三歳になる甥と戯れ、亡くなった父を想った。
父は、この子が産まれる直前に息を引き取ったのだ。
あんなに初孫と遊ぶ事を楽しみにしていたのに。
見上げたところに父の遺影。
ふと思った。
子は、父の生きた証し。
自分が生きていくこともそうだ。
ならば、血を絶やさず語り継いでいく事こそが最大の親孝行なのかな。
こんなふうに考えるなんて、私も歳をとった証拠かな。
アラフォーの谷間世代。
「恋人いない暦=年齢」な、私。
小さな溜め息が漏れた。
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白い機体をなめるようになでる。
コイツの名前はカルメン。
惜しいけれども最期の出撃。
華々しくしく散ろう、二人で一緒に。
乗り込むコクピットはいつものように馴染んで僕を受け入れる。
艶めかしく光を反射するカヴァー。
上下に揺れる機体の中でコントロール、ゆっくり進めて滑走路へ。
すべての指示は、僕が出す。
僕とコイツのラストフライト。
速度をあげて夜の空へと。
地を離れると加速の重力、空気の浮揚。
冷静と興奮、判断と高揚、操縦と反応。
主と従者。
時に従者は空気の抵抗を受け、主を煩わせ。しかしそのもどかしさが支配欲を増幅させる。
無断の出撃は最期の足掻き。
どうせこの国は陥ちるのだ。
優雅にロール、楽しく急上昇、美しいほどの背面飛行。
頭上に地上、倒錯した世界からお前と急降下。
見せつけるように空のダンス。
乱れるように空のスウィング。
アップダウンの激しい挑発、右へ左へわがままに。
解放された抑圧を見せつけるように。
喘ぐようなアラート。
やっと出てきた敵国の機体は複数。
「行くぜ、相棒」乱暴に、時に優しくカルメンの機体をゆらす。
ロックオンからの激しい離脱の波。
もう機体は、どの方向にブレているのかすら分からない。
無数の弾丸に曝され、凌辱される機体。
けなげな相棒を内側からなでる。
後方からの激しい衝撃。
煙をあげて爆発するエンジン。
望んでいた足掻き。
求めていた死地。
爆風で千切れる尾翼の感覚が、むしろ心地よい。
「相棒、お疲れ」僕は愉悦に浸っていた。「カルメン、最後の花火だ。派手にイこう」
残弾を、すべて発射する。
何機かは道連れにできたみたいだ。
キャノピーにはすでに炎が回り、墜落の地面は迫っている。
「お前と死ねて、僕は幸せだ」
僕は笑顔で、本当の最期となる振動に身をまかせる。
夕焼けの色が心に響く。
まるで子供の夢のように。
路地裏には青い花が咲いている。コンクリートの割れ目から。
風を感じながら歩いていると、死んでいる猫を見つけた。
轢死した猫は血を吐きアスファルトを汚していた。
飛び出した目や血の流れた鼻に蠅がたかっている。
チリドッグを食べていたぼくの手は止まり、メロンソーダの缶を落としそうになった。
路上に死体を晒して、この猫はどんな気持ちでいるんだろう。ぼくは悲しい気分になってしまった。
これは同情だろうか、それは悪いことだろうか。死体を侮辱する行為だろうか。
分からないままに見下ろしている。
猫はどんなガソリンを揺らした乗り物に殺されたのだろう。
彼、もしくは彼女はどんな気持ちで死を迎えたのだろう。
いや、どんな気持ちを持っていたとしても、その気持ちはすでに消えてしまった。
小さな頃に飲んだママのミルクも、流れる小川みたいに駆け回った思い出も無くしてしまったんだろう。
蠅、死体。
とても残酷な光景だけれど、どこかの国では腹を空かせた子供たちは、顔にたかった蠅を時には食べ、貴重なタンパク源として摂取している。それすらままならない生まれたばかりのベイビーはミルクも飲めずに死んでいってる。
どちらが悲惨で、どちらが残酷なのか。
どうでも良い人生なんて、どこにも無いのに。
世界はどこまでも平等で、あるがままなのに。
感じるのは、ぼくの心。
