彼女は一人で風呂に入っている…ハズだった。
しかし、そこにはもう一つの存在が居た。
やっとここに来れた。
彼女が髪を洗う姿を、ぼくは後ろから見ている。
彼女には、ぼくの姿を見ることができないかもしれない。
ぼくは寂しさに捕らわれた。
そう。ぼくは三年前に、すでに死んでいるのだ。――交通事故で。残してきた恋人に会いたくて、ぼくは必死にこの世に戻る方法を探し、そして修行をしていたのだ。
三年振りに見る彼女。ぼくはそっと、心の中で『ただいま』とささやいた。
倉本ヒカリは、髪を洗う手を止めた。鏡にうつる彼女の顔は、わずかに蒼褪めていた。
何かが居る。
――自分以外の存在の気配に、彼女は気が付いたのだった。
少しの不安と、大きな恐怖。
その思いを振り払うように、彼女の手は再び頭の上で動き始めた。
ぼくは彼女に起きた、一瞬の変化に気がついた。
もしかしたらぼくのことに気付いたのかもしれない。
このチャンスを逃がしてたまるか。
もしヒカリに霊感があるのなら話ができるかもしれないんだ。
「ヒカリ」ぼくは彼女に呼びかけた。
彼女の動きが一瞬止まる。しかし、振り向かない。
ぼくはもう一度、静かな声で呼びかけた。
「ヒカリ、ぼくだ」
ヒカリはおずおずと後ろを向き、そして固まった。
みるみる顔から血の気が引いていく。そして、ようやくと言った感じで口を開く。
「…あなたなの?ケンジさん…」驚いたためか、それとも緊張しているためか、その声は普段よりも一オクターブほど高かった。
「そうだよ」ぼくは彼女を安心させようと、できるだけ穏やかに、そして短く応えた。
しかしその意図に反して、彼女の顔はますます蒼褪めていく。
「どうして――」
「君に会いたくて」
「やめて!やめてよ!」ヒカリは耳を塞いだ。「何で今ごろになって!…あ、あたし、あたしをどうするつもり?」
「どうしたんだ?」ぼくは戸惑う。もしヒカリに新しい恋人がいたとして、それは仕方のないことだ。
新しい恋人のいるヒカリの前にぼくが現れるということは、彼女にとっては『ぼくの身勝手』ということになるのだろう。
彼女に会う前に、そこまでは考えていた。そしてそれはぼくの不安の種でもあったのだ。
しかしそれでも、ぼくは訊かずにいられなかった。
「…どういうことだ?」
「しらばっくれないでよ!」ヒカリは早口でまくしたてた。「知ってるんでしょ。あたしがヒロに言われてあなたを殺したってこと!でも・・・でもあたしには、ああする以外どうしようもなかったのよ!」
混乱した頭で、ぼくはようやく応えた。
「…ヒロ・・・だって?」
ヒロはぼくの弟だ。――腹違いのぼくの弟。
「あいつが、あいつがどうしたって?」
確かに、あいつはぼくを憎んでいた。逆恨みのようなものだが、あいつはぼくを憎んでいたのだ。でも、なんでヒカリがぼくを殺す?
