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空の青さが、やけにムカツク

『揺れるココロ、と高鳴るドウキ』__完全自作の小説・詩・散文サイト。携帯からもどうぞ。
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タエコは出勤すると予定表に目を通す。
「午前が三組の、午後が七組ね。全部三十分コースか。今日の売り上げは五万ね」ため息を吐く。「ちょっと少ないかもしれないけど、このくらいの数の方が楽だわね」
ブラインドを上げる。それから彼女は最初の客を招き入れるための用意にかかる。
事務所はマンションの一室で、彼女以外のスタッフはいない。
雑用を終えるとハーブティーを入れ、香を楽しむ。
インターホンが鳴り、本日初めの客がやって来た。
タエコは客を奥の部屋へ案内する。
その部屋はわざと薄暗くしており、殺風景だ。座り心地の良さそうな寝椅子と、肘掛け椅子。それからデスク。
客を寝椅子へ促し、彼女はデスクの前の肘掛け椅子に納まった。エアコンを操作し、オーディオのスイッチを入れる。ゆったりとした音楽が控えめな音量で流れてきた。
「今回はどんな相談内容でしょうか」ゆっくり静かにタエコは言った。
客の告白が始まった。
彼女の位置は客の後ろにあって、互いに顔を見合わせることが出来なくなっている。
タエコは客の言葉に「はい」とか「それは大変でしたね」等と適当な相槌を打っている。その実、顔が見えないのをいい事に、眠そうに目を擦りあくびをしている。
彼女がひたすら気にしているのは机上の時計。そろそろ三十分という所で彼女は言った。「でも、本当は自分どうするべきなのかは分かっているのでしょう。あなたはその通りに行動すればいいの。心配することはないわ」
「――そうですね。分かりました。」
客の顔は晴れ晴れとしている。
料金を受け取り、タエコは次の客が来るまでの間、ぼんやりと音楽を聴き続ける。