ぼくが思っているだけ。比較しているだけ。
蟻のように踏みつけられる生き方だって、歯車のように使われる生き様だって、本当はみんな美しく汗の中で必死に生きる素敵な生活。
猫のような気ままな生き方も、きっと同じ。意味は同じ。
車の後部座席で黒い糸を操っている人間だって、本当の意味は同じ。
ただ生きているんだ。
自分の家族や大切な物を守りたいだけ。
きっとそういうことなんだ。
だけどどうしようもないことなんだ。
立場が違えば全部が反対になって、武器を取る。
誰かのために、何かのために。
それぞれの夕焼けの色を守るために。
なんて悲しいことなんだろう。どうしてそんなことになってしまうんだろう。
守るために戦うだなんて。
誰かのために誰かが傷つき、死んでしまうなんて。
泣きそうな気持ちになりながら、ぼくは荷物を捨てて猫を抱いた。
本当はどこかへ連絡するべきなのかもしれないけれど、そうしてしまったら、ぼくの中の大切な何かが、底の無い真っ暗な空間にどこまでも落ちていきそうな気がしてしまったから。
これから赤い車に乗って、猫が静かに眠れるような場所を探しに出かけよう。
それからぼくは、旅に出るんだ。
そうしてぼくは、旅に出るんだ。
壊れそうな、ぼくの心を取り戻すために。
果てしなく続くこの道をゆけば、きっと優しく美しい所に辿り着けそうな気がする。
まるで子供の夢のように。
路地裏には青い花が咲いている。コンクリートの割れ目から。
風を感じながら歩いていると、死んでいる猫を見つけた。
轢死した猫は血を吐きアスファルトを汚していた。
飛び出した目や血の流れた鼻に蠅がたかっている。
チリドッグを食べていたぼくの手は止まり、メロンソーダの缶を落としそうになった。
路上に死体を晒して、この猫はどんな気持ちでいるんだろう。ぼくは悲しい気分になってしまった。
これは同情だろうか、それは悪いことだろうか。死体を侮辱する行為だろうか。
分からないままに見下ろしている。
猫はどんなガソリンを揺らした乗り物に殺されたのだろう。
彼、もしくは彼女はどんな気持ちで死を迎えたのだろう。
いや、どんな気持ちを持っていたとしても、その気持ちはすでに消えてしまった。
小さな頃に飲んだママのミルクも、流れる小川みたいに駆け回った思い出も無くしてしまったんだろう。
蠅、死体。
とても残酷な光景だけれど、どこかの国では腹を空かせた子供たちは、顔にたかった蠅を時には食べ、貴重なタンパク源として摂取している。それすらままならない生まれたばかりのベイビーはミルクも飲めずに死んでいってる。
どちらが悲惨で、どちらが残酷なのか。
どうでも良い人生なんて、どこにも無いのに。
世界はどこまでも平等で、あるがままなのに。
感じるのは、ぼくの心。
ぼくが思っているだけ。比較しているだけ。
蟻のように踏みつけられる生き方だって、歯車のように使われる生き様だって、本当はみんな美しく汗の中で必死に生きる素敵な生活。
猫のような気ままな生き方も、きっと同じ。意味は同じ。
車の後部座席で黒い糸を操っている人間だって、本当の意味は同じ。
ただ生きているんだ。
自分の家族や大切な物を守りたいだけ。
きっとそういうことなんだ。
だけどどうしようもないことなんだ。
立場が違えば全部が反対になって、武器を取る。
誰かのために、何かのために。
それぞれの夕焼けの色を守るために。
なんて悲しいことなんだろう。どうしてそんなことになってしまうんだろう。
守るために戦うだなんて。
誰かのために誰かが傷つき、死んでしまうなんて。
泣きそうな気持ちになりながら、ぼくは荷物を捨てて猫を抱いた。
本当はどこかへ連絡するべきなのかもしれないけれど、そうしてしまったら、ぼくの中の大切な何かが、底の無い真っ暗な空間にどこまでも落ちていきそうな気がしてしまったから。
これから赤い車に乗って、猫が静かに眠れるような場所を探しに出かけよう。