「あたしは」彼女の声は、半分泣き声だった。「あたしはあの時、ヒロとあなたの両方と付き合ってた。タイプが全然違うし、兄弟だなんて分からなかった」
「だからっていいわけにはならない」ぼくの感情は、彼女の告白ですでに死んでいた。
分かっているというようにヒカリは頷き、話し続けた。
「それで、そのことがヒロにバレて…ひどく、殴られたの。でもあたしはヒロの方が好きだったから、『あなたと別れる』って言って。でも、それじゃダメだって。それだけじゃだめだって言われて…それで事故死にみせかけて・・・」
「あいつが、オレのことを殺せって言ったのか」
「うん。『別れたくなければ兄貴を殺せ。俺は兄貴を殺したいくらい憎んでるんだ』って言われて」
「…それで殺したのか…」ぼくは呟いた。
独り言のようなぼくの言葉に、ヒカリは無言で頷いた。
「そんなことで、殺されたのか?オレは?」割りに合わない。
「そうよ。あたしはあなたより、ヒロの方がずっと好きだったから…」彼女は泣いていた。
浴室の中で、裸で泣き続けるヒカリを見ながらぼくは言った。
「なに泣いてやがる。そんなことで許されるとでも思ってるのか?」
「お願い、許して」
「何でだよ。何で許すんだよ。そんな必要どこにある?オレを殺した奴なんか許してたまるか!お前なんかに少しでも情けをかけるとでも思ってんのか?ふざけんなよ!誰がお前なんかに…お前なんかに!!」
ヒカリの顔が、恐怖のために醜く歪んでいくのが分った。
男はすでに修羅と化していた。
精神のみの存在は弱く、そして強い。
男は女の顔の歪みが恐怖のためではなく、自分の力によるものだということも分らなかった。
浴室の中を、彼女の悲鳴が駆け巡る――
しかし、そこにはもう一つの存在が居た。
やっとここに来れた。
彼女が髪を洗う姿を、ぼくは後ろから見ている。
彼女には、ぼくの姿を見ることができないかもしれない。
ぼくは寂しさに捕らわれた。
そう。ぼくは三年前に、すでに死んでいるのだ。――交通事故で。残してきた恋人に会いたくて、ぼくは必死にこの世に戻る方法を探し、そして修行をしていたのだ。
三年振りに見る彼女。ぼくはそっと、心の中で『ただいま』とささやいた。
倉本ヒカリは、髪を洗う手を止めた。鏡にうつる彼女の顔は、わずかに蒼褪めていた。
何かが居る。
――自分以外の存在の気配に、彼女は気が付いたのだった。
少しの不安と、大きな恐怖。
その思いを振り払うように、彼女の手は再び頭の上で動き始めた。
ぼくは彼女に起きた、一瞬の変化に気がついた。
もしかしたらぼくのことに気付いたのかもしれない。
このチャンスを逃がしてたまるか。
もしヒカリに霊感があるのなら話ができるかもしれないんだ。
「ヒカリ」ぼくは彼女に呼びかけた。
彼女の動きが一瞬止まる。しかし、振り向かない。
ぼくはもう一度、静かな声で呼びかけた。
「ヒカリ、ぼくだ」
ヒカリはおずおずと後ろを向き、そして固まった。
みるみる顔から血の気が引いていく。そして、ようやくと言った感じで口を開く。
「…あなたなの?ケンジさん…」驚いたためか、それとも緊張しているためか、その声は普段よりも一オクターブほど高かった。
「そうだよ」ぼくは彼女を安心させようと、できるだけ穏やかに、そして短く応えた。
しかしその意図に反して、彼女の顔はますます蒼褪めていく。
「どうして――」
「君に会いたくて」
「やめて!やめてよ!」ヒカリは耳を塞いだ。「何で今ごろになって!…あ、あたし、あたしをどうするつもり?」
「どうしたんだ?」ぼくは戸惑う。もしヒカリに新しい恋人がいたとして、それは仕方のないことだ。
新しい恋人のいるヒカリの前にぼくが現れるということは、彼女にとっては『ぼくの身勝手』ということになるのだろう。
彼女に会う前に、そこまでは考えていた。そしてそれはぼくの不安の種でもあったのだ。
しかしそれでも、ぼくは訊かずにいられなかった。
「…どういうことだ?」
「しらばっくれないでよ!」ヒカリは早口でまくしたてた。「知ってるんでしょ。あたしがヒロに言われてあなたを殺したってこと!でも・・・でもあたしには、ああする以外どうしようもなかったのよ!」
混乱した頭で、ぼくはようやく応えた。
「…ヒロ・・・だって?」
ヒロはぼくの弟だ。――腹違いのぼくの弟。
「あいつが、あいつがどうしたって?」
確かに、あいつはぼくを憎んでいた。逆恨みのようなものだが、あいつはぼくを憎んでいたのだ。でも、なんでヒカリがぼくを殺す?
