天敵の鳥に狙われたことがあるんだ。
いくら器用に隠れようとしていても、鳥の視界っていうのは特殊だからね。望遠レンズのように、中心が特化して見えるんだ。
だから、少しの油断も彼らは見逃さない。
時には旋回しながら、時には滑空しながら、虎視眈々と地表を見つめている。
鳥なのに、虎視眈々なんて言い方、なんだかちょっと変な感じがするね。鳥視眈々って言い方をすればよかったのかな? でもそんな言葉ないもんね。
別な言い方、なにかないかなぁ。「イージス艦のレーダーのように」とか、「ハッブル宇宙望遠鏡のように」って言ったほうが良かったのかなぁ。
あ、こんなことどうでもいい話だったね。
それよりもひかりとかげが鳥に襲われたときの話をしなくっちゃ。
一番最近の話っていうと、数ヶ月前のことだったかな。
二匹はいつものように、昆虫とか蜘蛛とか、あざやかな花とかを食べていたんだ。
二匹の体は一つだから、胃の大きさは普通のトカゲと同じくらい。でも双頭だからね、エネルギーの消費カロリーは他のトカゲよりも多いんだよ。さすがに倍とはいかないけれど、それでも1.5倍くらいはかかるかな。
だからお腹がすぐに空く。
ひかりはそのたびに巣から出ようとするんだけれど、かげは出不精だから文句を言う。ひかりはかげを宥めながら毎日外へ出る。これはいつものこと。日課みたいなものなんだ。
ひとしきり食べてお腹がいっぱいになった時、雨が降ってきたんだ。
二匹とも、調度喉が渇いていたから、少し雨に打たれて雨水を飲んでいたんだ。
金色のヒカリトカゲは雨水に濡れて、とても綺麗に光っていたよ。
それはそれは綺麗だったんだ。池に浮かぶように見える金閣寺みたいにね。
人間が居たら、きっと見とれてカメラに写すのも忘れてしまうくらい。
でも、鳥は違った。
金色に輝くヒカリトカゲを見つけて、急降下してきたんだ。
もちろん食べるためにね。
初めに鳥が向かってくることに気付いたのは、かげだった。
「ひかりよ。鳥がこちらへ向かって来ているようだ。あの穴へ隠れよう」
「おおう。確かにあの鳥は俺たちを狙っているようだ」
ひかりはかげが顎で指した穴に隠れようとしたんだけれど、その穴は、二匹にはちょっと狭すぎたようだったんだ。どうやっても尻尾が穴から出てしまってね。
そして、鳥はそれを見逃すはずもなく、食いついてきたんだ。
ひかりは地面に爪を立てて引きずられまいとしているんだけれど、鳥の力に適うわけもない。
じりじりって感じに引き出されていく。
「ひかりよ。俺たちの尻尾は切り離せ、再生することができる。ここは尻尾を切り離すべきではないのか」
けれどひかりはこう言ったんだ。
「確かにそうすることは出来る。しかし尻尾の再生には相当の時間とエネルギーが必要になることも、また事実なのだ」
「ふん」かげは鼻で笑った。「尻尾に執着し、生を拒むと言うのか。ならばそれでも良し。俺は、すでに生きることに飽いているのだからな」
「かげよ。お前は尻尾の確保を執着と言うのか」ひかりは少し考えてから続けたんだ。「確かに、それはそうなのかもしれぬな。俺は目の前の事物に捕らわれすぎるきらいがある。俺は、尻尾よりも生きることに執着したいとおもっているよ。ここはお前の言葉に従ってみたいと思う」
そうしてひかりは尻尾を切り、難を逃れたわけなんだ。今ではもう金色の尻尾は再生されて、元に戻っているけどね。
<続く>