それからぼくは、旅に出るんだ。
そうしてぼくは、旅に出るんだ。
壊れそうな、ぼくの心を取り戻すために。
果てしなく続くこの道をゆけば、きっと優しく美しい所に辿り着けそうな気がする。
えーんえーん。
えーんえーん。
犬が死んじゃったよぅ。
車にひかれちゃったよぅ。
えーんえーん。
えーんえーん。
急に走りだすから、ヒモが引っぱられて、はずしちゃったんだよぅ。
お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。
タロが死んじゃったよぅ。
えーんえーん。
えーんえーん。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、タロが、えーんえーん、車にひかれて、えーんえーん、はねとばされて、えーんえーん、死んじゃったんだよぅ。
えーんえーん、えーんえーん、えーんえーん、えーんえーん。
えーんえーん。
犬が死んじゃったよぅ。
車にひかれちゃったよぅ。
えーんえーん。
えーんえーん。
急に走りだすから、ヒモが引っぱられて、はずしちゃったんだよぅ。
お母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん。
タロが死んじゃったよぅ。
えーんえーん。
えーんえーん。
お爺ちゃん、お婆ちゃん、タロが、えーんえーん、車にひかれて、えーんえーん、はねとばされて、えーんえーん、死んじゃったんだよぅ。
えーんえーん、えーんえーん、えーんえーん、えーんえーん。
ぼんやりとヒゲを剃っていたおかげで、カミソリを滑らせてしまった。
傷を確認するため、顔を鏡面に近付ける。一筋の血が流れていた。
痛みで頭がはっきりしたぼくは、出血量に比べ、傷が浅いことを分かっている。経験則というやつだ。
血を拭い、切った箇所を調べる。思った通り、切り傷は小さい。1ミリもないくらいだ。
とはいえ、ヒゲ剃りは途中。切らしたシェーバーのせいで、これから後、傷を気にしながらカミソリを扱わなければならない。
迂闊な失敗をした自分に、少し腹が立った。
鏡の中の自分。目を見て、思わず「このバカ」とつぶやいた。
瞬間、少し慌てる。
こんな都市伝説を思い出したからだ。
「鏡に写った自分に否定的な言葉を吐くと、気が狂う」
都市伝説と言ったが、ぼくは思春期時代特有のネガティブな気分に落ちた時、それを知らずに実践していた時があった。すると鏡の中に居る顔に、ゆがんだ違和感を覚え、不安定な感情に溺れそうになった経験がある。
だからこそ慌てたのだし、ある程度の信憑性を持っている。
そういえば鏡に関して、似たような都市伝説がもうひとつあったな。確か「完全な鏡張りの球体に人を閉じ込めていると、気が狂う」とかなんとか。けれど完全な鏡張りの壁に閉じ込められたら真っ暗だ、照明はどうするなんて理由で否定されてもいたはずだ。
けれどLEDやら光を透過する鏡やらなにやらで、実現できるようになったらなら、誰か実験するのだろうか。それとも危険度が高いとして禁止されてしまうのか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
少々手こずりつつ、ヒゲを剃り終える。出血が止まるまでティッシュで傷口をおさえ、あいた手で身支度を整える。
スーツを着て出社すると、同僚の中村が話しかけられた。
「お前よ~、あれはないだろう」
「なんのこと?」
「昨日の合コンだよ、合コン。女の子が『愛の反対は憎しみじゃなくて無関心』って言ったら、いきなり説教モードに入ったろ、あれでみんな引いたんだぜ」
「ああ」思い出した。「だって無関心の反対は関心だろ、どう考えたってさ。だってさ、愛と憎しみは同列の感情で、関心の中に入る。関心を持っているからこそ感情を抱くんであって、愛憎っていうのは裏表だ」