「あたしは」彼女の声は、半分泣き声だった。「あたしはあの時、ヒロとあなたの両方と付き合ってた。タイプが全然違うし、兄弟だなんて分からなかった」
「だからっていいわけにはならない」ぼくの感情は、彼女の告白ですでに死んでいた。
分かっているというようにヒカリは頷き、話し続けた。
「それで、そのことがヒロにバレて…ひどく、殴られたの。でもあたしはヒロの方が好きだったから、『あなたと別れる』って言って。でも、それじゃダメだって。それだけじゃだめだって言われて…それで事故死にみせかけて・・・」
「あいつが、オレのことを殺せって言ったのか」
「うん。『別れたくなければ兄貴を殺せ。俺は兄貴を殺したいくらい憎んでるんだ』って言われて」
「…それで殺したのか…」ぼくは呟いた。
独り言のようなぼくの言葉に、ヒカリは無言で頷いた。
「そんなことで、殺されたのか?オレは?」割りに合わない。
「そうよ。あたしはあなたより、ヒロの方がずっと好きだったから…」彼女は泣いていた。
浴室の中で、裸で泣き続けるヒカリを見ながらぼくは言った。
「なに泣いてやがる。そんなことで許されるとでも思ってるのか?」
「お願い、許して」
「何でだよ。何で許すんだよ。そんな必要どこにある?オレを殺した奴なんか許してたまるか!お前なんかに少しでも情けをかけるとでも思ってんのか?ふざけんなよ!誰がお前なんかに…お前なんかに!!」
ヒカリの顔が、恐怖のために醜く歪んでいくのが分った。
男はすでに修羅と化していた。
精神のみの存在は弱く、そして強い。
男は女の顔の歪みが恐怖のためではなく、自分の力によるものだということも分らなかった。
浴室の中を、彼女の悲鳴が駆け巡る――
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飛べない鳥が木から跳ぶ
するとどうなる?
クルクルクルクル回りながら
枝葉に体を打ちながら
ただただ地面に堕ちていくだけ
飛ばない鳥が地面を歩く
するとどうなる?
地を這う獣に襲われて
ジタバタジタバタ逃げ回り
爪で背中をかき切られ
牙でノド笛かみくだかれ
ただただ死を待つばかり
そんなのイヤだ!ぼくは飛ぶ!
するとどうなる?
クルクルクルクル回りながら
枝葉に体を打ちながら
ただただ地面に堕ちていくだけ
飛ばない鳥が地面を歩く
するとどうなる?
地を這う獣に襲われて
ジタバタジタバタ逃げ回り
爪で背中をかき切られ
牙でノド笛かみくだかれ
ただただ死を待つばかり
そんなのイヤだ!ぼくは飛ぶ!