彼女は相談屋。他人の悩みを聞きアドヴァイスをする。それが仕事だ。
初めは一人一人、真面目に応対していたのだが、他者の告白は彼女の心に澱のように留まり、結果押し壊されてしまったのだ。
そしてその教訓から、タエコは今のような処世術を身に付けた。
大体、悩み事なんて半分が人間関係であり、もう半数は金銭に関するものでしかない。それぞれにいくつかのパターンがあるが、数をこなしているうちに対処法も自然にマスターしてしまっていた。
タエコにとって、人の悩みを聞くこの仕事はもはや流れ作業でしかない。
代わり映えのしない相談事を受けながら、彼女の午前中の仕事は終わった。
昼食を済まし午後の仕事。
「それはお気の毒に。でも、もう少しの我慢です。」
「大変だったでしょうね。もういいんですよ」
「もう大丈夫。気にすることはありませんよ」
「もう少しの辛抱です、頑張って」
「自分の気持ちに正直になってみてはいかが?」
「成るようになりますよ。後は行動次第です」
内容のない言葉の数々。
しかし相談者は背中を押してもらいたいだけなのだろう。占いと一緒だ。
最後に決断し、どうするかは本人次第。故にクレームが来たことなど皆無だ。
しかも大体は常連客で、深刻な悩みと言う程のことでもない。ほとんどがプチセレブのグチのようなものだった。だから多少話がズレても相手はそれほど気にしない。
「ボロい商売よね。占いみたいにややこしい勉強などもする必要ないし」妙子は一人ほくそ笑む。
今のところキャンセルも飛び入りの客も無い。後は最後の予約の一人を待つばかりだ。
夕食の献立を考えていると、その男は現れた。
名前をチェックし、部屋へ通す。
最近では珍しく、新規の客のようだった。
知人から噂でも聞いてきたのだろう。
しかし――男の顔を診た瞬間から、タエコはやる気を失っていた。
追い詰められたような眼付き。顔は能面のように表情を失い、青白い。
典型的なうつ病の症状だ。
適当に話を合わせてから、知り合いの精神科医でも紹介しよう。
タエコはそう思った。
男の声は小さく、まるで独り言を呟いているようだった。
言葉の合間合間に相槌を打ちつつ、タエコは夕食のことについて再考する。
揚げ物は最近続いていたからパス。魚を焼くのも面倒ね。だからといって肉を食べる気分でもないし、一体何を食べようかしら。
「分かりますよ、あなたの気持ちは」
カレーはお昼に食べたし、お惣菜でも買ってこようかしら。うーん、でも最近あそこのも食べ飽きた感があるのよね。あら、まだ十分しかたっていない。最後の客って他の人より時間の経つのが遅い気がするのよね。やっぱり早く帰りたいからかしら。
「それは難しいですね」
あ、久しぶりに麺類でも食べようかしら。うん、そうしましょう。それがいいわ。麺類麺類…何があったかしら。頂き物のうどんは先月食べ終わったのよね。おそばは何かのお返しにあげてしまったから、えーと。あら嫌だわ。インスタントラーメンしかないじゃない。美味しいけど、ちょっと味気ないわよね。だったら――
「別の見方もあるんじゃないかしら」
もういいわ。今日は外食にしましょう。そうね、あそこがいいわ。あのお店もずいぶん足を運んでいないことだし。ところであと何分くらいかしら。あら、いつの間に。
残り時間は三分にまで迫っていた。
そろそろ話を終わらせようと、タエコはわざとらしく咳払いをする。
「心に大きな傷をお持ちのようですけれども、すべては時間が解決してくれますよ」知人の精神科医の名刺を手に取る。「悠久なる時間の前に、人は無力です。流れに身を任せなさい。もし、どうしても気になるようでしたら――」
「本当は私の悩みなど聞いていなかったのでしょう」
「え――」不意の言葉に面喰う。
「あなたの遣り口はよく分かりましたよ。私の姉がこちらに相談に来たときもそうだったんですね。あなたにとっては人の悩みなど大した事ではないのでしょう、きっとみんな同じようなものだと思い、片付けているんだ。でもね、本人には深刻な悩みなんですよ。あなたは私の姉にこう言ったそうですね。答えはあなたの心の中にあると。それを聞いて姉はどうしたと思います?」
「どう…したんですか」
「自殺しましたよ」
「え――」
タエコは言葉を失う。
「あなたが姉の相談を良く聞かず、適当な助言を与えたからだ!」
男はいつの間にか立ち上がり、タエコを睨んでいる。
そして右手には鈍色のナイフ。
「や…やめて下さい」
男は懇願を聞かずに話し続ける。
「あなたは先程、とても興味深いことをおっしゃった。時間が全てを解決してくれると」
「そ、そうですよ。あなたの悲しみも時とともに――」
「ならば!」タエコの声は叫びの前にかき消される。「ならば、これから私の犯す罪も、時間という偉大なる流れによって解消されるのです」
「時効になるまで逃げ回るとでも」彼女は震えている。「逃げ切れるものではありませんよ、そんなことはやめて――」
「いいえ」男はにやりと笑った。「あなたを殺してすぐに自首しますよ。うまくいけば五年で出られるかもしれない。十五年逃げずとも、はるかに早く、時が私の罪を洗い流してくれる」
「そんなバカな」タエコは絶叫した。
「バカなことではありません。これから百年も時間が流れたら、あなたも私もこの世にはいない。死が早まるだけです。悠久なる時間を前に人は無力だ。あなたはそうもおっしゃったではないですか。その通りだと私も思いますよ。あなたのおかげで決心がつきました」
男は顔に皮肉を浮かべた。
「あああ、何てこと」
ナイフがタエコに突き立てられる。
「痛いですか?痛いでしょう。しかし、それもすぐに消えますよ。良くも悪くも、偉大な時の流れによってね」
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無題
嗚呼。そういう事ですよね。
例え、澱のように溜まったとしても人との係わり合いに真摯に向き合わなくてはと思います。
残酷な物語ですが自分のうまく言葉に出来なかった思いが形になったようで良かったです。
NONAME 2007 / 10 / 20 ( Sat ) 21 : 50 : 57 編集
Re:無題
ある程度は当たり障りなく接してもいいと思いますよ。本当に危険な信号さえ見落とさなければ。
でないと疲れて潰されてしまいますからね。
【 2007 / 10 / 21 09 : 45 】
ハレさんはすごいなぁ
ハレさんがタエコさんなのかと思うほどのお話でした。
精神科医も、カウンセリングの方達も、同じ『人間』だから、すべてを受け止めていたら、自分が大変になる。

自分も、カウンセラーになろうかと思う時期もあったから、
数をこなすうちに、そんなふうに流し聞きになってしまうのかなぁ…と思うと、
目指すのではなく、自分のできる範囲だけの人だけでいいから、
支えていってあげようと思いましたよ。
774っていう。 2007 / 10 / 23 ( Tue ) 07 : 02 : 03 編集
Re:ハレさんはすごいなぁ
何だか照れます。ありがとうございますよ。
医者も人間ですからね、闇を見る人は闇からも見られている、っていうやつですよ。
心にしろ体にしろ、人をケアする仕事は、責任も労力も大変でしょう。
【 2007 / 10 / 23 10 : 38 】
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