「いや、いいから」中村が呆れた顔で静止する。「問題は空気読めって話だよ」
「ああ、確かにな」中村の言うことは正論だ。ぼくは過ちを認めた。「あの場で話すことでもなかった。失敗した。酔ってたんだ」
「そうそう。ああいう時には適当な相槌してりゃいいんだよ。まぁ、昨日のお前は飲みすぎだ」
「おかげで今朝、ヒゲ剃りで、ちょっと切った」おどけてみせる。
「バチが当たったんだ」中村が笑いながら言う。「まぁ、今度合コンする時には注意しろよな。あんなことばっかりやってたら、そのうち誘われなくなるぞ」
ぼくも笑って頷く。
「それじゃ」中村は去り際に言う。「そういえばさ、あの言葉はマザー・テレサの言葉だぞ。カミソリ傷も、そのバチかもな」
マザー・テレサは、確かノーベル平和賞を受賞した、キリスト教のシスターだ。いつだったか忘れたが、もう亡くなっている。偉人といわれているひとりだ。
と、なると、ぼくの考え方が間違っていたのだろうか。
いや、論理的には間違っていないはずだ。
中村の消えた方を見つつ、ぼくは考え、そして気づいた。
マザー・テレサの言う愛とは、愛憎の愛ではない。慈愛や唯一神の与える愛、つまりはアガペーのことだ。
キリスト教の日本語訳には語弊が多い。キリスト教の神とは唯一神のことであって、日本の神と概念が異なる。愛についてもこれが当てはまる。
だとすると、『愛の反対は無関心』という意味も分かってくる。
『愛』つまり唯一神である主の与え給う絶対的な愛を全人類に対して抱くこと。
その反対が『無関心』であるのなら、この場合の無関心とは人類に対してなんの関心も抱かないということ。
なるほどとぼくは思う。実に宗教的な考え方だ。これなら納得がいく。
昨日の女の子は恋愛の意味として使っていた。その使い方が間違っていただけだ。
なにごとも捉え方によって変わってしまうものだ。
ふと傷口に手をやった。
中村の言った通り、この失敗も、ある種のバチが当たったせいかもしれない。でも捉え方の間違いだったということに気づいたんだ、これで許してくれるだろう。
なんとなく気の晴れた思いがした時、背中になにかがぶつかった。
「おいおい、なにをぼんやりと、こんなところに突っ立ってんだよ」
振り返ると課長大げさなリアクションとともに声を荒げる。
「あ、すみません」言いつつも、ぼくは失敗したと思った。
課長は、部下に口うるさい人物として社内でも有名なのだ。
「すみませんじゃねーだろ、さっさと歩け、このバカ」
再度詫びつつ、ぼくは課長の後ろを歩く。それでも罵詈雑言は止まらない。
やれやれ、やっぱり主たる教えは許してくれないのか、それとも現実が厳しいだけなのか。
どちらにしろ、ちょっとした失敗がこうまで続くと、神様にでもすがりたい気分になる。
傷を確認するため、顔を鏡面に近付ける。一筋の血が流れていた。
痛みで頭がはっきりしたぼくは、出血量に比べ、傷が浅いことを分かっている。経験則というやつだ。
血を拭い、切った箇所を調べる。思った通り、切り傷は小さい。1ミリもないくらいだ。
とはいえ、ヒゲ剃りは途中。切らしたシェーバーのせいで、これから後、傷を気にしながらカミソリを扱わなければならない。
迂闊な失敗をした自分に、少し腹が立った。
鏡の中の自分。目を見て、思わず「このバカ」とつぶやいた。
瞬間、少し慌てる。
こんな都市伝説を思い出したからだ。
「鏡に写った自分に否定的な言葉を吐くと、気が狂う」
都市伝説と言ったが、ぼくは思春期時代特有のネガティブな気分に落ちた時、それを知らずに実践していた時があった。すると鏡の中に居る顔に、ゆがんだ違和感を覚え、不安定な感情に溺れそうになった経験がある。
だからこそ慌てたのだし、ある程度の信憑性を持っている。