ピンポーン
誰かが来たようだ。ぼくはカギを外し、ドアを開ける。
しかし、そこには誰もいない。
おかしいな。ぼくは首を傾げた。
にゃー
ドアのスキ間から入ってきた黒猫が、ぼくの足に巻きついてきた。
「?どうした?お前」
ぼくは、猫が嫌いではない。
「あたしぁ、使い魔でさぁ」
黒猫がしゃべった。
「え?…あ、あの、使い魔って…え?」
ぼくを無視して、黒猫が言う。
「ご主人様から、ここへ来るよう命令されたんでさぁ」
「め、命令って、ぼくを殺すのか」
黒猫はぼくを一瞥すると、息をついた。
「そんな滅相もないこと、しやぁしませんよ。あたしにできるいたずらなんて、病気にさせるか無気力にさせるとか、そんなモンですよ。まぁ、あたしがこちらへ出向いたのは、そんな理由でもございやせんがね」
「じゃ、じゃあなんだっていうんだ?」
すると黒猫は、うんざりしたように首を振った。
「そんなに恐がらないで下さいよ。あたしぁいたずらをしに来たんじゃない。お手伝いに来たんでさぁ」
「手伝い?何でまた…」
「それは、あたしにもよく分かりませんがね。まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。使い魔なんてものは、命令されたらそれをすればいいだけなんですからね。おっと、申し遅れました。あたしの名前はニスロクと申します。一番得意なのは料理なんですが、命令されれば何でもやりまさぁ」
こうして、黒猫、いや、使い魔ニスロクは、ぼくの部屋に居付いてしまった。
確かに、ニスロクは料理が上手かった。イモリとかカエルとか、そんなものを使いはしないかと心配していたが、そんなことはなかった。普通の料理、いや、普通以上の料理を作ってくれた。それも低予算の食材で。
ニスロクにかかると、ナットウですら、上等な宝石に変わってしまうようだった。彼はその他、与えられた仕事はなんでもこなした。スピーディーに、そして正確に。
ぼくの性分として、彼の力を悪い方に使うことはできなかった。ぼくが彼女に振られた時も、彼の力を使って彼女の心を引き戻す・・・なんてことはしなかった。
そのかわり、ニスロクはその力を使ってぼくを励ましてくれたのだ。
半年もすると、ぼくの心にある不安が生まれた。
優秀な秘書のようなニスロクは、ぼくの表情やしぐさから、そのことに気づいたようだった。
ニスロクは、ぼくの目をジッと見詰める。
ぼくはいつものように、黒猫の姿の内に大きな存在を感じる。
その存在があまりにも黒く、深い闇であるために、ぼくはいつものように眩暈を感じる。
「なにか、不安でも?」
ぼくは薄笑いを浮かべ、照れながら話しだす。
「いや、君にはいつも見破られてしまうな。実は、君がいつの日にかぼくの前から消えてしまうんじゃないか?なんて思ってしまってね。使い魔とかなんとかそういうことじゃなく、友人として。君が居なくなってしまったらぼくはひどく悲しむだろう。そう考えると、その日が来ることがとても恐く感じてしまうんだ。」
どうしてニスロクの前では、何もかも打ち明けることができるのだろう?
まるで昔から大の親友のように。
ニスロクの瞳が潤んだ。
「ありがとうございやす。これも使い魔冥利に尽きるってモンでさぁ。なーに、心配なさるこたぁねぇ。今のあたしのご主人様はあなたでございまさぁね。あなたの元にあたしをよこした前のご主人様も、あなたがこの世にいる限りおつかいしろと、あたしにそうおっしゃりましたんで」
「じゃあ、前のご主人という人の所へ戻る、なんてことは…」
「ございやせん」
ぼくはニスロクを抱きかかえた。ひどく甘ったるい、ニスロクの匂いがした。
彼がぼくの前から消える心配がなくなった以上、ぼくには何の心配も不安もなくなった。
ぼくには、使い魔がついているのだ。
ぼくらは主従の関係というよりも友人として、より強いキズナを深めた。
・・・そしてぼくはニスロクに頼りきりになった。ぼくは一人では何もできなく、何もしたくなくなった。
ぼくはただ命令をするだけ、ニスロクは一人で全てをこなす。なんたって、あいつは使い魔なのだ。