そういえば鏡に関して、似たような都市伝説がもうひとつあったな。確か「完全な鏡張りの球体に人を閉じ込めていると、気が狂う」とかなんとか。けれど完全な鏡張りの壁に閉じ込められたら真っ暗だ、照明はどうするなんて理由で否定されてもいたはずだ。
けれどLEDやら光を透過する鏡やらなにやらで、実現できるようになったらなら、誰か実験するのだろうか。それとも危険度が高いとして禁止されてしまうのか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
少々手こずりつつ、ヒゲを剃り終える。出血が止まるまでティッシュで傷口をおさえ、あいた手で身支度を整える。
スーツを着て出社すると、同僚の中村が話しかけられた。
「お前よ~、あれはないだろう」
「なんのこと?」
「昨日の合コンだよ、合コン。女の子が『愛の反対は憎しみじゃなくて無関心』って言ったら、いきなり説教モードに入ったろ、あれでみんな引いたんだぜ」
「ああ」思い出した。「だって無関心の反対は関心だろ、どう考えたってさ。だってさ、愛と憎しみは同列の感情で、関心の中に入る。関心を持っているからこそ感情を抱くんであって、愛憎っていうのは裏表だ」
「いや、いいから」中村が呆れた顔で静止する。「問題は空気読めって話だよ」
「ああ、確かにな」中村の言うことは正論だ。ぼくは過ちを認めた。「あの場で話すことでもなかった。失敗した。酔ってたんだ」
「そうそう。ああいう時には適当な相槌してりゃいいんだよ。まぁ、昨日のお前は飲みすぎだ」
「おかげで今朝、ヒゲ剃りで、ちょっと切った」おどけてみせる。
「バチが当たったんだ」中村が笑いながら言う。「まぁ、今度合コンする時には注意しろよな。あんなことばっかりやってたら、そのうち誘われなくなるぞ」
ぼくも笑って頷く。
「それじゃ」中村は去り際に言う。「そういえばさ、あの言葉はマザー・テレサの言葉だぞ。カミソリ傷も、そのバチかもな」
マザー・テレサは、確かノーベル平和賞を受賞した、キリスト教のシスターだ。いつだったか忘れたが、もう亡くなっている。偉人といわれているひとりだ。
と、なると、ぼくの考え方が間違っていたのだろうか。
いや、論理的には間違っていないはずだ。
中村の消えた方を見つつ、ぼくは考え、そして気づいた。
マザー・テレサの言う愛とは、愛憎の愛ではない。慈愛や唯一神の与える愛、つまりはアガペーのことだ。
キリスト教の日本語訳には語弊が多い。キリスト教の神とは唯一神のことであって、日本の神と概念が異なる。愛についてもこれが当てはまる。
だとすると、『愛の反対は無関心』という意味も分かってくる。
『愛』つまり唯一神である主の与え給う絶対的な愛を全人類に対して抱くこと。
その反対が『無関心』であるのなら、この場合の無関心とは人類に対してなんの関心も抱かないということ。
なるほどとぼくは思う。実に宗教的な考え方だ。これなら納得がいく。
昨日の女の子は恋愛の意味として使っていた。その使い方が間違っていただけだ。
なにごとも捉え方によって変わってしまうものだ。
ふと傷口に手をやった。
中村の言った通り、この失敗も、ある種のバチが当たったせいかもしれない。でも捉え方の間違いだったということに気づいたんだ、これで許してくれるだろう。
なんとなく気の晴れた思いがした時、背中になにかがぶつかった。
「おいおい、なにをぼんやりと、こんなところに突っ立ってんだよ」
振り返ると課長大げさなリアクションとともに声を荒げる。
「あ、すみません」言いつつも、ぼくは失敗したと思った。
課長は、部下に口うるさい人物として社内でも有名なのだ。
「すみませんじゃねーだろ、さっさと歩け、このバカ」
再度詫びつつ、ぼくは課長の後ろを歩く。それでも罵詈雑言は止まらない。
やれやれ、やっぱり主たる教えは許してくれないのか、それとも現実が厳しいだけなのか。
どちらにしろ、ちょっとした失敗がこうまで続くと、神様にでもすがりたい気分になる。