・・・そう、確かにあいつは悪魔だ。
あいつをよこしたのが誰にせよ、そいつの思い通りになってしまったのだろう。
ぼくはあいつに頼りきり。自堕落な人間になってしまった。もう一人では、テレビのスイッチを押すのも面倒くさい。
まったく、大した使い魔だ。
誰かが来たようだ。ぼくはカギを外し、ドアを開ける。
しかし、そこには誰もいない。
おかしいな。ぼくは首を傾げた。
にゃー
ドアのスキ間から入ってきた黒猫が、ぼくの足に巻きついてきた。
「?どうした?お前」
ぼくは、猫が嫌いではない。
「あたしぁ、使い魔でさぁ」
黒猫がしゃべった。
「え?…あ、あの、使い魔って…え?」
ぼくを無視して、黒猫が言う。
「ご主人様から、ここへ来るよう命令されたんでさぁ」
「め、命令って、ぼくを殺すのか」
黒猫はぼくを一瞥すると、息をついた。
「そんな滅相もないこと、しやぁしませんよ。あたしにできるいたずらなんて、病気にさせるか無気力にさせるとか、そんなモンですよ。まぁ、あたしがこちらへ出向いたのは、そんな理由でもございやせんがね」
「じゃ、じゃあなんだっていうんだ?」
すると黒猫は、うんざりしたように首を振った。
「そんなに恐がらないで下さいよ。あたしぁいたずらをしに来たんじゃない。お手伝いに来たんでさぁ」
「手伝い?何でまた…」
「それは、あたしにもよく分かりませんがね。まあ、そんなことはどうでもいいんですよ。使い魔なんてものは、命令されたらそれをすればいいだけなんですからね。おっと、申し遅れました。あたしの名前はニスロクと申します。一番得意なのは料理なんですが、命令されれば何でもやりまさぁ」
こうして、黒猫、いや、使い魔ニスロクは、ぼくの部屋に居付いてしまった。
確かに、ニスロクは料理が上手かった。イモリとかカエルとか、そんなものを使いはしないかと心配していたが、そんなことはなかった。普通の料理、いや、普通以上の料理を作ってくれた。それも低予算の食材で。
ニスロクにかかると、ナットウですら、上等な宝石に変わってしまうようだった。彼はその他、与えられた仕事はなんでもこなした。スピーディーに、そして正確に。
ぼくの性分として、彼の力を悪い方に使うことはできなかった。ぼくが彼女に振られた時も、彼の力を使って彼女の心を引き戻す・・・なんてことはしなかった。
そのかわり、ニスロクはその力を使ってぼくを励ましてくれたのだ。
半年もすると、ぼくの心にある不安が生まれた。
優秀な秘書のようなニスロクは、ぼくの表情やしぐさから、そのことに気づいたようだった。
ニスロクは、ぼくの目をジッと見詰める。
ぼくはいつものように、黒猫の姿の内に大きな存在を感じる。
その存在があまりにも黒く、深い闇であるために、ぼくはいつものように眩暈を感じる。
「なにか、不安でも?」
ぼくは薄笑いを浮かべ、照れながら話しだす。
「いや、君にはいつも見破られてしまうな。実は、君がいつの日にかぼくの前から消えてしまうんじゃないか?なんて思ってしまってね。使い魔とかなんとかそういうことじゃなく、友人として。君が居なくなってしまったらぼくはひどく悲しむだろう。そう考えると、その日が来ることがとても恐く感じてしまうんだ。」
どうしてニスロクの前では、何もかも打ち明けることができるのだろう?
まるで昔から大の親友のように。
ニスロクの瞳が潤んだ。
「ありがとうございやす。これも使い魔冥利に尽きるってモンでさぁ。なーに、心配なさるこたぁねぇ。今のあたしのご主人様はあなたでございまさぁね。あなたの元にあたしをよこした前のご主人様も、あなたがこの世にいる限りおつかいしろと、あたしにそうおっしゃりましたんで」
「じゃあ、前のご主人という人の所へ戻る、なんてことは…」
「ございやせん」
ぼくはニスロクを抱きかかえた。ひどく甘ったるい、ニスロクの匂いがした。
彼がぼくの前から消える心配がなくなった以上、ぼくには何の心配も不安もなくなった。
ぼくには、使い魔がついているのだ。
ぼくらは主従の関係というよりも友人として、より強いキズナを深めた。
・・・そしてぼくはニスロクに頼りきりになった。ぼくは一人では何もできなく、何もしたくなくなった。
ぼくはただ命令をするだけ、ニスロクは一人で全てをこなす。なんたって、あいつは使い魔なのだ。
・・・そう、確かにあいつは悪魔だ。
あいつをよこしたのが誰にせよ、そいつの思い通りになってしまったのだろう。
ぼくはあいつに頼りきり。自堕落な人間になってしまった。もう一人では、テレビのスイッチを押すのも面倒くさい。
まったく、大した使い魔だ。
泣き声が聞こえてきた。
ぼくは歩みを止め、辺りを見回す。
そのものすごい泣き声。近くの空き地から聞えてくる様だった。
気になったぼくは、泣き声の方へと歩きだした。
空き地に着く。
その真ん中で、中年の男が泣いていた。
地面にしゃがみこみ、丸くなって号泣している。
彼に近付き、ぼくは声を掛けた。
それでも彼は泣き止まず、ぼくを無視して泣き続けた。
やれやれとため息をつく。
男を観察してみると、顔がアザだらけなのに気が付いた。どうやら誰かにさんざん殴られた後らしい。
ぼくは何度も、男に向かって声を掛けた。
なのに彼は泣き続ける。
まったく、いい年をした大の大人が、こんなトコで何泣いてんだか。
見ているうちに、ぼくにムラムラとした気持ちがわき起った。
『こんなダメな人間、こうなってもしかたがないのだ。ホントにウジウジしてて、何もできなくて…ぼくもコイツを殴ってやろうか』
ぼくはその男の胸ぐらを掴むと、ムリヤリ立たせて、横っツラを張り倒した。
「ヒィィ」男が悲鳴をあげる。「ヒイィィィー」
この男に、ふさわしい、ひどく悲しそうなミジメな悲鳴。
まるで豚の悲鳴だ。
それはぼくの嗜虐心を大きく煽る。
襟を掴み、ぼくは何度も殴りつけた。
男の口から血が流れ、鼻血も出て、それでもぼくは殴り続けた。
どんなに殴っても、男は気を失わない。
根を上げたのはぼくの方だった。
殴り疲れて、襟を放す。
男は地面に倒れこむ。
「ヒック、ヒック、ウェ~」
男は、今までよりも大きな声を張り上げて泣き出した。
ぼくはその声に満足すると、空き地を後にした。
すっきりした気持ちで帰途につく。
泣きじゃくる、誰かを置いて。
ぼくは歩みを止め、辺りを見回す。
そのものすごい泣き声。近くの空き地から聞えてくる様だった。
気になったぼくは、泣き声の方へと歩きだした。
空き地に着く。
その真ん中で、中年の男が泣いていた。
地面にしゃがみこみ、丸くなって号泣している。
彼に近付き、ぼくは声を掛けた。
それでも彼は泣き止まず、ぼくを無視して泣き続けた。
やれやれとため息をつく。
男を観察してみると、顔がアザだらけなのに気が付いた。どうやら誰かにさんざん殴られた後らしい。
ぼくは何度も、男に向かって声を掛けた。
なのに彼は泣き続ける。
まったく、いい年をした大の大人が、こんなトコで何泣いてんだか。
見ているうちに、ぼくにムラムラとした気持ちがわき起った。
『こんなダメな人間、こうなってもしかたがないのだ。ホントにウジウジしてて、何もできなくて…ぼくもコイツを殴ってやろうか』
ぼくはその男の胸ぐらを掴むと、ムリヤリ立たせて、横っツラを張り倒した。
「ヒィィ」男が悲鳴をあげる。「ヒイィィィー」
この男に、ふさわしい、ひどく悲しそうなミジメな悲鳴。
まるで豚の悲鳴だ。
それはぼくの嗜虐心を大きく煽る。
襟を掴み、ぼくは何度も殴りつけた。
男の口から血が流れ、鼻血も出て、それでもぼくは殴り続けた。
どんなに殴っても、男は気を失わない。
根を上げたのはぼくの方だった。
殴り疲れて、襟を放す。
男は地面に倒れこむ。
「ヒック、ヒック、ウェ~」
男は、今までよりも大きな声を張り上げて泣き出した。
ぼくはその声に満足すると、空き地を後にした。
すっきりした気持ちで帰途につく。
泣きじゃくる、誰かを置いて。
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